令和4年度

木 鶏

戦前の名横綱である双葉山が69連勝という記録を打ち立て、70連勝目をかけて安芸ノ海との取組に臨んで負けたとき、師事していた陽明学者の安岡正篤氏に宛て、「我、いまだ木鶏に及ばず」と電報を打ったそうです。木鶏とは、「荘子」にある「之ヲ望ムニ木鶏ノ似(ごと)シ」からの言葉です。王が、自分の鶏を相手の鶏と闘わせる状態かどうか尋ねた際の、闘鶏育成の名人である紀省子が話す4つの答えが示されています。①「今は空(から)威張りの状態です。」②しばらくして、「まだ、相手を見ると必要以上にムキになります。」③十日待たされて、「まだ、相手に対して嵩(かさ)にかかります。」④「もう、他の鶏の鳴き声を聞いても平気です。徳が充実しています。相手を、まるで木で作った鶏としか思っていません。相手は、闘わずして逃げ出すことでしょう。」 この4つの話には、それぞれ、①競争心を駆り立てぬこと②自分を、自分以上に見せぬこと③辺りを気にしないこと④静かに自己を見つめること、という教訓が含まれています。自己を厳しく見つめながらも冷静な判断ができる、双葉山の優れた一面を知ることができます。ちなみに、双葉山は少年時代に、遊び友達が放った吹矢が右の眼にあたり、視力を失っていたにもかかわらず、その友達を全く責めることもなく、また、そのことを誰に話すこともなく土俵に上がり続け、努力の下、横綱という名誉な地位を築いたことでも知られています。

12月21日(水) 川俣高等学校長