令和4年度

校長より

大きな意欲

生徒の皆さんは、主に教科書をとおして学ぶことと思います。より一層わかるために、自分に合う参考書やテキストを探すこともあるかもしれません。でも、学びの本質は、何から学ぶか、ということよりも、どんな意識で学ぶか、にあります。エッカーマンの『ゲーテとの対話』の中には、大きなヒントが書かれています。「自分の所有といえるものはごくわずかなものである。我々は、先人からも同時代人からも受け入れて学ばなければならない。要するに、自分の内に持っているか、他者から得るか、こうしたことは愚問なのだ。大切なことは、大きな意欲を持ち、それを成し遂げる根気を持つことである」。生徒の皆さんが真に学べるかどうかは、皆さんの持つ意欲と根気にかかっています。

4月4日(火) 川俣高等学校長

言葉以外で伝える

相手に情報を伝えるために、人は言葉を用いますが、実際には難しいと感じる時も多くあります。言語使用は左脳に依存しているため、いわゆる話し上手と言われる人は左脳が発達しているとされています。でも、相手に伝える情報ツールは言語に限られるものではありません。うまく相手に情報を伝えることができるよう、新たな創作料理作りを勧める方もいます。初めての料理は出来上がりを想像しにくいものですが、失敗した料理を出さないためにも、どう調理すれば美味しくなるか、相手はどういった味付けを好むか、盛り付けをこうすれば相手は喜ぶのではないか、など様々考えながら調理に取り組むため、相手への配慮を念頭に置くことが調理の前提となります。そして、その料理が好評となれば、相手との結びつきも一層強いものとなります。つまり、話すことなく、自分の思いを伝えることができるのです。問題解決の手順を筋道立てて考えることは、伝えるための言語使用以上の効果をもたらすこともあります。また、創作料理以外にも、自分の思いを相手に伝える方法は数多くありそうです。

4月3日(月) 川俣高等学校長

あこがれ

人は時に、周囲の人に嫉妬心を抱くことがありますが、激しい嫉妬心は、脳に悪影響を及ぼすこともあるそうです。嫉妬を感じると脳全体が熱を帯び、高度な情報処理をする超前頭野の血圧が上がります。すると、脳の酸素効率が悪くなり、複雑で深い思考がしにくい状況に陥るようです。一方で、人にあこがれを抱くと、超前頭野がクールダウンされるため、脳の酸素効率はよくなるのです。人より1歩前に出たとしても、それは一時のことです。他者比較以上に大切なことは、周囲の人への尊敬の念を忘れることなく、自分をよく見つめることです。

3月31日(金) 川俣高等学校長

生活領域

私たちが日々生活している領域のことをコンフォートゾーン(快適領域)といいます。コンフォートゾーンには、常に訪れる場所、常に会う人、常に食べるお店など全てが含まれます。日々の生活を楽しいと感じないときには、コンフォートゾーンの中に楽しいことが見つからないことも原因の一つと考えられます。コンフォートゾーンの外には無限の世界が広がっており、そこに足を踏み入れることで、新たな楽しいこと(興味や関心)にも出会えます。初めての領域に入る際には、勇気を要します。でも、大切な宝物を手にすることができます。

3月30日(木) 川俣高等学校長

瞬 間

生徒の皆さんはインスピレーションのようなものを感じて何かに取り組み、成果を上げた経験があることと思います。人にはそうした心惹かれる瞬間があり、そのときに、迷うことなく取り組むか、あるいは、面倒と感じて取り組まないかにより、大きな差が生じるようです。与謝蕪村も、牡丹有(ある)寺ゆき過(すぎ)しうらみ哉(かな)、と詠んで、 来年になれば、再び牡丹の花も咲くし春の風も体感できる、と思い、見過ごしてしまったものの、実際にはそうした体験はその時のみであることを知り、後に後悔した経験があるようです。自分の思いにかなうと感じた瞬間は、まさに一期一会として大切にしなくてはならないようです。

3月29日(水) 川俣高等学校長

尺 度

私たちが生きる今の時代は、科学技術の恩恵を受けることにより豊かな生活を送ることができています。多くの知識も得ることができます。一方で、過去と比較して、人の生活はバランスの欠けたものになっているとの指摘も耳にします。人が本来持つ尺度をはるかに超えた時空間で、私たちが生活していることから生じる現象によるもの、との指摘です。人間は万物の尺度である、と話したのは、古代ギリシアの哲人プロタゴラスです。人の素晴らしさを表す一方で、人はあくまでも人を基準としてしか物事を捉えない、との厳しい解釈もされているようです。人のあるべき姿を尺度とするならば、私たちは自分たち自身について、時には見直す機会を持つ必要があるのかもしれません。

3月28日(火) 川俣高等学校長

正確な問い

人は目の前の常識を疑うところから、その考えの深化を図ってきました。なぜ、と問うことで、新たな発見が生まれ、そのことにより、人は進歩を遂げてきました。その前提となるのは、正しい問いかけです。問いが正しくなければ、正しい答えを導くことはできません。生徒の皆さんが学んでいることは知識である一方で、正確な問い方を学ぶことでもあります。荀子も、問いの悪い者には答えるな、と説いています。生徒の皆さんにとって、今も、そして将来においても、良き問いができるよう、正しい問いの立て方を意識し学び続けることが必要です。

3月27日(月) 川俣高等学校長

山あり谷あり

生徒の皆さんも、人生は山あり谷あり、という表現を耳にしたことがあると思います。何かに取り組む際には、うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある、という意味で使われていますが、実際に、自分にとって悪いことが起きるのは、思いがけない良いことが起こる前兆、ということはよくあります。登山を思い浮かべてみてください。山頂にたどり着いた後に、さらに高い山に登るときには、直通する道は存在しないので一旦は山を下ることになります。下山は想像をはるかに超えてつらいものです。でも、たとえば麓に下り立ったときに自分の登った山を見上げると、登山前に見上げた光景とは別のようにも見えて、異なる領域に達した満足感を感じることができる、と言う人もいます。一旦は谷に下りるからこそ、成長もできるのです。

3月24日(金) 川俣高等学校長

可 能

全国規模で事業展開をする企業が、野外に置く商品を架設するのに、これまでのコンクリート使用から、耐久性や軽さを考慮して鋼管柱を用いることに決めたそうです。でも、鋼管は中が空洞になっているため、小鳥が入り込み、出られなくなる事案が多く発生してしまいます。年間数百万羽もの小鳥が命を落としていることが報じられると、多くの非難が寄せられました。そのことが最初に企業内で報告されたとき、鋼管柱にキャップを取り付けるには多くの費用と年数がかかる、という理由で、対応に二の足を踏む傾向にありましたが、命の大切さを重視すべきとの声が社内で高まり、本格的な検討を始めます。結果として、プラスチックで作成したフタは大量注文のため、当初予想された費用の10分の1で済みました。また、年間2回実施していた点検時にキャップを付けるようにしたために、新たな人件費もかかることなく、作業期間も半年程度で済んだそうです。不可能という文字が頭に浮かぶと、間違いなくすべての取組は不可能になります。創意工夫により、不可能が可能に変わる瞬間は、必ず存在します。

3月23日(木) 川俣高等学校長

物に聞け

ものづくりに関わる企業では、者に聞くな、物に聞け、という教訓があるそうです。人(者)から伝え聞いたことには、その人の思い込みや誤解も含まれる場合があり正確とは言えず、一方で、目の前にある商品(物)を自分の目でしっかりと見ることで状況を正確に把握することができる、という姿勢を説いている言葉です。生徒の皆さんであれば、目の前にある教科書(物)に何度も問いかけること(何度でも教科書から学ぶこと)が、物事の真意を把握する最適な手立てであり、また、理解の深化を図る近道となります。

3月22日(水) 川俣高等学校長

精 進

一つの道を極めるには精進を継続することが必要とされます。そのためには考え方を変える必要も生じます。考え方が変わると、徐々に行動が変わります。行動が変わると、結果が変わります。何かに取り組むことには苦しみを伴うこともありますが、その苦しみから逃れようとしたり手を抜こうとしたりすると、結果として、苦しみは継続します。苦楽という言葉があります。苦しみの先には楽しみがある、という意味で、苦楽吉祥とも言うそうです。そういえば、楽には、多くの人が集まる、という意味も含まれていたことがあったそうです。一人だけで苦しみを感じることはありません。友が集まり、協力し合いながら物事に向き合うことで、効果も高まり、楽しくもなります。楽しくなれば、その場に光もあたります。

3月20日(月) 川俣高等学校長

生徒の皆さんには、それぞれ夢があると思います。夢を持つことは良しとされていますが、一方で、夢を追いかけているうちは、夢と自分との間に距離がある、という厳しい指摘をする人もいます。プロのピアニストを夢見て、技術向上に励んでいた方の話です。緊張から、ステージに上がる前に足が震えるのは誰にでもあることですが、うまく弾くことのみ過剰に意識するあまり、結果としてうまく弾けないと感じる場面が多くなったそうです。そのときに考えたこと、それは準備の大切さでした。足の震えは体力の欠如も一因と考え、筋力トレーニングやウォーキングを取り入れます。また、ピアノに向かう際には、うまく弾くこと以上に魂で弾くことを心がけて練習に臨みます。徐々に、鍵を叩いたときに出る音は自分の心そのもの、と思えるようになりました。自分の人間性が貧しければ、そうした音を聴衆の皆さんに届けてしまうと思い、心の鍛錬にも励みます。すると、無の境地でピアノを演奏できるようになったそうです。そして、自分の夢であったプロのピアニストになられました。彼女の名前は、フジコ・ヘミングさんといいます。彼女とピアノの間に、距離は存在しません。私はピアノであり、ピアノは私、と、彼女はよく話されます。

3月17日(金) 川俣高等学校長

京都の法隆寺や薬師寺の宮大工になることを夢見ていた方の話です。建築を学べることから工業高校への進学希望を家族に伝えると、宮大工として一流の地位にあった祖父や父から反対を受け、その意見に従い、彼は農業高校に進学することとなります。そして、3年間懸命に農業の勉強に取り組み、卒業後には祖父や父の仕事の手伝いを始めます。祖父から、「人は土から生まれ、土に返る。木も土に育ち、土に返る。建物も土の上に建てる。土を忘れたら、人も木も塔もない。土のありがたさをわからないようでは、立派な大工になれるはずはない。」との話を聞いたのは、彼が一人前の宮大工になった頃だったそうです。一見すると関係性を見出せないことでも、深く繋がりのある場合は多くあります。ちなみに、薬師寺金堂再建に使用する檜選びを任されたのも彼でした。その候補として、枝や葉に勢いのある樹齢2千年程の老木を勧める人がいたそうです。でも、その枝や葉に養分が取られるため中は空洞となっていることを彼は学んでおり、金堂に使用するには適さないと判断します。一方で、年相応に老いの風格の漂う木は芯がしっかりとしている、などの知識により、的確な判断の下、彼はその重責を立派に果たすこととなります。

3月16日(木) 川俣高等学校長

謙虚の美徳

将棋の世界は、盤上の勝負で対局料が決まるなど厳然たる実力主義に貫かれています。ところが、対局が行われる際に座る位置については趣が異なる場合があるそうです。対局が行われる座敷には床の間があり、それを背にする位置を上座、反対を下座としています。対局を迎える棋士のうち順位の高い方が上座となりますが、将棋の世界の先輩を立てたり、年齢を考慮したりして譲り合いが起こる場合もあるそうです。でも、一定の時間が過ぎると、他の棋士が見ても違和感を感じることがなく二人の位置が決まるというのですから、興味深いものです。棋士に必要とされる資質として、実力と謙虚の美徳の2つをあげる人が多くいます。まさに、座る位置の過程から見ても然りです。

3月15日(水) 川俣高等学校長

組 織

山の南斜面と北斜面に同時に植物を植えるとすれば、南斜面の方が育ちが良くなり、周囲からの注目度も高まります。組織も同様で、リーダーなど目立つ立場にいる一部の人に注目が集まる傾向は確かにあります。でも、植物で言えば、北斜面の木は年輪がよく締まり、木質も堅く丈夫であるために、やがて大きな花を咲かせるようになるのだそうです。一時、陽の当たりが悪いと感じても、そのときに全ての評価が決まるわけではありません。将来の太陽を独占するくらいの意気込みで、目の前のやるべきことに正面から向き合い続けることが大切です。

3月14日(火) 川俣高等学校長

マニュアルをこえる

企業には多くのマニュアルが存在します。顧客対応を要する企業では、2万5千を超えるマニュアルを持つ企業もあるそうです。でも、担当者間には売上実績に差が生じます。マニュアル通りに対応して、どうして差が生じるのでしょうか。そこには、一定の事由があるようです。たとえば、お客様に声をかけるタイミングや、かける声のトーンなど、マニュアル化されていない項目は数多くあります。笑顔で接することは書かれていても、どういった笑顔で接するのかについては、本人に任されます。また、想定外のやり取りが生じた際には、本人判断により対応する必要があります。こう考えると、マニュアルの数を2万5千から仮に5万に増やしたとしても、最終的に問われるのは本人の本質である、ということは間違いなさそうです。生徒の皆さんも、相手へのさりげない、そして、きめ細やかな心遣いができるよう、日頃より高い意識を持ち行動することが大切です。

3月13日(月) 川俣高等学校長

自然美

彫刻でも絵画でも、あるいは音楽でも、人は一つの意図を込めて作ります。そして、その美しさは、私たちの眼や耳を存分に楽しませてくれます。一方で、たとえば、富士山は誰かがあのような形にしようとしたものでないし、また、県内にもある鍾乳洞は、何万年、何十万年という途方もない歳月を経て、その中の石柱や石筍(せきじゅん)が作られるなど、自然が人智の及ばない形や色彩を形成しているものも多く存在します。自然の景観は、誰かの意図により作り出されるものではないので、バランスに欠けたりすることもあります。でも、そこも含めて大きな魅力があります。私たちには、こうした見飽きることのない自然美をこれからも大切にする責任があります。

3月10日(金) 川俣高等学校長

気づき

船に搭載される魚群探知機の発明は、少年時代にラジオいじりの大好きだった、電気店に勤める、ある一人の男性の発想によるものでした。海の底に向けて発信した超音波が反射してくるまでの時間を計測することで、その深さを知る超音波測深器をヒントに、その少年は、海底までの途中にいる魚を探知できないか、と考えます。相談をした大学教授からは、魚の体はそのほとんどが水でできているから、超音波には反応しない、との回答がなされます。でも彼はあきらめずに、直接漁師に魚を獲るコツについて聞いて回り、魚の大群は口から多くの泡を出すので、泡のかたまりが海面に出たところを狙って網を投げ込む、という話を耳にします。水は超音波を通すけれど、泡なら反射可能、と考えた彼は、自信を持って魚群探知機の開発を進めます。後に、彼の魚群探知機は、ベテランの漁師が気づかない魚群をいち早く察知するまでに精度を高めることとなります。ちなみに、魚自体には反応しないとされていた超音波は、その魚にも反応することもわかりました。大きな発明の最初の一歩は、実に身近なところに潜む、ふとしたときに気づく事実、であることがよくあります。

3月9日(木) 川俣高等学校長

感動作

生徒の皆さんは、映画や劇などを観て感動したことがあると思います。良き作品は観た者の心に突き刺さり、思わず感動の涙を流した経験もあるかもしれません。感動的な映像は人の持つ前頭前野の血流を活発にし、結果としてセロトニン神経を活性化するのだそうです。涙を流す前の交感神経優位の状態から、涙を流すことで副交感神経優位に切り替わるため、リラックスと癒しを得ることができます。ギリシャの哲学者アリストテレスも、著書『詩学』の中で、感動の涙は心の中に溜まっていた澱のような感情を解き放ち、気持ちを浄化させる、と述べています。カタルシスと呼ぶこうした状態を体験するためにも、生徒の皆さんに、数多くの良き映画や劇などの作品に触れてみることをお勧めします。

3月8日(水) 川俣高等学校長

想像以上

私たちは、一定の未来予想図を抱きながら物事に取り組みますが、その通りにいはいかない場面にも多く遭遇します。そして、それは、想像していた成果を大いに上回る場合もあります。昭和50年代の始めに、マイコン・チップの新しい販路先を模索していた企業がありました。冷蔵庫やミシンなどへの取込みを考える一方で、アメリカの事例を探ってみると、マイコン・チップを組み込んだ小さなおもちゃの製造をしていることを知ります。会社内で行われた検討会では、ほぼすべての役員がそのおもちゃの製造に反対を唱えます。でも、開発チームの商品に対する熱い思いから、試しに売り出してみよう、ということになり、結果、これが大当たりします。マイコン・チップ付きのプラモデル形式で販売したところ、自分で小さなコンピュータを組み立てる喜びを体験できるため、多くの需要を生み出します。加えて、特殊な電源を要するため、そのアダプタが開発されたり、テレビゲームのような製品ができると、そのゲームを扱う本が出版されるなど、サードパーティーが飛躍的に充実するなどしたそうです。大きな成果が生み出される背景には、常に、真摯に向き合う姿勢があります。

3月7日(火) 川俣高等学校長

能 力

今から30年程前に、企業に対して、21世紀に企業が求める基礎的・基本的能力についてアンケートを実施したところ、従来から重要であり、今後も重要と思われることとしては、行動力、人間関係を円滑にする力、新しい経験や知識を身に付ける力、論理的に考える力、課題を発見する力が上位になったそうです。一方で、今後新たに重要となることとしては、状況に柔軟に対応する力、コンピュータ活用能力、異文化を受容する力、情報収集力、語学力が上位となりました。今になって考えてみると、当時の認識は正しかったようです。そういえば、千葉商科大学の学長であった加藤寛氏も、社会科学系の研究をするには、自然言語と人工言語という2つの言語が基本となる、との話をされていました。ここでいう自然言語は英語を、また、人工言語とは情報を指します。私たちが今を生きる上で、こうした力を総合的に育成する努力は、一層その重要度を増しています。

3月6日(月) 川俣高等学校長

自我同一性

思春期から成長する過程で、自我がしっかりと固まった状態をアイデンティティと称したのは、人類学者エリクソンでした。日本語では自我同一性と訳されています。自分から見た自分と、社会から見た自分に一致点が見出され、大人としての責任ある行動を取ることができるようになること、それがアイデンティティの一つの基準とされています。その長短はあるにせよ、自分の存在を探し求め、もがき苦しむ期間は誰もが経験することです。そして、その期間の脱却に欠かすことのできないもの、それが読書であることも忘れてはなりません。

3月3日(金) 川俣高等学校長

不言実行

言うは易く行うは難し、という言葉があります。言葉で表明するにも勇気を要しますが、実行する際にはより多くの困難を伴う、ということを意味します。百の言葉よりも一つの実行が大切であり、実行する裏付けがなくては、その言葉から重みが消え去る、という意味合いも含んでいます。一方で、自分の取り組んでいることの大変さを、他に語ることなく控えることを不言実行といいます。言葉以上に心を込ることに重きを置き、物事にあたることで立派な仕上がりにもなるし、周囲からの評価も高まる一面はありそうです。他者に惑わされることなく、自らの信念の下、取り組む姿勢を、武者小路実篤氏も、「見るもよし、見ざるもよし、されど我は咲くなり」と表現しています。

3月2日(木) 川俣高等学校長

共感力

生徒の皆さんは、テレビや映画を観ているときに、思わず主人公になり切っている自分に気づくことはありませんか。感情移入することは共感できたことを意味するため、心理的にも良いこととされています。主人公はなぜそういった行動を選択したのか、など考えながら観ることで、作品も一層身近なものになります。主人公の心理が理解できることは、相手の気持ちになって考えることのできる証拠です。周囲への思いやりの点からも、主人公の気持ちに自分の気持ちをチューニングしながら多くの作品を楽しんでみてください。

3月1日(水) 川俣高等学校長

趣 味

砂を集めることを趣味としている人がいます。旅行先で手にした岩手県浄土ヶ浜やアメリカのサンディエゴ海岸の少量の砂は、小さなガラス瓶に入れて大切にしています。インド洋のモルジブの砂にはピンク色のサンゴが、ジャマイカの海岸の砂には多くの巻貝が混ざっており、その時の海の美しさを思い出させてくれるのだそうです。また、アフリカのサハラ砂漠の砂は赤茶けた唐辛子に似た色をしており、また、南極越冬隊員の友人からもらったという南極の砂は、白を基調とした中に黒や茶色の粒がはっきりと見えます。砂にも個性があり、それぞれの匂いを持ち、振った時の音にも違いがあるそうです。五大陸の砂を集め比較することで、以前に、こちらの大陸とあちらの大陸が繋がっていたなど、発見ができたらうれしい、とその人は話しています。生徒の皆さんは、どんな趣味を持っていますか。

2月28日(火) 川俣高等学校長

ゴールデンタイム

朝起きてからの2~3時間は、人の脳が活き活きと活躍するゴールデンタイムと言われています。この時間帯で何をするかにより、一日でこなせる仕事量にも影響を与えます。でも、多くの人は、この貴重な時間を通勤や通学に要しています。読書などをしながら通勤・通学できる環境であればまだよいのですが、何も考えることなく過ごすには、もったいない気がします。できる限り早起きをして脳を活性化するためにも、防犯等の問題はありますが、カーテンを閉めずに寝ることを推奨する研究者もいます。朝日からの光刺激が網膜から縫線核に届くと、セロトニンの合成が始まり、セロトニンからのインパルスが脳全体に行き渡ることにより、脳をクールな覚醒状態にしてくれるのだそうです。朝日を浴びることで生じるセロトニンの存在が、快適な1日を確約してくれます。早起きは三文の徳ですね。

2月27日(月) 川俣高等学校長

精神一到

随分と前の話になります。山形県で生まれ育った阿部さんは、猛勉強の末に、希望する山形大学医学部に合格しますが、運動系サークルの練習中に頸椎の脱臼骨折を起こします。1年間のリハビリを経て大学に復学はしたものの、両手両足はほぼ麻痺した状態であったといいます。教授の中には、医師としての勤務は難しく、他の進路を選択した方がよいのではないか、と話す方もいましたが、医者になり社会貢献をしたい、という安部さんの強い意思を尊重し、彼は医学の専門課程に進むことになります。学習以外の要素を極力排除して懸命に学ぶ彼の姿を見て、大学は、大学の目の前に通学用宿舎を用意するなど配慮してくれたそうです。また、多くの友人が彼の車椅子を押したり、ノートのコピーを手伝ってくれました。そして、彼は見事に医師国家試験に合格します。彼は山形県内にクリニックを開業し、社会貢献をしたいという当時の信念の下、今日も診療を行っています。ちなみに、彼のモットーは、精神を統一して事に当たれば、どんなに難しいことでも必ず成し遂げることができる、ということを意味する、精神一到何事か成らざらん、です。

2月24日(金) 川俣高等学校長

光 沢

床の掃除と言えば、掃く、拭く、磨く、を基準とします。ある大手スパーでは、そこに、床に光沢計をあててそのピカピカ度を測る、という工程を加えるのだそうです。たとえば、光の80%が反射されると80という数字が表示され、かなり光沢に優れていますが、60であれば、やや光沢に欠けるため再度磨く必要があるなど、一定の目安にしているのだそうです。お客様は、床が綺麗なのでお店に行こう、とは思わないかもしれないけれど、床が綺麗であれば気持ちよく買い物をしていただける、とのお店の方の思いから、毎日欠かすことなく取り組んでいるそうです。一方で、綺麗な床は、従業員にも大きな影響を及ぼします。床が綺麗なら棚も綺麗に整えよう、商品の並べ方にも気を配ろう、など、各人の意識が高まり、結果として、商品管理のレベル向上に繋がる、という副次的効果を生み出している、とのことです。さて、生徒の皆さんが学習活動をしている教室の床は、ピカピカでしょうか。

2月22日(水) 川俣高等学校長

高校生や大学生の時間間隔は、「今」に集約される傾向にあるのだそうです。情報化社会においてその度合いは加速しており、これまで以上に「今」を強く実感する場面が増えています。「今」起きたことを即時に伝える多くのツールにより、情報は個から個へとかなりの速度で駆け巡り、一瞬で全員が「今」を共有するようになりました。これは、目の前にある「今」を大切に生きることが求められていることであり、決して悪いことではありません。遠い過去、遥かな未来に思いをはせるのも、その出発点には、「今」への深い認識が必要です。

2月21日(火) 川俣高等学校長

大相撲力士の四股名には、海や山が多く使われていますが、意外にも川の付いた四股名はあまり見られません。これを日本人の川離れと結びつけて指摘したのが、以前に関東学院大学工学部の教授であった宮村忠氏です。かつて、海や山と同じように、川が日本人の郷土意識と強く結びついていた時代、たとえば、名横綱双葉山が全勝優勝した昭和18年頃には、山の付いた力士が5人、海の付いた力士が2人に対して、川を四股名にした力士も3人いるなどしました。それが徐々に少なくなった理由として、山は動かないが川は流れてしまう、という、相撲界のゲン担ぎの要素もあったようです。でも、川の復権活動にもなると考えた宮村教授は、学生も巻き込んで研究室一丸となり、勝手に、川の四股名の力士の応援を始めたそうです。大学の先生は、発想も行動も興味深いですね。ちなみに、かつて、北海道十勝地方出身で大関昇進を果たしたある力士に、地元の方々から、十勝川という四股名にしてほしいとの強い要望が出されたことがあったそうです。十勝川は、広大な十勝平野を貫き流れ太平洋に注ぐ大河で、多くの人に慕われています。でも、結果として、十番しか勝てなくなる、との落語にも似た理由により、その四股名にはしなかった、という話もありました。

2月20日(月) 川俣高等学校長

経 験

中国宋の時代のある大夫(たいふ)が、すぐに家を建てるよう大工さんに命じると、その大工さんは、「まだいけません。木が生です。生の材木で重い壁土を支えると、たわみが生じます。」と答えます。するとその大夫は、「木は枯れれば一層強くなる。一方、壁土は乾けば軽くなる。強い材木で軽い壁土を支えるのだから、たわみが生じることはない。」として、再度、即座の建築を命じます。大工さんは命じられるまま家を建てますが、出来上がったときは立派であったその家は間もなくたわみ、壊れることとなります。経験から学んだ大工さんの知恵は、現実に適応したものであったわけです。木枯と塗乾との間に存在する時間に注目することなく、材木や壁土など、ものにだけ注目し、一足飛びに論を進めたために起きた失敗談です。このように、言葉の上では、一見すると筋が通っているように思えても、実際には妨げとなるようなことを、「辞(じ)に直(なお)くして事に害あり」といいます。実践の伴わない、現実の裏打ちのない話には注意が必要です。

2月17日(金) 川俣高等学校長

行動の選択

福沢義光さんというプロゴルファーがいらっしゃいます。試合中に、彼の打ったボールがピンそばに止まりますが、よく見ると、赤とんぼがそのボールの下敷きになっていることに気づいたそうです。このまま打てば、小さな命を奪ってしまうことにもなる、と考えた福沢さんは、迷うことなくボールを持ち上げ、赤とんぼを逃がしてやります。ルールにより一打のペナルティーが与えられました。試合終了後にそのことを問われると、彼は、「もちろんルールは頭に入っていました。でも、そのまま打つには、あまりにも赤とんぼが可哀そうで。」と話されたそうです。そういえば、大リーグのベーブ・ルース選手にも似たエピソードがあります。彼の打ったボールがスタンドに飛んでいき、一人の男の子が抱いていた子犬に当たってしまったそうです。すると、彼は試合中にも関わらず、すぐにスタンドにいるその子のところに駆け寄り、子どもとともに子犬を病院に連れて行ったそうです。試合の勝ち負け以上に命の大切さを考えた行動です。咄嗟の判断や行動は、人の持つ本質を表します。ちなみに、前述した福沢義光さんは、彼の行為はユネスコ憲章の考えに合致することから、ユネスコ日本協会からフェアプレー特別賞を授与されました。

2月16日(木) 川俣高等学校長

必 然

生徒の皆さんは、セレンディピティという言葉を聞いたことはありますか。偶然に出会ったように見えて、実は、常に高い問題意識を持っていたからこそ必然に出会えるような場合を指します。たとえば、本屋さんで書棚を探しているときに、思わぬ書籍コーナーに目指す本が置かれていることに気づくことがあります。普段なら目に留まるはずはないのに、本にある帯の一文字が目に飛び込んできたり、本の装丁が少し気になったりして、その本の存在に目が行くときなど、まさにセレンディピティ現象が起きたのだと思います。本のほうから生徒の皆さんのことを手招きしてくれるのですから、高い問題意識を持っていると、かなりお得です。

2月15日(水) 川俣高等学校長

定向進化

ある種の閾値を超えると一気に繁栄し、また繁栄するがために副作用が生じて絶滅するという事例は、恐竜など生物の存在や王朝の在り方など、歴史を紐解くと多く見られます。こうした一連の流れを定向進化と呼びます。一旦ある方向に向けて進化していくと、それがそのまま行き過ぎてしまうことになるので、常に、現状に課題はないのかを冷静に考える観点が必要とされます。これは、生徒の皆さんが送っている日常を見直す際にも重要なことです。今ある課題をなくす(打破)だけではなく、多様性を取り入れて一層の進化や深化を図るためにも、是非、創造的打破の領域に踏み込んでみてください。

2月14日(火) 川俣高等学校長

淡 い

よく、はじめに言葉ありき、という言葉を耳にします。あのときの一言で元気づけられた、または、あのときの一言がなければ、など、言葉の力が大きいことは言うまでもありませんが、一方で日本では、言葉を明確に発することなく曖昧にする傾向がある、との指摘を受けることもあります。その一因は、日本の風土にもあるのかもしれません。日本中が色彩に覆われる桜や新録の季節、その色合いは、霞たなびく、とも表現できるほど、どことなく淡い感じに包まれます。色彩は、人の気持ちに大きな影響を与えます。淡い色合いをとおして想像する世界の深さが、日本人を思慮深くしている一面があるのかもしれません。

2月10日(金) 川俣高等学校長

自分の色

棋士の坂田三吉氏をご存じでしょうか。小さい頃から暇を見つけては将棋ばかり指していた三吉氏に、父親の卯之吉氏は、「ここに、赤と青、黄と紫、白と5色あるが、将棋しか見えていないお前には、白しか見えないのと同じこと。本来なら5つの色を学ぶべきところだが、お前は、白一色の世界でやっていくがいい。こうと決めたら気を散らすことなく、どこまでも白一色を貫きなさい。」と話します。卯之吉氏は三吉氏に対して、一途に一筋の道を究めることを教え、一方で、三吉氏はその教えを忠実に守り通します。数多くの実践をとおして彼は腕を磨き、彼の独特で個性豊かな指し方は、当時の将棋界を席巻することとなります。そして後に関西将棋名人となり、日本将棋連盟から、名誉名人「王将」が贈られました。生徒の皆さんは自分の色を知っていますか。もしも、まだ自分の色に気づいていないなら、友に聞くのも一つの手です。友はいつも近くにいて、想像以上に皆さんのことをよく見ています。

2月9日(木) 川俣高等学校長

他者への思い

周囲にいる人の心の痛みが分かるようになることは大切なことです。自分本位の見方により、冷静な判断を欠き、感情的、功利的に動いてしまうことはありますが、その未然防止のためにも、いつでも少し間を置き、逆の立場であればどう思うのかを考えた後に行動に移すよう心がけることが必要です。人は一人では生きていくことができません。永六輔氏も、「生きているということは、誰かに借りをつくること。生きていくということは、その借りを返していくこと。誰かに借りたら、誰かに返そう。誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげよう。」と話されていました。生徒の皆さんも、他者への思いを深くし、他者と支え合い、助け合って生きる姿勢を持ち続けてほしい、と願っています。

2月7日(火) 川俣高等学校長

読書の楽しみ

作家の富岡多恵子さんは読書について、「読書には幾通りもの楽しみがあります。知ることを知る。興味あることをさらに深く知るという未知なるものへの期待があります。自己の経験を他者の経験で確認し、分析し、客観化し、納得する面白さもあります。他者の論理の助けで、自分の中に新たな発見もできます。物語で、現実を横すべりするスリルもあります。疲れて萎えた気持ちを鼓舞される快感もあります。さらにもっと、人によって様々な楽しみがあることと思います。本は読まれることを目的として作られているので、手を差し出し、手に取ってみなければ、その楽しみは得られないでしょう。」と、新聞に書かれていました。そういえば、作家の井上ひさしさんがご自身のお子さんに言い続けていたこと、それは、騙されたと思って本を読みなさい、という言葉であったそうです。

2月6日(月) 川俣高等学校長

風の色

「奥の細道」の最初には、「片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず」とあり、また、「道祖神の招きにあひて取るもの手につかず」と記されています。松尾芭蕉の旅立ちへの思いが伝わります。旅に出ると、日頃見慣れた光景とは異なる街並みや自然の景観に触れることができ、多くの感動を覚えます。自分の中にある何かを、新鮮に意識する瞬間を体験できるのも、旅の魅力の一つです。スケジュール管理をされた旅であっても、ゆったりとした心で周囲を見渡す一時を持つことで、こうした瞬間を感じることができます。以前に、何かのキャッチコピーで、「ゆっくり歩くと風の色が見える。」というものがありました。「奥の細道」を読むと、松尾芭蕉の目にも風の色が見えていたのではないか、と思わせる箇所が多くあることがわかります。日常とは異なる環境の中で、新しい自分に出会うことができる旅、そうした旅を自然にできる時が早く来ることを願います。

2月3日(金) 川俣高等学校長

一生学び

世に様々な歌を出された小椋佳氏をご存じでしょうか。彼は東京大学卒業とともに銀行に入行し、その業務に携わりながら音楽活動にも取り組みます。定年を待つことなく退職すると、子どもを対象とした音楽劇作りにも着手するなど活動の幅を広げながら、その一方で、猛勉強の末に、東京大学法学部に学士入学を果たします。さらに、法学部修了後には、再度の学習を経て、東京大学文学部の学生になります。そのとき、彼は52歳です。月曜日から金曜日まで毎日、朝8時30分から夕方6時30分までの講義を受ける日々を送るとともに、土曜日や日曜日にはコンサートや講演活動をするため、出てくる言葉は、「時間が欲しい。」であったと聞いています。彼が学びに対して心に秘めていたこと、それは、「好きなことがないと嘆くことなく、好きになろうとしてみよう。」、そして、「答えのない問題を解きほぐす孤独な挑みを一生継続していこう。」だそうです。小椋佳氏のすべてを真似ることは難しいとしても、学びに向かう姿勢など、生徒の皆さんに少しでも参考となることがあれば幸いです。

2月1日(水) 川俣高等学校長

生徒の皆さんは、読書をする時間を確保していますか。厚いし、読むのに時間がかかる、などの理由で、本を遠ざけてはいませんか。本はタイムマシーンです。文字をとおして、戻ることのできない過去にも、先の未来にも行くことができます。本は魔法の箒です。簡単には足を運ぶことのできない国々にもひとっ飛びです。そして、本は鏡です。人の考えや感動など、心の深いところにあるものも、見事に映し出してくれます。文字文化を堪能できる本を、実際に手に取って読んでみませんか。

1月31日(火) 川俣高等学校長

やる気スイッチ

生徒の皆さんは、学習を始める際にやる気スイッチがあったらいいな、と思ったことはありませんか。それが、あるんです。脳には側坐核(そくざかく)という部分があり、そこを刺激すると活動を始め、やる気物質と言われるドーパミンが分泌されます。ただし、側坐核というのに、即座に反応しない特徴があるので一工夫を要します。ハーバード大学のアミィ・カディ教授は、それの一つに、たった1分間、両手を天に突き上げる、仁王立ちで胸を張る、などのパワーポーズをすることを推奨しています。また、今から学習を始めるぞ、と大声を出して叫ぶことも効果的としています。大声であればあるほど、その効果は高まります。世界的に有名なコーチであるアンソニー・ロビンズ氏も、「感情は、体の動きによってつくられる。」と話しています。

1月30日(月) 川俣高等学校長

司馬遼太郎氏の作品「坂の上の雲」には、「坂の上の青い天にかがやく一朶(いちだ)の白い雲」を追い求めていた明治時代の日本人が描かれています。先人の教えを知り、その域に達することが学びの原点であることは、明治時代も今も変わりはありませんが、一方で、変化の激しい現在においては、新たな雲を探し求める重要性もまた増しています。これから歩む道筋を、自分の手によって描くのです。その対応の一つに、志を持つことがあげられます。志を持つことにより、人は、その実現に向けた努力の過程において、感動的な体験場面を何度も目の当たりにできます。また、そのときに、大きな生き甲斐も感じることができます。志を持つことは、まさに、生きる上で不可欠とされる貴重なエネルギーを私たちに与えてくれます。

1月27日(金) 川俣高等学校長

笑 い

笑いの効能に関する諺や表現は多く見られます。笑うことでストレスが発散され、血圧や脈拍数が下がるなどの現象については、以前より話題となっていました。また、血液中のナチュラルキラー細胞や、ウイルスに対して防御機能のあるインターフェロンが、笑うことで増える事実も指摘されているようです。一方で、涙を流すことはどうでしょうか。人は一般的に、一日に0.5グラムから0.8グラム程度の涙を流しています。涙の成分のほとんどを水分が占めますが、消毒剤にも使われるリゾチームという酵素もわずかに含まれていることから、適度な涙は目の汚れを清めたり、目に栄養を与えるなど大切な役目をしているとされています。病理史学者であった立川昭二氏は、「病理学的に見ても、目の使い過ぎや病弱な状態のときは、涙も冷たい。」と、独特の表現で話されています。悲しみの涙以上に、感動したり心が高まった際に流す温かい涙は、笑い同様に私たちを元気にしてくれそうです。

1月26日(木) 川俣高等学校長

ためらい

私たちの持つ品位や品格については多く述べられているところですが、コラムニストであった天野祐吉氏もご自身の本の中で、「品とは自分の愚かさを知る心の動きから生まれてくるものであり、自己批評の機能を失ったところから品位の喪失は始まる。」と書かれています。では、自らの品を保つためにはどうすればよいのでしょうか。自分を客観視することの大切さを挙げる人もいます。客観視とは、行動を起こすにせよ、何かに興味や関心を持つにせよ、即実行の前に少しだけ間を置くこと、とも理解できます。うまくいくかどうかわからずに悩み、思い切って実行することができずにいる状態を指す、やや否定的な心の動きともされるためらいを、自己を慎重に見つめるための前向きのためらいと位置づけ、意識的に活用することで、健全な心、そして品を保つことができそうです。

1月25日(水) 川俣高等学校長

将来像

東京の明治神宮には、神社に加えて、約70ヘクタールに及ぶ森があります。元々は畑と草地であったところに、綿密な計画の下、1915年から6年間かけて人工的な森が作られました。全国から寄せられた樹木は約10万本とも言われています。その植林の際に最も考えられたこと、それは、50年後、100年後、150年後の森の姿であったそうです。そして、100年後には、天然の森に近くなるよう設計されたとも言われています。作家の椎名誠氏が以前、「日本人は遠くを見なくなった。」と新聞の記事に書かれていたことを記憶しています。確かに、以前の日本人は、100年後のことも視野に入れた取組をしていたのかもしれません。明治神宮の植林から、今、約100年が経ちました。森の姿がどうなっているのか、少し気になります。今後、どう変化するのかを見通す姿勢は、激動の現在であるからこそ必要とされることとも思います。

1月24日(火) 川俣高等学校長

生物社会

かつて横浜国立大学の名誉教授であった宮脇昭氏は、植物生態学を専門としていらっしゃいました。失われた熱帯林に植林を試みる際に、どの程度の割合で植林すべきかを学生に問いたところ、数メートルの間隔をあけて植えるべき、と答えた学生に対して、彼は、一平方メートルにつき3~4本植えるべき、と、密なる植林を推奨します。養分の取り合いになりませんか、と学生が尋ねると、彼は、密集状態になると、木は一斉に太陽を求めて上に伸びる傾向があるため、実は早く大きく成長する、と諭します。私たちが通常兼ね備えている感覚は、事実とは異なる場合も多くあるようです。ちなみに、彼は、上に伸び切れなかった幼木は、次のチャンスを待ち、少しだけ我慢しながら共存する、この形もまた、 長い歴史の中で繰り返されてきた健全な自然形態だ、と指摘します。 生物社会には、チャンスは何度でも存在します。

1月23日(月) 川俣高等学校長

苦 楽

昼夜や表裏など、反対の意を持つ語を並べる表現は多く見られます。対等に表記されていますが、一方があるから他方がある、という意味で使われる場合も多く見られます。苦楽もそうです。「苦があるから楽がある。闇があるから光がある。苦を生かせ。闇を生かせ。」という坂村真民氏の詩もあります。「楽のみ存在していれば、楽を楽とも感じなくなることもある。苦しみを味わうからこそ、本当の楽しみを感じることができる」とも言えます。そして、目の前にある苦しみは永遠に続くものではなく、いつかは必ず終わりが来ます。苦を乗り切った先、そこには希望があります。

1月20日(金) 川俣高等学校長

先入観

『舞姫』や『雁』の作者で知られる森鴎外は医者でもあり、3年間ドイツに留学するなどして、医学に関する見識を深めました。そうした彼の一つの研究課題が脚気でした。ビタミンB1 摂取により、その予防を図れることは後にわかりますが、当時の日本では、積極的にはその摂取を行ってはいなかったようです。加えて、彼が留学したドイツでは、脚気の原因は細菌による感染との理論が強く、森鴎外自身もそう思っていたようです。徐々にビタミンB1 を含む麦飯や米糖の効果がささやかれるようになっても、彼の手元に届くのは、細菌による感染を示す資料ばかりであった、とのことです。多くの功績を残した森鴎外であっても、先入観は真実を見えにくくする一面があります。私たちもそうです。一度信じたことを変えるには大きなエネルギーを要します。であればこそ、ものごとを客観的に見て判断する柔軟性は重要です。

1月19日(木) 川俣高等学校長

不安と行動

不安を感じるとき、それは、何らかのピンチや困った状況に陥った場合だと思います。どうしよう、と長く考えて思考停止のループに入ってしまい、何の解決にもならなかった経験は、生徒の皆さんにもあるはずです。イギリスの哲学者トマス・ホッブズ氏も、人間の感情において最も根源的なものは恐怖であり不安である、と言っています。では、不安を解消するにはどうすればよいのでしょうか。それは、行動を起こすことです。不安の源であるノルアドレナリンは、行動するためのエネルギーとされています。生徒の皆さんを困っている状況から救ってくれるエネルギー、これこそが不安なのです。何もしないと不安は増え、一方で、行動すると不安は減ります。だから、不安というエネルギーをどんどん使うことで、思いっきり行動を起こしてみてください。

1月18日(水) 川俣高等学校長

遊び心

随分と以前の話です。工事現場にあるクレーンの支柱の中ほどに、プレートが取り付けられているのを目にしました。よく見てみると、それぞれに、ひばりやつばめ、かもめなどと書いてあります。何号クレーンと呼ぶよりも、ひばりで材料を上げてくれ、と言ったほうが心が和むからそうしている、とのことでした。そういえば、現場を囲う塀には、中の様子が見えるよう、のぞき窓のようなものも付けられており、ずっと下の方の足元あたりにも、やや小さめののぞき窓がありました。その脇には、犬用、と書かれています。何とも長閑な時代でした。でも、ちょっとした遊び心は、人を楽しくしてくれます。今の時代だからこそ、心の中でふっと笑えるようなゆとりは失いたくはない、とも思います。

1月16日(月) 川俣高等学校長

生きる

私たちは生活を送る上で、当たり前に必要とするものを手に入れています。スーパーには、食べ物や飲み物が数多く用意されているし、本屋さんには、多くの本が売られています。でも、美的感動を享受するにせよ、科学の恩恵を受けるにせよ、何一つとして、一人の力で成り立っているものはありません。世の中では専門による分業化がなされており、お互いがお互いの生命の一端を担い合い人間社会が構成されている、そうした一面があるようです。私たちが生きているのは、大自然の力を基盤として、あらゆるものの力により生かされている、とも言い換えることができそうです。生きる力という言葉があります。自然の恵みや人の叡智を謙虚に受け取る姿勢から育まれる力のことを言います。決して、人を押しのけて前に飛び出すことから得る力のことを指すものではありません。どなたが話されたのかは定かではありませんが、次のような表現を記憶しています。「他のために灯をともしなさい。あなたの足元も明るくなります。」

1月13日(金) 川俣高等学校長

漢 字

夏の話で恐縮ですが、「青嶺緑風の候」で始まる葉書をいただいたことがあります。普段は目にしたことのない表現でしたが、すぐに頭の中で、青々と連なる高い山々から吹き降ろす涼しく爽やかな風が、深々と生い茂った木々の間を吹き抜けていくイメージが浮かびました。漢字の持つ特性を十分に活かし切った表現である、と思うとともに、この言葉に触れることで、夏の暑さをも忘れるほどの清々しい思いをしたと記憶しています。私たちの使っている漢字は表意文字であるために、こうした気持ちを抱かせてくれるのだとも思います。返す返すも夏の話で恐縮ですが、同じ頃の季節でいえば、新涼という表現は、夏の暑さから解放され、ややひんやりとした大気を肌で感じる、そうした季節の変わり目を、私たちにそっと教えてくれます。また、俳句に使われる季語を集めた歳時記を開くと、日本語の持つ繊細なニュアンスの素晴らしさを知ることができます。漢字に対する認識を深めると、心もまた深まる気がします。

1月12日(木) 川俣高等学校長

見ぬ世の人

北ドイツの牧師の子として生まれたシュリーマンが、ミケーネの遺跡発掘などによりエーゲ文明の存在を世界史上に位置付けるきっかけとなったのは、父親から与えられた「子どものための世界歴史」という一冊の本でした。彼はこの本により、古代ギリシアの詩人ホメロスの詩に触れ、トロイが伝承や神話ではなく実在したものだったのではないか、と考えたのです。このように、一冊の本は、人の生き方をも左右するまでの影響力を持つことがあります。また、良書との出会いは良友との出会いにも通じます。吉田兼好は徒然草に、「ひとり灯のもとに、文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる」と書いています。ここでいう文とは書物のこと、見ぬ世の人とは会ったことのない人を指すので、吉田兼好は、本を読むことで、出会ったことのない人と友人のように知り合うことができ、心がなぐさめられる、と言っています。読書は、知識を増やすだけではなく、友も増やしてくれます。

1月11日(水) 川俣高等学校長

本来、祭りと言えば、京都の下賀茂神社と上賀茂神社の葵祭を指していたそうです。現在では、津軽地方のねぷた祭や秩父の夜祭り、博多どんたくなど誰でも聞いたことのあるものから、眠気を払い流すために七夕の日に行う福島県のねむた流しなど、日本各所に様々な祭りがあります。元々祭りには、神の声と民の声を伝え合うという側面がある、ともされています。学校でも、年間行事の中に、体育祭や文化祭など祭の付く行事が多くあります。お祭り騒ぎに陥るだけではなく、各行事がなぜあるのか、その本来の意味を考えることは大切です。祭りの準備には相当の時間を要します。そして、祭り当日は、年に一度の晴れやかな日です。だから、祭りが終わると一抹のはかなさを感じるのだ、とも思います。祭りのときに取り組もうと思っていてできなかったことがあっても、その日に後戻りはできません。後の祭りとならないよう、一層の計画性は必要です。

1月10日(火) 川俣高等学校長

読書三余

生徒の皆さんは、「読書百遍、意おのずから通ず」という言葉を聞いたことはありますか。中国の董遇という学者が弟子に教えたもので、同じ本を百遍読めばその真意がわかる、と説いたものです。そんな時間は作れない、と悲鳴をあげた弟子に対して、彼は、「まさに、三余をもってすべし。」と続けます。三余とは、冬、夜、雨を指し、このときであれば、読書の時間を確保できると諭したのです。そういえば、勝海舟にも似たようなことがありました。店頭にあったオランダの兵書が欲しくなった勝海舟は、お金を工面して買いに行くと、その本は売れてしまっていたそうです。買い主を探し出し、自分に売ってもらえるよう話をしますが、買い主は頑として首を縦にはふりません。それでも勝海舟は粘り、その買い主に、「あなたがお読みになる間はその本がご入用でしょうが、就寝後の時間であればその本はお空きであろう。その空いている時間だけ借覧させてはもらえぬか。」と提案します。これはまさに、三余をもってすべし、です。結果として、勝海舟は自宅から四谷大番町にある買い主の自宅まで一里半(6キロ)の道のりを毎日通い、午後10時から午前6時まで、本の内容を写し取る作業を続けたそうです。その期間は半年。学びへの執念を感じる逸話です。

1月6日(金) 川俣高等学校長

砂には、砂丘など大きな存在から、石川啄木の「一握りの砂」から感じる身近なものなど、様々なイメージがあります。その砂丘も、動と静、荒々しさと優しさなど、相反するイメージを持っています。また、砂浜に立つと、人は波の音を聞きながら、指で思い思いの絵を描いたり、手で作品を作ったりします。砂の上では、皆が芸術家です。砂を知るには、豊かな創造力と思考力を要するようです。小学校や公園にある砂場もそうです。哲学者の中村雄二郎氏は、「子どもの頃に誰でも経験のある砂場の遊びには、生の自然にじかに触れる愉しみと手ごたえがある。触覚によるこの手ごたえは、一見なんでもないことのように見えるが、私たち人間が自分の生命感覚を確かめる原点でもある。」と話しています。若い頃に培われた感性は、人生を豊かにしてくれます。

1月4日(水) 川俣高等学校長

煩 悩

除夜の鐘が心に響く時期となりました。そいういえば、お寺には山門がありますが、本来は、三解脱門(さんげだつもん)を略して三門と表記し、悟りの境地を表しているのだそうです。人の持つ煩悩のうち、特に3つの改善を図ることで、人としてのあるべき姿を目指している、とされています。第一に貧(とん)です。何事に対してもむさぼる心のことをいいます。第二に瞋(じん)です。自己中心に考え、感情的になることをいいます。第三に愚かな心の癡(ち)です。物事の善悪の判断がつかず、正しいことができない状態をいいます。貧や瞋は自分の周囲に、癡は自分の将来に大きな影響を与えることがあります。三門(山門)をくぐるときだけではなく、常日頃から意識をして、その解脱を図るよう心がけることも大切です。人は、3か月継続することで変化の兆候が表れ、3年で完全に変わることができる、とされています。

12月28日(水) 川俣高等学校長

心の鏡

松下幸之助氏は、「迷うということは、一種の欲望からきているように思う。ああなりたい、こうもなりたい、という欲望から迷いは生じる。それを捨てれば問題はなくなる。だから、自分の才能というものを冷静に考えてみて、その才能に向くような仕事を選んでいくことが大切です。」と話されたことがあります。自分の進路を決めるために自分自身を知ることは、自分にしかできませんが、なかなか難しいことですね。自分の姿なら鏡に映すことができます。自分の声なら録音できます。でも、自分の心は、鏡に映すことも録音することもできません。自分を知るには、自分自身を心の鏡で見るしかなさそうです。心の鏡は汚れやすいものです。ごまかしの気持ちがあれば、瞬く間に濁ってしまいます。心の平静を保つことは、全てにおいて大切であるようです。

12月27日(火) 川俣高等学校長

灌 木

志賀直哉氏に師事していた作家の尾崎一雄氏は、何も書けない一時を過ごします。迷いに迷って、志賀直哉氏を頼り奈良に行き、厳寒の真夜中に鷺池のほとりに立ったとき、「我れ無一物」と痛感するとともに、頭の中で、何かが豁然(かつぜん)と拓けるのを覚えたそうです。それは、今すぐにでも、志賀直哉氏の域に達しようと背伸びをしていた自分の姿に気づいたためです。「志賀先生を亭々(ていてい)とそびえ立つ松とすれば、今の自分は小さな灌木(かんぼく)。でも、松には松の、八ツ手には八ツ手の生き方がある。」との悟りの境地であった、と、後に尾崎氏は話しています。人はそれぞれ、異なる環境に生まれ、異なる性格や考え方の下、成長します。そして、そのすべてが、個性として尊重されます。志賀直哉文学とは異なり、尾崎一雄文学は、庶民的とも呼べる、市井の夫婦の哀歓を描く作品を世に送り出すことで、その輝きを放つことになります。

12月26日(月) 川俣高等学校長

出藍の誉れ

中国思想家の荀子の言葉に、「学はもって已(や)むべからず。青は藍より出でて藍より青く、氷は水これを為して、水よりも寒し」というものがあり、生徒の皆さんも授業で触れたことがあると思います。弟子が努力して、師を超えて修養できたことを表現しているため、出藍の誉れとも言われています。冒頭の「学はもって已むべからず」には、学校など教育機関にいるときだけが学びの場ではなく、卒業してからも生涯にわたり学び続けてほしい、という願いが込められています。生徒(弟子)の皆さんが、学びをとおして教師(師)を超えていくこと、それは、師にとっての大きな喜びです。

12月23日(金) 川俣高等学校長

勝 つ 

人はよく、強い決意をもって新年を迎えます。その中には、自分の内面にやや無気力な面が見られたので自分に打ち勝ちたい、あるいは、冷静な判断の下、試験や試合に臨み結果を出したい、など、内なる対象(自分)に勝つことを意識したものも多く見られるようです。この勝という字は元々、力を込めてものを持つ、という意味があり、転じて、耐える、という意味でも使用されていたそうです。この本来の意味に沿えば、忍耐力や継続力なくして勝つことは困難であるように思えます。そういえば、北原白秋作詞、山田耕作作曲「まちぼうけ」という曲は、中国の戦国時代の諸子百家の一人である韓非の言葉「株を守り兔を待つ」をもとにして作られたそうで、人生の偶然の幸運を表す一方で、偶然には連続はない、という教訓も示されています。生徒の皆さん、自らの願いを成就させるためには、やはり、自らの努力に勝るものはないようですね。

12月22日(木) 川俣高等学校長

木 鶏

戦前の名横綱である双葉山が69連勝という記録を打ち立て、70連勝目をかけて安芸ノ海との取組に臨んで負けたとき、師事していた陽明学者の安岡正篤氏に宛て、「我、いまだ木鶏に及ばず」と電報を打ったそうです。木鶏とは、「荘子」にある「之ヲ望ムニ木鶏ノ似(ごと)シ」からの言葉です。王が、自分の鶏を相手の鶏と闘わせる状態かどうか尋ねた際の、闘鶏育成の名人である紀省子が話す4つの答えが示されています。①「今は空(から)威張りの状態です。」②しばらくして、「まだ、相手を見ると必要以上にムキになります。」③十日待たされて、「まだ、相手に対して嵩(かさ)にかかります。」④「もう、他の鶏の鳴き声を聞いても平気です。徳が充実しています。相手を、まるで木で作った鶏としか思っていません。相手は、闘わずして逃げ出すことでしょう。」 この4つの話には、それぞれ、①競争心を駆り立てぬこと②自分を、自分以上に見せぬこと③辺りを気にしないこと④静かに自己を見つめること、という教訓が含まれています。自己を厳しく見つめながらも冷静な判断ができる、双葉山の優れた一面を知ることができます。ちなみに、双葉山は少年時代に、遊び友達が放った吹矢が右の眼にあたり、視力を失っていたにもかかわらず、その友達を全く責めることもなく、また、そのことを誰に話すこともなく土俵に上がり続け、努力の下、横綱という名誉な地位を築いたことでも知られています。

12月21日(水) 川俣高等学校長

受け入れられる

ゴーリキーが歩いていると、海岸に座っているトルストイを目にします。トルストイが自然の一部と化し、まるで、波やそこにある岩、雲と会話をしているようにも思えたそのとき、彼には言いようのない喜びが心に満ちて、何もかもが幸福な思考の中に溶け合ったように感じたそうです。「自分はこの地上にいて一人ではない。この人がいる限りは。」という胸の内を、彼は「追憶」に記しています。ゴーリキーが老トルストイの姿から何を感じたのかは明かされていません。でも、自然と共にあるトルストイから、自分もまた、自分の持つ良さも欠点もすべてを含めて、周囲から受け入れられている、と感じ取れたのかもしれません。友にも、家族にも、そして自然にも、受け入れられていると感じることができれば、大きな安心感を得ることができます。私たちに生きる喜びを与えてくれるのも、友、家族、自然なのだとも思います。

12月20日(火) 川俣高等学校長

リベラルアーツ

海外の企業に勤める方には、文系理系を問わず、哲学や文化、歴史など幅広い教養を身に付けている場合が多く見られます。それは、海外の大学教育がリベラルアーツだから、とする意見もあります。専攻に関わりなくリベラルアーツ教育を受け、むしろ専門分野は大学院で学ぶもの、とする海外の大学もあります。では、そこまで重視するリベラルアーツとは何なのでしょうか。古代ギリシアやローマにおいて生まれたもので、言葉に係る文法や修辞学、論理学、そして、数学に係る算術や幾何学、天文学、加えて音楽の7科を指します。リベラルは自由、アーツは学問なので、人を自由にする学問、として、自由な発想や思考を可能にするもの、とされています。今はもちろん、古代ギリシアやローマの時代ではありませんので、その中身について吟味する必要はあります。でも、人を作り上げる礎として、長い期間にわたり引き継がれてきた分野であることを意識した上で、適宜、自分に取り入れていく姿勢は、今でも大切なのかもしれません。

12月19日(月) 川俣高等学校長

知 る

現在、私たちの周囲には多くの情報が飛び交っており、知ろうとすればすぐにでも、スマホなどをとおして一定の知識を得ることができるようになりました。以前は図書館に行って、多くの書物の中から目的に合ったものを探し出し、時間をかけて何かを調べるのが当たり前でしたが、今では、自分の部屋にいながらにして、瞬時に多くの情報が手に入ります。また、自分で考えたことを話していると思い込んでいると、実はそれは、テレビや新聞、書籍などからの情報であった事実に気づかされることも多々あります。こうした媒体から得た情報は大変貴重であり、そうした情報ツールは私たちの生活にはなくてはならぬものである一方で、間接体験、言い換えれば抽象的体験であるために、物事を本当の意味で知り、考えるために必要とされる直接体験の機会もまた大切である、とも言えます。論語には、「之れを知るを之れを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。」という言葉があります。知っていることだけを知っているとし、知らぬことは知らないと認める姿勢を説いたものです。友の心に響くのは、その表現が多少ぎこちなくとも、自分で考えたり感じたりしたことを自分の言葉で語る、生徒の皆さんの中にある真の声、なのかもしれません。

12月16日(金) 川俣高等学校長

後 悔

生徒の皆さんは、自分の過去を振り返った際に自分の行動が間違っていたと感じ、後悔したことはありませんか。でも、過去の自分はその時に、全力を尽くして考え、努力し、行動していたはずです。仮に過去の自分が誤っていたとしても、誤った自分も自分である以上、そのことを含めて自己の全部を肯定し引き受ける必要があります。考えてみれば、成功か失敗かの要因は、無数にある因果関係や偶然の作用に支配されるなど、自分の他にある場合が多く見られます。できることはすべてやった、あとは天に任せる、くらいの気持ちを持つことも大切です。宮本武蔵「五輪書」にも、「我(われ)事(こと)に於(おい)て後悔せず」とあります。また、小林秀雄氏は、後悔を受け入れるようでは、人は本当の自己に出会うことはできぬ、と述べています。

12月14日(水) 川俣高等学校長

インスピレーション

有名な物理学者アインシュタイン博士は、極めて温厚な性格で知られています。「相対性理論を発見したきっかけは、瓦職人が偶然に屋根から転がり落ちるのを見て思いつかれた、と聞いています。」と話しかけられた彼は、いつもとは異なり厳しい表情をして、「世間では、ニュートンが、落ちるリンゴを見て万有引力を発見した、とされていますが、とんでもないことです。ただものを見ただけでは、何の発見もできません。様々な実験や思考を重ねて、常に心に引力という存在を置いていたからこそ、ニュートンには、リンゴの落ちる事象からインスピレーションが湧いたのです。相当の苦心や努力の下に、インスピレーションは与えられます。」と話します。同様に、アインシュタイン博士は、激しく心を揺さぶる、今まで見えなかった道を明るく照らし出してくれる一瞬のひらめき、不意に心の中に生まれるそのインスピレーションの99%は努力で成り立っている、とも話しています。

12月13日(火) 川俣高等学校長

前頭前野

人の脳には、分析的思考や客観的思考を行う前頭前野という部分があります。日常的に、そうした思考を行う習慣を身に付けていれば、前頭前野は鍛えられ、衰えを抑制することが期待できます。では、どうすれば、前頭前野を鍛えることができるのでしょうか。専門家の中には、客観的に自分を見るよう心がけること、そして、いつも予定がいっぱいで忙しく過ごすよりも、自分の言動等を振り返る余裕を持つこと、を挙げる人もいます。具体的には、いつもとは違う道順で登校したり、いつものメニューやいつものお店を変えてみたりするなど、慣れていることを一旦やめて新しい体験をすると良いそうです。このように、前頭前野を鍛えるには、前頭前野を刺激する頻度を上げることが大切とされています。

12月12日(月) 川俣高等学校長

成 果

何かを成し遂げようとするとき、その過程で必要とされることは何でしょうか。その人の持つ才能、という人もいます。でも、才能に恵まれたとされるゲーテほど、才にまかせてするのを戒め、努力と精神の集中の必要性を説いた人はいません。偉大な仕事を成し遂げようと欲するなら、心を集中しなければならない、と、彼はいたるところで話しています。そうして成し遂げるからこそ、苦労に満ちた努力も、喜びへと変わるのだと思います。高村光太郎氏も、才に頼り次から次へと手を出すこと以上に、むしろ鈍であれ、牡牛のごとくひたむきに押せ、ということを「牛」という詩にうたっています。それには、一定の時間を要するとは思います。でも、もしも仕事で一定の区切りを迎えて自らを顧みた際に、それまで取り組んできた自分は充実した時を過ごすことができた、と思えたら、相当に幸せです。そういえば、山口市にある中原中也氏の詩碑には、小林秀雄氏の字で、「あぁ、おまへ(お前)はなにをして来(き)たのだと・・吹き来る風が私に云(い)う」と刻まれています。

12月9日(金) 川俣高等学校長

価値の創造

生徒の皆さんが企業に就職し、商品開発のプロジェクトチームに配属になったとします。そこでは、上司に言われた通りにやること、また、過去や他社の傾向ばかり気にすることは求められていません。改良はできても、新たな創造ができないからです。自分を囲い込んでいる枠の中から、自らが一歩踏み出すことが求められます。そのためには、自らの感動体験が大切とされます。自分がこんなに素晴らしいものを作った、皆にこんなに喜ばれることをした、といった感動体験をとおして、お客様にも同じ感動を感じてもらいたいと、心から思うようになるのだそうです。そして、ノルマとして仕事に取り組んでいた姿勢にも、大きな変容が表れます。ものづくりに関わる方には、自分たちはものを作っているのではなく、お客様の感動を作っている、と公言する人が多くいらっしゃいます。加えて、時代に左右されることのない価値も創造したいと思うようになるのだそうです。ものづくりの世界は、実に楽しそうです。

12月8日(木) 川俣高等学校長

自己に達する

いつの時代にも流行がありますが、その流行に忠実であったために、流行に裏切られる場面に遭遇することもあるようで、それは絵画の世界も然りです。では、幾世にもわたり残る絵とはどういったものなのでしょうか。洋画家の熊谷守一氏は、「絵でも字でも、うまく描こうなんてとんでもないことだ。結局、絵は自分を出して、自分を生かすことだと思います。」と話されています。熊谷氏は加えて、それが最も難しく、そうした領域に達するには、おそろしいほどの時間と忍耐、辛抱を要し、評価されない苦しみと孤独にも耐えなければならない、とも話されています。このことは、絵に限ったことではありません。生徒の皆さんが、自分の持つ個性を十分に発揮できるまでには、言い換えれば、自己に達する瞬間までには、前述したような忍耐の期間を経験するかもしれません。でも、その先には、自分の中に長く残る財産を作り上げることができます。

12月7日(水) 川俣高等学校長

生徒の皆さんは、一期一会という言葉を知っていることと思います。この言葉は、今日の茶会は、再度繰り返すことはできない一生に一度のものなので、主人も客人も、そのことを心して、共に全力を尽くし素晴らしいものとしなければならない、という思いの下、茶道の教えとして使われました。そしてこの考えは、人生のありとあらゆることに当てはまります。どんなことでも、人生で一度しかなく、再び繰り返されることはありません。たとえ、同じメンバーで同じ場所に集まったとしても、同じ時間にはできません。今、友と会っているのも一期一会であるし、また、何かに取り組むこともまた、一期一会です。だから、何かを話し合う機会があるのであれば、和やかな中にも節度を持って盛り上がり、楽しい一時を過ごす方がずっといいわけです。家族と過ごす時間も、思いやりと感謝の心を持ちながら、明るく話す方がいいと思います。作家の井上靖氏は、「自分が歩んできた過去を振り返ってみると、一生に一度の素晴らしい出会いが、何とたくさんあったことか。その多くは、自分が意識して作ったものではなく、求めたものでもなく、偶然に生み出されたものであるが、長い人生行路において、そこだけが輝いて見える。」と、ご自身の本に書いていらっしゃいます。生徒の皆さんと私たち教員が、ここ川俣高等学校に集うのも、今、この瞬間しかない大切な時間です。家族の方々と話をするのも然りです。間もなくやって来る冬季休業を、今、を考え、今、を見つめ直す機会にするのもよさそうです。

12月6日(火) 川俣高等学校長

人づくり

江戸時代の名君である細川重賢氏が藩校を作ったときの話です。彼は、指導される方々に対して、「あなた方は国の大工さんである。そして、あなた方の教えを受ける若者は、例えるなら、川のいたるところにいるなど、様々である。どうか、橋を一か所に架けることのないようにしてほしい。強い流れのところにいる者も、なだらかな流れのところにいる者も、皆、川を渡れるよう、それぞれのところに橋を架けてほしい。」と話したそうです。かねてより、人を木に見立て、「人は、一本一本の木である。」という考え方もありました。それは、①木には無数の種類がある。人も同じである ②木は、場所によって、育つ木もあれば育たぬ木もある。人も同じで、育つのに適した環境がある ③木には、肥料をやらなければならない時期と、自然に任せて育つ時期とがある。人も同じで、手を差し伸べる時期と、控える時期がある、という理念に基づくものです。今にも通じる考え方ですね。

12月5日(月) 川俣高等学校長

人学ばざれば知なし

生徒の皆さんは、福沢諭吉氏の著「学問のすすめ」を知っていると思います。日本の人口が約3300万人であった当時、約80万部売れたベストセラーです。「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という冒頭が有名なので、武家時代の階級概念を打ち破ることに努め、人の平等について述べた本、とされていますが、一方で、学ぶことの大切さについても主張されています。この本の一節には、次のように表現されています。「されど今、広くこの人間社会を見渡すに、賢き人あり、愚かな人あり、そのありさま雲と泥の相違あるに似たるは何ぞ、その次第甚だ明らかなり。人学ばざれば知なし、知なき者は愚人なり。」。その厳しい指摘から相当の年月が流れましたが、学ぶ意義は一層の高まりを見せています。文豪吉川英治氏の座右の銘は、「我以外皆我師」だそうです。すべての人から学ぼうとする姿勢は、今も健在です。

12月2日(金) 川俣高等学校長

不連続の連続

紅葉の季節が終わり、冬がやって来ます。カレンダーを見ながら、そして季節の移ろいを感じながら、私たちは昨日と今日、明日というように区切りをつけます。こうして、人は自然の力を借りながら、連続した日々の流れに区切りを入れてきました。私たちの心の動きを不連続にしたのです。でも、皆が気づいているように、時や私たちの活動は、昨日や今日もそうであるように、明日もまた、途切れることなく連続します。変化のない単調な毎日に敢えて区切りを入れることで、私たちは今日を生き、明日を想う新たな気持ちを手に入れているのかもしれません。区切りはけじめ、一歩を踏み出す大きな力です。不連続な心を繋げていく努力の先に、目標達成の瞬間があります。

12月1日(木) 川俣高等学校長

適 職

生徒の皆さんは、自分の持つ個性に合った職種かどうかを念頭に置いて、就職先を絞り込んでいくことと思います。そして、実際に就職した後に、仕事が楽しいので、これこそ自分の天職だ、と思うかもしれません。でもそれは、もしかすると適職なのかもしれません。天職とは、その仕事をするために自分は生まれてきた、天から授かった、と思えるような職業を指します。そこには、楽しさに加えて、常にやりがいや満たされた感情が伴います。では、適職を天職にまで高めるにはどうすればよいのでしょうか。そのためには、ある程度の時間を要します。万が一、仕事でうまくいかない場面に遭遇したとしても、あきらめることなく継続して取り組み、経験を積む中で自己洞察が進み、自分の向き不向きなどについても明確化されていくと、いよいよ天職の領域に踏み込むことになります。天職とは、見つけるものでも与えられるものでもなく、適職を自分の力で徐々に変えていくこと、と言えるのかもしれません。適職に就ければ十分に幸せです。そして、もしも天職にも就ければ、人生が一層楽しくなると思います。

11月30日(水) 川俣高等学校長

性格を変える

生徒の皆さんは、自分の性格を変えたいと思ったことはありますか。精神医学的見地からすると、人の性格は3年程継続して取り組めば変えることは可能だそうです。でも、ある一つの性格を変えたとしても、自分の別の性格が気になり、結果として、性格を変え続ける無限連鎖に陥ってしまうこともあります。効果的な取組として、行動を変えることを推奨する心理学者もいます。自分のどういった性格をどのように変えたいのかを明確にして、そのために行う行動を3つ挙げます。例えば、内向的な性格を外向的に変えたいので、①笑顔で挨拶する ②意見を求められたら、最初に挙手して意見を述べる ③初対面の人には自分から話しかける、など、実現可能な3つの行動を意識して生活を送るのです。古代ギリシアの哲学者アリストテレスも、「その人の性格は、その人の行動の結果である。」と述べています。こうした皆さんの行動をとおして、自然に、周囲からの皆さんに対する見方が変わり、性格を変える以上の効果が表れます。

11月29日(火) 川俣高等学校長

コミュニケーション力

コミュニケーション力の大切さについては多く語られており、具体的な向上策も多々挙げられていますが、次の3観点も注目すべきこととされています。第一に、自分に自信を持つことです。情報を発信するには自信を要します。自信は、勇気と置き換えることもできます。第二に、相手の話に耳を傾け、理解しようとする姿勢を持ち続けることです。傾聴という言葉もあります。自分の言葉を伝えることに集中するあまり、話が一方通行になり、コミュニケーションが成立しないケースを避ける意味でも重要です。第三に、困ったときには助けを求めることです。すべての人がすべての分野について深く知っているわけではありません。お互いに補完し合うことで、自分の力とともに組織力も高めることができます。

11月28日(月) 川俣高等学校長

管鮑の交わり

友人間の信頼関係を表現するときに、「管鮑の交わり」という言葉が使われます。管仲と鮑叔は若い頃に友人となり、特に、鮑叔は管仲を優れた人物として尊敬します。後に斉の国政を担うまでになった管仲は、次のように話します。「かつて私は、鮑叔とともに商売をした。利益を分けるときに、私は自分の分け前を多く取ったのに、鮑叔は私を貪欲とは思わなかった。私が困窮していたのを知っていたからである。かつて私は、鮑叔のために事業を企て失敗したが、鮑叔は私を愚か者とは思わなかった。時に利・不利のあることを知っていたからである。かつて私は、三たび仕えて三たび君(主)から逐(お)われたが、鮑叔は私を無能とは思わなかった。私が時の利に合わなかったことを知っていたからである。かつて私は、三たび戦い三たび敗れて逃げ出したが、鮑叔は私を卑怯とは思わなかった。私に老母のあることを知っていたからである。私を生み育ててくれたのは父母だが、私を知ってくれているのは鮑叔である。」と。さて、生徒の皆さん、皆さんの周囲には、管仲から見た鮑叔のように、皆さんを真に理解してくれる友はいますか。

11月25日(金) 川俣高等学校長

一 念

何事も最初からうまくいくことはありません。人は皆、成果を上げるには繰り返しが大切である、ということを知っていますが、この繰り返しがなかなかできないのも事実です。あちらに行けば水が出るのではないか、向こうに行けば井戸があるのではないか、と右往左往してみても、結局、水の在処は自分の足元であったりします。「足下(そっか)を掘れ、そこに泉あり」というように、自分の足元を地道に掘っていけば、泉は必ず湧いています。成功を収めるには、自分に与えられた仕事(課題)を最後まで手を抜かずにやる、これしかありません。「一念(いちねん)、道を拓く」の信念の下、仕事(課題)をやり続けることで、自分にしか到達できない泉に出会うことができます。

11月24日(木) 川俣高等学校長

時の物差し

元東京工業大学教授の林雄二郎氏は、経済企画庁職員として、戦後日本の経済復興に係る三か年計画や五か年計画の策定に取り組んでいました。そして、友人である文化人類学者の梅棹忠夫氏から、「こういうことを今のうちにちゃんと考えておかないと、人類は間もなく大変なことになる。」との忠告を受けます。「間もなく」とは何年後のことか尋ねると、梅棹氏は真顔で、「5千万年後のことだ。」と答えたそうです。人は皆それぞれに、時の物差しを持っています。でも、その基準となる目盛りの幅には違いがあるようです。遠い将来に至るまで物事を考える人にとっては、千年刻みの目盛りからなる物差しが必要なのかもしれません。ちなみに、その話を聞いた林氏は、梅棹氏と同じ時間の物差しで考えることができるよう心がけることで、梅棹氏の話が世迷言や空想上のことではなく、現実味を帯びたこととして捉えることができたそうです。

11月22日(火) 川俣高等学校長

目標設定

目標を立てる重要性については以前にも話をしましたが、では、生徒の皆さんは、具体的にどのようにして目標を立てるでしょうか。SMART理論による目標設定を実践している企業があります。Specific(具体的か)、Measurable(測定可能か)、Achievable(達成可能か)、Realistic(現実的か)、Timely(期限が明確か)、という5観点を指標としたものです。目標は最高値に設定すればよいわけではありません。また、目標設定をすることがゴールでもありません。目標達成を何度も繰り返していくことで達成感や喜びを感じ、取り組んでいることに一層のやりがいを感じることこそ大切です。達成感や喜びを感じた生徒の皆さんの存在は、周囲にいる人も幸せにします。今日すぐにでも、何かに対する目標立案を図ってみませんか。

11月18日(金) 川俣高等学校長

心は人

ミヒャエル・エンデの「モモ」という小説をご存じでしょうか。登場人物のモモは、人の話を聴き、その魂の中にあるものを引き出す特異な才能を持つ少女として描かれています。モモと話をすると、自分の心の内を聞いてもらって心が安らぐため、多くの人がモモを訪れます。人は、何かを所有することよりも、人として穏やかに生きることの幸せを知るようになる、こうした内容です。でも、作者エンデは、「一人ぼっちで友だちがいないとき、モモは誰よりも無力。だからこそ、モモには友だちが必要。」とも話しています。モモは、人の心そのもの、なのかもしれません。心と心の交流を必要とする存在、それが人であるとすれば、人は心で生きる、と言えるのかもしれませんね。

11月17日(木) 川俣高等学校長

汗と涙

高校時代に陸上部に所属していたこともあり、三村仁司氏は大手靴メーカーに就職します。一層走りやすい靴を求めて研究したいという希望を持っていたものの、配属されたのは研究室ではなく製造現場でした。靴の底に糊を打ってアッパーをつける作業を、文字通り、額に汗しながら行い、次から次へと流れてくる製品に多く触れているうちに、理屈ではなく、靴作りの基本が自分の体に徐々に染み込んでいくのがわかったそうです。はみ出した糊を削ぎ取り、中敷きを入れ、紐を通すなど仕上げの作業にも従事するようになる頃には、靴と自分の間に距離感は全くなくなり、靴は自分の体の一部であるがごとく感じるまでになったそうです。瀬古利彦選手のシューズの担当となった縁で、三村氏は、瀬古選手の師である中村清先生と知り合い、大きな影響を受けられます。中村先生の「若いときに流さかった汗は、老いてから涙になって返ってくる。」という言葉を受け、若いときに汗を流せば流すほど、後にその結果が表れて喜びとなる、と、常に自らを戒め、仕事に取り組まれたそうです。

11月15日(火) 川俣高等学校長

条 件

目標達成のためには計画立案が大切と言われます。例えば、北海道旅行に行くと仮定します。今回の場合は、北海道旅行が目標となりますが、その過程の選択肢は、交通手段一つを取っても、新幹線や車、飛行機など無数にあります。加えて、道中、楽しんで北海道に向かうのか、最短で行くのかにより、選択する交通手段や経路、旅行に要する日数にも変化が生じます。このように、計画には多くの条件(時には制限)が伴います。まずは、自分の持つ、条件に関するカード(ここで言えば、新幹線や車、飛行機など)を正確に知ることが重要です。そして、その条件の中で有効なカードを使いながら、大きな成果をあげることができるよう取り組むことです。試験で目標とする得点を取ろうとする場合でも同様です。文法や英作文問題で8割以上の正答率をあげることを前提に、英語長文で7割の正解を得るよう学習を進めるなど、手持ちカードの熟知と有効活用、そして具体的な計画により、掲げた目標の達成率は飛躍的に高まります。

11月14日(月) 川俣高等学校長

話す

話の中で、「ていうか」という表現をよく耳にします。「というよりはむしろ・・じゃないか」という本来の使われ方から離れて、今では一般的に、話題の転換を図る際に使われているようです。また、「でも」という言葉は、相手の話を一応は否定しながら、相反することを話す際に使われるはずですが、「でも」の後で、逆説ではない内容が展開されることも多くあります。加えて、「アイドルなら、私は〇〇が好きです。」に対して、「でも、アイドルと言えば▢▢じゃないですか。」と切り返されると、否定を受けたようにも感じられますね。この場合は、「でも」を使うことなく、「そうですね。私は▢▢も好きです。」と返せば、意図は十分に伝わります。日本語は意思表示を曖昧にしたまま、ニュアンスで伝えることのできる言語とも言われています。であるからこそ、その使い方については、もう一度気をつける必要もありそうです。

11月11日(金) 川俣高等学校長

きしん

孔子の弟子である子貢が、井戸から水を汲み、瓶(かめ)に入れて何度も畑まで運ぶ老人に出会ったそうです。はねつるべなどの機械を使えば、わずかな労力で簡単に水を汲める、と忠告すると、その老人は、「機械を持っていると、機械を使う仕事(機事 きじ)が増える。機械に頼る気持ち(機心 きしん)も生まれて、自分はきっと、ますます機械に頼るようになる。そうなったら、私の心はどこに残るのだろうか。」と答えたそうです。「機事ある者は、必ず機心あり」という言葉が生まれました。チャップリンの映画「モダン・タイムス」にも、全てが機械化されていく現代文明に対する風刺が描かれていました。人の歴史は常に機械の発明や発展とともにあります。人類史を織りなしてきたもの、その一つは道具や機械です。身を守るため、生活を守るため、人は機械を作り出した一方で、機心がふくらむことで更なる労働要求がなされ、生活を一層忙しく感じるようになった一面もある、との指摘もなされています。ただ環境に流されることなく、人が本来携える精神を忘れずに意識しながら生きる必要性が高まっています。

11月10日(木) 川俣高等学校長

吹き出し

漫画に見られる吹き出しは、なぜあるのでしょうか。登場人物が話す内容を線で区切ることで、見やすくして読者に伝える側面はあります。でも、一見すると、それはまるで人の吐息のようでもあります。息を吐くことは、生物にとってとても大切なことです。緊張することを「息が詰まる」と表現するように、息が詰まったらリラックスはできません。無意識のうちに息を吸うことはできても、大きく息を吐くには敢えて意識する必要がある、そのくらい吐息は重要です。漫画の世界では、吹き出しによる、息を吐く場面ばかりがあります。漫画を読んで心がリラックスできるのは、登場人物の吐息を感じて、私たち読者も大きく息を吐いているからかもしれませんね。

11月7日(月) 川俣高等学校長

日本では古来より、丁寧に次への準備を進め、1回にすべてをかけて取り組む、との信念の下、行動する一面を持っていました。一度、墨(黒)を塗ったら元の場所へは戻ってはならない、とのこうした感覚を、原研哉氏は本の中で、「日本人の有する白」と表現しています。弓道の世界にある、1本目で当てることを意識しているからこそ、2本目の矢は持たない、といった習慣もまた、一期一会、1回にすべてをかけるという、覚悟にも似た価値観の表れです。全神経を集中し、全力で立ち向かう必要のある、こうした白の瞬間は、日常生活の中にも訪れます。生徒の皆さんは、今日、こうした白の場面に、何度遭遇しましたか。

11月4日(金) 川俣高等学校長

実 行

生徒の皆さんは物事に取り組む前に、失敗しないよう、必要以上に時間をかけてはいませんか。実行して失敗したら、すぐにまた実行する、というサイクルを速く回せることこそ、真の成功を収める近道とされています。失敗したとしても、即座に原因を追究し、改善を施す姿勢が大切です。「失敗したからといって、クヨクヨしている暇はない。」と、本田宗一郎氏も話しています。

11月2日(水) 川俣高等学校長

不易流行という言葉があります。不易とは変わらないことを指すのに対して、流行とは流れ動く、つまり変化を意味します。朱子学の思想が主な時代に生きた松尾芭蕉が、変化を好むことも頷けます。彼は、俳諧の世界に、積極的に連句を取り入れます。連句は、何人かの仲間と膝を突き合わせながら、前の人がつけた句に次の句をつけて答えるものです。次の人は前の句に新たな解釈を与えるので、その句は、前の句とは全く異なる変化を遂げることになります。近代文学を孤独の文学と称する人がいます。いわば個の文学に対して、松尾芭蕉は皆で作り上げる座の文学を取り込んだとも言えます。「秋深き隣は何をする人ぞ」からも、孤独を通じて人とつながろうとする、彼の、そして人の持つ本質が窺えます。

11月1日(火) 川俣高等学校長

先読み

研究とは何か、と問われると、多くの研究者は、自分の持っている技術を意味するシーズ(種)と、社会が求めているニーズを線で結びつけること、と答えます。でもやっかいなことに、シーズもニーズも日々変化します。昨日まで不可能であったシーズが翌日には可能となることもあれば、社会のニーズであったものが、他社の製品開発により、一瞬のうちに不要となることもあります。いわば、動いているもの同士をどうやって結びつけるのか、ということに関わること、それが研究なのです。では、研究で大切にしなくてはならないことは何か。いずれはこうしたことも必要になるだろうとの予測の下、自分のシーズのレベルを磨き上げようとする志を持つことです。加えて、目の前のニーズを追いかけたとしても、時間の経過とともに、あるいは瞬く間にそこからなくなるのであれば、5年先、10年先を見通す先読みの力もまた、同様に大切な要素です。変化の激しい時代であるからこそ、先読みの重要性は一層増しています。

10月28日(金) 川俣高等学校長

課題解決

何らかの不具合が生じた際に、即時にその解決を図ることは重要です。でも、偏った考えや、力を入れ過ぎた状態で事に臨むと逆効果の場合もあります。赤の眼鏡をかけていれば、そこに赤色があっても見逃してしまうように、色眼鏡をとおしてものを見ようとすると、ものごとを素直に見ることができなくなります。また、自分が何とかしようとする強すぎる思いにより、一部のみ見て全体像を把握しようとしない傾向に陥る場合もあります。ものごとを一段異なる次元からじっくりと眺め、冷静さの下、対応することで、改善の可能性は大きく高まります。

10月27日(木) 川俣高等学校長

規格外

宇宙開発は、行ったこともない場所に向けて、動かしたこともないものを1回で完璧に動かすことを求められるなど、過酷なものです。すべて、予測と計算の下で行われる作業に従事していると、どうしても安全志向に陥るのだそうです。「はやぶさ」を打ち上げたとき、3つ搭載した、リアクションホイールという制御装置のうち、1台目が1年後に、2台目が2年後に壊れたそうです。残った3台目も、同時期に同じ設計で作られているため、同じ使い方をすれば近く壊れるだろうし、またそれは、「はやぶさ」をとおした調査研究を、一旦は終えなければならないことを意味する、と考えた宇宙航空開発機構の方々は、熟慮の末、飛行スピードを落とす提案をします。一方、製造メーカーなどからは、飛行スピードを落とすなど規格外のことは、かえって危険度を増す、との意見が出されます。慎重な検討により、同開発機構の提案通り、飛行スピードを落とすことで運用し、結果として、3台目のリアクションホイールは7年間も稼働し続けることとなります。安全志向から舵を切ったことによる、成功事例とされています。後に、このときの決断について問われた際に、「はやぶさ」を提案する10年程前に、当時取り組んでいた小惑星接近計画をNASAに先取りされたことへの意地も少なからずあった、と、同開発機構の関係者の方は話されていました。

10月26日(水) 川俣高等学校長

我が事

私たちは、いわば慣性の法則がごとく、毎回、決められたことの繰り返しをしている場合が多くありますが、そこからは大きな進歩は生まれません。ある企業では、年間に約60万件もの改善提案が出され、検討の後に、その90%が実行されるのだそうです。当然、自社製品の品質向上とコストダウンを図ることができます。見学に訪れた他企業の方が、「どうして、これだけの改善ができるのですか。」と尋ねると、「なぜ、できないのですか。」と、逆質問を受けたそうです。自分の考えが反映されるとなれば、社員の、会社を見る目線にも力が入ります。自分たちが会社のエンジンとなっている、といった自覚も高まります。会社を一層良くする原動力、それは、常に現場にあります。

10月25日(火) 川俣高等学校長

コメント

小説家である壇一雄氏がパリを訪れたとき、街頭で、日本の大きなリンゴと比較して明らかに小さなリンゴを目にしました。フランス在住の友人が勧めるので、半信半疑で一口齧った壇氏は、その美味しさを次のように表現したそうです。「美味しいからと言われて齧ってみると、小さいながら、なにかこう、緻密(ちみつ)な、フクイクとした香気のようなものが感じられた」。実の詰まったリンゴを、硬い、とは表現せず、普段は味に関しては使わない緻密としたところに、言葉の選択の素晴らしさを感じます。フクイクとは、漢字で馥郁と書き、いい香りが漂う様を言うのだそうです。馥の右側の字は、ふっくらとした、という意味を含んでいるため、香を加えて「フクイクとした香気」とすることで、その様子が手に取るように伝わりますね。何かを問われたときに、咄嗟に含みのあるコメントで応えることができたら、周囲の人を和ますことができる、と、いつも思っています。

10月24日(月) 川俣高等学校長

3人寄れば

会社では、改善提案を求められる場合がよくあります。一人で考えることもできますが、複数人で考えると、様々な意見の集約ができる環境が整います。いわば、3人寄れば文殊の知恵作戦です。改善提案には、課題に気づき、その改善策を考え、それを形にして実行する、という3つのプロセスを必要とするので、3人がそれぞれ得意とする分野を担当することにより、一層効果的な取組にすることができます。「孤立した状態では実力を発揮しにくい人も、組織された社会において、その不足を補填できる」という、心理学者アルフレッド・アドラーの言葉もあります。お互いを支え合うからこそ、大きな成長や成功がもたらされます。チームとは、助け合い、補い合いながら成長を遂げる場なのです。

10月21日(金) 川俣高等学校長

過 去

私たちの経験値は、過去にどう対処したかを拠り所として高めていく側面があります。でも、変化の激しい時代に過去の成功事例にだけとらわれると、それが原因で大きな失敗につながる場合もあります。世の中が変化の中にある現在、過去の蓄積である常識が変容を遂げています。今後は一層、変化に対応する力が求められます。それは、一つには、変化を予想し、どのように対応すべきかを考える柔軟性であり、また一つには、既存の常識を覆す挑戦をとおして不可能を可能にする、本質を見極める力です。本質を見抜いて自分の中で単純明快化し、一つひとつの事象に立ち向かい解決していく過程は、難しいと感じる以上に、むしろ楽しいことにも思えます。

10月20日(木) 川俣高等学校長

PDCA

今では一般的な表現となったPDCAサイクルですが、この言葉が世に出た当初には、本来「Plan計画、Do実行、Check評価、Action改善」であるべきところを、「Plan計画、Delay遅延、Apology謝罪、Action改善」と読み間違えていた人が多くいたそうです。それほど、計画した通りに事は進まない、という現実がありますが、最も問題となるのは、Do実行にあります。やればそれでいいのか、と問われると、そうではありません。やり切ることに意義があります。中途半端で投げ出すことなく結果が出るまで実行し、ダメであれば、ダメな結果を正面から受けとめることが、真の改善につながります。ある種の執念とも言える「やり切る力」は、将来の成功に欠かすことのできない要素です。

10月19日(水) 川俣高等学校長