令和4年度

得たきもの

無欲の人として知られる与謝蕪村が、「得たきものはしゐて得るがよし(得たいと思うものは無理をしても手に入れたらよい)。」という言葉を残しています。彼はまた、「見たいものはつとめて見るがいい。」とも話しています。物事の判断基準は自分にある、との考えによる表現とされており、よって、しっかりとした判断基準をもって物事を捉えることができるよう日頃から努めることが肝要、との意味にも取ることができます。中国秦時代の宮殿であった感陽宮の釘隠しから作られた刀の鍔(つば)だとして、彼に自慢げに見せびらかす人に対して、与謝蕪村は、何も話さなければ実に良い品なのに、と感想を持った逸話が残されています。また、赤穂浪士の一人である大高源吾が所持していたとする高麗の茶碗だと自慢した知人に対して、彼はただ、何の証があるのか、と感じるのみであったそうです。さて、生徒の皆さんはこれまでに、他者の解釈抜きに、得たきもの、と感じた対象はどのくらいありましたか。

9月1日(金) 川俣高等学校長