令和4年度

令和5年度始業式(4月10日)時の話

生徒の皆さんは、ドイツの詩人であり劇作家、法律家でもあったゲーテを知っているでしょうか。彼の作品の中にファウストがあります。この世のすべてを知り尽くしたいと思うファウストは、哲学、法学、医学など、およそ学問と呼ばれるすべての分野に夢中で取り組みますが、依然として、ただただ迷い歩いているだけで、何もわかっていない自分の存在に気づき、深く落ち込みます。でも、作品ファウストの中に出てくる神は、ファウスト自身が苦しむ姿を天から眺めながら、人間は努力する限り迷うものだ、と語るのです。何かを成し遂げようと思ったときに、ただの一度も迷うことなく目標達成はできません。高い目標を掲げれば掲げるほど、何かを為そうと願えば願うほど、人はあれこれ思い悩むものです。努力をしなければ迷うことさえしないので、すべてにおいて迷いのない人は、何の努力もしない人である、との厳しい指摘もあります。ファウストの飽くなき探究心と、その先にある悩みこそ、人の持つ向上心の証、とも言えます。
シェイクスピアのハムレットも、深刻な悩みを抱えて、なすべきか、なさざるべきか、とつぶやきます。決心のつかない彼は優柔不断な主人公にも写りますが、そうした迷いがなければ決断が生まれないのも事実です。迷いは、確固たる信念の欠落により生み出されたものではありません。そして、迷いの末にたどり着いたもの、それこそが、何ものにも動じることのない、強い意思です。生きるということは、生涯にわたって迷い続けることだ、とも言えます。人は、幾筋にも分かれた行路を前にして、進むべき選択肢を絞り込む際に少しの躊躇を感じますが、どの道を進んだとしても、足の向く先には、見るべく、聞くべく、感ずべき大切なものがあります。生徒の皆さんには、迷いを苦しみとして捉えてほしくはありません。読書をしたり、友や先生方に相談したりして解決を図るなど、迷いを解く術は多く存在します。重ねて伝えます。迷いは、それだけ真剣に努力している証拠です。行くべき道を自分の力で見い出すためにも、人としての真実を見つけ出すためにも、大いに努力して、大いに迷い、そして、その解決を図るべく大いに考え、結果として、成長を遂げる令和5年度にしてほしいと思います。

4月12日(水) 川俣高等学校長