令和4年度

校長より

便利の裏側

ホノルルのタクシー運転手の間では、タクシーを利用する日本人観光客のことがよく話されるそうです。ホノルルのタクシーの場合、ドアは手動で開閉するため、降りた後で利用客がドアを閉めることになっていますが、自動ドアに慣れている日本人は開けたまま立ち去ってしまうため、運転手がその都度、ドアを閉めに外に出るのだそうです。文化の違い、と言ってしまえばそれまでですが、こうした自動ドアは、人の精神にも影響を及ぼす、と指摘する文化人類学者もいます。押し開き型のドアが多かった以前には、向こう側にいる人を押しのけることのないよう、自然に注意を払うなどしていたものです。また、ドアを通り抜けた後には、次の人のために、手でドアを押さえるなどして待つ心遣いもありましたが、こうした「後姿のモラル」とも言える気持ちや行為は、自動ドアでは必要としないため、人の心に何かしらの影響を与える、という指摘です。生徒の皆さんも、生活の中で少しだけ、自分の周囲の存在に意識を向け、心配りをしてみませんか。

4月7日(木) 川俣高等学校長

新たな学び

新年度は、人との新たな出会いのときです。またこの時期は、人から教わったりすることも、人に教えたりすることも多くあります。そして、こうした営みをとおして、自分の考えや人生観など、自らの進む道を再認識する機会でもあります。自分の道を真っすぐに進むことは人生の基本です。そのためにも、イギリスの哲学者ベーコンがいうように、「書を読むことは充実した人を作り、議論をかわすことは覚悟のできた人を作る。」という考えを念頭に置く必要がありそうです。これは、「玉 磨かざれば器を成さず、人 学ばざれば道を知らず。」という考えにも通じます。

4月6日(水) 川俣高等学校長

出口の発想

昔のデパートには1階にトイレがなく、2階以上に設置されていることが多くありました。これは、デパートはお客様に物を提供するところである、という考えの下、使用頻度の高かったトイレの位置をあまり考慮しなかったことによるものと言われています。ちなみに、1階にトイレを設置してみると、多くの客が店に足を運ぶようになり、トイレが人集めの財産であったことがわかりました。昔の東京駅も、必要性の高いトイレについては考えることなく、人を乗せたり降ろしたりする、いわば本来業務を優先して拡張を図ったことにより、トイレの位置がわかりづらくなり、特に外国人の旅行客には不評だったそうです。デパートでいう物を提供することや、駅でいう人の乗り降りなど、本来業務を「入口」とするのであれば、本来業務に付随して存在するトイレは「出口」となります。でも、建築においてもそうであるし、また、文化においても、この「出口」から発想を展開することは重要です。夏に涼しい風を欲するのであれば、まずは木陰を作ってくれる木を植える、また、良き友人を得たいと思うのであれば、まずは心豊かになるためにも本を読む、など、生徒の皆さんも、日常生活の中に、出口の発想を多く取り入れてみませんか。

4月5日(火) 川俣高等学校長

不 安

人は他者からの評価を気にする生物です。いい評価を得た場合には取組の励みにもなりますが、逆の場合には、特に気持ちの落ち込みが大きくなり、モチベーションにも影響が及ぶなど、結果として不安も増します。でも、自然科学には動的平衡という言葉があります。常に動いている(評価の幅が大きい)のに、平均すると平衡状態にある、というこの現象と、日々の取組は類似しています。他者からの評価によっては誰もが感じる不安、その不安を楽しむくらいの気持ちを少しだけでも持てれば、毎日学ぶことで、多くの知識を手に入れることができます。学びから知識を得る、楽しい学問の旅を体験できます。

4月1日(金) 川俣高等学校長

小さな幸福

人が生活を送るとき、喜びとともに、悲しみや苦しみを伴う場面が多くあります。それらを乗り越える力を求められますが、でも、ちょっとした心の拠り所がほしいのも事実です。そんなときには、周囲にある小さな幸福を感じてはみませんか。黒田三郎氏は私たちに、次のような詩を送ってくれています。「秋の空が青く美しいというただそれだけで、何かしら、いいことがありそうな気のする、そんなときはないか。空高く噴き上げては、むなしく地に落ちる噴水の水も、わびしく梢をはなれる落葉さえ、何かしら喜びに踊っているように見える、そんなときが。」

3月30日(水) 川俣高等学校長

個性の伸長

自分の個性を大切にすることは言うまでもありません。作家の水上勉氏は、著書「働くことと生きること」の中で、大工である父親が言った言葉を次のように表現しています。「近頃の大工は、何もかも機械でやるから、機械にかからぬ材料は捨ててしまう。曲がった木は機械にかからん。曲がったものが重宝する場所にも真っすぐな材料で済まそうとするから、建材はすぐに壊れる。山にはそれぞれの事情によって、曲がった木や曲がらぬ木が生えている。曲がった木が悪くて曲がらぬ木がよい、というはずはない」。この言葉、よく理解できますね。

3月29日(火) 川俣高等学校長

花は咲く

マラソンの瀬古利彦氏の恩師である中村清監督が、瀬古選手とともに知床半島を訪れたときのことです。人が足を踏み入れたこともなさそうな山奥に向かうと、ひっそりと桜の花が咲いていました。心が洗われるようなピンクの花を目にした中村監督は、「この桜は、人が見ようと見まいと、きちんと花をつけている。お前も、人が見ていようと見ていまいと、一生懸命に練習しなくてはいけないよ。つらい練習もそうだが、充実した練習だと感じても、それは敢えて人に見せるものではないよ。」と、瀬古選手に話したそうです。人の目に触れずに取り組み、そして努力すること、また、精一杯の営みに徹し切ることは、ある意味、とても辛いものですが、私は思うのです。人知れず陰で取り組んでいたとしても、どこかで誰かが、そうした努力する姿をそっと見ていて、その人の記憶にとどめているのではないか、と。

3月28日(月) 川俣高等学校長

峠を登る

詩人である真壁仁氏の「峠」の一節には、「峠に立つとき、過ぎ来し道は懐しく、開け来る道は楽しい。人はそこで、一つの世界に別れねばならぬ。」とあります。生徒の皆さんが進級をするとき、あるいは卒業をするときの心境に似ているでしょうか。峠に立ち眺める光景は、きっと皆さんを爽快な気分にしてくれるし、顔にあたる風は心地よいものであると思います。峠を登ることは苦しみを伴いますが、それを乗り越えたときに、自らの成長を実感できるのだ、とも思います。一つの峠(目標)を越えれば、また新たな峠越え(目標達成)が待っています。生徒の皆さんは今、どんな峠を登っていますか。峠を登る自分の姿は見えていますか。そしてこれまでに、いくつの峠を越えてきましたか。これから、いくつの峠を越えるのでしょうか。

3月25日(金) 川俣高等学校長

知識や情報の活用

生徒の皆さんは、日々学ぶことで多くの知識を蓄え、そして様々なツールをとおして、日々多くの情報を得ています。でも、その知識や情報を活かすことについては考えているでしょうか。儒学者の貝原益軒は慎思録の中で、「知っても、これを行わなければ知らないのと同じである。」と述べています。知識や情報に生命を吹き込むのは、生徒の皆さん自身です。それらを自分のものとするためにも、一歩進んだ取組をしてみませんか。

3月24日(木) 川俣高等学校長

精神の根本性能

生徒の皆さんは何かに取り組んだときに、この位でいいや、と思い、その取組を終えてしまった経験はありませんか。自分の豊かな能力や開ける未来を、早期に見限ることにもなりかねないこうした気持ちは、人の持つ向上心にとって大きな障害となります。物質の根本性能は重力として下に向かうのに対して、精神の根本性能は重力に抗して上に向かいます。これまでの人の進歩を支えてきたもの、それこそ向上心なのです。常に一段上を目指し、歩みを進めたいものです。

3月23日(水) 川俣高等学校長

努力の継続

「結局、まだこれからしばらく生きないと、調子が出てこないね。年をとればできるかと思ったら、努力が足りないのか、なかなかできないね。年齢はたくさん生きても、努力が続かなければだめなんだね。」これは、テレビの取材を受けた際に、陶芸界の第一人者であった加藤唐九郎氏85歳のときの言葉です。加藤氏は次のようにも述べています。「ま、これから勉強して、ものになるつもりでおるんですがね。年齢は別にして、結局、まだ未熟なわけですわ。」さて、生徒の皆さん、私たちが通常よく口にする「努力している」という言葉、本当の意味で努力しているのでしょうか。加藤氏の言葉から考えさせられることは、かなり多くありそうです。

3月22日(火) 川俣高等学校長

東日本大震災のあった年に、1年間を象徴する言葉として選ばれたのは絆でした。その2年後には、輪という言葉が選ばれます。未曽有の大災害をとおして、11年間にわたり、特に福島県に住む私たちにとって、友人や知人、そして家族の絆の在り方、また、人の輪の大切さを考えさせられる機会が多くありました。人を思い、そして、人に思われる。人は、周囲の人に支えられ存在しています。生徒の皆さんは、教師である私たちに支えられることもあり、また、私たち教師は、生徒である皆さんの存在に支えられることが多々あります。私たち教師は、生徒の皆さんとの絆を感じ、それを生き甲斐としています。そして、皆さんの家族もまた、皆さんとの絆を感じたい、と切に願っています。特に春季休業中は、家族の絆について真剣に考えることのできる期間です。新年度にやりたいことについて、自らの進路について、また、自分の今考えていることについて、家族の方々とたくさん話をしてほしいと思います。

3月18日(金) 川俣高等学校長

継 続

一日のわずかな努力でも、長期に継続することで大きな実を結ぶことはよく知られています。吉田松陰も次のように述べています。「一日一字を記さば、一年にして三百六十五字を得、一夜一時を怠れば、百歳の間に三万六千五百時を失う」。こうした考えが、日々努力する背中を押してくれているのも事実です。生徒の皆さんも、成果を信じて確かな歩みを進めてほしいと思います。

3月15日(火) 川俣高等学校長

サン・テグジュペリの著書「星の王子さま」に、「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目に見えないんだよ。」という表現があります。欲にこだわって生きる多くの星の大人は、ものの真の姿を見ることができなくなっている、このことを知ったときの王子の言葉です。心で見るためには、欲のない、わだかまりのない、純真な心を持つことが必要です。本質(目に見えないもの)を見極めることは難しいことですが、やってみる価値はありそうです。

3月14日(月) 川俣高等学校長

今日という日

今日を疎かにしておきながら、明日はどうなるか、と気にする人がいます。今日の挑戦が明日問われる、ということを忘れてしまいがちですが、大切なのは、力の限りを尽くして今日を生きることです。明日のことは、明日になってみれば自然にわかります。生徒の皆さんも、今日を精一杯生きてみませんか。物理学者ニュートンも、「今日、できる限りの全力を尽くしなさい。そうすれば、明日は一段の進歩がある。」と述べています。

3月11日(金) 川俣高等学校長

迷い

何かを成し遂げようとするとき、迷うことなく目標を達成できることはめったにありません。高い目標であればあるほど、人はあれこれと迷い、そして悩むものです。ゲーテのファウストにも、「人間は努力する限り、迷うものである。」と述べられています。迷いこそ生きている証であり、迷ったあげく目標に到達するところに大きな価値がある、とも言えます。生徒の皆さん、迷うことを苦に思わないでください。迷い、それは真剣に努力しているからこそ存在するのです。

3月10日(木) 川俣高等学校長

失敗と成功

結果を伴うことに挑戦するとき、人は、どうしても失敗を恐れる傾向にあります。だから、「失敗は成功の母」や「禍転じて福となす」など、励ましの意味を込めた表現が多く見られます。そういえば、同じ結果を得たとしても、ある人は成功と感じ、一方で失敗と感じる人もいます。それは、目標をどこに置いていたのか、または、その取組の過程において、どのくらい本気度を高めて取り組んだのか、によるものだと思います。いずれにせよ、仮に、一時失敗しても、人にはやり直す時間はたくさんあるし、また、人はそうする力も備えています。「我らのつとめは成功にあらず。失敗にたゆまずして、さらに進むことなり。」という言葉もあるように、前向きな取組の継続を図ることこそ、成功につながる近道であると思います。

3月9日(水) 川俣高等学校長

しぐさと文化

私たちは人を呼ぶときに、上から下に手をヒラヒラとさせますが、海外では多く、下から上に動かすことで人を呼びます。これは、例えば、上から下に流れる滝を美的鑑賞する日本人の感覚と、下から上に噴き上げる噴水を楽しむ海外の感覚との違い、とする人もいます。そういえば、軒を上から押さえる日本の瓦屋根と、下から天に向かう西欧建築の塔にも当てはまります。また、足を踏みしめる日本の舞と、上に跳躍する西欧の舞踏もそうですね。数年単位ではなく、永きにわたる文化的背景や習慣により生じる考えや行動、この比較をしてみるのも興味深いことです。

3月8日(火) 川俣高等学校長

生きる、そして生かされる

生徒の皆さんは、エッセイストの大石邦子さんをご存じでしょうか。彼女が半身不随となり、病室で2度目の春を迎えたときのことです。会津若松の鶴ヶ城に咲く3千本のソメイヨシノを見ているうちに、急に大きな孤独感がこみ上げてきて、大石さんは大声をあげ、手当たり次第に物を投げつけ始めたそうです。疲れ果てて物を投げる気力がなくなったとき、駆け付けていた看護師さんは、「ちょっと桜を見てこようか。」と、そっと優しく声をかけ、大石さんに背中を向け、大石さんをおんぶして外に出たそうです。看護師さんの背中の温かみが伝わると、麻痺した体が溶けていくように感じた、と、後に大石さんは話されています。そしてそのとき、両親や親戚、友人など多くの方々の顔が浮かんだそうです。何と多くの人に支えられて自分は生きているのか、このことが大石さんに力を与えます。生きることは、周囲の方々に生かされることと同意だ、とも感じたそうです。多くの命の絆に結ばれて、生き、そして生かされる。生徒の皆さんも、そうしたことを感じる瞬間があるかもしれません。

3月7日(月) 川俣高等学校長

日本と雪の関係は深く、そのことは、雪に関する言葉の多さからもうかがえます。綿をちぎったようなふんわりとした綿雪(わたゆき)、牡丹の花に似た牡丹雪(ぼたんゆき)、細雪(ささめゆき)は、雪が細かく降る様子を言います。斑雪(はだれ)は、春先に降った雪が地肌にまだらになっている状態を指し、また、きめ細かく降り積もり、しまった感じのしまり雪、木の枝などに、まるで紐のように垂れ下がった雪紐(ゆきひも)、電線に積もった雪が凍り付いて、電線を包む筒状になった筒雪(つつゆき)という言葉もあります。門柱などに積もり帽子を被ったように見えるのは冠雪(かんむりゆき)と表現します。降り過ぎる雪には大変なことも多く生じますが、雪には、日本の情緒を感じる側面もあります。

3月2日(水) 川俣高等学校長

機械科閉科式

本日3月1日には、本校において卒業証書授与式が行われます。それに先立ち、昨日には、本校機械科の閉科式が開催されました。その際にお話したことを掲載いたします。

私たちの周囲には様々なものがあり、それを使うことにより、私たちの生活は一層豊かになります。人の役に立つものづくりができるよう、そのための考え方や方法を学ぶ場所、それが機械科です。ものづくりには、技術の向上を図ることに加え、従来存在するものを別の観点から見て、よりよいものとするための発想力も求められます。そうした柔軟な考えや、その考えを形にする技術を身に着けるべく、機械科の生徒の皆さんは、日々学習に、そして実習に励んでこられたことと思います。本校の開校以来113年のうち、78年間を共に歩んできた機械科、そして、地域から支援をいただきながら、その地域と共に成長してきた機械科が、今年度をもって閉科となり、その歴史に幕をおろします。機械科に寄せられる期待は、川俣高等学校に寄せられる期待でもあります。ものづくりの精神を守るためにも、次年度以降も、普通科の生徒の皆さんを対象に、工業に係る基本的な選択科目を設定するなどして、川高機械科魂の継承を図ります。

3月1日(火) 川俣高等学校長

試 練

明日3月1日には、卒業証書授与式が行われます。本校から巣立つ3年生に、孟子の言葉をとおしてメッセージを送ります。「天が人に対して重大な任務を与えようとするときには、必ず、まずその人の精神を疲れさせ、行動(することなすこと)を失敗させ、しようとする意図と食い違うようにさせるものである。これは、天がその人の心を発憤させ、性格を辛抱強くさせ、今までにできなかったことも、できるようにするための貴い試練である。人は苦しみ思案に余って悩み抜いてこそ、はじめて発憤して立ち上がり、そして、その煩悶や苦悩が顔色にも表れるようになってこそ、はじめて解決の方法を心に悟るのである。」確かに厳しい言葉です。でも、試練は誰にでも訪れるもの、であれば、重大な任務を自分に与えてくれる天(会社)に感謝して、これまでの先人(先輩)もそうであったように、その克服を図るべく全力で取り組んでみませんか。1年後に振り返ったときに、間違いなく、1年前の自分を褒めてあげられるはずです。

2月28日(月) 川俣高等学校長

 

人の教え

書家の相田みつをさんは、兄からの言葉に大きな影響を受けたそうです。相田さんが旧制中学4年生の頃に、家計を助けるべく刺繍をしながら兄が相田さんによく話したこと、それは無抵抗の人をいじめることは最低だ、ということでした。また、相田さんの足先を指さし、「お前の足袋(たび)には穴があいているけれども、そのことは一向に恥ずべきことではない。その穴のために、心が貧しくなることの方が恥ずかしいことなのだ。その足袋の穴から、いつもお天道様を見ていなさい。」とも話したそうです。人生を生きる以上は、自分の心の底から納得できる生き方をしよう、との兄の話があったからこそ、相田さんの作品からは心地よい温かさを感じるのかもしれません。言葉の持つ力は、私たちの想像以上に大きいとも言えます。

2月25日(金) 川俣高等学校長

無用の用

以前は、家族数も多かったことから家も大きく、部屋数も多くあったものです。必然的に、家の中には使われない部屋も存在していました。小さな子どもの感覚でいえば、そうした部屋には一体何があるのか想像してみたり、時には恐怖心を抱くなどしていたものです。今では、不要なものはできる限り取り除かれ、周囲には必要なもののみ存在するようになりました。必要に慣れ切った生活をしているために、不必要で無駄とも思えるものと偶然遭遇すると、戸惑う一方、でも、人生に係る貴重な問いや反省、想像する喜びや刺激などを受ける場合もあります。私たちの心の中に、こうした無用の用的存在を許容することは、自分の価値観を高めるためにも必要なのかもしれません。

2月22日(火) 川俣高等学校長

支 援

人は誰かに支えられて生きています。でも、通常、そうした支援を意識することなく、私たちは生活を送っています。では、そうした支援のありがたさを強く感じるときはいつでしょうか。その人が去った瞬間です。これまで何の問題もなく生活を送ることができた一面には、そうした陰からの支えがあったことを痛感します。人との別れは実にさみしいものです。でも一方で、そうした支援を受けずとも、十分に独り立ちできるとの判断から、その人は去ったのかもしれません。そう信じたい、とも思います。生徒の皆さんの周囲にも、そうした支援を送ってくれる存在の方が多くいます。皆さんを守ってくれています。そのことに感謝するとともに、是非、皆さん自身にも、周囲の人を支える存在になってほしい、と願っています。

2月21日(月) 川俣高等学校長

独創性の原点

ファッションに興味を持つ人は多いと思いますが、イメージとは異なり、その創造の過程は実に地味なものだそうです。デザイナーのコシノ・ジュンコさんは、新しいものを創造する際に最も重要なこととして、まずは、目の前のものを一つ一つ丁寧に見る目、を挙げています。現存するものをしっかりと捉えることに時間をかけ、その後に、その色や形、使う場面や使用する人にまで、徐々にそのイメージを広げていくのだそうです。独創的な発想は、現在の自分とかけ離れたところにあるものではなく、むしろ、身近な日常の中に存在しているのかもしれません。

2月18日(金) 川俣高等学校長

SNS疲れ

スマホユーザーが増えるにつれて、SNS疲れを感じる人の割合も増加しています。ある調査によれば、SNS疲れの経験があると答えた人は全体の42.7%、20代女性では65%にもなった、とのことです。SNSは心理的距離を縮めるのに大きな効果を発揮する一方で、その距離感が近くなりすぎると、トラブルの原因にもなります。そういえば、心理学では、ヤマアラシジレンマという概念があります。寒さの中、2匹のヤマアラシがいます。離れていると寒いので近づこうとすると、お互いの針が相手に刺さって痛みを感じます。離れたり近づいたりを繰り返しながら、ちょうどよい適度な距離感を見つける、といったものをそう呼びます。私たちが日常生活を送る際にも、こうした概念を念頭に置く必要がありそうです。

2月17日(木) 川俣高等学校長

守破離

茶道や武道などにおける学びの姿勢を示すものとして、守破離(しゅはり)という言葉があります。守とは、型を守り基本に忠実に行うこと、破とは、型を破り創意工夫により他のやり方を学ぶこと、そして離とは、型を離れ独自性を打ち出すなど新たな型の創造を図ること、を表現しています。この考えを、4月より社会人となる3年生の皆さんに当てはめると、次のようになると思います。守として、仕事の基本を学び、言われたようにできるようにする。破として、教わったことに加えて独自に学ぶなどして、新たな仕事の領域に挑戦する。離として、教わったことを発展させたり応用したりして、自からの取り組み方を開発する。時間はかかるかもしれません。むしろ、時間をかけてもいいのです。社会人として常に念頭に置き、確実な歩みを進めてほしいと思います。

2月16日(水) 川俣高等学校長

新しい出発

水上勉氏は、9歳で親元を離れお寺に入るなど、様々な経験をされた後に作家になられた方です。彼のエッセイ「くも恋の記」には、「心構えについて、たった一つだけ言っておきたいことがある。それは、挫折は何度でもやって来る、ということである。社会というところは、人生に挫折を与えるよう仕組まれている。この挫折という危機を越える人は大きくなる。一つ一つ、自分の劣等感を克服するチャンスを与えてくれる挫折は、まさしく新しい出発にもなる。」と記されています。誰もが経験したくはない挫折に、新たな出発点という意味合いが含まれていると知れば、その克服を図るエネルギーも湧いてきます。

2月15日(火) 川俣高等学校長

大器晩成

作家の深田祐介氏は、26歳のときに小説「あざやかな人々」で文学界新人賞を受賞しますが、その後、苦労の時期が長く続きました。会社勤めをする一方で、悩みながらも休日には原稿用紙に向かう生活を続けていた深田氏に対して、親交のある作家井上靖氏は、「20代で成功を収めるという意識を断ち、しばらくは筆を折って、もう一度チャンスがあったら出直すくらいの気持ちでいいんじゃないか。」とアドバイスを送ったそうです。深田氏が再びペンをとったのは40歳のとき、そして、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したのは44歳のときです。「天才でもない自分が晩成するというのは、たとえ挫折という精神的な苦痛を経ても、愚直なまでにこだわりを持ち続け、自分の能力を開花させる技術を磨くことにつきる。」と、彼は話しています。私たちの生き方にも、大いに参考になる言葉です。

2月14日(月) 川俣高等学校長

五十歩百歩

孟子による有名なたとえ話「五十歩百歩」は、生徒の皆さんもよく知っていることと思います。五十歩と百歩のどちらも逃げたことには変わりがない、という意味で、大差ないことを指す比喩として使われる表現です。もちろん、その意味は十分に理解した上で、あらゆる場面で程度の差を完全否定することへの、少しだけ躊躇の念があるのも事実です。人が行うことには、完璧ということはあまりありません。完璧とは言えない小さな努力にも、大きな意味があります。「5ではないという点において、2も3も同じである。」という論理は、成り立たない場面も多くあるのではないか、とも思います。特に、教員である私たちには、常に持つ必要のある概念なのかもしれません。

2月10日(木) 川俣高等学校長

人は一人では、その力を十分に発揮するのに限界があります。そうしたときに頼りになるもの、それが人間関係です。社会学者ポール・アダムスによれば、人間関係は親しい順に、「親友、相談相手、癒し手、仲間、協力者、情報源、知り合い」の8パターンがあると話しています。そのうち特に、親友、相談相手、癒し手の3者を強い絆と捉えており、その数は、多くて15人程度だそうです。生徒の皆さんの周囲には、そうした絆を築いている人が何人いますか。今現在、15人はいなくても、何の心配もいりません。将来において、強い絆を築くことのできる余地が残されているわけですから。

2月9日(水) 川俣高等学校長

曖昧さ

電車に乗ろうとして目の前でドアが閉まったとき、あなたはどういった表情をするでしょうか。作家の椎名誠氏は、「アメリカ人は大げさなアクションで残念だと表現し、イタリア人は「何という不運」と激しく嘆いてみせる。ドイツ人は無表情に電車を睨みつけ、中国人は「次がある」と泰然自若そよとも騒がぬ。」と、随分以前の本に書いています。もちろん、それぞれの国民の方すべてに当てはまるわけではありませんが、国民性の一端は反映されているのかもしれません。では、日本人はどうでしょうか。椎名誠氏は、「ニヤニヤ笑う。」と表現しています。このニヤニヤの裏に隠された不確実な曖昧さが、周囲の人にはわかりづらい、とも指摘されています。知らず知らずのうちに、私たちも多く、こうした表情をしているのかもしれません。曖昧であることが大きな誤解を生じさせる場合もあります。恥ずかしさ故のこうした表情であったとしても、少しでも見直す努力は必要なのかもしれません。

2月8日(火) 川俣高等学校長

青春と老い

「若さとは、人生のある時期のことを指すではなく、心の在り方を指すのである。」こう言ったのは、実業家であり詩人のサミュエル・ウルマンです。彼は、「人は歳月を重ねたから老いるのではなく、理想を失うときに老いるのである。歳月は皮膚にしわを刻むが、情熱の消滅は、魂にしわを刻む。」とも述べています。そして、「若くあるためには、易(やす)きに流れようとする心を、叱咤する冒険への希求がなければならない。大地や人から、喜び、勇気、崇高さを感じる限り、その人は若いのである。人は、その信念に比例して若くあり、疑いに比例して老いる。」など、とにかくエネルギーに満ちた表現を多く残されました。ちなみに、こうした言葉を世に残したのは、彼が80歳のときです。まさに、80歳にして青春です。生徒の皆さん、10代で老いる考えなど持ちたくはありませんね。

2月7日(月) 川俣高等学校長

天気予報

かなりの確率で的中する天気予報ですが、天気は生活にも深く関係するので、人は以前から、暮らしの中で培った経験により天気を予想していました。例えば、山が近くに見えると雨になる、と、よく言われます。これは、大気に多量の水蒸気が含まれると、遠方の山が見えにくくなるために引き起こされる、視覚的・心理的現象とされています。また、朝やけの後には雨が降る、というのは、空気中に水分の微粒子が多いときに生じる現象が朝やけなので、朝やけが見えると大抵、昼頃までに雨が降るのだそうです。加えて、星がチカチカすると雨、というのもあります。大気中の温暖な空気層と寒冷な空気層を星の光が通過すると、光が屈折します。この現象は低気圧が接近しているときに起こるので雨が近い、とされています。昔の人は、経験から知識を作り上げる名人ですね。

2月4日(金) 川俣高等学校長

人に好まれる

性格心理学を研究されていた東京都立大学託魔武俊教授は、周囲から好まれる人の本質を次のように分析されていました。「総合的に見て、好まれる人には2種類あります。1つは、心の底から湧き出るエネルギーがあり、明るく積極的に生きていこうとする意欲を持つ人です。これを前向きの構えといいます。もう1つは、内面を見る目を持つ人です。静かに自らを凝視し、自分はこれでいいのか、常に自らに問い質す姿勢を持ち合わせている人です。」言われることはよく理解できるものの、実際に取り組もうとすると、難しそうですね。でも、毎日少しずつでも実践を図ろうとすることこそ、大切なのかもしれません。

2月2日(水) 川俣高等学校長

失敗後の対処

茶人である千利休のところに豊臣秀吉が訪ねてくるため、総出で準備をし、すべてが整ったそのときに、小坊主が花を生ける器の花生(はないけ)を落としてしまい、その口のあたりにひびが入ってしまったそうです。別の花生を用意する時間もなく、思案した千利休が取った行動、それが、花生のふちを縁側の端に叩きつけ、さらに大きく斜めにひびを入れ、その裂け目に花を生ける、といったものでした。その風情は、また違った新鮮な美しさを醸し出し、豊臣秀吉を大いに喜ばせたそうです。失敗を積み重ねてこそ人は大きくなれる、といいます。加えて、大切なのは、失敗の後の対処の仕方です。冷静な判断の下、これまでの経験を結集した対応ができれば、想像もしなかった良い結果をもたらすことにもなります。

2月1日(火) 川俣高等学校長

体 格

時代を追うごとに、人の平均身長は伸びていると考えがちですが、意外にそうではありません。桃山時代まで、日本人男性の身長は平均160センチ以上あったとされていますが、江戸時代になると徐々に低くなり、最も身長の低いときが幕末で、155センチであったとの調査もあります。その要因として、江戸時代の肉食禁止措置や雑穀中心の食事等により、人が慢性的なタンパク質不足に陥っていた、という時代背景が関係しているようです。ある事象には必ず、それを引き起こす要因があります。生徒の皆さんも、周囲にある事象に目を向けてみてください。それは、偶然にそこにあるのではなく、確固たる理由の下、そこに存在しているのです。

1月31日(月) 川俣高等学校長

知識と情報

生徒の皆さんは授業をとおして新たな視野が広がったときに、心の底から喜びを感じると思います。知識は生きる上で大切なものであり、また、自らを守ってくれるツールでもあります。そして、知識を吸収する際には多くの情報を必要としますが、ネットに溢れるそれは玉石混淆であり、中には強い思い込みによる偏った主張も含まれているのが現状です。自らの判断を適切に行うためにも、情報の内容を見極める力が求められています。そして、問題の背景に横たわる本質を追求するためにも、本校の授業をとおしてそうした力の育成を図るなど、知的探求心を常に持ち続ける生活を送ってほしいと思っています。

1月28日(金) 川俣高等学校長

親 指

英語では、He has eight fingers.と表現することがあります。数が合わないのは、親指をthumbという別の語として扱うことによるものです。日本語では、その表現からもわかるように、親指を重視する傾向がある一方で、英語圏では、thumbはfingerほどには思われていないようです。His fingers are all thumbs.とは、「彼は不器用です。」という表現であることからも、そのことがうかがえます。どうしてそうした表現を使い、どうしてそうした意味を持つようになったのか、その歴史的・文化的背景を知ることで、一層、知識の深化を図ることができそうです。生徒の皆さんも、身近な言葉から、文化の違いを感じ取ってみませんか。

1月27日(木) 川俣高等学校長

今しかできないこと

作家の沢木耕太郎氏が、過去を振り返って話をされたことがあります。「中学生の頃まで住んでいた家の近くに、古本屋さんがありました。店主はいつも黙って、本を見る私をいい意味で放っておいてくれたので、本好きの私にとってはありがたく、よく足を運んでいました。ルポルタージュを書くようになってからも、よく立ち寄りました。あるとき、店主が私に話しかけてきました。今では何と声をかけられたのかも思い出すことはできませんが、間違いなく、そうした声かけは初めてのことだったと思います。そのとき、私は少し疲れた表情をしていたのかもしれません。声かけは店主の気遣いだったのでは、と、今では思っています。でも、私は返事をすることもなく、すぐに視線を古本の棚に向けてしまったのです。その店主が亡くなったのは、それから間もなくのことと聞きました。そのときの私は、何をそんなに急いていたのだろう。後悔しかありません。」私たちの周囲には、今しかできないことが想像以上に多くあります。でも、いつでもできることを優先して、選択してしまう場合も多く見られます。大切なことを見落とさぬよう、心がける必要がありそうです。

1月26日(水) 川俣校長学校長

ものに宿る自らの存在

靴職人だった小説家水上勉さんのお父さんは、靴には人の癖や性格などがよく出る、と話されていたそうです。靴はその履き方により底の減り方などが変わるので、実際に、玄関に置かれた靴を目にしただけで、どういった性格の人が履いているのかがわかったそうです。これは靴に限ったことではありません。ものには使う人の魂が宿ります。ものをよく見ることで一層深く人を知ることもできるし、一方で、使っているものから、自らを顧みる機会を得ることもできます。

1月25日(火) 川俣高等学校長

楽しんでやらなきゃ

シェイクスピアの戯曲「じゃじゃ馬ならし」の第一幕に、「楽しんでやらなきゃ、何事も身につきません。」という台詞があります。英文学者小田雄志氏は、「学問も芸術も、身につけるためには確かに苦しい思いをするだろうが、その苦しさの中に楽しみを見出さなければ、本当の意味で自分のものとはならない、という、日頃からのシェイクスピアの考えが、そこには表現されている。」と話されています。生徒の皆さんは、学校での授業を楽しみながら受けていますか。

1月24日(月) 川俣高等学校長

思いやり表記

私たちが多くの人と情報を伝達し合う際に用いるものとして、メールがあげられます。でも、表記の仕方により全く意図しない捉え方をされるなど、多くの誤解が生じることもあります。そうならないためにどうすべきか。当たり前のことですが、伝わりやすい言葉を選び表記することだと思います。そして、相手に応じた、わかりやすい表記を心がける背景には、相手への思いやりが必要とされます。

1月19日(水) 川俣高等学校長

異常値の価値

大学では、予め研究テーマを明確にし、その目的達成を図るために実験を行います。99回は目的に沿ったデータが得られたものの、1回だけ異なるデータが出た場合、「たった1%のこと、なかったことにしよう」とはできません。つまり、異常値除去はあり得ない行為なのです。この1%をうやむやにすることで、99%の成功データの信ぴょう性まで疑われることになります。むしろ、「なぜ、こうしたデータが出たのか」「なぜ、こうしたデータが今までは出なかったのか」を考えることで、研究の深みは一層増します。実験の失敗から生じた異常値が新たな発見の発端となった事例は多くあり、かつてノーベル化学賞を受賞された田中耕一さんの場合も、それに当てはまります。うまくいかなかったケースの中にこそ、宝物が隠れているのかもしれません。

1月18日(火) 川俣高等学校長

思考経験

ガリレオ・ガリレイが振り子の法則を発見したのは、ピサの聖堂で神父さんの説教を聞いていたときだそうです。規則正しく揺れているランプをじっと見ているうちに、物理学の大発見がなされました。生徒の皆さんが過ごす日常の中にも、興味深いことが多くあります。日常に潜む面白そうなことを見つけるのは、登下校の際にもできます。学校の休み時間にもできます。思考経験を増やすことにより、新しい変化、そしてすばらしい変化を生み出す土台が、日々、皆さんの中に作られていきます。

1月17日(月) 川俣高等学校長

3学期が始まります

昨日本校では、3学期の始業式が行われました。その際に、校長から生徒の皆さんに伝えたことを投稿いたします。

本日は、人として生きる上で大切なことについてお話をします。

まず第一に、学問に対する心構えについてです。人として何ができるのか、人として何をすべきなのかについて、真剣に自らに問いかけるとともに、思い描く希望実現のために、辛抱強く学問を追い続けることを求めたいと思います。大リーグのジョージ・シズラーのシーズン安打世界記録を塗り替えた、元大リーガーのイチロー選手は、「結局は、細かいことを積み重ねることでしか頂上に行くことはできない。それ以外に方法はない。」と話しています。一つ一つは小さく見えることでも、継続することで成果を上げることができる、まさに水滴石を穿つという諺に通じる考えを大切にしてほしいと思います。

第二に、パートナーについてです。人は出会いにより進化するし、深化もします。「良き師、良き友」との出会いが大切です。本校には、良き指導者として先生方がいます。会社では、先輩方がそれにあたります。生徒の皆さんが求めることに十分に応えてくれる頼もしい存在に対して、大いに頼ってほしいと思います。また、良き友との友情を深めてください。「良き友人を得る唯一の方法は、まず自分が、人の良き友人になることである」。これは19世紀アメリカの詩人ラルフ・エマーソンの言葉です。

今世紀は環境問題やエネルギー問題、人口問題や食糧問題など、地球規模の多くの課題に直面し、多くの国、地域の利害が絡み、極めて複雑な様相を呈しています。一方で、科学技術の進歩は加速度的に進行しており、人に利便性を与えてくれる反面、多くの新たな課題が生じているのも現状です。生徒の皆さんが生きる時代には、こうした変化に対応できる能力や工夫が求められます。

以上のことを踏まえ、1年生や2年生は、あらゆるシステムの改革が必要な社会に対応できるよう、高校での学問をしっかりと身に着けてほしいと思います。また、3年生には、社会に出た後においても、常に柔軟な考えを持ち続ける人になってほしいと願っています。

1月13日(木) 川俣高等学校長

合理的な解を導く

私たちがよく目にするGoogle、この入社試験に、「シアトルにあるすべての窓ガラスを拭くとして、あなたはどのくらいの代金を請求しますか。」という問題が出たことがあるそうです。清掃業者でもないし、ビル会社に勤務した経験もない、だから答えられるわけがない、と思いますよね。求められているのは完璧な正解ではなく、知識として持っている脳内データから、いかにして合理的な解を導き出せるか、だと思います。たとえば、居住人口や世帯数から窓の数を想定したり、1軒の窓拭きを、何人の人手で何分で終了させる、との仮定から全体では何時間かかる、などと考えていく、その考察のプロセスこそ重要とされるのです。学習をとおして知識を入力するだけではなく、その知識を活用して出力させる、このことの重要性と同じです。ちなみに、前述した入社試験の解答の中には、「シアトルは雨が多いので、雨がガラス窓をきれいにしてくれる。だから代金は無料。」といったものもあったそうです。その方が採用になったかどうかは、定かではありません。

1月12日(水) 川俣高等学校長

姿 勢

就職をした当初には、作成されたマニュアルなどに沿って、その仕事内容の説明を受けることと思います。でも、そうした形あるものから学ぶ以上に大切なこと、それは、仕事に向かう先輩方の姿勢です。集中して取り組む先輩方の様子を感じ取ることができれば、それは間違いなく、生徒の皆さんに最適な仕事と言えます。彫刻家の平櫛田中氏のように、「わしがやらねば、たれ(誰)がやる。いまやらねば、いつできる。」といった気概を先輩方から学ぶことは、皆さんにとって大変幸せなことと思います。マニュアルは時代の変化に応じて書き換える必要がありますが、仕事に向かう姿勢は、いつの時代も変わることのない存在です。

1月11日(火) 川俣高等学校長

最適解

将棋に魅力を感じている人は多くいます。そして、アマチュアの方の中には、一瞬で100手先まで読むことができる人もいるそうです。では、プロであればどうか。羽生善治氏によれば、大山康晴名人は晩年、あえて5手先以上は読まなかった、とのことです。パターン化思考が定着すると、直観を重視して将棋を指したとしても、それはそれで当たるようになるのだそうです。プロは最適解になりそうな候補を絞り込むことに長けており、一方でアマチュアの方には、容易にその手が最適かどうか判断を下すことができずにいる、これが両者の違いなのかもしれません。将棋の世界に限ることなくどの分野においても、熟練領域に入った際には、相手の手を見た上でシンプルに考え、そして対応したほうが、結果として良い判断になる場合が多そうです。

1月7日(金) 川俣高等学校長

歴史を知る

日本の文化や伝統を知るにはどうすればよいか、生徒の皆さんは考えたことがありますか。そんな大層なこと、と思わないでください。小林秀雄さんは以前、「日本の二千年の歴史は、君のこの体に流れている。君が自分自身を大事にすることは、歴史を大事にすることになる。だから、歴史を知ることは、自己を知ることになる。」と述べられました。そういえば、日本の古典には、「大鏡」など鏡という文字が付くものが多く見られます。これらの歴史書に鏡を付けたことで、かねてより、日本人が歴史を、自らの姿かたちを映し出す鏡、と考えていたことがうかがえます。歴史を学べば自分の本当の姿が見えてくる。時間のあるときにちょっとでも、こうした歴史書をひも解いてみるのもいいかもしれません。

1月5日(水) 川俣高等学校長

ゆっくり急げ

ゆっくり急げ、この逆説的表現は、ローマ初代皇帝アウグストゥスが日常的に好んで使った言葉です。何事によらず少しでも先へ先へと急ぐ人は、かえって手間取ったり失敗したりする、という戒めです。日本でいう「急いては事を仕損じる」に似た言葉は、他にも、イギリスの「急ぐときほどゆっくりせよ」や、イタリアの「ゆっくり行く者が遠くまで行く」、あるいはドイツの「あわてる者から、良いものの生まれたことはない」など、世界中にたくさんあります。生徒の皆さんは、たとえば、教科書にある問題の解答のみ求めてはいませんか。また、総合的な探究の時間の際に、探究活動以上に、目的達成に重点を置きすぎてはいませんか。ゆっくり急げ、この精神もお忘れなく。

1月4日(火) 川俣高等学校長

精 進

三冬枯木花(さんとうこぼくのはな)という言葉があります。12月、1月、そして2月という冬の3か月(三冬)に、枯れ木が花を咲かせることを表現しています。「枯れ木であっても、そして最も厳しい環境下であっても、内に秘めた力により花を咲かせることができる。人も同じで、花を咲かせようとする精進や努力を忘れてはいけない。」という戒めです。生徒の皆さんには、学びをとおして得た、知識というエネルギーをたくさんため込み、どんなときにも心に花を咲かせることのできる、そうした存在になってほしいと思っています。

12月28日(火) 川俣高等学校長

衝 突

人と自分の意見が合わないとき、皆さんはどうしますか。もちろん、自分の正当性を主張する姿勢は大切ですが、一方で、そうした主張が強すぎるあまり、人間関係を損ねることは避けたいものです。相田みつをさんの書詩集「雨の日には/雨の中を/風の日には/風の中を」には、次のような言葉が紹介されています。「セトモノとセトモノ ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう どっちかやわらかければだいじょうぶ やわらかいこころを持ちましょう」

12月27日(月) 川俣高等学校長

時間の有効活用

時は金なり、時を得る人は万物を得る、など、時間の大切さを伝える言葉は多くあります。人の平均寿命から考えると、睡眠や仕事など必要とされる時間を差し引くと、いわゆる自分の自由時間は約20年分との試算があります。これを長いと見るか、意外に短いと見るかは別として、少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、という南宋時代の学者朱熹の言葉を待つまでもなく、その瞬間瞬間に、一生という現実の持つ時の重みを感じずにはいられません。時間の捉え方は様々です。一日を24時間とする以上に、50時間にでも、100時間にでも変えることができます。時間の有効活用を丁寧に行う心を常に持ちたいと思います。

12月24日(金) 川俣高等学校長

葦間の月

良寛和尚の歌に、「浮き草の生ふる渚に月影の ありとはここに誰か知るらん」というものがあります。通い慣れた道の傍らの葦の間に、昼間なら気づかない水たまりを見つけ、そこに天上の月の影がくっきりと映っている光景は、山奥の庵に住む自分によく似ている、といったことを表しています。月明かりに照らされて、夜に葦間から姿を現す水たまりとは、人の内面なのかもしれません。人の心の奥底には、清い月影が宿っています。その存在を自らの力で見つけることができたとすれば、それは素晴らしいことです。また、それに気づいてくれる友人がいたとすれば、それもまた、素晴らしいことです。

12月21日(火) 川俣高等学校長

汝自身を知れ

汝自身を知れ、これは古代ギリシアのアポロン神殿に掲げられていた言葉です。自分の立場をわきまえよ、といった戒めと理解されている場合もありますが、当時のギリシアでは、「ご機嫌よう」にあたる言葉として使われていたようです。ただしその中には、心の健康を祈る気持ちを込めていたようです。では、健康な心とは、一体どういったものを指すのか。それは、自分のしていることを深く理解する、という、いわば「知の知」です。自分の生き方を見直す機会としてこの言葉を念頭に置くことは、昔も今も変わることなく必要なのかもしれません。

12月20日(月) 川俣高等学校長

陰徳を積む

隠れた徳を行うことを陰徳を積むといいます。中国の漢の時代に、「夫れ陰徳のあるものは、必ず陽報あり」と説いた思想家がいます。「わからないように人のためになる良い行いをすると、必ず良い結果を伴う」ということから、この言葉は十分に、徳を行う人の励みになります。一方で、一層深化した考えを述べたのが唐代の百丈禅師です。「善を行って善を忘れ、執着なくして大我へ向かえ。行雲流水を求めて、報酬を期すな」と説きました。このレベルに達すると、きっと心の中には少しの淀みもなく、澄み切ったものとなっているはずです。この極みを目指さない手はありません。

12月17日(金) 川俣高等学校長

立 志

情報があふれ、多様な価値観が示される現在であるがために、自分が目指すことを明確にすることができず、悩む人は多いと思います。言い換えれば、自ら決めた志を持つのが難しい時代なのかもしれません。でも、間違いなく、自己を外面のみ飾るのではなく、内面を変革しながら生きる必要性は高まっています。過酷な運命を生き抜いた文豪ドストエフスキーは、「私は、全生涯をとおして、いたるところで、何事においても限界を乗り越えた。」と話しています。人生とは、環境に左右されることなく、自らの信念の下、自己を厳しく見つめ、改善を図り、次なるステップを目指して再び歩みを始める、この繰り返しとも言えます。「流されざるものは何なのか。まさしく、一人ひとりの志が問われる時代がやって来る」という視点から、ある広告会社が1988年を立志元年と位置付けました。その考えは、33年を経た今でも変わることなくある、と感じています。

12月16日(木) 川俣高等学校長

飛騨白川郷の合掌づくりは、屋根の傾斜が急なので雪を早く落とすことができたり、材料のカヤは軽くて建物に重みを与えないなど、実によく工夫されています。また、屋内の囲炉裏から出る煙は、屋根裏までまわってススとなるため害虫を防ぐとともに、カヤを乾燥させて長持ちもさせています。30年程経つと屋根のふき替えが行われますが、カヤの確保やお金以上に大変なこと、それが人手の確保です。そこで、共助組織の結(ゆい)があります。人と人を結ぶこの結により、人が集い、協力し、心を一つにして奉仕作業が行われます。日本の歴史は、人の手により守られています。

12月15日(水) 川俣高等学校長

句の心

松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだ山寺、立石寺は山形県にあります。多くの観光客は、大型バスで到着すると山のふもとを散策し、それほど古くはない句碑を眺めた後に、次の観光地に向かってしまうのだそうです。頂上にある奥の院までは、急な坂を1時間程登り続けなければなりません。それを避けて現地を一望すれば十分、と考えるのは、少しもったいない気がします。芭蕉の句の心に真に触れるには、山門をくぐって樹林の中に立ってみることが肝要と思います。来月には修学旅行があります。多くの場所を巡る中で、こうした句の心に触れる機会を大切にする旅であれば幸いです。

12月14日(火) 川俣高等学校長

もうとまだ

生徒の皆さんが試験問題を解いていると仮定します。「残り、もう5分しかない」と感じれば、多少の焦りが生じていることになります。一方で、「残り、まだ5分ある」と感じれば、少し余裕もありそうです。時間の捉え方一つに限っても、「もう」と「まだ」には大きな差があり、そのことが、結果にも大きく反映します。皆さんが「まだ派」となるためにも、常に計画的な取組を行うこと、強靭な精神力を培うこと、そして、工夫改善を図る姿勢を持ち合わせることを望みます。

12月13日(月) 川俣高等学校長

広さと深さ

「広く浅く」または「狭く深く」といった表現を耳にします。広さと深さに関しては、どちらかのみ成立する感覚で捉えられていますが、実際にはどうでしょうか。知識について言えば、広く深い知識を持っている人は多くいる、と感じます。深く知ろうとすれば、自然に広くなっていくことになるし、一方で、広く知ろうとすると、自然に深くなってしまう、これは当然です。様々なことがつながっているために新たな世界が広がり、また、そうしたつながりを知ると、知識の奥深さを感じ取ることができます。ここにこそ、知識習得の面白さがあります。

12月10日(金) 川俣高等学校長

現存するもの

皆さんが例えば、ペットボトルの良い点をあげるよう問われたら、いくつ答えることができますか。「液体が漏れない」「片手で持つことができる」「静置できる」「リサイクルできる」など、比較的多くの回答が浮かぶことと思います。このように、存在するものには必ず大きな価値や大きな意味がある、このことは前に書いたとおりです。その一方で、消えていったものにも、その理由があるはずです。ペットボトルに関して言えば、以前に、細くて長方形型のスリムペットボトルという商品開発がなされました。カバンにも入れやすく、見た目もスッキリとしていたためにデザイン大賞も受賞しましたが、あまり普及しませんでした。お店で売る際には問題はないのですが、長方形型のため転がらず、自動販売機には入れられないことが原因でした。そういえば、自動販売機では、お茶の多くは缶ではなくペットボトルで売られています。以前は缶であったのに、どうして変わったのか。加熱用ペットボトルの開発がなされたことも要因の一つですが、加えて、お茶は、コーラのように一気に飲む類のものではないため、フタを閉めることができるペットボトルタイプの方が便利、という理由もあるようです。こうして考えてみると、皆さんの周囲にあるものは、様々な課題を一つ一つクリアした、素晴らしいものばかりであることに改めて気づかされます。現存するすべてのものを、大切にしないわけにはいきません。

12月9日(木) 川俣高等学校長

 

 

百聞は一見に如かず

百聞は一見に如かず、この言葉は、「百聞は一見に如かず。百見は一考に如かず。百考は一行に如かず」と続くのだそうです。ただ見るだけではなく、「その意味やその先を考えよ。そして考えたら行動せよ。」ということから、思いつきではなく深謀遠慮した後の行動が大切である、との伝えと理解しています。この心構えは、私たちの日常生活の中でも多く取り入れる場面がありそうです。

12月8日(水) 川俣高等学校長

レビューの活用

知識を高めるために、読書は欠かすことのできないものです。でも、例えば、皆さんがヘーゲルの「精神の現象学」に興味を感じて読んでみようとしても、上下巻2500ページを超えるこの本は、読むにはなかなか骨が折れそうです。時間をかけて読んでみたものの、あまり得るものはなかったり、一定の得るものはあったものの、時間がかかりすぎたなど、内容と時間とのバランスが課題になることもよくあります。その際には、レビューの活用をお薦めします。映画や電化製品と同様に、本にもレビューが付いています。レビューの読解力さえ高めていれば、大きな失敗を招くことなく、確実に興味ある本を手にすることができるし、また、最後まで読破もできます。コンパクトにまとめられた解説書的存在のレビューを有効活用して、飛躍的な知識の向上を図りませんか。

12月7日(火) 川俣高等学校長

独自性

人には皆、素晴らしい個性があります。その存在に気づいていない人もいますが、間違いなく、各人が個性を備えています。他者との比較に大きな意味はありません。むしろ、自分の良さを信じる姿勢こそ大切です。お経の中に、「青い色には青い光があり、赤い色には赤い光がある」という「青色(しょうしき)青光、赤色(しゃくしき)赤光」という言葉があります。青光(赤光)は、それだけで既に素晴らしい存在である、という意味と理解しています。自信を失う場面に遭遇したり、挫折感を味わったりした際には、自らの持つ個性の力を信じて、何度でも立ち上がってほしいと思います。他者とは異なる個性であるからこそ、移り変わりの激しい現代において価値があります。

12月6日(月) 川俣高等学校長

当たり前

皆さんは、ソーサーを知っていますか。コーヒーカップの下に敷く、陶器でできた受け皿のことです。でも、なぜ、ソーサーがあるのかを考えたことはありますか。イギリスで紅茶を飲むようになったとき、使用していたのは中国製のお茶碗でした。でも、そのお茶碗には取っ手がなかったので、紅茶を注ぐと、熱くて持つことができません。そこで、下にソーサーを敷き、ソーサーごと持ち上げて飲んでいたわけです。では、コーヒーカップに取っ手の付いている現在、ソーサーは必要でしょうか。機能面からだけ考えれば、なくても困らないはずです。ただし、テーブルの汚れを防ぐことができること、または、カップとソーサーの調和が生み出すデザインの美しさなど、以前とは異なる価値があるからこそ、現実として今もソーサーはあるし、また、必要とされているわけです。皆さんの周囲にある物に目を向けてみてください。物は、そこに当たり前にあるのではありません。存在するものには必ず、何か大きな価値、そして大きな意味があります。

12月3日(金) 川俣高等学校長

言葉の重み

ヘルマン・ヘッセは詩をとおして、「太陽は、私たちに光で話す。花は、香りと色で話す。生あるものはみな、言葉にあこがれる」と伝えました。一方で、民俗学者の柳田国男さんは、「言葉さえあれば人生のすべては事足りる、という過信により、人は口達者になった」と、かつて嘆いておられました。言葉は今も、私たちの周囲に溢れています。でもその中で、人の心を満たす言葉はどのくらいあるでしょうか。言葉は、人にとって欠かすことのできない存在です。一層崇高なものとするよう、私たちは今こそ、言葉の在り方について真剣に考える時期にいるのかもしれません。

12月2日(木) 川俣高等学校長

自己の芽

人が精神的にも生活の上でも安定を望むのは、何も不思議なことではありません。一方で、なぜチャレンジしないのか、という観点から見れば、イギリスのグラッドストーンの言葉「人にとって最も恐ろしいこと、それは”恐れること”である」、この中にその回答がありそうです。つまり、失敗を恐れてしまうためです。安定よりも自己改革を求める際には、場合によっては自己否定を伴います。でも、考えてみてください。チューリップの花であれば、球根が球根のままである限り、いつまでたっても花は咲きません。球根ではなくなったとき、つまり球根を否定したときに芽が出て、そして花が咲くのです。自己改革は進歩や発展を生み出します。生徒の皆さんも、自分の芽を大きく育て花を咲かせるよう、日々のチャレンジを心がけてみませんか。

12月1日(水) 川俣高等学校長

心底から好きなもの

かつてノーベル医学・生理学賞を受賞された利根川進氏は、科学分野で成功するには好きになること以外にはない、と話されていました。この世界では、何が正しいのか、真実は何なのかは全くわからないので、好きかどうか、言い換えれば、打ち込めるかどうかにすべてがかかっています。知るためには手段を選ぶことなく、ただただ疑問を解決するために探究し、そして成果を上げられた方が多くいたために、現在の私たちの生活が保証されているとも言えます。生徒の皆さんは、何か打ち込めるものを持っていますか。損得勘定を抜きにして没頭できるのは、人として幸せな瞬間だと思います。

11月30日(火) 川俣高等学校長

発想力

生徒の皆さんは、知識の定着を図るために何度も繰り返し覚えたり、その分野に興味を持つようにするなど、様々な工夫をしていることと思います。では、発想力を高めるためには何をすればよいのでしょうか。これは難しいことにも思えますが、意外に簡単に行えます。たとえば、リンゴのデッサンをして、その後に頭で想像しながらリンゴの木を描いてみたりするだけで、飛躍的に発想力が向上します。また、偶然に通り過ぎた建物を上空から見た光景を考えたり、停車している車の後ろ部分から前方部分を想像してみる、こうしたことも同様の効果があります。ちなみに、この車の前方部分を想像する取組は、実際に、東京大学工学部の講義に取り入れられた、アーティスト思考と呼ばれるやり方です。皆さんも、日常的にこうした実践を心がけることで、一層豊かな発想力を身に着けてみませんか。

11月29日(月) 川俣高等学校長

心想事成

礼を重んじる競技は数多くあり、将棋もその中の一つです。トップクラスの棋士であればあるほど、対局前に深々と一礼をします。また、対局で負けた際の「参りました。」の言葉も、はっきりと話されます。その一番にかける思い、加えて、将棋に対する愛情や敬意がそうさせるのだと思います。そして、平素より本気で打ち込んでいればいるほど、実力だけでは決することのできない領域に踏み込んだ際に、勝負の神様が微笑んでくれるのだそうです。どんな分野においても、心に想うことは成る、という意味を持つ心想事成(しんそうじせい)の精神を忘れることなく取り組む、これこそ大切なことと強く思います。

11月26日(金) 川俣高等学校長

熟慮断行

「慌ただしい」と称される人がいます。じっくりと考えない人を指します。また、「変わりやすい」と称される人がいます。やると決めても長続きしない人を指します。前述したタイプに属する人は、進路選択をする際にも同様の行動を取る傾向にあります。自らの進路です。大切な決断の機会です。よくよく考えて選択し、いったん決めたらその意思を貫く熟慮断行の精神で臨んでほしい、と思っています。

11月25日(木) 川俣高等学校長

想定外

将来に対する不安を少しでも取り除いて穏やかな生活をしたい、こうした気持ちから、人は計画性を重視します。でも、過度に将来への不安を持ってはいませんか。そうした場合、詳細な計画を立てすぎているのかもしれません。あるいは、願い事が多すぎるのかもしれません。または、すべてのことを自分の想定内に置きたい、と強く願っているのかもしれません。こうした中においては、気苦労も絶えないことになります。「自分の生涯に、数々の不意打ち(想定外)の出来事があった」とニーチェは述べています。彼の前には、ただただ、なだらかな平面があり、彼は、ただただそこを歩くのみ、という心境であったそうです。私たちは、頭の中を100%の計画性で満たすのではなく、数%の余白を残し、そのことが原因で起こる予期せぬ出来事を、臨機応変な対応をとおして楽しむなど、少しだけ余裕を持つべきなのかもしれません。

11月24日(水) 川俣高等学校長

プロセスを求める

弓道の世界では、結果を出すために必要なこと、それはプロセスを大切にすること、とされています。矢を放す前に「当たるだろうか」といった迷いは禁物。的に当たる結果よりもむしろ、矢を放ち終わるまでのプロセスを正しく行うことが大切であり、また、正しく射られた矢は必ず的に当たります。そういえば、元大リーガーのイチロー選手は、試合のある日は、朝起きてから球場入りするまでに行うこと、加えて、試合前のアップから試合中の打席に向かうまでの動作等をすべて決めており、毎回その繰り返しをしたそうです。まさに正射必中(せいしゃひっちゅう)の考えを実践され、偉大な記録を残されたわけです。生徒の皆さんも、日常生活の中で何か自分のプロセスを決め、その実践を継続してみませんか。

11月22日(月) 川俣高等学校長

やるしかない

生徒の皆さんは課題等の提出期限が迫ると、やるしかない、と心に言い聞かせて取り組むはずです。この「やるしかない状態」は本気度を上げてくれることから、人がうまく事を運べる環境作りに貢献してくれます。一方で、何もすることがないときは一見すると楽にも思えますが、実はこの瞬間に無が襲ってきます。世界の美しい色をすべて取り去ってしまうほどの心の無、この影響は大きく、これまでに苦労して備えた向上心、やる気を奪い去ってしまいます。こうした虚無感を感じることのないよう、何かに意欲的に取り組むとともに、こうした取組みができる自分は幸せである、と常に感じていたいものです。

11月19日(金) 川俣高等学校長

幸福な知性

知性的であることの大切さについては、本HPでも複数回触れていますが、ドストエフスキー著「カラマーゾフの兄弟」に出てくる次男イヴァン・カラマーゾフのように、彼の持つ知性のために生きる意味を見出せなくなるなど、知性が不幸を導くことも稀にあります。せっかくの知性であれば、幸せになるために使いたいものです。幸福な知性、それを身に着けるにはどうすればよいか。その一つとして、様々な知識やニュースに触れ、耳を傾け、物事を広い視野により見ることができるよう心がけることが重要です。そういえば、取り組む学問分野を一つに絞り込んだとしても、何年経っても、その奥深さに驚かされます。ましてや、学問分野は数えきれないほど多岐に渡ります。楽しいと思うものや面白いと感じるもの、それらを少しでも深く知りたいという純粋な思いの下、学習・研究に没頭しているうちに歳を取る、これこそ幸福な知性獲得の理想の姿かもしれません。

11月18日(木) 川俣高等学校長

足元の追求

今、自分の置かれている環境を息苦しく感じることは誰にでもあります。でも、今、自分が踏みしめている地面(自分がいる環境)、その下には必ず泉(無限の可能性)があります。競技の世界で言えば、その泉を探し当てた人がトップアスリートとなります。一人では泉を探すことができなくても、良きコーチの指導の下、見つけ出すこともできます。さて、生徒の皆さんの場合、良きコーチに当たるのは先生方です。良きアドバイスを受けることで、自分の足元にある、生徒の皆さんだけの泉を必ず探し当ててください。

11月17日(水) 川俣高等学校長

順風満帆という言葉に代表されるように、人生は風と帆の関係に例えられます。でも、順風であれ、また逆風であれ、風さえあれば帆をあげることができます。ケガをして競技ができなくなった選手が逆風と感じていたその時期に、それでも復活を信じて地道なトレーニングに取り組み、後に競技に復帰した際に活躍できた事例は多くあります。要は、少しの風であっても、自分を信じ、帆をあげる勇気を持つことが大切です。すべての場面で帆をあげる必要はありません。本田宗一郎氏は、「得手に帆をあげよ」と話されました。まずは得意な分野で力を伸ばせ、という意味と理解しています。生徒の皆さんも、自分の得意とする分野で、高々と帆をあげてみませんか。

11月16日(火) 川俣高等学校長

時分の花

能を大成した世阿弥の本「風姿花伝」の中に、「時分(じぶん)の花」という言葉が出てきます。人はその時々により年齢に応じた花がある、という意味を持ちます。例えば、若い時の勢いを感じる魅力の花、そして、年齢を重ねた時の人間の幅を感じる寛容の花、といったものです。生徒の皆さんは、10年後、20年後、あるいは50年後に、どのような花になっているでしょうか。心の中に「花」の概念を持つことで、生きる上での自らの美学になることは間違いありません。

11月15日(月) 川俣高等学校長

苦痛の中の光

生徒の皆さんもこれまでに、何かに取り組んでいる際に苦しくてたまらず逃げ出したい、と感じた瞬間を経験していることと思います。誰でも楽しく過ごしたいと思っています。でも、鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーのように、敢えて紆余曲折の道を選択した人もいます。苦しみに満ちた険しい道の上を歩くことで、勇気が鍛えられるなど、得られるものが数多くあるからだそうです。順風満帆な生活とは趣を異にする、知識や知恵を得ることのできるこうした機会は、貴重とも言えます。

11月11日(木) 川俣高等学校長

友との共有

学習活動は一人で取り組むことが多くありますが、一方で、友人と一緒に学ぶことで、その効果を高めることもできます。福沢諭吉氏は、自分が勉強してきたオランダ語よりも、これからの日本には英語が必要となることを知り、大きな絶望感を感じたそうです。その後に彼が取った行動、それは、英語を深く知る人を探し、共に学ぶ機会を作ったことでした。ちなみに、彼は得意とするオランダ語もまた、多くの友人と共に学んでいます。友人との学びは、知識を共有できることに加え、何かを成し遂げたときの喜びも分かち合うことができます。同じ志を持つ者同士、お互いを高め合う機会を持つようにしてみませんか。

11月9日(火) 川俣高等学校長

最大限の可能性

何かをしているときに、「このくらいでいいだろう」と思い、その取組をやめてしまう経験は誰にでもあります。でも、大抵の場合、後になり、やめたことを後悔することになります。自分の目の前に広がる無限の未来を、自分自身の手で消去してしまうことは、非常にもったいない話です。自分で自分にストップをかけてはいないか、あるいは、自分に言い訳を言い聞かせてはいないか、こういったことについて、私たちは常に検証を試みる必要がありそうです。「最大の敵は自分自身」との認識を持ち、克己心の下、日々の生活を送ってみませんか。

11月8日(月) 川俣高等学校長

授業風景(美術編)

芸術科目のうち、美術を選択する1年生の皆さんが静止画作成に取り組んでいます。先生の描いた模範絵を越えようと様々な工夫をしながら、今月中の完成を目指します。

 

立体感を出すために、

色遣いを考慮するなど

工夫しています。

 

 

個々の形を整えるなどして、

より一層良いものとするよう

取り組んでいます。

 

 

なお、美術室内には、先輩が残した作品が数多く展示されています。先輩方のレベルに少しでも近づくことができるよう、授業をとおして一生懸命に取り組みます。

 

 

 

        

 

          

 

 

 

 

 

11月5日(金) 川俣高等学校長

 

 

軽やかな心

人が持たなくてはならないものを一つあげよ、と言われたら、生徒の皆さんは何を思い浮かべますか。それは軽やかな心である、と、哲学者ニーチェは指摘しています。幼い子どもが、「やりたい。」と思い行動する根底にあるもの、それが軽やかな心だそうです。言い換えれば、好奇心です。先天的に、こうした心を備えている人もいます。一方で、多くの知識に触れることでも、その習得は可能です。先人が切り拓いてくれた新たな分野を知ることにより、目の前にかかっていた霧が晴れるかのように、先を見通すことができます。軽やかな心を備えることで、毎日の生活も元気に送ることができます。自分の中に湧き出るかのようなエネルギーを、生徒の皆さんも是非感じ取ってみてください。

11月5日(金) 川俣高等学校長

読書という名の知の筋トレ

読者は、知性を鍛える上で重要です。最近では、挿入絵を多く取り入れた本も販売されていますが、想像力を働かせるという観点からは、挿入絵は少ない方が望ましい、と齋藤孝先生は指摘します。挿入絵があると、見たままを理解することで十分であるため、想像の余地は残らなくなります。能動的に想像力を働かせなくても、面白いことが次から次へと出てくるため、そもそも能動的になる必要がなくなる、ということだそうです。こうした意味において、文字を主体とした本を読むことは、知の筋トレとも言えます。そういえば、たまたま読んだ本が、後にドラマ化や映画化された際に、自分の考えていたものとはかなり異なっていて違和感を感じた、という経験はありませんか。これも、私たちが読書をした際に、無意識のうちに、文字から想像したものを頭の中で映像化していた証だと思います。そして、こうした体験もまた、読書の醍醐味の一つとされています。

11月4日(木) 川俣高等学校長

柔軟性

心理学者アルフレッド・アドラーは、人が、ある程度の年齢と経験を積み重ねていくことで思考法が固まっていくことを、ライフスタイルの確立と呼んでいます。しっかりとしたライフスタイルを持つことは、一見するとよいことにも思えますが、一方で、ものの見方も固定化してしまう一面があります。アインシュタインも、「常識とは、その人が18歳になるまでに獲得した偏見のコレクションである」との厳しい言葉を残しています。頭を柔軟にして、様々なことに対処できる力を備えるにはどうしたらよいのか。それは、物事を論理的に突き詰めて考える型と、直感で判断できる型の両方を持ち合わせることによります。そして、その習慣化には読書が最適です。多くの筆者が、読者である私たちに投げかけてくれる提案を正面から受け止め、自分の中に定着を図ろうと心がけることにより、前述した力の習得を一層円滑に行うことができます。

11月2日(火) 川俣高等学校長

人生の花

人生の美しい在り方がよく花に例えられるなど、人と花は縁が深い関係にあります。花を美しく咲かせるには、肥料や水の与え方、時期に合う適切な手入れなど、大変な準備と苦労を重ねる必要があります。「ひと晩に咲かせてみんと梅の鉢を火にあぶりしが咲かざりしかな」という石川啄木の歌もあります。さて、花への気遣いは、そのまま人の成長にも当てはまります。生徒の皆さんも、心身の健康に心がけながら、自分に合った、自分の目的に沿った生活を継続し、十分な栄養を蓄える時期をとおして、自分自身の大きな花を咲かせてみませんか。

11月1日(月) 川俣高等学校長

真の価値

私たちは、多くのするべきことを抱えて生活しているので、どうしても目先のことに注意のすべてを向けてしまいがちです。でも、目先の有効性と比較すると、遠い将来において必要とされるもの、その価値は非常に大きなものです。では、そうした真の価値はどこにあるのか。また、どうやってそれを見つけるのか。韓非子には、「道は見るべからざるに在り、用は知るべからざるに在り」とあります。一見すると無駄と思われるものであっても、じっくりと吟味すると、そこには深い役割があり、また尊い価値もあります。さしあたって役に立たないと思われることの集積が、将来の自らの人生を形作ることもあります。裏に隠れて表面上には出ていないもの、それを見つける力が求められています。

10月29日(金) 川俣高等学校長

小さな親切運動

昭和37年度の東京大学卒業生に向けた当時の学長さんの話の中に、「小さな親切にも心を配ろう」との提唱があり、その実践を図った高等学校の一つに、群馬県の明和高等学校がありました。通学時に、各生徒が自主的に、電車やバスの中で席を譲る活動を始めたそうです。この日常生活のごく自然な取組は、これもごく自然に上級生から下級生に受け継がれました。席に座ることのできた方々からの「ありがとう。」の一言に支えられ、約15年程前に閉校となるまで、百万回をはるかに超える活動として定着したそうです。誰が決めたわけでもない、自らの真の思いの下、行動すれば、周囲の方々に大きな喜びを届けることができそうです。

10月28日(木) 川俣高等学校長

鏡から学ぶ

生徒の皆さんは、一日に何度か鏡を使うことと思います。映し出される自分の姿を見て、何を思うでしょうか。鏡は、自分を客観視できる貴重な道具です。さて、話は変わりますが、日本の古典芸能である能は、能役者が面をつけ、台詞のない、しぐさで演じる極めて精神的、象徴的な劇と言えます。よって、能役者には優れた心と、その心を形として表現する演技力が求められます。能役者は、舞台につながる鏡の間において舞台への出を待ちます。鏡の間には、その言葉通り壁に鏡がかけられており、役者は自分の姿を映し衣装を整えるとともに、静かに心を正すのだそうです。コンパクトな鏡を持ち歩き、自らの姿を確認することも大切である一方で、心の中に鏡を備え、自らの心を映しながら、正しい考え方を求めることもまた大切です。

10月27日(水) 川俣高等学校長

中 庸

私たちは、大小を問わず無意識のうちに、すべての勝負に勝ちたいと願う傾向にあります。そういえば、白黒(しろくろ)をつける、または黒白(こくびゃく)をつける、という言葉もありますね。これは、囲碁に例えた表現です。でも、その囲碁の世界では、先手後手が最善を尽くし、最後には持碁(黒白の面積が同じ)になること、これを理想的な対局とする考えもあるのだそうです。どちらに偏ることもない中庸の考えは、現代においても必要とされています。

10月26日(火) 川俣高等学校長

課題解決

歴史的に成功したと言われる人は、あきらめないことの大切さを強調します。成功した人は、多くの人が感じる、「無理だ、だめだ」の感覚を持ちません。加えて、多くの人が、後々のことを考えて余力を残すのに対して、ここぞというときに、最後の1%まで躊躇なく力を出し切ります。私たちは、全力を尽くして課題解決を図ろうとしているように見えて実は、課題と正面から向き合うことなく、ただ課題解決の先送りをするために、多くの時間とエネルギーを費やしているのかもしれません。こうした場合に大変貴重なもの、それは、自分を客観的に見てくれる友からのアドバイスです。

10月25日(月) 川俣高等学校長

断捨離

物を捨てることを想像してみてください。これまでの努力や苦労、楽しかったことなど、思い出のあるものであればあるほど、捨てる際には当然悩みます。過去のものを捨てることで得られるもの、それは未来です。成功するのかしないのか、定かではない未来に向かう際の一抹の不安も、捨てる行為の妨げになります。でも、「坐忘」という禅の言葉があります。古いものを捨てなければ新しいものは手に入らない、という意味の言葉です。未来に向かう試みの過程で、たとえ失敗したとしても、それは成功のもとになる。その繰り返しが大きな成功につながる。時代の変革期には特に、坐忘の考えは重要です。

10月22日(金) 川俣高等学校長

最も重要なこと

生徒の皆さんは、何かを考え、何かを信じ、何かを知ることで安心してはいませんか。こうした行為は大切なことではありますが、本来の目的とは異なります。最も重要なこと、それは、こうした行為を基にして何をするか、です。

10月20日(水) 川俣高等学校長

3ワーク

生徒の皆さんが、自らの進路目標の達成を目指すときに必要とされること、その第一は知識の定着です。教科書等を活用するこうした学習活動は、ヘッドワークと呼ばれます。第二としては、志望する大学や会社についてよく知ることがあげられます。情報を活用したネットワークです。そして第三に、同じ環境にある友人とのチームワークを要します。一人で行うヘッドワークやネットワークには限界があることから、それぞれの得意分野を持つ者同士が教え合うチームワークは、特に有効です。自らが「一を聞いて十を知る」存在となることと同じくらい、「十を知る人」から教えてもらうことは、理解の一層の深化を図ることができます。受験はチームワーク、と言われる所以はここにもあります。

10月19日(火) 川俣高等学校長

勇 気

新しい局面を迎えるとき、誰でも躊躇します。でも、新たなことに取り組むことができる、これは幸せなことです。自身の進歩がなければ、何の変化も生じません。自身の進歩があるからこそ、新しい局面を迎えることができます。常に、新たなことに挑戦し続ける勇気を持ちたいと思っています。詩人のゲーテは、次のように述べています。「名誉を失うのは、多くを失うことになる。でも、勇気を失うのは、すべてを失ったことになる。」

10月15日(金) 川俣高等学校長

魅 力

人から尊敬される存在になるためには、何が必要でしょうか。多くの知識に加えて、相手を思いやる優しい気持ち、意思決定力、そして行動力も要します。こうした様々な事象が重なり合って、徐々に人の魅力は形成されていきます。そういえば、人を引き付ける魅力(attraction)には、行動(action)という単語も含まれていますね。

10月14日(木) 川俣高等学校長

心の時間

現代では特に、私たちの行動は、その多くを時間により拘束されている感があります。その時間とは、いわゆる時計の時間を指しますが、一方で心の時間も存在する、と、心理学者の一川誠氏は指摘しています。時計が表す時間に対して心の時間は、人の心理状態や体調、置かれている環境など様々な要因により、時の進み方が人それぞれに異なるのが特徴です。こうした時間の持つ側面を念頭に置くことで、他者と時間の共有化を図る際にもお互いを気遣うことができます。相手に対する思いやりも生まれます。

10月13日(水) 川俣高等学校長