令和4年度

大相撲力士の四股名には、海や山が多く使われていますが、意外にも川の付いた四股名はあまり見られません。これを日本人の川離れと結びつけて指摘したのが、以前に関東学院大学工学部の教授であった宮村忠氏です。かつて、海や山と同じように、川が日本人の郷土意識と強く結びついていた時代、たとえば、名横綱双葉山が全勝優勝した昭和18年頃には、山の付いた力士が5人、海の付いた力士が2人に対して、川を四股名にした力士も3人いるなどしました。それが徐々に少なくなった理由として、山は動かないが川は流れてしまう、という、相撲界のゲン担ぎの要素もあったようです。でも、川の復権活動にもなると考えた宮村教授は、学生も巻き込んで研究室一丸となり、勝手に、川の四股名の力士の応援を始めたそうです。大学の先生は、発想も行動も興味深いですね。ちなみに、かつて、北海道十勝地方出身で大関昇進を果たしたある力士に、地元の方々から、十勝川という四股名にしてほしいとの強い要望が出されたことがあったそうです。十勝川は、広大な十勝平野を貫き流れ太平洋に注ぐ大河で、多くの人に慕われています。でも、結果として、十番しか勝てなくなる、との落語にも似た理由により、その四股名にはしなかった、という話もありました。

2月20日(月) 川俣高等学校長