令和4年度

灌 木

志賀直哉氏に師事していた作家の尾崎一雄氏は、何も書けない一時を過ごします。迷いに迷って、志賀直哉氏を頼り奈良に行き、厳寒の真夜中に鷺池のほとりに立ったとき、「我れ無一物」と痛感するとともに、頭の中で、何かが豁然(かつぜん)と拓けるのを覚えたそうです。それは、今すぐにでも、志賀直哉氏の域に達しようと背伸びをしていた自分の姿に気づいたためです。「志賀先生を亭々(ていてい)とそびえ立つ松とすれば、今の自分は小さな灌木(かんぼく)。でも、松には松の、八ツ手には八ツ手の生き方がある。」との悟りの境地であった、と、後に尾崎氏は話しています。人はそれぞれ、異なる環境に生まれ、異なる性格や考え方の下、成長します。そして、そのすべてが、個性として尊重されます。志賀直哉文学とは異なり、尾崎一雄文学は、庶民的とも呼べる、市井の夫婦の哀歓を描く作品を世に送り出すことで、その輝きを放つことになります。

12月26日(月) 川俣高等学校長