令和4年度

校長より

団 子

3月末から4月にかけて奈良の薬師寺では花会式(はなえしき)が開催されます。平安時代から永く続くこの行事では、金堂が和紙で作られた色鮮やかな造花で埋め尽くされ、薬師如来を祀る須弥壇(しゅみだん)周辺には、丸餅が積み上げられ、その上に灯明が置かれます。造花には、桜や山吹、牡丹など10種類の花が揃い、茎のところには竹を、また花芯にはタラの木を使うなど手が込んだものとして知られています。また、和紙には紅花やくちなしが使用されていて、かつては、その和紙を持ち帰り、煎じて飲むことで血行をよくしたり、胃腸を整えるなどしたともされています。当時は、1つの行事が生活に深く結び付いていたことがよくわかります。ちなみに、花会式が終わると造花は参加した方々に配られますが、中には、造花よりも丸餅など食べ物を所望した方も多くいたようです。花より団子、という表現はここから生じた、と、薬師寺管主 高田好胤師がかつて話されていました。

3月29日(金) 川俣高等学校長

健康維持

健康を維持するためにマラソンを取り入れている方が多くいます。そもそも、人はなぜ走るのでしょうか。太古の時代まで遡れば、敵から逃れるために人が走ることは必要であったとも思います。でも現代では、敢えて自らの身体を動かさずとも移動することは可能です。研究者の中には、走る能力があるということを繰り返し確認するために人は走る、としている方がいます。馬は時速70キロ、チータは時速110キロで走ると言われています。人は速くても時速40キロ程度ですので、単純比較すると誇れる値ではありません。でも、人以外は長い距離を走ることはできないのです。ちなみに、チータが最速で走るのはほんの数秒間と言われています。しかも、チータには速く走る目的があります。そう考えると、多くの人がマラソンに関わるのには、自分の持つ、走れるという優れた能力に気づいた喜びから走るのだ、とも言えます。本能で走る他の動物に対して、人は考えて走る唯一の動物なのかもしれません。

3月29日(金) 川俣高等学校長

いかに生きるか

科学技術の進歩は、快適さや利便性の飛躍的向上を可能とするなど、私たちの生活に大きな影響を及ぼしました。でも、一方で、人としての向上に繋がったのかについては、まだ、明確な回答段階にはないようです。いかに生きるべきか、という人の持つ永遠の命題は、解決されることなく残っているようにも思えます。むしろ、自己に向かい合う時間は、以前よりも限られているのかもしれません。私たちは常に学んでいます。学びの本質とは、知識の習得以上に、いかに生きるかについて知ること、という方も多くいます。生徒の皆さん、一日のうちで少しでも時間を作り、自らについて考えてみるのもいいのかもしれません。

3月28日(木) 川俣高等学校長

ルール作り

様々なルールが作られるには、その国や地域の事情が大きく影響しています。1960年代のサンフランシスコでは、朝の時間帯に限り、金門橋を渡り市内に入る車からは通行料を取らず、夕方の時間帯に橋から出る車に2倍の通行料を課したそうです。その背景には、深刻な交通渋滞があったようです。帰宅時間が分散する夕方と比較して、車が集中する朝に一台ずつ車を止めて通行料を取っていることが渋滞の大きな要因の一つと考えた担当部局が、通行料を部分的に無料とする規則に係る住民投票を実施します。その結果か注目されましたが、圧倒的多数で規則は支持を受けることとなります。誰にでも小さな不利益は生じる可能性はありました。でも、交通渋滞解消という大きな目的のために多くの人が納得した、といいますから、その判断には多少驚かされます。価値観が大きく異なる中においても一致点は見い出される、という事例とも言えます。

3月27日(水) 川俣高等学校長

教 養

今では普通に使用される文中の「、」や「。」ですが、奈良時代や平安時代に一部使用されるまで、日本では、文字を表記する際に、「、」や「。」を書かない習慣が永く続きました。挨拶文中にはこうした記号を入れないのは当時の慣習によるもの、ともされています。少なくとも、手紙のやり取りをしていた当時の方々には、長い文でもちゃんと読むことができていたわけです。文の切れ目が明確にわかる記号を敢えて使わなかったのには、そうしなくても、受け手を、文脈を読み取れる教養人として捉えていたことを示す一つの手段だった、とする説もあります。言葉や表現法は時代背景により変化します。今、私たちが普通に使用していることが将来の人にとっては?、という場合もあり得ます。

3月25日(月) 川俣高等学校長

スピーチ

日本人のスピーチは、「高いところから皆様にお話しする無礼をお許しください。」など、多くの場合、お詫びから始まります。一方で、アメリカの方はジョークから始めるケースが多く見受けられます。これをCracking the ice(氷を砕く)と表します。国民性と言ってしまえばそれまでですが、場を和ませる観点からすると、ジョークの必要性は高いと考えます。アメリカの方はいつでもジョークを使うことができるよう、普段からその在庫作りに励んでいるようです。一流とされるアメリカのビジネスマンが、面白い話を耳にするとすぐにメモを取る姿もよく見られます。ある日本人がスピーチの冒頭で、「私にはジョークの持ち合わせがありません。ジョーク抜きでスピーチを始める非礼をお許しください。」と話したのを聞いて、それがジョークと思い込んだアメリカ人の方々が大いに受けた、というエピソードすらあります。自らの主張がうまく相手に伝わるかどうか、それはスピーチの入り方にも左右されます。

3月22日(金) 川俣高等学校長

ストレス

南米エクアドルのビルカバンバは長寿村として知られています。出生時の記録が曖昧な点もあり、正確な年齢とは言えない側面もあるようですが、100歳を有に越えていると思われる多くの方々が、元気に畑仕事をされています。高地にあるため空気が澄んでいることに加え、緑も豊富なため、元気が維持されるとも言われています。また、フェステとシエステと呼ぶ、お祭りと昼寝を好む方々のようで、聞いただけでも健康に良さそうです。一方で、長寿の秘訣として台風の存在を挙げる研究者もいます。台風による気圧の変化が身体に与える影響、及び台風に備える心理的影響は大きいとの指摘をよく耳にしますが、赤道付近で発生する台風はまだ小さいため、そうした影響も少なく、ビルカバンバの方々がストレスを感じることはない、というのがその根拠です。ストレスとうまく付き合う方法がわかれば、今の生活を一層豊かなものにできそうです。

3月19日(火) 川俣高等学校長

ル ビ

読みづらい漢字につけるフリガナをルビと呼びます。でも、そもそもルビとは何でしょうか。今では文字の大きさを何ポイントとしていますが、かつて活字の大きさを表す単位がなかった頃、イギリスでは、最も小さな活字をダイヤモンド、そしてパール、ルビー、エメラルドというように、宝石の名前を使って表記したそうです。一方、日本では新聞等に活用される大きさの文字を5号として、順次番号を付けていました。フリガナを付けるのに最も適していた7号活字は、ちょうどルビー活字と大きさが同じであったため、短縮してルビと呼ばれるようになった、とのことです。私たちの周囲にある言葉には、それぞれ確かな由来があります。その歴史を紐解くと、興味深い時代背景など多くのことを学ぶことができます。

3月18日(月) 川俣高等学校長

石を敷いた畑

中国甘粛省ではかつて、畑に平たな石を置いていたそうです。日本では石一つも見当たらない状態の畑に、拳程度のかなりの数の黒石があるため、日本人からみると大いに違和感を感じますが、もちろん、それには理由があります。石と石の間には豆がまいてあります。奥地にあるこの地域では、朝晩は急激に冷え込み、畑の表面が凍るほどになるので、日中に温められた石で土を保温する効果があるのだそうです。また、黒い石を活用しているのは、白と比較して熱を吸う率が高いからだそうです。加えて、石は土中の水分蒸発を妨げる働きも兼ねているといいますから、この地域にとっては必須アイテムであったわけです。自分の知識や経験だけを基準にして物事を捉えると、偏りが生じる場合もあります。一旦は固定観念を仕舞い込み、まずは純粋な目で見ようと心がける必要がありそうです。

3月15日(金) 川俣高等学校長

回る家

住宅展示場に、ゆっくりと回る家を出品した会社があったそうです。1時間かけて1周するその家は、腰を痛めて寝たきりの時を過ごした父親に、周囲の景色を楽しんでほしい、との考案者の思いから作られたものでした。家の下部にベアリングを取り付け、嚙み合わせによりモーターで回すことで消音を図ることができ、揺れも感じることがなくなりました。給配水管は中央に寄せ、電気配線をやめてパンタグラフ式にするなど工夫して完成に至ります。四季に合わせて変化を楽しむこともでき、家の向きを変えることができるので家相を気にすることもないなどメリットもありましたが、かかる費用が高く売れなかったようです。でも、発想の豊かさは高い評価を受けるとともに、親思いの気持ちはしっかりと周囲にも伝わったようです。

3月14日(木) 川俣高等学校長

言葉を発する

言葉は常に私たちの身近にあります。周囲の人からかけられる言葉により、励まされることが多くあります。一方で、言葉により、思いもかけず人を傷つけることもあります。言葉の遣い方には難しい面があることは事実です。でも、絵を描く方も、音楽を奏でる方も、また、作家として作品を書く方も、自らの正直な思い、言い換えれば、自らの言葉を発しようとする強い意識をお持ちであることも事実です。H・E・ノサックも、『言葉とは、あらゆる創造の動機です。これこそ、作品にいつまでも生命を与える動機です。』と述べています。生徒の皆さん、選択する言葉の判断基準は皆さんの心にあります。言葉という存在と正面から向き合いながら、自らの存在を再認識するよう努めるのも、有意義な日々となります。

3月13日(水) 川俣高等学校長

クルミ割り

かつて東北大学に勤務していた心理学教授が、自分の車の前に落ちてきたクルミを目にします。視線を上に移すと、そこにはカラスがいました。固いクルミの殻を割るために、車を利用したと感じたその教授は、カラスの習性を研究し始めます。秋に落ちたクルミを拾い集めて冬まで保管しておき、食べ物が減る時期になると、カラスが前述したような行動を取ることがわかりました。ただ上から落とすばかりではなく、タイヤのすぐ前に置いて割れやすくするカラスがいることも発見します。そういえば、岩手県では、とても美味しいと表現するときに、クルミ味がする、と言うように、クルミを好む人は全国的にも多く、カラスもその味を覚えたようです。なお、ハシブトカラスはあまりこうした行動を取ることはなく、ハシボソカラスが主にそうするようです。カラスはなかなか賢いことはわかるものの、運転者の立場からすれば、ドキッとする場面でもあり、迷惑な話ではあります。

3月12日(火) 川俣高等学校長

公園内の看板

マッキンリー山麓に広がるデナリ国立公園は、広大な谷が見下ろせる場所があるなど人気の高い公園である一方で、野生動物が生息する世界を守るために、人がエサを与えることを禁じていることでも知られています。でも、リスなどが近寄ってくると、思わずエサを与えてしまう人が後を絶たず、管理者は頭をかかえていました。ある日、公園内の複数個所に看板が掲げられます。そこには、人からエサをもらい続けていると身体が大きくなり、イヌワシに見つかってしまうぞ、という、リスに対する警告文が書かれていました。もちろん、リスがその文を理解できるはずはなく、明らかに人を意識したものです。そのユーモアの部分も受け入れられ、その後、リスにエサを与える人は劇的に減少したそうです。伝えようとする内容が同じであったとしても、表現の仕方により、その伝わり方に違いが生じることはよくあります。

3月11日(月) 川俣高等学校長

水質改善

ホタルは一般的に綺麗な川に棲みつくと言われており、これは、幼少の頃から汚れのない川に棲み、カワニナをエサとして育つゲンジボタルを指しています。ホタルを呼び戻すために水質改善を図った自治体は、かつて多くありました。でも、水に注目することに加え、川底や護岸にも気を配ることも大切なことに気づきます。ホタルは岸辺の水草に卵を産みつけます。卵からかえる幼虫は浅い水底の石の間に棲むため、石礫を入れる必要があります。また、成虫になる前には、一時土に入ってサナギになるので、護岸には土の部分がなければなりません。大切な生命が誕生するには、そして順調に成長をするには、多くの良き環境を要します。

3月8日(金) 川俣高等学校長

亀の歩み

亀は休まずに歩み続け、兔は途中で居眠りをしたために亀が競争に勝った、というイソップ寓話をご存じの方も多いと思います。背景には、継続は力なり、を伝えたい意図があります。でも、現実的に亀が兔に勝つことは考えられるのでしょうか。その研究をした睡眠科学の専門家がいらっしゃいました。亀は変温動物なので、外気温により亀の身体は温かくなったり冷えたりします。スタート時は身体が冷えているためノロノロとした動作の亀も、しばらく動きながら筋肉を使うにつれ体温が上昇し、それに伴い四肢の動きも活発になります。加えて、亀は高温に強いため、体温が上がれば上がるほど調子も上がることになります。途中で休むと身体が冷えてしまいパフォーマンスも下がるため、休まずに歩み続けたことは理にかなっている、というわけです。一方で、定温動物の兔は常にウォームアップ状態にありますが、体温変化に対応できる幅が狭く、少しの体温上昇でもパフォーマンスが下がってしまいます。それを避けるには休む必要があり、兔が居眠りをしたことも一理あるわけです。でも、そうすることで時間のロスが生じるため、亀が勝つ割合は格段に高くなるというわけです。さて、兔と亀の競争、生徒の皆さんはどう考えますか。

3月7日(木) 川俣高等学校長

令和5年度卒業証書授与式 式辞

 ただいま、卒業証書を授与されました皆さん、卒業おめでとうございます。
 さて、皆さんが入学式を迎えた日、教室の黒板一面に、チョークで絵が描かれていたことを覚えているでしょうか。本校でこれから学ぶ皆さんのことを思い、担任の先生が心を込めて、数日間かけて完成させた作品です。そして、その思いの下、今、皆さんはここにいます。
 皆さんには、川俣高校での数多くの思い出があると思います。川俣町と合同で開催した公開文化祭のときには、多くの地域の皆様にお越しいただく中、お化け屋敷を企画し、楽しんでいただくことができました。かつて川高生だったときに企画したお化け屋敷以上に、格段にクオリティーが高かった、と感動して帰路につかれた本校卒業生の方の話が、今でも印象深く残っています。また、修学旅行はどうでしょうか。日光・鬼怒川、那須高原で過ごした3日間は充実したものであったと思います。地元農家の方々のご指導の下、一から野菜作りに励み、数か月手塩にかけて大きく育て、地域の方々をお招きして行った収穫祭もまた、良き思い出ではないでしょうか。加えて、学習活動や探究活動に積極的に取り組んできた皆さんが卒業することに、教職員一同、大きな寂しさを禁じ得ません。一方で、別れは新たな旅立ちでもあります。皆さんが、これからの人生を歩んでいくうえで、大切にしてほしいことについてお話をします。
 まず、常識を疑う目を持ってほしいと思います。常識とは、社会的に見て当たり前とされる行為、及び、普通の知識や思慮分別のことを指します。そして、私たちは、常識をとおして行動を起こすことにより、一定の安心感を得ています。一方で、この繰り返しのみなされてきたとすれば、現在の発展は生じなかったかもしれません。独特の観点を持つ人がいて、常識の矛盾に目を向け、勇気をもってその改善を図ろうとする取組を続けたからこそ、今の社会がある、とも言えます。新しいことに取り組もうとするとき、最初は常に少数派です。皆さんには、今、目の前にある、一見すると合理的とも思える概念が、時や状況の変化に伴い、将来において変わる場合もある、ということを念頭に置いてほしいと思います。そのためにも、日々の生活の中で、なぜ、と自らに問う姿勢を持ち続けてください。私たちの先達がそうであったように、なぜ、の気持ちは、皆さんが今、感じている疑問を解くための大きな力を与えてくれます。
 東京大学の元総長 小宮山宏氏は、次のようにお話されています。「誤った常識を覆すためには、まず常識を疑うことが不可欠です。学問の世界にも常識は存在します。そして、学問発展の歴史は、学問の根底にある常識を疑い、覆し、新たな常識を作り出してきた歴史でもあるのです。」
 次に、人との関わりを大切にしてほしいと思います。人は、人を思い成長し、人に思われ喜びを感じる存在です。被災県である本県が13年前の東日本大震災から学んだことの一つ、それは、人は周囲に支えられ存在する、ということであったとも思います。先を見通すことのできない状況下にあった当時、一本の電話をとおして、本県に寄せられた、全国からの温かい思い、一枚の手紙をとおして寄せられた、心のこもった励ましの言葉があったからこそ、私たちは頑張ることができました。そのことを忘れることなく、その大切さを、今後も継承していく気持ちを持ち続けてほしいと思います。
 加えて、人と関わる中で、皆さんの持つ個性の在り方についても深く考えて欲しいと思っています。個性、その彩る側面について話されたのは、染織家の志村ふくみさんです。先天性の性質を持つ経糸(たていと)に、後天性の緯糸(よこいと)をとおすことで、織物に特色が生まれます。それこそ個性です。ひたすら一つの色を織っていたとしても、そこには自然に多様な色が含まれる、としています。皆さんは、これまでにも、意図的に、時には無意識のうちに、様々な色を取り込みながら人生という織物を織り続けてきました。そして、自分の個性、言い換えれば自分色の確立に努めてきました。その営みは、これからも続きます。様々な知識を習得していくことで、また年齢を積み重ねることで、折に触れ、その色は変わっていくことと思います。でも、覚えておいてほしいこと、それは、皆さんの持つ個性は、常に輝いている、ということです。
 保護者の皆さまにおかれましては、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。卒業生は、この4月より、自らが選んだ道を歩むことになります。新たな人生の始まりに対して、ご家庭での温かい励ましをお願いいたします。また、本校入学以来3年間、教育活動について、格別の御支援、御協力をいただき、ありがとうございました。教職員一同、厚く御礼申し上げます。これからも、本校の発展を見守っていただくとともに、変わらぬ御支援と御協力を賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 結びに、卒業生の皆さんが、川高生としてのプライドを持ち続け、輝き続けてくれることを願うとともに、本校川俣高等学校は、今後とも永遠に、卒業生の皆さんの、心の拠り所としてある、ということをお約束し、式辞といたします。

モンテーニュはキケロとの友情を、『我々の友情は、それ自体に何らの模範も持ってはいない。ただただ自己に拠るばかりである。』と称しました。友情に関しては外部の規範も手本も不要であり、そこに必要とされるのは自己の持つ意識のみ、とも読み取ることができます。相手を信じる中で友情は育まれます。親友(しんゆう)は信友(しんゆう)とも表現できるのかもしれません。3年生の皆さんは本日、卒業証書授与式を迎えます。本校で学んだ3年間で、友と呼べる存在を見つけることができましたか。管仲に対する鮑叔の深い信にも通じるような友がいたとしたら、それだけで皆さんは幸せ者です。卒業おめでとう。

3月1日(金) 川俣高等学校長

為すべきこと

高村光太郎詩集に、『牛はただ為(し)たい事をする 牛は為た事に後悔をしない 牛の為た事は牛の自信を強くする(一部抜粋)』という一節があります。牛に例えた存在は、何事かに専念する人の姿、との捉え方もあります。何かに取り組めば成果があるので、自分の「為た事」が自分に大きな自信を与えるのは確かなようです。ここで重要なことは何か、それは、することです。行動を起こすことこそ、自信を勝ち取る近道です。ある程度、予定を立てることも大切である一方で、頭で考えている間は、事は進みません。生徒の皆さん、自分の手でものを掴もうとしてみてください。その際に課題が生じたら、工夫すればよいのです。学習をしているときにせよ、将来仕事に就いたときにせよ、課題という存在は皆さんを一層大きく成長させてくれます。

2月29日(木)川俣高等学校長

幸福の追求

中世末からルネサンスにかけて、なぜ人は独創的になれたのか、人が人として生き生きと過ごすことができたのかについて、フェーブルが1925年に書いた『フランス・ルネサンスの文明』の中では、『comfortという言葉に含まれる利便や物質的安楽、つまり、指先で押すだけで点いたり消えたりする照明、季節と無関係な室温、自由自在に流れ出る熱湯や水、これら全てが我々を縛り、我々を捉えている。』と述べられています。そして、こうした意味において16世紀に生きた人は自由だった、とも書かれています。人は豊かな生活を求めます。その追求の過程において、人の手により多くのモノが開発され、私たちの生活に彩りを添えます。一方で、そうしたモノに強い拘束を受けることは、本来の幸福という側面からは離れてしまうこともあります。生徒の皆さん、皆さんが日常的に手にするモノ、触れるモノを主体的に活用していますか。生活の主人公は皆さんです。

2月28日(水) 川俣高等学校長

根気よく

アランは、『教育論』の中で次のように述べています。『長年にわたり、誰が優秀であり、誰がそうではないのかについて、私は嫌と言うほど耳にしているが、人の持つ精神をこんな風に軽々に判断することが最悪の愚行である、という気がする。たとえ人から凡庸と見なされようとも、順を追うて進むなら、幾何をマスターできない人はいない。諸々の困難も同様である。根気のない者には打ち克ちがたいことではあっても、辛抱強く、一つずつ考えていく者にとっては、何でもないことである。結果は、長い学習のあとでなければ出てこない。』アランは、知性に段階を付けることはできない、とも話しています。生徒の皆さん、興味あるものに長く取り組むとともに、思いっ切り深入りしてみるのも、結構面白い体験です。

2月27日(火) 川俣高等学校長

相手を思う

東南アジアのある国では、以前に車やバイクの数が急激に増えたために、交通事故が多く発生するようになったそうです。特に、乗っている車やバイクから放り出され、道路に頭を強く打ちつける重度の事故も多かったことから、日本では現地医療機関に対してCTスキャンの機器を提供するなど支援を行ったそうです。でも、その機器を扱える技師が限られており、慣れてもいなかったために、あまり使うことなく放置された事例がありました。その後、その国からは、大量のヘルメットの希望が出されたそうです。別の国には、日本から耕運機を提供したそうです。広い面積を耕す耕運機は重宝されると思いましたが、その国の土壌はかなり固く、部品が壊れるなどトラブルが多く発生し、修理を担当できる人もいなかったため、結局、耕運機は放置されることとなりました。支援は、対象となる地域の詳細な状況、場合によっては文化的背景や地理的条件をよく知った上で実施することが求められます。そして、時の移ろいとともに支援内容も変わります。細目にわたり相手を思う姿勢もまた求められます。

2月26日(月) 川俣高等学校長

言葉の意味するところ

machineが機械を意味する英語であることはご存じのとおりですが、その具体的に意味する対象は国により異なるようです。旧西ドイツではマシーネと発音され、飛行機を指していたそうです。1990年代のイタリアではmacchina(マッキーナ)として、またスペインではmaquina(マキーナ)として車を指しました。同時代、日本でマシーンといえばミシンのことだったそうです。1860年にジョン万次郎がアメリカから持ち帰ったとされるsewing machineの後半を耳にしてミシンと呼ばれるようになった、との話もあります。人の手を使うことなく縫うことのできるミシン(マシーン)は、当時の日本人にとって衝撃的な存在であったことがわかります。言葉は時代背景を基に生み出されます。そして、同じ言葉であっても、その意味することは時代と共に変化します。生徒の皆さんが日常使っている言葉が、50年後には全く異なる意味を持つことも大いに有り得ます。

2月22日(木) 川俣高等学校長

由 来

タイの首都はご存じの通りバンコクです。でも、バンコクの正式名称は、クルンテープで始まる、とてもとても長い名前です。現地の人でも覚え切れずに、そのほとんどを省略してクルンテープと呼んでいたくらいです。では、バンコクという名前はどこからきたのでしょうか。水路沿いに作られた村(バーン)にオリーブ樹の一種(コーク)が多くあったことから、もともとはバーンコークとされており、それが縮まってバンコクと呼ばれるようになった、との説もあります。そのバンコクを流れるのがメナム川です。でもメナムは、現地で川を指す言葉なので、メナム川という名称は、川川と言っていることになります。また、メナム川を別名チャオプラヤ川ともいいますが、このチャオプラヤという言葉もまた、川を意味する言葉として使われていますから、またまた川川となり、話はかなりややこしくなります。

2月21日(水) 川俣高等学校長

人との関係性

3年生の皆さんは卒業が近づいてきました。これまでの、主に同級生を対象とした人間関係から、社会において幅広い方々との関係性を築くことになり、これまで以上に、友と呼べる存在が大切になります。一方で、人の持つ側面を正確に把握する力も求められることになります。中には、言葉や態度を器用に使い分ける型の人もいます。皆さんにとっての真の友の在り方について、深く考えてみてください。

2月20日(火) 川俣高等学校長

化粧箱

中に商品が収められた化粧箱をいただくことがあると思います。贈られた側が一つや二つの上箱を開けるのであれば楽しみしか感じませんが、限りなく多くの化粧箱の上箱を取って商品を詰める工程を必要とする会社側にしてみれば、上箱を取る作業の短縮化を図りたいと考えるのは当然です。上箱と下箱の隙間に爪のようなものを入れ、上箱のみ引き上げる機械を開発した会社がありました。でも、爪が箱の側面を傷つけたり箱自体を圧迫することもあり、うまくいきません。ある担当者が、引く(引き上げる)のがダメであれば押し(押し込む)てみよう、と発想の180度転換を図ります。試行錯誤の結果、下箱の隙間から秒速300メートル程度のスピードで空気を押し込むと、全く傷を付けることなく上箱が開くことがわかりました。人の手では毎分20箱のところ、この機械により毎分200個の処理が可能となったといいますから驚きです。大きな効果は柔軟な発想からもたらされることが多くあります。

2月19日(月) 川俣高等学校長

ヒント

ふと手にしたお土産の雷おこし、その凹凸のある表面を見て、河川の堤防を固めるコンクリートを緑で覆われた景観に変えることはできないか、と考えた方がいます。石とセメントを混ぜて凸凹した透水性のブロックを作り、石と石の隙間には、人工土とともにカスミソウやハーブなどの種を入れてみます。人工土には、栄養剤に加えて、地中の水分を吸い上げることができるよう充填剤を含ませるなど工夫をしました。こうしたブロックを地面に置いてみると、充填剤は充分に水を吸い、根はしっかりと地中に張ったそうです。程なく緑のスペースができあがりました。展示会に出品してみると、コンクリートの上にただ植物を置いているだけではないか、と疑った人が、植物を引き抜いてしまう事案が多く発生するほど反響があったそうです。私たちの周囲には、生活空間をより良く変えるヒントが多く存在しています。ちょっと手を加えることで、私たちの生活は一層彩り豊かなものとなります。

2月16日(金) 川俣高等学校長

会議時間

生徒の皆さんが入社した後に、会議に出る機会も増えることと思います。自分の手がけた仕事をよく知ってもらうために力が入り過ぎ、つい資料が多くなることもあります。でも、資料を整える時間、及び会議に係る時間が膨大になるのは考えものです。大企業ではこうした会議時間の短縮化を図るために、様々な取組を行います。かつては、座ることなく立ったままで会議をした会社もあったと聞きます。また、産業革命にかけて三行革命を打ち出した会社もありました。会議に提出する資料は、問題点とその解決策、成果予測の三行のみ書き込む決まりにしたようです。多く書くことができないため、表記する内容を熟考する必要が生じることにより、業務に対して真剣に向き合う効果を生み出しました。

2月15日(木) 川俣高等学校長

代名詞

200年程前の江戸時代から浅草寺参詣のお土産として知られる雷おこしは、その固さで有名です。でも中には、柔らかさを求める人もいたことを受け、改良に取り組むこととなります。水あめを増量することで固く甘くなることから、コーンスターチや小麦粉などを混ぜることで歯触りを柔らかくするなど工夫を施し、一層幅広い方々に好まれるようになりました。雷おこしは固いものという概念を覆す勇気、人の声に耳を傾ける柔軟な姿勢などがもたらす成果です。ちなみに、雷おこしという名は、浅草寺総門が雷門と呼ばれていることことを受け、雷除けとして売り出されたとも言われています。徐々に、家を興し名を興す縁起のいいもの、という地位を築くこととなりました。でも、その固さを求めた江戸っ子が現代にやって来て、柔らかい雷おこしを口にしたら、お気に召すかどうかはわかりません。

2月14日(水) 川俣高等学校長

モノに溢れる

「皆が持っているから」を口癖に、小さな子どもは、よくモノを欲しがる傾向にあります。そして、現代はモノに溢れており、買おうと思えばすぐにでも手に入る時代です。でも、一つのモノを与えると、次には別のモノを欲しがるようにその行為にはキリがない、と嘆く保護者の方の声もよく耳にします。それを家庭内消費の悪循環と称する人もいます。一方で、モノに溢れる生活を見直すために、あえて限られたものしかない生活を体験させようと考える方もいます。自然に囲まれた場所で、家族で数日間生活を送ることで、何が必要か、何がそうでもないか、について、じっくりと考えるのだそうです。『人々が手に入れるために躍起になって奔走するもの、そうしたものは、彼らに何ら幸福をもたらさない。心の平安は、いたずらなる欲望の充足によって生じるものではなく、反対にそうした欲望の棄却によって生じるものである。』と、トルストイも『文読む月日』の中で述べています。

2月13日(火) 川俣高等学校長

ヤドカリ

甲殻類に属するヤドカリは、その名のとおり巻貝を借りて自分の住処にしています。生まれたばかりの頃には家を持たずに海中を漂っていますが、しばらくすると、空になった巻貝を探し始めます。適当な住処を見つけると、奥行や幅を調べたり、ハサミを使って中を掃除したりするそうですから、まさに人と行動が似ています。成長期には身体が飛躍的に大きくなるため頻繁に住処を変える必要があり、よって、適当な大きさの巻貝をめぐり、時にシェル・ファイティングと呼ばれる仲間同士のイザコザも生じるそうです。でも、住んでいる間は愛着を感じるのか、一時も離れようとしません。進路により生活環境が変化する3年生の皆さん、自分の家や故郷を思う気持ち、いつまでも大切に持ち続けてください。

2月9日(金) 川俣高等学校長

今を生きる

時間がない、やる気がでない等の理由により、自己実現の機会を先延ばしにする人がいます。生徒の皆さんはどうでしょうか。でも、明日になれば、時間ができる、やる気が起きる保証はありません。いつやるか、それは今です。明日を知らない私たちができること、それは、今という時を今いる場所で全力を傾けて生きることです。吉田兼好も『徒然草』の中で、『もし人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何事を頼み、何事をか営まん。我等が生ける今日の日、何ぞその時節に異ならん』と書いています。

2月8日(木) 川俣高等学校長

歓迎の仕方

かつて、日本では引越しをすると、近所に住む方々にちょっとした品物を届けながら挨拶をする習慣がありました。一方で海外には、近所の方々が引っ越してきた方のところに行って、ギフトを届ける地域があるのだそうです。そして、そうしたギフトを運ぶワゴンのことをウエルカム・ワゴンと呼びます。日本に長く住む外国の方には、特に海外から日本に来て生活を始める外国の方の不安な気持ちがよくわかります。そこで、日本でもこのウエルカム・ワゴンを実施しよう、と思いついた方がいたそうです。加えて、そこに日本文化を取り入れて、ワゴンの代わりに風呂敷に包んでギフトを送ったといいますから、発想が豊かです。主な目的は、相談相手がいることで少しでも不安が和らげば、との思いから始めた行動ですが、その輪はあっという間に広がりを見せ、多くの企業もその活動を支援するようになりました。まさに優しさの輪に満ちた取組です。ちなみにこの活動のことを、ウエルカム・ワゴンにちなんで、日本ではWELCOME FUROSHIKIと呼んだそうです。

2月7日(水) 川俣高等学校長

人の叡智

後に京都大学総長になられる松本紘氏は、1970年代に、太陽電池を宇宙に打ち上げて電力確保を図ろうと考えました。長さ20キロメートル、幅5キロメートル程の太陽電池で、一千万キロワットの電力が得られる計算になるそうです。宇宙には降雨もなく夜もないことから、24時間のフル発電ができ、電気をマイクロ波に変えて地球に送ることで、各家庭でも利用可能となります。同時期にアメリカでも太陽発電衛星を打ち上げる計画を持っていました。一千万キロワットの発電衛星60基でアメリカ全土の電力を賄える計算となり、かなり本気の取組をしたそうですが、発電衛星は一基一千億円ほどもかかる高額であるために断念したそうです。でも、エネルギー問題も地球環境問題も深刻な現在、私たちの持つ叡智や様々な経験を結集して、地球規模で考える時期にきていることは確かです。

2月6日(火) 川俣高等学校長

トマト

現在の長崎県西海市大島町は、かつては炭鉱と造船の町でしたが、閉山やオイルショックの影響により、自然を活かした観光の町に生まれ変わります。そして、町を訪れた方々のお土産も必要と考え、町の持っていたバイオ技術を駆使してトマトの栽培を検討し、アンデス原産のトマトが甘くて美味しいという情報の下、その栽培に着手し始めます。その栽培方法は、トマトにとっては過酷とも思えるものです。水を断つためにビニールハウスの中で育てられ、与えられるのはわずかな有機肥料のみです。土が乾きヒビも入る状態ともなると、トマトの茎は細くなり、葉は枯れたようになります。せめて空中の水分を摂取しようとするかのように細い毛が生えてくるのを目の当たりにして、栽培に関わった方々の中には涙を流す人もいたと聞きます。ただただ枯れていくのを見ているだけではないのか、という不安も生じた頃、トマトの実が色づき始めたそうです。不安は歓喜に変わります。通常5度程度の糖度が12度程度あるといいますから、その甘さに再度の歓喜を覚えることとなりました。住む町への思いの下、そして自ら育てるトマトへの思いの下、皆で協力してトマトに改良を重ねることで、今でも町を支える産業となっています。

2月5日(月) 川俣高等学校長

心構え

生徒の皆さんは、自らの心構えとする言葉を決めているでしょうか。60年程前に、「気心腹己人」という看板を入口に掲げていたバス会社があったそうです。でも、その表記は独特です。気は縦に長く書かれており、心という漢字は丸みを帯びています。腹は横向き、己はかなり小さく、一方で人は大きく書かれています。これを、「気は長く 心は丸く 腹立てず 己は小さく 人は大きく」と読むのだそうです。バスの運航は人の命を預かる大切な仕事なので、ハンドルを握る者として平常心を忘れることなく、また、バスの中で少しでも、お客様に快適にお過ごしいただきたい、との思いを込めた表現なのだそうです。この心構え、あらゆる場面で使えそうです。

2月1日(木) 川俣高等学校長

差し水

黒豆や大豆などを煮るときに、湯に冷水を加えることを差し水と言います。沸騰させておくと、表面の皮だけ煮え皺ができて内側に熱が入り込まないため、水を加えることで皺を取り、内部まで熱を通す効果があるとされています。沸騰する湯に合わせて動いていた黒豆などが、冷水を浴びせられてびっくりしたように静かになることから、別名びっくり水とも表現します。かつては,、湯の吹きこぼしを防ぐ目的もある、日本人の知恵から生まれたびっくり水ですが、家庭でも火力調節が簡単にできるようになった現代では、このびっくり水という表現自体、徐々に使われなくなっていくのかもしれません。  

1月31日(水) 川俣高等学校長

変化の捉え方

現代は変化の激しい世、とよく言われます。かつて西欧では、世界が変わるからこそ不動の真理を追求しようとしました。中国では変化する側面を陰と陽の2面として捉え、人間万事塞翁が馬という考えを育てたとも言われます。日本では変化をそのまま受け入れ、徒然草にもあるように、定めなきこそいみじけれ、と表現しています。一定の状態が保たれることのない、こうした変化に富んだ事態に対応するには、様々な経験を基にした心構えを要するようです。

1月30日(火) 川俣高等学校長

啐啄同時

母親ニワトリが卵を抱いて何日も温めていると、卵の内側からヒヨコが殻を突く瞬間があります。これを啐といいます。そして、母親ニワトリがヒヨコの突いた同じ箇所を突き返すことを啄といいます。啐と啄が同時に行われることで卵が割れ、ヒヨコが世に誕生します。これを基に、禅の世界では、師僧が弟子に法灯を伝える絶妙なタイミングのことを啐啄同時としています。教員による教えも、早すぎることなく遅すぎることなく、タイミングが重要とされています。ちなみに、 啐啄同時が書かれた掛け軸は、本校校長室にも掲げられています。

1月29日(月) 川俣高等学校長

喜びのお返し

生徒の皆さんの中には、企業への就職を考えている人も多くいると思います。企業は欲する人にモノを提供する側面を持っているのは事実です。でも、利することのみ考えている処から繫栄は生じません。企業は人に喜びも与えているのです。人には、与えられたものを返そうとする傾向があります。憎しみを与えられると、憎しみを返すことにもなります。一方で、喜びを与えてもらうと、人はその喜びを大きくして返そうとします。熊本に、モチ投ぐるダゴ返る、という方言があります。誰かにモチをあげたらアンコの入ったダンゴが返ってきた、という意味だそうです。喜びの輪廻に入り込むと、皆が笑顔になります。生徒の皆さんがそうした空間を作り出せたら、周囲の人も、皆さん自身も幸せになります。

1月26日(金) 川俣高等学校長

ほととぎす

豊臣秀吉の『鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす』という句に対して、徳川家康は、『鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす』と詠んだ、とされています。織田信長の句を含めて三者の異なる性格をよく表していると称されています。でも、この三句は、鳴くホトトギスは善、鳴かぬホトトギスは悪、という共通する観点から成っています。一つの概念に対して、善と悪、陰と陽、あるいは有と無を求めるのは人の常ですが、超越した別の観点も存在します。松下電器の創設者である松下幸之助氏は、『鳴かぬなら それもまたよし ほととぎす』と表現されました。目の前にある状況をあるがままに受け入れるには、ある意味、勇気を要します。

1月25日(木)川俣高等学校長

小さな喜び

自然の中に喜びを見い出す瞬間があります。正岡子規は病に伏せながらも、『杖にすがりて手のひら程の小庭を徘徊す。日うららかに照して鳥空を飛ぶ。心よきこといはん方なし。秋草はわづかに芽を出して、いまだ萩とも桔梗とも知らぬに、一もとの紫羅傘は巳に一輪の白花を開く。雨後土未だ乾かぬ処にささやかなる虫のうごめくは、これも命あればなるべし。』と表現します。モノに溢れる時代であるからこそ、人の在り方を考える必要は高まります。人として生きていることを実感できたとき、 人は心の底から感動を覚えます。

1月24日(水) 川俣高等学校長

時の流れ

いつの世も時の流れるスピードは同じはずなのに、依然と比較して今の方が速く感じることがあります。退屈と感じる瞬間が格段に少なくなったことも要因の一つかもしれません。退屈とは、目的がなく、することもなく、たとえすることがあったとしても、そのことを重要とは考えていない状態を指します。現代は、周囲にある様々な刺激が、私たちから退屈に感じる機会を奪っているとも言えます。でも、退屈なのは否定的側面ばかりではありません。目的意識は、退屈ゆえに生まれるとした哲学者もいます。ハイデッガーは、退屈な気分こそ人が存在する重要な概念とし、人は退屈な状態から抜け出そうとして、物事に意味を求めるとしています。こうした意識の下、文化も生じた、ともしています。生徒の皆さん、もしも今が退屈と感じたら、それは、皆さん独自の文化創造の瞬間を迎えているのかもしれません。

1月23日(火) 川俣高等学校長

気持ちの切り替え

ストレスの多い業務に携わる人の中には、会社を出る瞬間に、会社員ではない一人の人間に戻るよう心がけている方が多くいます。うまく気持ちの切り替えをするために、一定期間、旅行に出る人が多くいるのもそのためです。俳優の森繁久彌さんは、嫌なことがあるとヨットで海に出たそうです。広い海を眺めていると、悩みがちっっぽけに思えてきて、気持ちが晴れると言いますから、上手に気分転換をなさっていたことがうかがえます。その森繁久彌さんが、日本人がストレスを抱えるようになった理由の一つには、日本の家屋に縁側がなくなったからではないか、と話したことがあるそうです。子どもの遊び場でもあり、近所の方が気楽に立ち寄り座って話をする場所でもあり、時には人も猫も日向ぼっこをする縁側は、ほっとする憩いの場であったとの認識からのお話です。実際の縁側を取り付けることが難しくとも、少なくとも心の縁側はなくしたくはない、とも思います。

1月19日(金) 川俣高等学校長

ティー

ゴルフのティーには、一般的に長持ちするプラスチック製のものが多く使われているようです。でも以前に、ティーグランドに落ちていたティーが芝刈機にひっかかり、刃こぼれを起こす事案が多く発生したことがあり、修理代に多額のコストがかかりました。ゴルフ場では木製ティーを無料で提供するサービスを始めますが、無料であるためか、打ち終わった利用者は木製ティーを拾うことなく立ち去るようになります。それを拾い集める人に費やす人件費がかさむようになり、新たな対策を考える必要に迫られます。でも、アイディアが尽きることはありません。そこで考えたのが、土製ティーの開発です。粘土を固め、表面を樹脂塗料で加工します。たとえティーグランドに残されたとしても、芝生の水分を吸収するなどして、12時間後には溶け始めるので、手間も人件費もかからず、地球にも優しい画期的な製品でした。ただし、残念なことに、かなり重く値段も高いなどの理由で、あまり普及はしなかったそうです。

1月18日(木) 川俣高等学校長

一本のチョーク

医師の方が診察をして症状に合った処方箋を準備すると、薬剤師の方が調剤して患者である私たちにお薬を渡してくれます。こうした医薬分業の体制確立を担当したのが、当時の厚生省官房総務課でした。医師会や薬剤師会、各署代表の方々からなる調査会を進めるのは大変な作業でしたが、課長さんであった高田氏は、部下に対して細かい指示をほとんど行いません。課員が相談して会の運営を進める中、次には採決になる可能性が高くなりました。投票に備えて、用紙や鉛筆、開票を示す黒板など、何度も確認しながら準備を整えます。投票にならない可能性も考慮して、黒板をはじめとして、こうしたものは目立たないよう置くなど、細かな配慮も怠りませんでした。当日、投票が決まると、緊張感が漂う中、課員は予め準備した物の設置を始めますが、投票直前になり、黒板に表示するチョークの準備を失念していることに気づきます。課員全員の顔色が変わったそのとき、高田課長さんがスーツのポケットからそっと一本のチョークを取り出し、課員の一人に手渡したのです。優秀な課員はほとんどの運営をうまくできる、という部下への信頼感が高田課長さんにはあったのです。加えて、高田課長さんは様々な事態への備えもしており、まさに見落としそうな、絞り込んだポイントだけを押さえていたのです。上司の態度として見習うべきことが多くあります。

1月17日(水) 川俣高等学校長

唯一のもの

商品化を前提にして、同じものを同じ工程により作ることを製造といいます。一方で、他とは異なることを善し、とすることを創造とも呼びます。ウエストサイド物語の作曲家としてよく知られるレナード・バーンスタインが、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団を指揮した、マーラーの交響曲第九番は歴史に残る名曲とも称されている演奏です。エネルギッシュな指揮をすることで有名なバーンスタインが、このときには一層力を込めているためか、彼の唸る声がレコードに入っています。第四楽章のクライマックスが近づくと、指揮台を踏み鳴らす大きな足音も録音されています。通常であればカットされるこうした音は、今回は生録音であったことで残り、その迫力を含めて芸術評価を高めることとなりました。レコードそのものは製造に相当しますが、音楽という芸術分野においての価値ある創造、言い換えれば世界で唯一のレコード、という捉え方もできそうです。

1月16日(火) 川俣高等学校長

ほのかな香り

農家の方々が自家用として栽培していた中に、香り米と呼ばれる米があります。近い地域では宮城県などで栽培されている香り米は、ほのかに煎った大豆のような香りがするためそう呼ばれるのだそうです。匂い米、あるいは麝香に似ていることから麝香米と言う人もいます。元々流通経路に乗っていたわけではないため、知っている人も限らていたようです。また、背が高くなるため倒れやすいなど、栽培にも多く手間がかかり収穫量も少量ではありますが、古米に少しだけ混ぜると、いわゆる古米臭を消してくれるため、新米のように感じられるという感想も聞かれるのだそうです。ピラフ料理にも合う、と生産農家の方々は話されています。少しの使用量でも存在感を発揮する香り米、どのような味なのか気になりますね。

1月15日(月) 川俣高等学校長

コンパス

歩く方向を示してくれるコンパス(磁石盤)を乳牛に向けると、普段は北を指すコンパスが乳牛の方を指すことを知っているでしょうか。ほとんどの乳牛の胃には磁石が入っているからです。これをカウマグネットといいます。牛は好奇心が強く、エサと思えるものを何でも胃に押し込み、反芻することで消化する性質を持っていることはよく知られています。そのエサに針金などが混じっていると、4つの胃のうち、特に収縮力の強い第二胃の胃壁を傷つけることもあるそうです。金物病と呼ばれるこうした事態の未然防止のために、異物を固定する目的で予め磁石を飲み込ませるのだそうです。1950年代にアメリカで普及したこのやり方は、後に日本でも活用されることとなりました。胃の中に磁石を入れると聞けば少し違和感を感じますが、長ければ15年にもわたりミルクを提供してくれる大切な財産を守る術なんですね。

1月12日(金) 川俣高等学校長

サイン

百貨店やデパートの中には、急に雨が降り始めると流すBGMが決まっているところがあるそうです。以前には、ショパンの『雨だれの曲』がかかるデパートもありました。地下の食品売り場で働く店員さんも、店内に流れる曲により外の天気を知ることができるため、お客様との会話の中に、自然に天気の話題を入れ込むこともできます。かつては、雨に塗れても大丈夫なように、やや厚手の買い物袋に変えていた店舗もあったと聞きます。入り口にはマットが敷かれるなど、一つの曲により、お客様が快適な買い物ができるよう様々な部署の方々が円滑に動く様は、組織の在り方としても大いに参考になります。ちなみに、雨が上がった際には、ジュディ・ガーランドの『虹の彼方に』が流れることもあったようです。

1月11日(木) 川俣高等学校長

春の情景

中国唐中期の詩人である王維は、「花落ちて家僮未だ掃(はら)わず 鶯鳴いて山客猶(な)お眠る」と詠みました。この前半には、「桃は紅にして復(ま)た宿雨を含み、柳は緑にして更に春煙を帯ぶ」とあります。昨夜の雨により桃の花は雫を含み、柳はまるで霞のようにその緑色の葉を垂れている中、山里の人々はまだぐっすりと眠っている、という意味の詩だそうです。何とものどかな春の様子が伝わってきます。王維は西安近くの藍田という地で育ちました。山も川も美しいこの地で育ったことで、彼の心にはいつも、自然の生み出す素晴らしい情景が宿っているのだとも思います。生徒の皆さんも、いつの日か、ここ川俣の地を離れることがあるかもしれません。でも、藍田にも匹敵する佳きこの地のことを、いつも頭に置いていてほしいと思います。ちなみに、かつての川は畑に代わるなどしていますが、王維が植えたとされる銀杏の木は、代替わりをしながらも、今でも藍田で葉を茂らせています。

1月10日(水) 川俣高等学校長