令和4年度

自 由

すべての時間が行であり、顔を洗うにも食事を摂るにも作法を守ることが求められるなど、日本の禅寺での修行の厳しさはよく知られています。一方で、インドのアシュラム(修行場)では、修行者に修行する場を提供するのみで、日課すら決められていないなど、すべてが修行者に任されている、全くの自由なのだそうです。何でも自分で決め、行動し、その責任は自分が引き受けなければならないなど、これは究極の難行とも言えます。でも、こうした時間をとおして自分自身と向き合い、時には自分自身と戦うことで、真に自分の心と仲良くなれるのかもしれません。こうしないようにしよう、こうした考えはよくない、と思っているうちは、まだ自分にとって自分が敵のような存在なのだ、とも言えます。自分の心に照らして納得できる生活を送れるようになったとき、ある意味で悟りの境地に達することができるのかもしれません。

4月20日(木) 川俣高等学校長