令和4年度

校長より

大切なもの

トンネル工事を行う際には、一般的に両側から同時に堀り始め、真ん中辺りで一致すると貫通となります。その最後に破られた岩石の破片のことを貫通石と呼びます。トンネルが貫通したときの感激は言葉で表すことのできないほど大きく、また、コンピュータ制御された掘削作業となった今であっても、その瞬間の感動が薄れることはないのだそうです。だから、貫通石は1つずつ丁寧に袋に入れられ、関係した方々に配られることもあります。複数年にわたり作業に従事した工事関係者の方々は、それを大切にポケットにしまい込み家族のもとに帰ります。ちなみに、これまでにかなり多くの貫通石が配られたのは青函トンネルが完成したとき、とも言われています。生徒の皆さんは、何か大切にしている思い出深いものはありますか。

9月22日(金) 川俣高等学校長

記憶力

物覚えが悪くなる要因は、脳にあるワーキングメモリの容量が小さくなるからだと言われています。記憶の容量とされるこのワーキングメモリが小さくなるのは、大きな机の上でテキストやノートを思いっきり広げて作業ができる状態から、徐々に机の幅が狭くなっていくような状態を指すのだそうです。でも、狭くなった机を広げる方法として、音読を薦める大学の先生がいます。川島隆太先生によれば、音読は、文字を読む視覚と耳で察知する聴覚という2つの感覚を使用することから、脳に程よい刺激を与えると話されています。言語を使って思考する人間にとって、脳の中の机が広くなればその思考の幅を広げることができ、豊かな発想力も生み出すことができます。そして、途中で息を吸った際に脳の回路が切れることを避けるために、文章などを一気に読み上げると一層の記憶力向上に良いとされています。生徒の皆さんも一度試してみてはいかがでしょうか。

9月21日(木) 川俣高等学校長

思 い

阪神タイガースのセリーグ優勝とともに色々と注目を浴びているカーネル・サンダース人形ですが、元々は、1985年にタイガースが日本一になったときに活躍したランディ・バース選手の代わりに、やや姿が似ているとの理由で胴上げされたのが事の始まりだったようです。それはともかく、そのカーネル・サンダース人形は本場アメリカではほとんど見かけることはなく、日本独特のものであることをご存じでしょうか。観光で日本を訪れたアメリカ人の方々が、その人形の脇で記念写真を撮られるのもうなずけます。日本にはかねてより、商売繁盛を願って、よく店頭に招き猫を置いたりします。そういえば、マネキンという言葉は、招き入れる、から来ているとの説もあります。そうした慣習から独自に作成されたものだとすれば、海外と日本の文化融合による象徴とも言えるのかもしれません。

9月19日(火) 川俣高等学校長

欠乏と過剰

トルストイ『戦争と平和』の中に、『ピエールは、頭ではなく己の全存在、全生命によっておよそ人間は幸福のために創られた者であること、幸福は彼自身の中に、その自然な人間的要求の満足の中に存すること、一切の不幸は欠乏から来るのではなく、むしろ過剰から来ることを知った。』という一節があります。人は、欲するものや要求するものを手に入れることができれば幸福を感じると思い込んでいますが、実はそれは錯覚なのだという指摘です。過剰という豊かさがあまり大きな意味を持たないことは、かつて高度経済成長を経験した際に明確になったことでもあります。苦悩があって幸福があるのは、闇があって光があるのと同じです。この逆説的存在があるからこそ、苦悩の中にも希望を持ち続け、後に必ず幸福が訪れるのです。一時闇にいる瞬間があっても、必ず光に辿り着くことができるのです。そして、その幸福や光は、意外にも身近なものであったりします。日常の何でもない光景が至福の光と感じることは、ドストエフスキーの作品の中にも多く描かれています。

9月15日(金) 川俣高等学校長

白 砂

かつて、バンカーの砂を白くしてゴルフのテレビ中継の際に映えるようにしようとしたゴルフ場があったそうです。そのときに使用したのが、オーストラリアから取り寄せた珪砂です。元々はガラス製品の原料にするために輸入していた珪砂は、花岡岩が風化してできたものなので、白く細かい形状をして、太陽に当たるほどその白さが増すそうです。狙い通りテレビ映えはしたものの、プロからは不評でした。砂の大きさが揃い過ぎているため抵抗感がなく、打ちづらいことがその理由です。また、あまりにも白く輝いて見えるため、目線がどうしてもバンカーにいってしまうとの意見もありました。新しいことを取り入れると、これまでにはなかった課題が生じることはよくあります。ちなみに、その後、白さを失わない程度に日本の細かい砂を混ぜるなど工夫して、珪砂の良さを引き出すことに成功したそうです。

9月14日(木) 川俣高等学校長

言葉の重み

かつて、動物学者がチンパンジーと人の子どもを同時に育て観察記録を取った例があります。2歳から3歳まではチンパンジーの知能が優っていますが、人が言葉を覚え始めると、その優位性はたちまち逆転するのだそうです。人が言葉を持つ事実がどれほど重大なことであるのかがわかります。人は言葉を使って、文学や芸術、科学などあらゆる分野を充実させてきました。でも、あまりにも身近な存在である言葉であるために、通常はそれを顧みることはないようです。世界を情報が飛び交い、海外の人とも異文化の人とも容易に交流を図ることのできる現在であるからこそ、言葉とは何か、を考える時期なのかもしれません。始めに言(ことば)ありき、という表現があります。ギリシア語では、言のことをロゴスといいます。ちなみにロゴスには、言葉に加えて理性や思考能力という意味も含まれています。

9月13日(水) 川俣高等学校長

商売の原点

かつて街に商店街が多く立ち並んでいた頃の話です。朝に行う店の前の掃除は、主に店主の方が担当されていました。店員の方に任せないのには理由があったようです。第一に、買いに来ていただく客様のことを思いながら心を込めて掃除をすることで、感謝の気持ちを新たにされていたようです。第二に、お客様になるかもしれない、店の前を通る方々の表情などを観察できることです。爽やかな表情をされている人、やや疲れや悩みを感じながら歩いている人など、その表情から窺い知ることで、来店された際の声掛けに心配りをしていたようです。また挨拶すると、挨拶を返してくれる人、無視して通り過ぎる人、掃除の邪魔にならないよう遠回りして歩いてくれる人など、人それぞれの性格をも知ることができます。店の前の掃除は、商人としての心得や経営の呼吸などを学ぶ機会だったのかもしれません。人との接し方は気働きによる、とも言われます。私たちにも通じる心構えでもあります。

9月12日(火) 川俣高等学校長

運 命

生徒の皆さんは、ドイツの作曲家ベートーヴェンを知っていることと思います。ウィーンで演奏家として名声を博していた時期に、彼は病により聴覚のほとんどを奪われます。移り住んだウィーン郊外のハイリゲンシュタットで彼が書いた「ハイリゲンシュタットの遺書」には、絶望という言葉も見られます。でも彼は、運命とは抗うものではなく、運命に従うことこそ、運命を克服する唯一の手段との考えに行きついたとされています。ハイリゲンシュタットの苦悶する日々から14年後、彼は日記に、扉を叩くことこそ自分の運命という強い考えの下、「運命よ、思いのままに力を振るえ。」と記します。生徒の皆さん、人は、なぜ一時、耐え忍ぶことができるのか知っていますか。たとえ過酷な運命であっても、受け入れ、乗り越えていく先には大きな歓喜の瞬間が待っているからです。

9月11日(月) 川俣高等学校長

平 和

タクアン漬けを考案した沢庵和尚は、織田信長時代に生まれます。乱世の静まりを熱望した沢庵和尚の考えは、「堪忍の二字、常に思うべし。百戦百勝するも、一忍に如かず」にある、とされています。彼は、戦いはどこまでいってもきりがなく、それよりも戦わないことこそ最大の勝利である、と考えていました。三代将軍徳川家光の剣術の指南役として仕えた柳生但馬守宗矩(むねのり)は沢庵和尚に教えを乞うていたために、彼の記した『兵法家伝書』にも、沢庵和尚の考えが色濃く反映されています。その柳生流の極意とは無刀取りとされています。かかってくる相手の刀を奪うという術だそうです。戦わないことを心せよ、と、稽古の際に彼は常に諭したそうです。自分との闘いは、時によってあるかもしれません。でも、他者との戦いにばかり目を向けることは、大きな意味を持たないようです。

9月8日(金) 川俣高等学校長

一層の成長

植物に音楽を聴かせるとその成長が早いという話を耳にします。かつて山形県にある音響メーカーの従業員の方が、ステレオから流す音楽の下、育てる野菜作りを提案し実践しました。野菜の苗を植え、芽が出ると、クラシックやロック、演歌などの音楽をかけて育てたそうです。どれも良く育ちましたが、その従業員の方は元々農家の生まれであったため、自分が野菜作りに慣れていたからうまくいったのか、または音楽の効果なのか確証がなく、東北大学の教授から教えをいただくことにしました。教授によれば、一日に一回、野菜の枝葉に触れてやるだけで、エチレンという発育ホルモンが分泌され成長を促すとのことでした。音楽であれば、低い周波数の音が枝葉を動かすことで刺激を与えるため、一定の効果があるようです。何事においても一層の成長を図るには、深い思いやりを持ちながら、これまでの取組にひと手間かけることが大切なようです。

9月7日(木) 川俣高等学校長

緊張の中の集中力

緊張とは、外界との交流を遮断して自らを守ろうとする状態を指します。こうした状態に陥ると、新しいことを吸収することもうまくいまず、パフォーマンス自体が低下すると言われています。緊張は、一つのことにとらわれて心が固まることで柔軟な対応を阻害する「居つく」状態も呼び込んでしまいます。では、こうした場合にはどのように対応すればよいのでしょうか。緊張は誰でもするものだという開き直りの気持ちを持ちつつ、緊張の中にも集中力を高めるには、自らのこれまでの取組に対する自信を感じること、一定のリラックス状態を取り入れること、この2点が大切なのだそうです。2017-2018グランプリシリーズに出場した羽生結弦選手は、初戦において、フリーで初挑戦の四回転ルッツを成功させます。彼は著書の中で、「それまでの1年間、練習も私生活もすべてスケートのために使ってきたという自信があったので、思い切って自分の身体を信じることができました。」と述べています。プログラム使用曲に、彼が心から笑顔になれる「SEIMEI」を選曲したことも、リラックス状況を作り出した大きな要因ともされています。

9月6日(水) 川俣高等学校長

事の是非

生徒の皆さんは、自分にしかできない何かを見つけていますか。皆さんが真から興味のあることに一心に取り組み、工夫をしながらその道に励むことは素晴らしいことで、そこから自信も生じます。好きこそ物の上手なれ、という表現もあります。でも、物事に取り組む際には、他者の存在も視界に入ります。もしも先に進む人の姿を目にすると、焦燥に駆られることもあるかもしれません。尾崎一雄氏は『痩せた雄鶏』に、「疲れたら憩(やす)むがよい。彼等もまた、遠くはゆくまい。」と書いています。『宋名臣言行録』にも、「事の是非如何と顧みるのみ。成敗に至りては天なり。」と記されているように、要は、目の前にあることが、是か非か、つまりは、正しいか正しくはないかを見極めることこそ大切なのです。取組の後に、成功であったか失敗したかは問われるものではなく、また、他者の評価も然り、という考えにも行きつきます。ちなみに、ここでいう「天」とは天命を指します。

9月5日(火) 川俣高等学校長

家の形

かつて、地方で大手住宅メーカーの下請けをしていた会社が、基本は四角で作る家屋を八角形で作ってみる案について検討を始めます。提案した社員によると、同じ床面積の住宅の場合、四角形よりも円形に近い形の八角形の方が外周が短く、その分コストダウンを図ることができることをあげ、また、円形にすると工法上難しい問題が生じるものの、八角形であれば従来の工法で建てることができるなど、利点を説明したそうです。ただし、役員会では、壁面の一辺が短くなり、これまでの家具を置くことができなくなるなどの理由で多くの反対意見が出されたため、社長さんが自ら八角形の家を建て、1年間住んでみることにしました。家の中央部の間仕切りの壁に独自開発の家具を置くなど工夫すると、八方の窓からの採光により室内は明るく、夏は風通しに優れ、冬は北風を受ける部分が少ないため温かく、また広く感じる家になったそうです。それにしても、社長さんの商品開発に対する熱い意気込みを感じます。そういえば、八はかねてより、末広がりを示す縁起の良い数字とされていることに加え、聖徳太子が見た夢により建立された法隆寺の夢殿も八角形をしています。

9月4日(月) 川俣高等学校長

得たきもの

無欲の人として知られる与謝蕪村が、「得たきものはしゐて得るがよし(得たいと思うものは無理をしても手に入れたらよい)。」という言葉を残しています。彼はまた、「見たいものはつとめて見るがいい。」とも話しています。物事の判断基準は自分にある、との考えによる表現とされており、よって、しっかりとした判断基準をもって物事を捉えることができるよう日頃から努めることが肝要、との意味にも取ることができます。中国秦時代の宮殿であった感陽宮の釘隠しから作られた刀の鍔(つば)だとして、彼に自慢げに見せびらかす人に対して、与謝蕪村は、何も話さなければ実に良い品なのに、と感想を持った逸話が残されています。また、赤穂浪士の一人である大高源吾が所持していたとする高麗の茶碗だと自慢した知人に対して、彼はただ、何の証があるのか、と感じるのみであったそうです。さて、生徒の皆さんはこれまでに、他者の解釈抜きに、得たきもの、と感じた対象はどのくらいありましたか。

9月1日(金) 川俣高等学校長

ペンギン

ペンギンは氷山の端まで来ると、しばらくはじっとしています。そして、勇気ある1羽が氷の海に飛び込むと、残りのペンギンも次々とダイビングを始めるのだそうです。氷山というホームから、氷の海というアウェーに入り込むには、ペンギンにとっても大きな決断を要します。人も同じです。グローバル社会で躍動するには、まずはグローバル社会という未知なるアウェーに入り込む必要があります。アウェーに向かうことは脳の持つ潜在能力を最大限に目覚めさせるとも言われています。生徒の皆さん、皆さんが1羽目のペンギンになる場面は必ず来ます。グローバルという名のアウェーでの偶有性を是非楽しんでみてください。

8月31日(木) 川俣高等学校長

クロワッサン

クロワッサンはパンの中でも人気の高い商品です。このクロワッサン、オーストリア生まれであることをご存じでしょうか。オーストリアの首都ウィーンが1683年にオスマントルコ軍に包囲されますが、オーストリア軍は城壁を堅固にしていたためビクともしません。オスマントルコ軍は、相手に気づかれない夜中に、ツルハシでその城壁を崩そうと試みます。ところが、皆の食糧として、昼夜を問わずパンを焼き続けていたパン職員がツルハシの音に気づき、未然防止を図ることに成功したそうです。オーストリアの皇帝レオポルト一世はパン職人に対して、勝利を記念したパンを作る特権を与え、それにより作られたのがクロワッサンです。その形は、ツルハシの音に気づいた夜、空に浮かんでいた三日月を模したとも言われています。両端のとがった形は動物の角にも見えることから、ヘルンヘン(ドイツ語で小さな角の意)とも呼ばれ、各国で人気となります。中でも、マリー・アントワネットはよく好み、ベルサイユ宮殿のパン職員にもそれを作るよう命じたことから、クロワッサンはフランスの伝統的パンと思い込んでいる人も多くいるようです。歴史を想いながら食べるクロワッサンは、一味違ったものに感じるかもしれません。

8月30日(水) 川俣高等学校長

2学期始業式時校長講話

生徒の皆さんは、大きな障害や困難に立ち向かうとき、どう対処するでしょうか。登山で言えば、山頂にたどり着いた後で、さらに高い山に登りたいときには、一旦は山をおりなければなりません。登山も楽ではありませんが、下山は、想像をはるかに超えてつらいものです。でも、たとえば麓におり立ったときに、自分がそれまで登っていた山を見上げると、登山前に見上げた光景とは別のようにも見えます。異なる領域に達した満足感を感じることができる、と言う人もいます。苦しみながらも登り切り、そして一旦は谷に下りるからこそ、成長もできるのです。

皆さんは、この夏季休業中に、何かうまくいったことはありますか。もしもそうであれば、大きな自信をもって、これからの学校生活に臨むことができます。あるいは、何かうまくいなかったことはありますか。もしもそうであれば、今の下山の話を念頭に、これからの取組に活かしてほしいと思います。そして、自分にとって困難が生じるのは、思いがけず良いことが起こる前兆であることは実際によくあります。

さて、本日から2学期が始まります。やがて季節は秋となり、紅葉が終わると、冬がやって来ます。カレンダーを見ながら、そして季節の移ろいを感じながら、昨日から今日、今日から明日へというように、人は、連続する日々の流れに区切りをつけてきました。そうした区切りをつけることにより、人は敢えて、自分たちの心の動きを不連続にしたのです。でも、誰もが気づいているように、時や私たちの活動は、昨日も今日も、そして明日もまた、途切れることなく続きます。変化のない単調な毎日に敢えて区切りをつけることで、私たちは今日を生き、明日を想う新たな気持ちを手に入れているのかもしれません。区切りはけじめ、一歩を踏み出す大きな力です。不連続な心を繋げていく努力の先に、目標達成の瞬間があります。

8月29日(火) 川俣高等学校長

 

顧みる

ドイツの哲学者ヘーゲルは、人とは何か、と問われたとき、「そのような問いに応じるのに、哲学はいつもやって来るのが遅すぎる。」と答えます。これは彼の嘆きではなく、むしろ、一日が終わることなくその日を顧みることはできないとの考えから、この言葉は、日暮れになって初めて人の思索は始まることを表している、とされています。ここでいう哲学は、その日の振り返りの機会とも解釈できそうです。日々の行いを丁寧に思い出し、考えることは、良き経験を積むことに繋がります。歳を重ねることで思考が深まるのも、そうした理由からです。そしてヘーゲルは、ミネルヴァの梟(ふくろう)は夕暮に飛び立つ、とも話します。ミネルヴァはローマ神話の知恵の女神で、梟を使いとしています。今日という日を真正面から見つめ直し、反省すべきところは反省することから、明日の飛躍は生まれます。

8月25日(金) 川俣高等学校長

言葉遣い

私たちは日々、多くの場面で言葉を使って文章を作成したり、話をしたりします。その際に、自然に主観が入り込むこともあります。たとえば、「Aさんは仕事ができるうえに親切です。」「Aさんは仕事ができるのに親切です。」という2つの表現を比較してみます。どちらもAさんに対する評価であり、同じことを表現しているようにも思えますが、実は決定的な違いがあります。それは、後者で使用している「のに」です。この話し手は日頃から、仕事ができる人は基本的に親切ではない、と感じていることがうかがえます。この一例からも、言葉遣いの難しさと奥深さを感じます。また、「これはできなかったね。でも、それはできたね。」「それはできたね。でも、これはできなかったね。」という2つの表現では、順番を入れ替えているだけなのですが、受け手の印象としては、後者の方が「できなかった」と言われたイメージが強く、モチベーションも下がるようです。相手を励ます優しい気持ちから発する言葉を確実に伝えるためにも、自らの言葉について考えてみることは重要です。

8月24日(木) 川俣高等学校長

食文化

大晦日や正月には郷土料理を食する機会が増えます。大分県臼杵地方では、黄飯(おうはん)を炊く習慣があります。白身魚や大根、にんじんやネギ、豆腐などを鍋で煮て、黄飯に添えたり、上からかけて食べるのだそうです。日本では珍しい黄飯は、スペイン料理のパエリアから来た、ともされています。サフランで黄色に染めて炊き上げた米の上に、オリーブ油で炒めたエビやイカ、貝などが乗るパエリアは、かつて大友宗麟が好んで食べたそうです。手に入りにくいサフランはくちなしに、また、エビやイカはクロダイやエソなどの白身魚に、加えて、オリーブ油は菜種油に代えて炒めるなど工夫して、日本風にアレンジしたものが黄飯です。何百年にもわたりしっかりと根付いた食文化は、今でも正月三が日の間に何度も煮直しては食卓に載せられ、人の笑顔を作り出しています。

8月23日(水) 川俣高等学校長

試 験

中間試験や期末試験など、中学校や高校では年間をとおして多くの校内試験を実施します。東京にある私立中高一貫校も同様です。昭和60年代に、難関とされる私立中学1年生を対象とした校内試験に、次のような問題が出題されました。①〇〇を現す(学識が目立って人よりも秀でる)②〇〇に富む(年若く、将来が長い)③〇〇の交わり(間柄が極めて密接なさま)④〇〇暗鬼(疑いが生じると次々に妄想を生むこと)⑤〇肉〇食(味噌汁やお新香が付いて約700円程度)。難度の高い問題ですが、⑤についてはいかがでしょうか。試験問題作成の際には、何度も検討を重ね、先生方が自信をもって出題されます。この中学校では問題用紙に出題された先生の名前も記載されていますから、一層そうだと思います。この出題から、先生と生徒が、真剣な中にも良き関係を築きながら授業に取り組まれていることを垣間見ることができそうです。

8月22日(火) 川俣高等学校長

朝散歩

朝の散歩を推奨する人は多くいます。第一に、活性化すると清々しい気持ちになり、意欲と集中力がアップするセロトニンは、午前中に作られるためです。第二に、人の体内時計は平均24時間10分前後なので、10分ずつ就寝時間が遅れることを防ぐためにはリセットを要します。そのリセットに効果的なのが、2500ルクス以上の太陽光を5分程度浴びることとされているためです。第三に、カルシウムの吸収を助け、骨を丈夫にするビタミンDは、紫外線を原料として作られます。もちろん、紫外線の浴び過ぎには注意を要しますが、15分程度の朝散歩により、1日に必要とされるビタミンDの生成が行われるとされています。暑い時期ではありますが、まだ気温の上がり切らない時間帯での朝散歩、試してみてはいかがでしょうか。

8月21日(月) 川俣高等学校長

そこに居直る

美術家の中川一政氏が88歳の時に出した画文集『八十八』には、書について、「人は三様に生まれて来る。一つは手筋良く生まれて来る。二つは悪筆で生まれて来る。第三は両方入り混じって生まれて来る。しかし、手筋が良ければよいというものではなく、悪くてもよいのである。書に興味があったら誰でも書いたらよい。私はその見本である。そこに居直って度胸が出て来るのである。」と記されています。中川氏は、全ての始まりは興味を持つことであり、そこから深入りして、その世界を極めたいと思うほど没頭すれば、居直って自然に度胸も出て来る、としており、また、才能などは問うところではなく、むしろ才能は努力の結果生じるものだ、とも話しています。興味を感じ努力を重ねることは、今からでも始めることができます。将来、振り返って、今日が自分を変えた記念日、と位置付けることができたら、それは素晴らしいことです。

8月18日(金) 川俣高等学校長

ナンカ

東南アジアは、ドリアンやマンゴスチンなど果物が豊富な地域ですが、ジャックフルーツも印象に残る一つです。太い幹から長さ50センチを超える実がいくつもぶら下がる光景は圧巻だそうです。表面にはトゲがありますが、中は黄色い果肉で、独特の甘みがある人気の果物です。多くある果樹園に加えて、庭園樹としても育てられているため、旅行に行くと、いたるところで目につきます。現地ガイドさんはよく旅行者から、「あれは何ですか。」と尋ねられ、うっかりと「ナンカの実です。」と答えてしまい、お叱りを受けることがあるそうです。ちなみに、ナンカとはジャックフルーツの現地での呼び名です。日本語とも思える言葉が遠く離れた地域でも使用されているのには、何(なん)か所以があるのかもしれませんね。

8月17日(木) 川俣高等学校長

行間を読む

生徒の皆さんが、文章を読み、主人公の思いを問われる場面は多くあると思います。言葉には書かれていませんが、作者が読者に対して伝えようとしていることを読み解くことは、国語の授業以外の多くの場面でも重要とされています。この力は、文章に限ったことではなく、芸術を鑑賞する場合などにも使うことが可能です。もしも、キャンバスには描かれていない画家の訴えを受け止めることができれば、目の前の絵画を異なる視点からも楽しむことができるかもしれません。いわば、絵画の行間を読むわけです。最初は、自分の眼でじっくりと鑑賞してみます。でも、行間を読むことが難しいときには、絵画の周辺情報を探り、頭に入れた状態で、再度絵画と向き合います。描かれた場所や時代背景、画家の性格など、色々なことを考えながら鑑賞する絵画は十分に楽しく、一層身近なものとして捉えることができます。足りない情報を想像力で補うことにより、周囲にある日常的出来事も、深みを帯びて見えてくるようになります。

毎回、本投稿を御覧いただきましてありがとうございます。次回投稿は8月17日(木)を予定しております。

8月4日(金) 川俣高等学校長

悩 み

自信にあふれた人と比べて、些細なことで悩む自分を情けないと感じることもあるかもしれません。でも、自信は悩みをとおして生み出される、ということを生徒の皆さんは知っているでしょうか。悩んだり傷ついたりするのは、むしろ人である証であり、普通のことです。人の持つ豊かな感性、その中にはこうした悩みも含まれています。人は、自分が痛みを感じることで、初めて他者の痛みを知ることができます。

8月3日(木) 川俣高等学校長

文化発祥

スイスのほぼ中央にシュビーツという街があり、1863年2月から不定期に、街中の人が日本人に扮する日本人劇が上演されているのだそうです。日本を忠実に表現しているというよりはむしろ、アジア全体の要素が取り入れられているようですが、遠く離れたスイスの地で日本人劇が始まったきっかけはどこにあるのでしょうか。スイスは時計を輸出して貿易立国を図っていたことは有名です。日本が鎖国を解き外国に門戸を開いたことで、他国同様にスイスも通商使節派遣を決めたのが1861年とされています。スイス国内で日本に対する関心が急激に高まり、それがシュビーツにも根付き、日本人劇発祥に至ったとも言われています。ちなみに、日本人劇が開催されている期間は、シュビーツの街の方々は皆、日本人を演じながら長い冬の厳しさを忘れ楽しんでいるようです。永く受け継がれ、その地の方々の生活の一部にもなっている文化は、ふとしたきっかけによるものが多いようです。

8月2日(水) 川俣高等学校長

思考法

物事を様々な角度から考えることができるようになると、思考を深めやすいとされています。特に、2つ以上の事柄を比較して考えることで、それぞれの特徴を明確に把握することができます。これを対比思考と呼びます。主観により判断してしまうと偏りが生じるため、相対する事項を比べ合わせることは、物事を第三者的に見る上でも効果があるようです。自分のものの見方が理にかなったことかどうかの適切な判断ができるとともに、対比思考により、発想の拡大、そして問題解決能力の一層の向上も図ることができます。

8月1日(火) 川俣高等学校長

決断の瞬間

人は瞬時を生きており、その中には多くの決断を要する瞬間があります。歴史上有名とされる人は、的確にその一瞬を捉え、そして的確なる決断のできる天賦の才があった、とする指摘もあります。生徒の皆さんにも、間違いなく決断の瞬間は訪れます。その時が輝ける瞬間となるかどうか、それは、それまでに培った教養や知識によります。同時に、その決断が輝けるものであったかどうかは、その時以上に、後になってわかる場合もあります。ナポレオンは「四千年の歴史が見下ろしている。」という言葉を発したそうです。四千年後に自分はどう評価されているのか、その責任をもち行動する、との自戒とも解されています。人生の決断には、常に歴史の重みが伴います。

7月31日(月) 川俣高等学校長

神 妙

ミロ90歳、ピカソ91歳、シャガール97歳など、世に知れた画人には長寿を保たれた方が多くいます。奥村土牛氏101歳、横山大観氏も89歳でした。これは体力以上に、絵を描くことへの執念にも近い気力の充実がもたらしたもの、とも言えます。江戸時代の浮世絵師葛飾北斎氏は、こう記しています。「いま73歳になって、ようやく描くものの生命の在りどころが見えてきた。80歳になれば、ますますこの一筋を進み、90歳でその奥意を極め、100歳では神妙の域に達するだろう。そして、110歳になれば、この筆から描き出される点も、線も、生けるがごときものとなろう」。生徒の皆さん、私たちには、まだまだ伸びしろがあることを痛感しませんか。

7月28日(金) 川俣高等学校長

孤独と向き合う

金沢出身の室生犀星氏は、「ふるさとは遠くにありて思ふもの」と表現したことで有名です。彼の詩には、都会に生きる孤独の思いが根底にある、とも言われています。周囲に多くの人が集っていても、常に誰かが傍にいるわけではありません。時の長さは異なりますが、誰にでも一人になる場面があります。孤独は自分を見つめる瞬間なのかもしれません。室生犀星氏は『室生犀星詩集』に、こう綴っています。「きよい孤独の中に住んで 永遠にやって来ない君を待つ うれしさうに 姿は寂しく 身と心とにしみこんで けふも君をまちうけてゐるのだ それをくりかえす終生に いつかはしらず祝福あれ まことの人のおとづれのあれ」と。孤独から目を背けることは、真の自己に出会うことを拒むことにつながるのかもしれません。また、孤独と正面から向き合うことにより、「まことの人のおとづれ」、つまり親友との出会いがあるのだとも感じます。

7月27日(木) 川俣高等学校長

技術者

商品開発において、1%の可能性があればそれを信じて取り組むのが技術者の姿勢、とされる中、次のような「ぎ術者になってはいけない」と話している、ある会社の社長さんがいらっしゃいます。①やりますと言うものの、目標達成を図ろうとしない欺術者 ②できない理由は述べるものの、どうすればできるようになるのかを述べることのできない偽術者 ③頑張りますとは言うものの、そのやり方を説明できない疑術者 ④専門用語を使って話はするものの、やることが理屈から外れている擬術者。さて、どれも厳しい言葉に思えます。でも、企業は人の生活を一層豊かにする宿命を担う存在なので、その達成を図ろうとする本気度も自然に高くなります。ちなみに、その社長さんは自分に対しても、以下のような「こう害をしない」よう心がけているそうです。①柔軟な対応ができない硬害 ②考えすぎて実行に移すことのできない考害 ③じぶんの考えは常に正しいと思い込み、他者の意見を取り込まない抗害 ④あまりにも細かいところまで仕事に口をはさむ口害

7月26日(水) 川俣高等学校長

人、一生、一万冊

これは、二宮尊徳氏や福沢諭吉氏など多くの方が話されている言葉です。読書をとおして、人は知性と教養を高めることができ、これは豊かな人生にも繋がります。もしもこの言葉を忠実に実行したとすると、日々読書しても27年かかるほどの長期計画ですが、その真意は、人は人生の途中において完成をみることはなく、一生にわたり学びの過程にある、といったことと理解しています。いい本に巡り合ったときの喜びは大きく、まるで親友を得るのと同じ意味合いを持つ、ともされています。また、良書は友の中でも最良の友、という表現もあります。身近な読みやすい本から始めて、一生の財産を作ってみるのもよいと思います。

7月25日(火) 川俣高等学校長

推 論

本を読んでいると、自分の理解できる内容ばかり出てくるわけではありません。そうした場面に遭遇すると、人は推論を働かせます。既に自分が手にしている情報をとおして思いを巡らすのです。でも、その範囲を超えた場面も当然あります。「中原中也はみつばのおひたしばかり食べていた。あるいは葱をきざんだものを水にさらして、ソースをかけて食べていた。自分ではこれくらいの調理しかできなかったとも言えるし、ダダイストをめざす意思が意図的に風変わりな素食を志向させたという側面もある」。これは、嵐山光三郎氏著『文人悪食』に書かれた表現です。大抵の人は、推論してもダダイストはわかりません。ちなみに、ダダイストとは、古い価値観に対抗し、既成概念を否定しようとした、第一次世界大戦中にスイスで起こったダダイズム芸術運動、その推進者を指すのだそうです。読書には、自分にとっては未知の、新たな側面に触れる楽しさもあります。

7月24日(月) 川俣高等学校長

ひらめき

人は、数多くの場面で素晴らしいひらめきを感じます。でも、こうしたひらめきはゼロから生み出されるわけではなく、材料は既に頭の中にあることを前提として、脳内で起こる情報連結こそひらめきである、とされています。よって、素晴らしいひらめきを感じるためには、予め多くの情報をインプットしておく必要があります。多くの本を読み、多くの体験をし、多くの人と話し、試行錯誤を繰り返すことで、人はひらめきの瞬間に立ち会うことができます。

7月21日(金) 川俣高等学校長

異なる

生徒の皆さんはゾウリムシを知っているでしょうか。真核を有する単細胞生物で、身体の周囲にはびっしりと繊毛が生えています。この繊毛が一斉に同じ方向に波打つように動くことで、ゾウリムシは素早く前進することができます。でも、かつて東京工業大学教授であった今田高俊氏は、数本の繊毛が勝手な動きをしていることに気づきます。前進する際には、異分子とも見える、このめちゃめちゃな動きをする繊毛ですが、方向転換をする際には、他の数百本の繊毛がこの繊毛にぴたりと動きを合わせるのです。この数本の繊毛にも、とても重要な任務があったのです。この世に存在しているものはすべて、重要な役割を担っています。

7月20日(木) 川俣高等学校長

仲間の存在

友を持つことの大切さについては、本投稿をとおして何度も話してきたところですが、仲間を持つことについて、生徒の皆さんはどう考えているでしょうか。友との繋がりの原点が友情である一方、仲間の場合、夢や目的が繋がりの原点となります。同じ夢や目的の実現を目指すことが結束力の中心となるため、もしも方向性に違いが生じた場合には、その集団から抜けるなど自由な面も伴っています。関係性にゆるやかさを含む仲間は、気を楽にしながら人間関係を築くことのできる、友にも変わり得る、頼りになる存在です。生徒の皆さん、周囲をよく見渡してみてください。同じ夢や目的を持つ仲間は、想像以上に多くいます。

7月19日(水) 川俣高等学校長

学習効率

一般的に、起床した後の午前中の2~3時間は、脳のゴールデンタイムとされています。睡眠により前日の記憶が整理され、十分な休息も取れていることから作業能率が高まるためです。もともと午前中という時間帯は、脳内物質のセロトニンやドーパミンなどのアミンが優位となり、整合性や気密さ、論理性など高い集中力を要求される作業に向いているともされています。高度で複雑な計算や、冷静さを要する重要な決断などにはこの時間帯を有効活用するとともに、生徒の皆さんには、学習活動に係る目標設定や計画立案などをすることをお勧めします。

7月18日(火) 川俣高等学校長

睡眠中に

人にとって睡眠は重要です。ただ脳を休めるといったこと以上に、睡眠中に大きな発見のヒントを得たとする例は多くあります。たとえば、ベンゼンの亀の甲型の構造式を発見したドイツの化学者ケクレは、ヘビが自分の尻尾を噛んで輪状になっているウロボロスの夢を見て、ベンゼンの六員環構造を発見したとされています。ロシアの化学者メンデレーエフが宇宙にある全ての原子がどういった体系にあるのかを悟ったのも睡眠中であり、化学の教科書にも掲載されている周期表をまとめることができたとされています。もしも目が覚めたときに、生徒の皆さんが昨夜見た夢の一端を覚えていたとすれば、そのことが皆さん自身に大きな影響を与える要素となる可能性も大いにあります。

7月14日(金) 川俣高等学校長

視野の広がり

「白日(はくじつ)山に依りて尽き、黄河海に入りて流る 千里の目を窮(きわ)めんと欲して、更に一層楼(ろう)を上る」と歌った中国の詩人がいます。「太陽は山にかかってその背に落ち、黄河は海に向かって滔々と流れている。その千里の彼方まで見極めようと、楼閣を更に一層上へとのぼった。」という意味の詩ですが、高いところに登ると周囲を見渡すことができる、という、ごく当たり前のことを述べている裏側には、実はもっと深い意味が含まれている、とする人もいます。人は自分の背丈からはあまりものを見ることができないので、もっと先まで見通したいと思うなら、少しでも高いところ、つまり目標に向かって一歩ずつでも歩みを進めていく必要がある、という向上心の尊さを表現している、とする説です。千里の先を窮めたいという強い意思には、人の生き方にも影響を及ぼすほどの力が込められています。

7月13日(木) 川俣高等学校長

水 泳

泳ぐことのできない子を対象にした水泳教室で、子どもたちはプールサイドに敷いた浮輪に腹ばいになり、手足をバタバタさせながら平泳ぎの型を練習しています。15分程経過すると、子どもたちは浮輪を身に付けて水に入ります。顔を水面に伏せようとする子がいると、コーチから、「顔を上げて。水で顔を濡らさないで。」と指示が飛びます。よく見ると、ひと泳ぎした後に、コーチは子どもに知られることなく、浮輪から少しだけ空気を抜いています。やや浮きにくくなった浮輪を付けた子どもたちは、強く手足を動かしながら泳ごうと努力します。でも、2か月もすると、すべての子どもたちが浮輪なしで泳げるようになるのだそうです。これはフランスで水泳を教えている、オリンピックにも出場された方の指導例です。水が怖いから泳げないのではなく、泳げないから水が怖くなる、というのがその方流考え方です。そして、顔が濡れるのを怖がる子も多くいるため、まずは、濡れることの少ない平泳ぎの型から指導を始めているということです。指導法は奥深いものです。

7月12日(水) 川俣高等学校長

機 転

鷹狩に出かけた豊臣秀吉が近江の石田村に立ち寄り茶を所望すると、一人の少年が大きな碗に温めのお茶を用意します。2杯目は先ほどの半分の量をやや熱めに、また3杯目はかなり熱めにして小さな碗に入れて出したので、機転の利くその少年、石田三成を近習として召し抱えた、という逸話は有名です。でも、よく似た話が海外にもあることをご存じでしょうか。インドで狩りに出かけた王子が隣国の村に立ち寄り、足の汚れを落とすために水を依頼すると、末利(まつり)という少女が、太陽に当たり温かくなっている泉の表面の水を汲んで渡します。今度は顔を洗う水を依頼すると、泉の中ほどのややぬるめの水を、更に飲み水を所望すると、泉の最も深いところから汲んだ冷たい水を運んできたそうです。全くといっていいほど同じ逸話ですね。もしかすると、博識な石田三成は、インドのこの話を耳にしていたのかもしれません。あるいは、機転が利くという概念の捉え方が、日本とインド間では同じなのかもしれません。ちなみに、この類似した2つの話については、幸田露伴が指摘しています。

7月11日(火) 川俣高等学校長

仕事の道筋

ある会社の新人社員研修で、ある新聞の全ページに使われている字数を90分で数えるよう指示されたそうです。3つに分けられた班では、その方法について手順を話し合い、作業に取りかかります。1つ目の班は、1人分の担当ページを決めて、それぞれが一斉に数え始めます。2つ目の班は、題字の下に掲載された新聞社の電話番号に電話をして、解答を聞き出そうとします。そして3つ目の班は、全員で1ページ目の傾向把握に努めます。日によって違いはあるものの、平均的な数値として新聞には約12万字が使用されているそうですが、数字や記号を含ませるかどうかなど、不確定要素により正解は異なります。その会社が見たかったこと、それは、正解以上に取り組む過程での姿勢だったようです。1つ目の班のように、エネルギッシュに立ち向かう力は、社会人に必要不可欠とされます。また、2つ目の班のように、電話などの手段を有効活用して情報収集することも大切です。3つ目の班のように、全員で協力して目を通した結果、その新聞の紙面は15段に区切られており、各段には80行から90行あり、その1行には14字程度入っていることを分析する、そうした協力と分析力も求められる力です。課題解決の方法は、準備されているものではなく自分で見い出すものであり、また、正解も一つとは限らない、ということは、いつの時代にも当てはまるようです。

7月6日(木) 川俣高等学校長

過 敏

何かに対して過敏に反応することは誰にでもあります。でも、周囲からの刺激や他者の感情を必要以上に受け止めてしまうと、心理的に疲れてしまうこともあります。こうした傾向は、音や色彩の微妙な違いを感じ取るなど、直観的に察知できるアーティストの方に多く見られるそうです。また、日常の些細な疑問を見つけ出せるなど、素晴らしい才能を持っている人とも言えます。でも、疲労感を感じるまでの過敏な状態にならないよう、以下のような対応を推奨する心理学者もいます。予め、過敏になりそうな要素をできる限り避けることを前提として、頑張りすぎることなく上手に休みを取り入れ、マルチタスクをすることなくシンプルに物事を進め、時には、敢えて人に頼るなどすると、安心感に満ちた生活環境を作り上げることができるようです。

7月6日(木) 川俣高等学校長

人との付き合い

生徒の皆さんが人と話すとき、予めその人に関する情報を集めたりすると思います。でも、そうした情報以上に、今、目の前にいる方と誠意をもって向き合うことは大切です。人は十人十色、これまでの経験値も考え方も様々です。そうした中、もしも自分に似た人と出会うことができれば、それは幸運です。お互いの魂が共鳴することで生み出されるセレンディピティ(思いもよらない幸運)に感謝して、誠実に話をしてみるのも良いと思います。同じ者同士の結びつきは、その力を何倍にもしてくれます。一方で、異なる者の結びつきからも、同種とは異なる大きな力が生じます。緩やかな繋がりではあっても永く続く関係により、多様化する社会への対応力向上を図ることができます。

7月5日(水) 川俣高等学校長

心の扉

新しい環境に身を置くと、どうしても不安が付きまといます。入社して3か月も経ったのに、まだ人間関係をうまく築けていないと感じている新社会人の方もいるかもしれませんが、信頼関係の構築(ラポール形成)には、3か月からそれ以上の月日を要すると言われています。でも、少しでも早く周囲の方々との関係を築きたいとすれば、自己開示を行うことが効果的とされています。自分のことを相手に話す自己開示をとおして、相手は少しずつ心を開いてくれます。複数回会うことも、心が通じ合う段階を飛躍的に向上させてくれます。これを自己開示の返報性の法則といいます。でも、注意してほしいことは、心を開くことを、相手にだけ求めることはできないということです。心の扉のノブは内側にしか付いていません。人は、相手の扉を開けることはできません。自らの心の扉を開く意識を持つことで、良好な人間関係を築くことができます。

7月4日(火) 川俣高等学校長

道を求める

幸福を求めるのは人として当然のことです。でも、周囲を見渡しても、どこにも幸福は落ちてはいません。幸福とは、そこにあるものではなく、幸福にするものだからです。一方で、幸福になるために、遠くに道を求める人もいます。でも、意外に近いところに幸福になるきっかけはあります。以前に本投稿において、メーテルリンク著『青い鳥』のお話をしたことがあります。青い鳥(幸福)を探して森を駆け巡り、結果として、その青い鳥は自分の家のカゴの中にいた、という童話です。生徒の皆さんが抱える悩みを解決する術はずっと身近にあります。また、悩みを相談する人もずっと身近にいます。孟子も、道は近きにあり、却(かえ)って之(これ)を遠きに求む、と話しています。生徒の皆さん、再度、じっくりと周囲を眺めてみてください。

6月30日(金) 川俣高等学校長

一体化

外敵から身を守るために、動物はよく周囲の環境に溶け込み、自分をその一部に見せたりします。石を隠すなら石の中、人に隠れるなら人の中、という諺もあります。こうした保護色の処世術ともいうべき行動は、人の世界にも取り入れられています。身を隠すという意味合い以上に周りと一体化することは、多くの良き側面を持つことは、借景(しゃっけい)の概念からもうかがえます。目の前にある庭の景色に周囲の自然を取り込んで、眺め全体を色合い豊かなものに変える作庭技法は、文化の深みすら感じます。人は昔から、そして今でも、自然との融合、そして、人との融合を目指して生活を営んでいるのだと思います。

6月29日(木) 川俣高等学校長

将来への不安

生徒の皆さんが自分の将来を考える際に、一抹の不安を感じることがあると思います。見知らぬ世界に飛び込もうとしているわけですから当然のことです。ホームとアウェイ、どちらかを選択しますかと問われれば、安心感に満ち溢れた、勝手知ったるホームを選ぶのと同じ意味合いを持ちます。でも、予想できることと予想できないことが入り混じり、不規則に物事が起きることを偶有性と言い、人は、この偶有性を避けることはできない、とされています。アウェイに強くなることは、この偶有性を楽しむレベルに達すること、とも言えそうです。そういえば、夏目漱石著『三四郎』の中に、ロマンティック・アイロニーという言葉が出てきます。自分の将来をどうやって歩んでいくのかについて、自分の内面に向き合って考える場面を指します。このプロセスを経験することも非常に大切です。生徒の皆さんには、偶有性の瞬間を楽しんでほしいと思っています。是非、ロマンティック・アイロニーにも直面してほしいと思います。ホームの常識が通用しない未知との出会いは、きっと皆さんを大きく成長させてくれます。

6月28日(水) 川俣高等学校長

おぼえ唄

平安京は、都市計画に基づき整然とした碁盤目状に造られたので、どこを歩いているのかわからなくなることが多くありました。位置を指し示す看板等も少ないため、人は、「まるたけえびすに(丸太町、竹屋町、夷川、二条) おしおいけ(押小路、御池通) あねさんろっかく たこにしき しあやぶったか まつまんごじょう」と、通りの名の順に唄にして暗記したそうです。京の通り名おぼえ唄、といいます。この部分は京の中心部ですが、北は鞍馬口通から南の七条通まで、唄は揃っています。そういえば、膨大な量の知識を記憶する際に、語呂合わせをよく用います。2年生の皆さん、これで、今年10月に行われる修学旅行の京都班別研修時に迷うことはなさそうですね。

6月27日(火) 川俣高等学校長

右手左手

車の組立てには多くロボットが使われます。今でもそうかもしれませんが、コンベアの上を車のボディが流れてくると、左右に配置されたロボットから長い腕が伸びて溶接をします。ある会社では、溶接ロボットのケーブルが切れる事案が多く発生しました。ケーブル交換のためにはラインを止める必要があり、生産計画にも大きな影響が出ます。左右対称になるだけで腕の動きは全く同じなのに、左側のロボットの断線が多い理由も当初はわかりませんでした。ある社員が自宅の風呂に入りタオルを絞った際に、自分の腕の筋肉の動きに注目したそうです。会社に戻り並んだロボットの表面カバーを取ってみると、すべてのケーブルは右巻きになっていることを確認します。右側に並んだロボットは右巻きのケーブルを絞る方向に動くため、ケーブルに無理がかかりません。一方で、左側のロボットは正反対の方向に腕を振るため、ケーブルに大きな負荷が加わり、早い断線に繋がったようです。左側設置のロボットはケーブルを左巻きにすることで断線事故は大幅に減少し、生産ラインが止まることもなくなりました。生活をする上でも、ものの形状を知ることは大切です。加えて、どんな分野においても、課題解決のヒントの多くは、現場を離れた意外な場所に潜んでいます。

6月26日(月) 川俣高等学校長

妥協なき取組

どんな状況や環境下においても自分の力を発揮できるようになるには、努力して道を極めることが求められます。『巨人の星』の星飛雄馬や『あしたのジョー』の矢吹丈もそうでした。また、そうした主人公の価値観を受け入れる読者や社会でもありました。人のごく一部だけを捉えて、才能があると評価したり、恰好いいと感じたりしている場合があります。『SLAM DUNK』の作者井上雄彦氏は、毎回必死になりアイディアを引き出し、ネームと格闘しながら全身全霊をかけて作品と向き合い、ペンを入れるなど徹夜して、完成するのは締切の朝、ということがよくあるといいます。『20世紀少年』の浦沢直樹氏も、ネームを書き終えると、まるで全力疾走をしたかのように全身汗だくになっていることが多くあると聞きます。人の脳は、ギリギリの状態に追い込むことで大きな発展を呼び込む、と言われています。生徒の皆さんも、自分の脳を追い込む余地がまだ残されているかもしれません。

6月23日(金) 川俣高等学校長

信 頼

生徒の皆さんが就職し、仕事で課題に直面した際に、社内マニュアルを読み込み、そこから得た解答を基に取り組むことについては、一定の評価を得ることと思います。でも、すべての解答が社内マニュアルに反映されているとは限りません。一方で、周囲からの早期の評価を気にするあまり、目先の100点を狙っても、その場しのぎにしかなりません。大切なことは、早く答えを知ること以上に、答えを導く力を身につけることです。その学びには、同僚である仲間の存在が大きいと言われます。仲間は、皆さんが想像する以上に皆さんを見ています。信頼できると判断すれば、仲間から大きな協力を得ることができます。スティーブン・R・コヴィー著『7つの習慣』には、人は他者に対して銀行の口座のように信頼の残高を持っていて、何かが起きるごとに信頼残高を増やしたり減らしたりしている、と書かれています。少しだけ立ち止まり、相手をよく見て学び、相手に自分のことをよく見てもらうことは、信頼や理解の構築において遠回りになることはありません。

6月22日(木) 川俣高等学校長

文の画像化

文章を読むことと理解することは異なるようです。文字を追うだけではなく、読んだ内容を画像としてイメージできることを真の理解の基準とする人もいます。絵には、色や形、配置など細部にわたり具体化することが求められます。物語を読むのであれば、情景描写を、論説文を読むのであれば、グラフや図式などをイメージできれば読書も楽しくなり、理解の深化を図ることもできます。さらに、周囲にいる人に対して、本をとおして自分の把握したことを話してみるのも効果的です。ビブリオバトルという企画に参加すると、自分の読んだ本の感想を伝える技術力向上を図ることができ、一方で、他の人からの話を聞くことにより、新たな切り口に気づくことも多くあるそうです。インプットに加えアウトプットすることで、情報の全ての側面を理解することができます。

6月21日(水) 川俣高等学校長

視点の変化

カップ麺が世に出てかなりの月日が流れます。販売当初に伸ばした売れ行きは、数年経つと一定の頭打ち状態に陥ったため、各社では、麺、スープ、味など様々な観点から改良を加えます。そうした中、カップ麺の消費者層に注目した会社がありました。当時、その会社の商品の約70%が、中学から大学までの男子が食しているとのデータの下、開発グループはカップ麺の増量を試みる提案を行います。確たる理由もなくカップ麺はこの量、とされてきたことへの視点の変化です。1.5倍程度の増量カップ麺は評判を呼びます。同開発グループは、増量を好む人がいるのであれば、減量を好む人もいるはず、との思いから、0.5倍の商品開発も手掛けます。目の前の常識は将来の非常識、という認識を持つことから柔軟な発想は生まれます。生徒の皆さんが感じている以上に、世界は瞬時に大きく変化します。

6月20日(火) 川俣高等学校長

天使の囁き

北海道旭川の少し北に、零下40℃を超える気温も観測されたこともある幌加内(ほろかない)町があります。柱など木材に含まれる水分が凍って膨張してお互いに押し合うことで生じる音が、静まり返った夜更けに鳴り響く「家鳴り」と呼ばれる現象も度々起こります。でも、家鳴りがあった翌朝には、運が良ければ、自然の贈り物、ダイアモンドダストを見ることもできるそうです。その様子は、まるで天使が囁きかけているようにも思えるほどの美しさだそうです。かつて、若い人が多く故郷を離れる傾向にあったのは寒さのせい、と考えていた町の人は、耐寒訓練を行う登山家、及び、寒冷地仕様車やスタッドレスタイヤなどのテストを行う自動車メーカーが多く幌加内町を訪れるのを目にして、寒さを味方につけるとともに、寒さを前面に押し出す企画を考案し始めます。北大演習林内にあるログハウスに泊まってもらい、寒さを体感しながら大学教授の話を聞いたり、雪の結晶のレプリカ作りなど貴重な体験をできるよう、工夫に工夫を重ねました。弱点と思っていたことが、見方を変えれば、実は最大の強みであった、ということはよくあります。ちなみに、1986年に、天使の囁きを聴く集いと名付けられたこの企画は、内容の一層の充実を図るなどして、今も開催されています。

6月16日(金) 川俣高等学校長

周 期

人は24時間周期に従って生活をしています。これは、太陽の光や温度など自然的要因や、学校・会社など時間を拘束される社会的要因、食事など様々な要素から来るもの、とされています。そしてこのリズムに応じて、ホルモンの分泌が効果的になされます。人の体温が下がり自律神経が休まる時間帯は夜の11時から朝の6時頃までとされているため、人が寝る時間に適しているとの指摘もあります。一方で、人は柔軟な生き物なので、一定期間であれば、1時間早く就寝することや3時間程度遅く寝ても対応はできるようです。23時間から27時間が人にとって調節可能時間帯となるため、それを超える時間帯、たとえば海外に移動する際に生じる時差などを体験すると、リズムの同調障害が生じるとも言われています。いずれにせよ、夜更かしや基本的生活習慣を乱す生活は好ましくない、とは言えそうです。

6月15日(木) 川俣高等学校長

客観的観察

大学の講義の際に、金魚が1匹だけ入っている金魚鉢を机上に置き、客観的観察に基づくレポート10枚をまとめるよう指示して教室を出ていかれた教授がいたそうです。学生は、左右に泳いでいるだけで退屈そう、狭いところにいてかわいそう、口をぱくぱくさせることで水を取り入れている、などといったことを書き始めますが、10枚のレポートをまとめるまでには至りませんでした。次の週になると、教授は再び金魚鉢を置き、同じ指示をして教室を出ていきます。前週にまとめたレポートには、主観的記述とされた箇所が赤字でびっしりと指摘されていました。学生の金魚を見つめる視線の本気度が高まります。尾びれの上部を45度右に動かし左に45度動かすことで胴体を170度ターンさせる、金魚鉢の底から10センチのところから4センチ浮上し8秒後に再び底から10センチのところに戻った、など書き始めると、あっという間に10枚のレポートが仕上がりました。行動観察を研究するこの教授は、主観的観点(思い込み)は客観的観察を行う上での障害に成り得ると教えたかったようです。周囲にいる人との関係を築く際にも、予め自分が抱く主観的観点と実際が異なる場合があります。

6月14日(水) 川俣高等学校長

未 知

人は未知なるものを恐れる場合があり、年齢を重ねれば重ねるほど、その傾向は強まります。では、未知なるものと出会ったとき、どう対処すべきでしょうか。一般的には、これまでに得た知識と結びつけたりするなどして、できる限り既知のものに近づけようとします。もしも未知の度合いが強すぎる場合には、これまでに築いた自分の価値観や考え方を壊すことを余儀なくされることもあります。でも、既知ばかりが周囲に存在し、未知がなければ進歩はありません。頭の中に大きな?を浮かべることは、恥じることではなく、むしろ、大きな進歩を生み出す第一歩です。疑問が浮かばない人生はありません。わからない、を連発しながら周囲を見渡すと、その答えを友が持っていたり、教科書に書いてあったり、偶然に目にしたテレビ等をとおして答えが飛び込んできたりします。生徒の皆さん、今日はいくつの?が頭に浮かびましたか。

6月13日(火) 川俣高等学校長

輪 郭

子どもの頃に、塗り絵帳に色を付けていった経験があると思います。予め示されている輪郭から絵の具をはみ出さないように塗っていくと、そこばかりが気になり、何度も何度も色を重ねるなどして、全体としてイメージしたものとはかけ離れた出来となってしまうことがあります。でも、自分では、輪郭からはみ出して描いてしまったと後悔している個所を、誰かが、絵に元気が宿っているね、というように話してくれると、その瞬間から、自分から見ても、同じ絵が見違えるように素晴らしい存在に変わっていることはよくあります。そして、塗り絵帳の次のページに色を付ける際には、その輪郭を気にすることなく、純粋に塗り絵を楽しむ自分がいることと思います。そしてまた、次のページを開いた際には、その輪郭さえ目に入らなくなるかもしれません。でも、もしかすると、もともと輪郭は書かれておらず、自分が作り出した幻想だったのかもしれません。自由な感性をとおして表現するときに、枠は不要です。

6月12日(月) 川俣高等学校長

長 考

将棋の十五世名人大山康晴氏が、対戦中に長考をするのはどんなときか、と問われた際に、うまくいきすぎているとき、と答えています。守りの大山とも称される彼は、物事とはそれほどうまくいくわけもないのに、順調に事が進んでいるときにはどこかに落とし穴がある、と、常に警戒していたようです。そして、誰にでも山と谷があり、山は高ければ高いほど良いけれど、谷の深いのは最も避けなければいけないので、谷をできるだけ浅くするよう、予め様々な手立てを考えている、とも話しています。一方で、一瞬のうちに、現在、過去、未来が頭をよぎるのだそうです。プロ棋士の頭の中には、かつての名人の棋譜が記憶されており、現在の局面を眺め、過去の棋譜から類推して未来を読むのだそうです。一見穏やかにも見える盤上には、現在、過去、未来が混在する状態になっているんですね。盤上では、まさに人生模様が展開されているとも言えます。

6月9日(金) 川俣高等学校長

書き手の思い

世の中で起こっていることを知るには、新聞やテレビ、ネットが重宝されますが、世の中で起こっていることを理解するには、本を読むことが求められます。情報の新鮮さを求めるならネット等の活用による一方で、情報の信頼度など体系的な内容を求める場合は本、とも言えます。本には、書き手によって精査され、分析された情報が書かれているため、土台となる基礎知識を容易に身につけることができるなど、書き手の思いが込められています。現段階で基礎知識のない分野でも、予め本を読んで下地を作っておくことで、後に大きな差が生じます。

6月8日(木) 川俣高等学校長

物 流

江戸時代には、武士の家に出入りする町人などが武士に対して、干魚や昆布、片栗粉など、比較的長持ちする献進物を届けていたそうです。多くもらい過ぎて余ってしまうために、武士から献進物の残りを引き取る献残屋(けんざんや)という商売があった、と、喜多川守貞の著に記されています。献残屋は引き取った品を御用達(ごようたし))に売り、その御用達は、必要とする武士や町人に売っていたとされますから、ある意味、滞ることなく物流が実践されていたとも言えます。でも、自分が届けた献進物が、ぐるっと回って自分の手元に戻ってきたこともあったのかな、と想像すると、少し落語的感覚にも陥ります。

6月7日(水) 川俣高等学校長

干 支

年末や年始など限られた時を除き、私たちの日常生活の中で干支を意識する瞬間は少ないかもしれませんが、一年中、干支を身近に感じる地域があります。宮崎県延岡市にある北方町(きたかたちょう)です。子丑寅卯と、ほぼ時計回りに地区内が12区分されています。明治22年にこうした区分に決まったといいますから、かなりの歴史を持ちます。かつて、「日本唯一干支の町」をキャッチフレーズとして町起こしに取り組み、十二支の文字が入った街灯や絵入り標識などを設置したりしました。12地区全てを回って印をもらうスタンプラリーも行われたそうです。大晦日に行われる干支祭では、実際の牛を連れてきて、子年からの引継ぎ式を催したこともあったそうですが、想像上の動物である辰のときにはどうしたのか、少し気にもなります。

6月6日(火) 川俣高等学校長

場 面

指揮者井上道義氏が若い頃、イタリアのシシリー島を訪れて、半円形劇場で野外音楽会を開催したことがあったそうです。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第二楽章が終わる直前に、突然の停電が発生します。街中の灯が消えてしまい、周囲は全くの暗闇と化し、見えるのは空に煌々と輝く月のみ。そのとき、客席の一人から、ベートーベンの『月光の曲』のリクエストがありました。譜面もなければ練習もしていない、手元すら見えない暗闇の中、果たして演奏するべきか一瞬悩んだそうですが、『月光の曲』の演奏にこれ以上のお膳立てはない、不意の停電の思いがけない贈り物と考え、演奏を決意します。楽団員も皆、頷いて演奏の準備を整えていました。時々、音をはずすことはあったものの、それは心に染み入る名演奏であった、と、井上氏は話されています。もしかするとそれは、運命が予め準備していた場面であったのかもしれません。

6月5日(月) 川俣高等学校長

邪 念

札幌市資料館入口に、右手には秤を、左手には剣を持った法の女神像が設置されています。そして、正義の象徴として飾られたこの女神像は、目隠しをしています。もともとはギリシャ神話やローマ神話に登場した女神を表したとされるこの像は、欧米にも似たようなものがあるそうですが、目隠しをしている像もある一方で、していない像も存在します。目隠しは、余分なものを見ることなく心の眼で裁く、という信念を表現しているとも言われています。そういえば、江戸時代の京都所司代であった板倉重宗氏は、障子を隔てて人の訴えを聞いたそうです。人の顔を見てしまうと、つい、ひいきの感情が芽生えることもあるため、それを避ける手段だそうです。目以上に心眼は、深く広いところまで見通すことができます。

6月1日(木) 川俣高等学校長

趣 味

北海道函館に眼科を開院している方がいらっしゃいます。彼が若い頃、東京大学医学部に眼科医局員として入局する際に、同じく開業医をしていた父が、息子をよろしく、という意味を込めて、予め医局に手紙を送っていたそうです。そこには、自分の子どもを謙遜して使う愚息と同意の言葉、豚児が使われていたので、仲間は親しみを込めて、豚児来る、と黒板に書き、温かく迎え入れてくれたそうです。あだ名はトンジになりました。紹介を受けて結婚をされた相手の方が、あだ名にちなんで、最初のプレゼントとしてブロンズ製の豚を模(かたど)った貯金箱をお贈りになり、それがきっかけとなって、豚に関するコレクションを始めます。イギリスでは、紳士の国らしくネクタイを締めた置物、オランダでは素朴な麦わら細工、スペインでは革製の作品、イタリアではベネチアングラス製のものを購入するなど、今では1万を超えるまでになりました。しみじみと眺めると、それぞれに味がある、というのですから、趣味がもたらす幸福感は大きなものです。でも、これだけ多くのコレクションになっても、一番大切にしているもの、それは、お亡くなりになった奥様から、最初にいただいた貯金箱だそうです。

5月31日(水) 川俣高等学校長

背 景

香りの漂う空間は居心地の良いものです。香りには気分をリフレッシュさせてくれる一定の効果があり、加えて集中力が高まるとも言われています。小さく音楽を流すバックグラウンド・ミュージック(BGM)に対して、バックグラウンド・フレグランス(BGF)と呼ぶこともあるようです。企業によっては、出勤時には気分をスッキリとさせるシトラス系、勤務中には集中力を増すと言われるフローラル系、退勤時間頃には疲れを癒すと言われるウッディ系など、香りの使い分けをしているところもあるとも聞いています。大学の研究により、香りの中でパソコンを打つ作業をしたところ、打てる文字数は14%増加し、一方で、エラーは21%減少したとの報告もあるから驚きです。香りと上手に付き合うのも楽しそうです。

5月30日(火) 川俣高等学校長

当事者意識

歴史を学習する上で大切なこと、それは、その時代をよく知りたいと思うことだそうです。そして、現在放送中の大河ドラマのタイトルにもあるように、その時代に居合わせたとすれば、どうする自分、と考えることも大切なことの一つだそうです。教科書に、モールス信号が発明された、と書かれていたとします。そうなんだ、としか思わないとすれば、それまでですが、その時代は情報を届ける手段が手紙中心であったことを考えると、その発明が日常生活にもたらす劇的な変化を感じ取ることができます。もしかすると、現代に生きる私たちには計り知れない価値を、その時代の人は感じたことと思います。自分がその時代に生きていたらどうするか、この歴史の当事者意識については、かつて大学入試にも出題されたことがあるほど、興味深いテーマです。

5月29日(月) 川俣高等学校長

今の自分

人は、過去を考えると後悔します。未来を考えると不安になります。人は今にフォーカスを当てるようできているようです。でも、今の自分が、他者の顔色をうかがったり、他者比較ばかりするなど、他者の人生を歩むような姿勢を持つことを、最もしてはいけないこととアルフレッド・アドラーは指摘しています。では、どう生きればよいのか。自分の意見や考えを適切にアウトプットできることが大切です。普段から、考える時間と相談相手を見つけるとともに、場面に応じてメモを取るためのノートを持ち歩くことを勧める人も多くいます。一日で劇的な変化は生じませんが、小さくとも、やれることを必ずやることの積み上げは、徐々に正の変化をもたらします。間違いなく、他者のそれではなく、自分の人生を歩むことができます。

5月26日(金) 川俣高等学校長

数的根拠

相手に説明をする際に、具体的な数字(数値)を示すことで説得力が増すことはよくあります。では、経済的効果として、5000万円、50億円、5兆円と3つの数字が示されたとします。5000万円と50億円には100倍の差があり、また、50億円と5兆円には1000倍の差があることを、瞬時に把握できるでしょうか。このように、その数字(数値)に納得したように思えても、その実態を正確には捉えられない理由の一つに、あまりにも大きな数字や数値に対して、人は数の無感覚に陥る、と指摘する人もいます。一方で、想像以上の数字(数値)になることを知り、後に驚く場合も多くあります。100枚の紙で1㎝の厚さになることを前提として、その紙を半分に折り2枚に、それをまた半分に折って2枚を4枚にすることを50回繰り返すとすれば、その厚さはいくらになりますか、という質問に対して、生徒の皆さんが瞬時に描く答えの数は何でしょうか。間違いなく、頭に浮かんだ数よりも驚くほど大きな数になるので、試しに計算してみてください。だからこそ、数字に魅力を感じる人が多くいるのかもしれませんね。

5月25日(木) 川俣高等学校長

真 情

人は人との繋がりにより存在しているので、孤独を嫌う傾向にあります。でも、自分自身と向き合う瞬間は、誰でも孤独です。では、孤独の状態の中、できることは何なのでしょうか。自分のあるがままの思いを、自分自身に率直に伝えることができます。そして、そうする勇気を培うことができます。世にある尺度によりランク付けにこだわる以上に、自分の真情に忠実で、それを信じようとする姿勢は貴重です。その真情こそ、いざというときに自分を守ってくれもします。ドイツの作家ノサックは、「いかに悲観論が強くても、私はやはり、誰かが自分に真情を吐露してくれる人を待っている人間、そして、真情を吐露するのを容易にしてくれる人を待っている人間が、現在も将来も必ずいる、という信念を捨てきれない。」と書いています。

5月23日(火) 川俣高等学校長

幸福感

生徒の皆さんは、どのようなときに幸せを感じるでしょうか。購入したいものが手に入ったとき、あるいは、目指していたことを達成したときなど、人によって違いはあると思います。作家の尾崎一雄氏は、長く寝たきりの療養生活を送りながら、病からの回復を図り闘った方です。彼は次のように書いています。「寝床から抜け出し縁側に出る。激しい勢いで若葉を吹き出している庭前の木や草をしげしげと眺める。自分は、今生きて、ここにこうしている。こういう思いが、これ以上を求め得ぬ幸福感となって胸をしめつける。心につながるもの、目につながるものの一切が、しめやかな、しかし断ちがたい愛惜の対象となるのも、こういう時だ」と。

5月22日(月) 川俣高等学校長

知らない自分を知る

「私はそこを立ち去りながら、独りこう考えた。とにかく自分の方があの男よりも賢明である、と。彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、私は少なくとも、自ら、知らぬことを知っているとは思っていない限りにおいて、あの男よりも知恵の上で少しばかり優っている。」これはプラトン著『ソクラテスの弁明』に書かれた一節です。知らないことを、知らないと話すことに人は躊躇することがありますが、全く恥じることはありません。知らなければ、知るように心がければよいだけです。むしろ、知らないと表明した方が、思いっきり人に聞くこともできます。併せて、知らない自分に目を向ける勇気を持つことも大きな意味を持ちます。数日後、数か月後、数年後に、大きな差が生じます。

5月19日(金) 川俣高等学校長

褒める

小学校になっても学習に目を向けない我が子を思い、母親は担任の先生に相談します。するとその先生は、家に伺って勉強を見る約束をしてくれました。その少年の家を訪問する先生への感謝の気持ちを込めて、母親は毎回夕食として、メザシとニンジンの煮つけ、ホウレンソウのおひたしを出したそうです。先生から過剰なまでに褒められることで楽しくなり、学習習慣が定着するとともに、いつも美味しそうに食べる先生の様子を見て、その少年も、苦手としていたメザシやニンジン、ホウレンソウを食べることができるようになります。その少年の名は松平康隆さんといいます。身体の弱かった松平さんは、心の中で自分を自分で褒めることでバレーボールに継続して取り組み、大学日本一にもなりました。全日本男子チームの監督に就任すると、1972年ミュンヘンオリンピックで金メダルを獲得します。自分も褒められて成長した、選手のことも褒めに褒めて才能を伸ばすことを心がけた、そう語ったのは、還暦を過ぎた頃に受けた取材の時でした。金メダルを獲得し帰国した松平さんに、小学校時の担任の先生、高橋泰四郎先生から連絡が入ります。松平さんが、当時美味しそうにメザシを食べていた先生の姿が忘れられない旨、話をすると、高橋先生は、山奥出身のためメザシを見るのも食べるのも初めてで、どちらかといえば苦手ではあったものの、我が子の偏食を直したいという母親の意をくんで食べていた、と話されたそうです。指導者が見せる姿には、かなりの奥の深さがあります。

5月18日(木) 川俣高等学校長

人間関係

よく、他人と過去は変えることができない、という表現を耳にします。アメリカの心理学者エリック・バーンの言葉です。一方で、人間そのものを変えることはできませんが、人間関係は変えることができる、とも言われます。10人の人が周囲にいるとすれば、すべての人と最初から良き関係を築ければよいのですが、10人それぞれが、それぞれの人生を歩んで来ているわけなので、習慣も考え方も異なるのが普通です。だから、全ての人に好まれようとする心配りにより、心理的に疲弊してしまうことがよくあります。こうした際に必要とされること、それは、人間関係を築くときの考え方とされており、以下のような取組を推奨する心理学者の方もいます。10人のうち、まずは3人を自分にとっての重要な人物と位置付け、交流をする時間とエネルギーの7割、つまり、一人に対して約23%を注ぐようにします。残りの7人には、3割の時間とエネルギーを充てるわけですが、仮にやや苦手とする人が1人いたとしても、自分の約4%の時間とエネルギーを充てるだけと自分に思い込ませることで、心理的負担も少し軽くなり、結果として、こうした考え方をとおして、すべての人との良好な人間関係を築くことにも繋がるという理論です。あくまでも一つの例ですが、参考にはなりそうです。

5月17日(水) 川俣高等学校長

左脳鍛錬

人の脳の中で言語系を担当するのが左脳、図形や空間など非言語系の担当は右脳とされています。そのうち、左脳鍛錬に効果的な取組としては読書が挙げられます。でも、一度だけの読み切り型では、理解の深化を図ることができないようです。一方で、2度3度と繰り返し読むことで、読後の印象は大きく変わるとも言われています。それは、脳の成長により、以前とは異なる状態にいることも要因の一つです。最初に読んだ際に、あまり面白みを感じなかった本を手に取ってみてください。違った解釈による読書ができるので、今度は面白いと感じることもあります。小説であれば、主人公とは別の登場人物に感情移入してみたり、敢えて著者とは異なる批判的な視点により読むなど工夫することで、結果として、本に書かれている内容を多角的に読み込むことができます。

5月16日(火) 川俣高等学校長

柔軟発想

果実生産、特に桃の生産に力を入れている県が、かつて、出荷前にその甘さを正確に測ることはできないかと考えていたそうです。会議中に、宇宙から地球の地下資源を探査する人工衛星があることを思い出した職員が、地球も桃も同じく丸いのだから、地球でできることは桃にも適用可能だ、と発言します。ランドサットと呼ばれた人工衛星は、軌道を回りながら地球に当たって反射してくる太陽光を捉えて分析を行っていました。岩石は種類ごとに波長の異なる光を吸収するため、埋蔵されている鉱石の見当がつく、という仕組みだそうです。県果実連からその話を持ち込まれた金属鉱業も最初は驚いたそうです。でも、地球も桃も同じく丸い、という職員の言葉に、専門家も納得したというから興味深いものです。そして、2年の歳月をかけてできあがった機械は、桃1個あたり0.13秒で、その糖度と水分を測定できるようになったそうです。切ってみなければわからなかった桃の中身が瞬時にわかるようになったことは、果実業界に大きな進化をもたらしました。

5月15日(月) 川俣高等学校長

工夫に次ぐ工夫

衣類をしまう際に使用する防虫剤には、樟脳やナフタリン、パラジクロルベンゼンなど刺激臭の強いものが使われていました。匂いが虫を寄せ付けない効果がある一方で、その匂いのために購入を控える人もいたそうです。着る前に一日陰干しをして風に当てると、その匂いはある程度消えますが、面倒である、との声も多く寄せられたため、企業は、防虫剤は匂うもの、という常識を覆す商品開発を始めました。そして、防虫剤に使用されていた成分を科学的に合成するなどして、無臭薬剤の開発に成功します。容器の形も工夫して売り出すと売上が伸びたそうです。でも、液状の無色無臭の薬剤を染み込ませた布を使用していたため、今度は、見た目には残量がわからない、との声が寄せられるようになりました。こうした事態も、防虫剤の着色化を図ったり、容器表面に付けた色が変わるときが残量無しのサインとするなど、再度の工夫により即座対応をしたそうです。その時その時に最高値であったものも、時代の変化とともに変容を遂げるのは、これまでの歴史を見ても明らかです。何事においても、常に創意工夫を要します。

5月12日(金) 川俣高等学校長

十人十色

人が10人集まれば、皆の個性が異なっていたり、別々の選択をしたりするのは当然で、まさに十人十色です。考え方には多様性があること、また、少なくとも10種類程度のモノが常に目の前にあるなど、十分なモノが揃っていることを前提とした良き時代の証でもあります。1960年代の高度成長期が始まった頃には、選択すべきモノに限りがあったことから、十人一色の時代であった、とも言えます。消費者のタイプに応じた商品開発が行われるなど、セグメント市場の時代背景がその要因ともされています。では、今はどうでしょうか。一人の人間の個性は一色ではなくなり、一人が多くの選択肢を持つことができるため、一人十色時代なのかもしれません。時代の捉え方を大きく変える時期は必ずやって来ます。その頻度も高まっています。時代に十分に対応するためにも、各自の力が問われる時なのかもしれません。

5月11日(木) 川俣高等学校長

犬は従順

犬は人の言うことをよく聞く従順な動物とされています。でも、警察犬訓練士の方によると、犬には、従順な心に加えて、リーダーシップを取りたいという、もう一面の心も持っているのだそうです。人間以上に優れていると犬が判断すると、自分がリーダーと思い込むため、それ以降は人の言うことに耳を傾けなくなるというから興味深いものです。一般的な話ですが、欧米では、社会に対する責任を重視する傾向にあるので、飼い主の責務として、犬にも厳しく言い聞かせるため、多くの人が集う場所で、犬は迷惑をかけることなくおとなしくする、と言う人もいます。犬を見れば国民性がわかる、と話す人もいます。

5月10日(水) 川俣高等学校長

友人の大切さについては、入学式や集会時に、生徒の皆さんに多く話してきたところです。当たり前のことですが、自分を除けば、一つの集団は自分とは異なる存在から構成されています。その自分以外の他者を受け入れることで、人は自分を再発見できる、とも言われています。自分とは異なる存在の事実を知り、認めることで、人は己を知ります。仮に、自分だけ、あるいは、自分に似た近い存在のみ認める姿勢しか持たないとすれば、同類が集うのみで自己発見にはいたらない場合もあります。ソローは『森の生活』の中で、「太鼓の音に足の合わぬ者を咎めるな。その人は、別の太鼓に聞き入っているのかもしれない。」と書いています。友情形成には、寛恕の心を要します。

5月9日(火) 川俣高等学校長

眠れぬ夜

何か気になることがあると、眠りたくても眠れないときがあります。そうした際にはどうすることが有効な手立てなのでしょうか。耳を澄ますよう心がけることを推奨する人がいます。虫の声、雨の音、あるいは車の音でも構いません。こうした音を無心に聴くことで眠りに陥るのだそうです。聴覚に意識を集中すると人は考え事をしないため、だそうです。そう言えば、羊を数えるよう勧められたこともありますが、頭の中であっても、視覚に繋がる意識が芽生えることでかえって目が冴えてしまう、という説もあります。生徒の皆さんも、何らかの方法を探ってみる価値はありそうです。

5月8日(月) 川俣高等学校長

習 性

江戸時代の末期から、おとりのアユを使う友釣りという手法が用いられました。アユには、一平方メートル程度の範囲に一匹ずつ住み、苔を食べる習性があります。自分の縄張りに他のアユ(おとりのアユ)が侵入すると、怒って追いかけ回すことを利用して、江戸時代の人はアユを釣りあげようと思いついたわけですから、すごいものです。でも、一般的となった人工種苗のアユは、整備された一定の環境の下で育てられることにより、そうしたアユは縄張りを作りたがらない傾向にあるため、結果として、闘争心も弱いことから、友釣りがしにくくなるのだそうです。環境は、そのものの持つ本来の習性をも変えてしまう力があります。

4月30日(日) 川俣高等学校長

変 化

エクアドルの首都キトに仕事で滞在していた日本人の方の話です。富士山の7~8合目あたりに位置するキトでは、平地の70%程度しか気圧がないことから、密閉したビニールなどは風船のようにパンパンになるのだそうです。気圧の低さは、慣れていない人にとっての体調にも影響を与えます。1回の呼吸で摂取できる酸素量も限られることから、頭痛や食欲不振などの症状を引き起こす場合もあるのだそうです。でも、歴史が物語るように、動物も植物も、もちろん人も、その土地で生活するために変化を遂げ、見事に課題の克服を図ってきました。人の持つ柔軟性は、自らが認識する以上に素晴らしいものです。ちなみに、身体を守るためにヘモグロビンが増加したためなのか、あるいは肺活量が大きくなったためなのかは定かではありませんが、前述した方は4年間のキトでの生活をとおして、日本に帰国した後に運動をしても疲れにくくなった、と話されています。一方、キトに住む人たちは、低地に移動すると空気が重くのしかかるように感じ、風の圧力に耐えられずに、すぐにキトに戻りたがるそうです。人には、まだまだ神秘的な面がたくさんあります。

4月28日(金) 川俣高等学校長

孤 独

人間とは、人の間と書くくらい、仲間と仲間との間にある存在なので、孤独を嫌う傾向にはあります。井伏鱒二の作品『山椒魚』にも、「ああ、寒いほど独りぼっちだ。」という表現が出てきます。でも、ヘルマン・ヘッセは、「ほんとうに、自分をすべてのものから逆らいようもなく、そっとへだ(隔)てる暗さを知らないものは賢くはないのだ。」と表現し、孤独を知らない者は、人と人とが結び合う真の喜びを知ることはできないし、自分自身のことも知ることはない、と指摘します。新しい環境になれば、一時、誰でも孤独を感じることはあります。でも、孤独は永遠に続くことはありません。心細さ、不安も然りです。

4月27日(木) 川俣高等学校長

真の友

人と人の繋がりの中で、特に尊敬の念をもって結ばれる繋がりは貴いものとされています。自分の他にも最も尊敬できる他者がいる、こうした感情ほど、自分に大きなエネルギーをもたらす存在はありません。キケロも『友情について』の中で、単に遊び友だちや、利益で結ばれていることを真の友情とは言わない、と書いています。友情とは、人と人とがお互いに尊敬し合い、人と人との信頼の上に成立する、それ自体で価値のある人間関係です。生徒の皆さん、高校生活を送る中で、自分にとって親友と呼べる人を見つけ出すことができたら幸せです。

4月26日(水) 川俣高等学校長

前向きな捉え方

日々学習に仕事に積極的に取り組みたいと思いつつも、実現にはいたらない経験は誰にでもあります。少しでも前向きさを感じるためには何が必要かについて研究したのは、医療社会学者のアーロン・アントノフスキー氏です。彼は1つ目に、有意味感を挙げます。たとえば、希望しない部署に配置されても、これは将来に役に立つ仕事を覚える機会、と捉えることを指します。2つ目に、全体把握感を挙げます。今の仕事が忙しいと思うよりも、次週には少し余裕ができる、という考え方のことを指します。3つ目に、経験的処理可能感を挙げます。今の仕事も厳しいが、以前にも厳しい仕事を成し遂げたのだから今回もうまくいく、という捉え方です。以上挙げた3つの考えは、ちょっとした考えの変革により、生徒の皆さん自身も取り入れることができるので、是非、試してみてください。

4月25日(火) 川俣高等学校長

モ ノ

今は、世に情報やモノが溢れています。人の生活は豊かになり、また、その豊かな生活を求める傾向は新たなモノの開発を促進しています。でも、20年前には、そのほとんどが存在していなかったのも事実です。そうした中、人は幸せな生活を送っていました。洗濯機と冷蔵庫、テレビを三種の神器としていた時代もあります。私たちは、より豊かな生活を求める一方で、消費する立場をいう消費者としてだけではなく、今あるモノを永く大切にする気持ちも求められています。

4月24日(月) 川俣高等学校長

ホーム

ホームとアウェイ、どちらを好むか聞かれれば、何となく安心感のあるホームを選択すると思います。でも、人の脳は、予め起こることが予想される状況(ホーム)を好まず、むしろ想定外のこと(アウェイ)を好む傾向にあるそうです。ということは、脳は変化に対応できるし、別の言い方をすれば、脳は常に変わりたがっている、とも言えます。脳が変われば人は成長します。無限に発展する可能性が脳にある、ということは、人は発展し続けることができるのです。自分で一定の枠を定めてしまうことは、自らの手で発展する余地、つまり可能性を狭めることにもなります。自分の脳とともに、生徒の皆さん自身も成長や発展をし続けることができるのです。

4月21日(金) 川俣高等学校長

自 由

すべての時間が行であり、顔を洗うにも食事を摂るにも作法を守ることが求められるなど、日本の禅寺での修行の厳しさはよく知られています。一方で、インドのアシュラム(修行場)では、修行者に修行する場を提供するのみで、日課すら決められていないなど、すべてが修行者に任されている、全くの自由なのだそうです。何でも自分で決め、行動し、その責任は自分が引き受けなければならないなど、これは究極の難行とも言えます。でも、こうした時間をとおして自分自身と向き合い、時には自分自身と戦うことで、真に自分の心と仲良くなれるのかもしれません。こうしないようにしよう、こうした考えはよくない、と思っているうちは、まだ自分にとって自分が敵のような存在なのだ、とも言えます。自分の心に照らして納得できる生活を送れるようになったとき、ある意味で悟りの境地に達することができるのかもしれません。

4月20日(木) 川俣高等学校長

時間枠

今の状況がいつまで続くのかわからずにいると、人は集中力を欠く傾向に陥ります。学校の授業についても、1コマの授業が何時まで行われるのかわかることで、集中して学習に取り組むことができるとも言えます。これから1時間で会議資料を整える、10分間で出かける準備をし終えるなど、自らに時間枠を設けることは、人の脳に一定の安心感を与えるようです。時間枠を設定することで、当初は間に合わせようと焦りも生じますが、この心地よい緊張感が理解力を一層高めることにも繋がります。

4月19日(水) 川俣高等学校長

生徒の皆さんも、相手に質問をする場面が多くあると思います。そして、たとえば、「いつまでに完成しますか。」と漠然と聞くよりはむしろ、「今週中までに完成しますか。それとも、月末まで、あるいは次の月までにはできますか。」と、具体的な期日や数字を挙げたほうが相手は答えやすいことは容易に想像がつきます。こうした際に、選択肢は2つよりは3つが好ましく、逆に4つ以上は迷いが生じることから不要、とする説があります。一方で、3つの選択肢を用意するには頭を使いますが、意思疎通を図る上では有効な手段とされています。生徒の皆さんが就職し、業務交渉の場に立ち会うときには、予め、「円滑に交渉が成立する。内容を一層詰める必要が生じる。いったん話を持ち帰る。」という3つの選択肢を念頭に臨むことを要します。また、あるプランを提示するなら、「相手にとって最も良い条件、相手が納得する現実的条件、相手が敬遠する可能性のある条件」という3つの条件を考えることで、相手の考えるパターンの先読みができます。3つの選択肢に係る意識は、仕事の上でも普段の生活をする上でも、会話の一層の促進を図ることができます。

4月18日(火) 川俣高等学校長

段取り

仕事に関して質問を受けたり指示を受けた際に、迅速に対応できるよう、予めの準備が必要とされています。料理人の方は冷蔵庫の中を綺麗に仕切り、どこに何を置いているかをしっかりと頭に入れて仕事に臨むそうです。指示されるとすぐに材料を取り出すことができることに加え、庫内の温度も上がらないなど、利点が多くあるからだそうです。細部にまで意識が回り、先を読むことができ、結果として仕事に関して高い評価を得るようになるのも、すべては準備、段取りにかかっています。

4月17日(月) 川俣高等学校長

図 面

地方の技術部門の支社に配属となった方が、毎日、図面の一部作成をするよう指示され、2年間その作業に取り組んでいたそうです。転勤したばかりの上司が、今はどういった仕事をしているのかと彼に尋ねると、彼は、東京では同期が作成した資料がプレゼンに使われるなど充実感を持って仕事をしているのに、自分はずっとこうした雑務をしている、と、つまらなそうに答えます。上司が続けて、その図面の縮尺は何分の一か尋ねると、彼は即座に答えることができなかったそうです。そこで、その上司は彼に、「先輩があなたに与えたのは、雑務ではなく経験だ。でもあなたは、図面の全体を見ることなく、ただ指示された一部のみを見ていたにすぎない。この2年間、時間を浪費していただけだ。この図面が今後どう使われるのか、この図面が、この後に人の生活をどのように豊かにするのか、を考えようとすれば、縮尺でも何でも瞬時にわかる。技術は教科書には書いていないし、誰も教えてはくれない。経験でしか身に着けることはできない。東京の同期よりも、あなたのほうが恵まれた環境にいる。」と語ります。彼は後に当時を振り返り、一枚の図面の持つ無限の広がりを感じることができるようになった、と述べています。

4月14日(金) 川俣高等学校長

令和5年度始業式(4月10日)時の話

生徒の皆さんは、ドイツの詩人であり劇作家、法律家でもあったゲーテを知っているでしょうか。彼の作品の中にファウストがあります。この世のすべてを知り尽くしたいと思うファウストは、哲学、法学、医学など、およそ学問と呼ばれるすべての分野に夢中で取り組みますが、依然として、ただただ迷い歩いているだけで、何もわかっていない自分の存在に気づき、深く落ち込みます。でも、作品ファウストの中に出てくる神は、ファウスト自身が苦しむ姿を天から眺めながら、人間は努力する限り迷うものだ、と語るのです。何かを成し遂げようと思ったときに、ただの一度も迷うことなく目標達成はできません。高い目標を掲げれば掲げるほど、何かを為そうと願えば願うほど、人はあれこれ思い悩むものです。努力をしなければ迷うことさえしないので、すべてにおいて迷いのない人は、何の努力もしない人である、との厳しい指摘もあります。ファウストの飽くなき探究心と、その先にある悩みこそ、人の持つ向上心の証、とも言えます。
シェイクスピアのハムレットも、深刻な悩みを抱えて、なすべきか、なさざるべきか、とつぶやきます。決心のつかない彼は優柔不断な主人公にも写りますが、そうした迷いがなければ決断が生まれないのも事実です。迷いは、確固たる信念の欠落により生み出されたものではありません。そして、迷いの末にたどり着いたもの、それこそが、何ものにも動じることのない、強い意思です。生きるということは、生涯にわたって迷い続けることだ、とも言えます。人は、幾筋にも分かれた行路を前にして、進むべき選択肢を絞り込む際に少しの躊躇を感じますが、どの道を進んだとしても、足の向く先には、見るべく、聞くべく、感ずべき大切なものがあります。生徒の皆さんには、迷いを苦しみとして捉えてほしくはありません。読書をしたり、友や先生方に相談したりして解決を図るなど、迷いを解く術は多く存在します。重ねて伝えます。迷いは、それだけ真剣に努力している証拠です。行くべき道を自分の力で見い出すためにも、人としての真実を見つけ出すためにも、大いに努力して、大いに迷い、そして、その解決を図るべく大いに考え、結果として、成長を遂げる令和5年度にしてほしいと思います。

4月12日(水) 川俣高等学校長

自分との関係性

古代アテナイの人たちはアゴラ(広場))を中心として生活を送っていました。一日の仕事は午前中に終わってしまうので、午後には、アゴラには馬具屋や布地屋など、多くの市場が開きます。そうした中を、哲学の祖とされるソクラテスは、何とこんなにたくさんの私に関係のないものがあるのか、と、ささやきながら歩いていたそうです。では、ソクラテスにとって関係のあるものとは何だったのでしょうか。彼にとって、それは知恵でした。人は、自分には関係ないと思えば関心を払うことをしません。一方で、自分との関係性を見い出せば、貪欲なまでの探究心を発揮します。ある概念に価値を生み出す基準は、人そのものです。元々概念に価値があるというよりもむしろ、人がそこに価値を与えていくのかもしれません。生徒の皆さんにとって、関係性の高いと感じるものは何でしょうか。

4月11日(火) 川俣高等学校長

精 進

一途に邁進して目標達成を図る姿は素晴らしいと思います。他者の目を気にすると恥ずかしさを感じることもあるかもしれませんが、その取組の価値が下がることは決してありません。詩人の坂村真民氏は、我行精進、忍終不悔、と称しました。修行に終わりはなく、あくまでも自分の道を歩み続けることに何ら悔いはない、という意味とされています。良寛和尚は自らを大愚と称しました。これは、自分の掲げる目標達成に向けて精進する生き方や、わき目もふらずに一心に歩み続ける愚直さこそ偉大であり、また、光輝くものである、という意味とされています。集中していると、周囲が気にならなくなるその瞬間を数多く体験できれば、そのことだけでも大きな意義があります。

4月10日(月) 川俣高等学校長

仕事のおおよその見通しがついたときなどに、峠を越えた、という表現を使います。峠とは、山のこちら側とあちら側の境に位置する高い場所を指しますが、移動手段がなく、他地域との交流もしにくい状況にあった昔の人にとって、山は、見えぬ理想郷を思わせるあこがれの存在であったとの指摘もあります。今でも、旅の原点にあるのは、あちら側にある素晴らしい世界に触れたいという思いであり、そうした思いが人を旅に誘(いざな)うとも思えます。そういえば、民俗学の第一人者である柳田国男氏は、日本中を歩いた旅人としても知られています。 最も心に刻まれる旅の瞬間を問われた柳田氏は、「峠に立つと、景色が一変する。こちら側とむこう側では、空気までも違っている。住む人の考えも風景も、まるで異なる2つの地域を、峠をわたる風に吹かれながら眺めていると、何ともいえない気分になる。」と話されていました。生徒の皆さんも、きっと、人生観に大きく影響を与えるような峠に立つ瞬間を何度も体験することになります。

4月6日(木) 川俣高等学校長

学習法

考査などテストが近づくと、早く知識の身に付く何らかの方法はないか、と考えがちです。本屋に行けば、学習法から暗記法まで様々な方法を紹介している本がよく目につきます。でも結局は、約2300年前に、ギリシアのプトレマイオス一世が数学者ユークリッドに「幾何学を容易に学ぶ方法はないか。」と尋ねた際に、ユークリッドが答えた「幾何学に王道なし」につながるのではないかと思います。また、世界的細菌学者の野口英世博士も、「努力だ、勉強だ、それが天才だ。誰よりも3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ。」と話されています。いくら学習法に省エネを取り入れたとしても、地道な努力は必要とされるようです。

4月5日(水) 川俣高等学校長