令和4年度

2024年2月の記事一覧

為すべきこと

高村光太郎詩集に、『牛はただ為(し)たい事をする 牛は為た事に後悔をしない 牛の為た事は牛の自信を強くする(一部抜粋)』という一節があります。牛に例えた存在は、何事かに専念する人の姿、との捉え方もあります。何かに取り組めば成果があるので、自分の「為た事」が自分に大きな自信を与えるのは確かなようです。ここで重要なことは何か、それは、することです。行動を起こすことこそ、自信を勝ち取る近道です。ある程度、予定を立てることも大切である一方で、頭で考えている間は、事は進みません。生徒の皆さん、自分の手でものを掴もうとしてみてください。その際に課題が生じたら、工夫すればよいのです。学習をしているときにせよ、将来仕事に就いたときにせよ、課題という存在は皆さんを一層大きく成長させてくれます。

2月29日(木)川俣高等学校長

幸福の追求

中世末からルネサンスにかけて、なぜ人は独創的になれたのか、人が人として生き生きと過ごすことができたのかについて、フェーブルが1925年に書いた『フランス・ルネサンスの文明』の中では、『comfortという言葉に含まれる利便や物質的安楽、つまり、指先で押すだけで点いたり消えたりする照明、季節と無関係な室温、自由自在に流れ出る熱湯や水、これら全てが我々を縛り、我々を捉えている。』と述べられています。そして、こうした意味において16世紀に生きた人は自由だった、とも書かれています。人は豊かな生活を求めます。その追求の過程において、人の手により多くのモノが開発され、私たちの生活に彩りを添えます。一方で、そうしたモノに強い拘束を受けることは、本来の幸福という側面からは離れてしまうこともあります。生徒の皆さん、皆さんが日常的に手にするモノ、触れるモノを主体的に活用していますか。生活の主人公は皆さんです。

2月28日(水) 川俣高等学校長

根気よく

アランは、『教育論』の中で次のように述べています。『長年にわたり、誰が優秀であり、誰がそうではないのかについて、私は嫌と言うほど耳にしているが、人の持つ精神をこんな風に軽々に判断することが最悪の愚行である、という気がする。たとえ人から凡庸と見なされようとも、順を追うて進むなら、幾何をマスターできない人はいない。諸々の困難も同様である。根気のない者には打ち克ちがたいことではあっても、辛抱強く、一つずつ考えていく者にとっては、何でもないことである。結果は、長い学習のあとでなければ出てこない。』アランは、知性に段階を付けることはできない、とも話しています。生徒の皆さん、興味あるものに長く取り組むとともに、思いっ切り深入りしてみるのも、結構面白い体験です。

2月27日(火) 川俣高等学校長

相手を思う

東南アジアのある国では、以前に車やバイクの数が急激に増えたために、交通事故が多く発生するようになったそうです。特に、乗っている車やバイクから放り出され、道路に頭を強く打ちつける重度の事故も多かったことから、日本では現地医療機関に対してCTスキャンの機器を提供するなど支援を行ったそうです。でも、その機器を扱える技師が限られており、慣れてもいなかったために、あまり使うことなく放置された事例がありました。その後、その国からは、大量のヘルメットの希望が出されたそうです。別の国には、日本から耕運機を提供したそうです。広い面積を耕す耕運機は重宝されると思いましたが、その国の土壌はかなり固く、部品が壊れるなどトラブルが多く発生し、修理を担当できる人もいなかったため、結局、耕運機は放置されることとなりました。支援は、対象となる地域の詳細な状況、場合によっては文化的背景や地理的条件をよく知った上で実施することが求められます。そして、時の移ろいとともに支援内容も変わります。細目にわたり相手を思う姿勢もまた求められます。

2月26日(月) 川俣高等学校長

言葉の意味するところ

machineが機械を意味する英語であることはご存じのとおりですが、その具体的に意味する対象は国により異なるようです。旧西ドイツではマシーネと発音され、飛行機を指していたそうです。1990年代のイタリアではmacchina(マッキーナ)として、またスペインではmaquina(マキーナ)として車を指しました。同時代、日本でマシーンといえばミシンのことだったそうです。1860年にジョン万次郎がアメリカから持ち帰ったとされるsewing machineの後半を耳にしてミシンと呼ばれるようになった、との話もあります。人の手を使うことなく縫うことのできるミシン(マシーン)は、当時の日本人にとって衝撃的な存在であったことがわかります。言葉は時代背景を基に生み出されます。そして、同じ言葉であっても、その意味することは時代と共に変化します。生徒の皆さんが日常使っている言葉が、50年後には全く異なる意味を持つことも大いに有り得ます。

2月22日(木) 川俣高等学校長