令和4年度

校長より

大きな意欲

生徒の皆さんは、主に教科書をとおして学ぶことと思います。より一層わかるために、自分に合う参考書やテキストを探すこともあるかもしれません。でも、学びの本質は、何から学ぶか、ということよりも、どんな意識で学ぶか、にあります。エッカーマンの『ゲーテとの対話』の中には、大きなヒントが書かれています。「自分の所有といえるものはごくわずかなものである。我々は、先人からも同時代人からも受け入れて学ばなければならない。要するに、自分の内に持っているか、他者から得るか、こうしたことは愚問なのだ。大切なことは、大きな意欲を持ち、それを成し遂げる根気を持つことである」。生徒の皆さんが真に学べるかどうかは、皆さんの持つ意欲と根気にかかっています。

4月4日(火) 川俣高等学校長

言葉以外で伝える

相手に情報を伝えるために、人は言葉を用いますが、実際には難しいと感じる時も多くあります。言語使用は左脳に依存しているため、いわゆる話し上手と言われる人は左脳が発達しているとされています。でも、相手に伝える情報ツールは言語に限られるものではありません。うまく相手に情報を伝えることができるよう、新たな創作料理作りを勧める方もいます。初めての料理は出来上がりを想像しにくいものですが、失敗した料理を出さないためにも、どう調理すれば美味しくなるか、相手はどういった味付けを好むか、盛り付けをこうすれば相手は喜ぶのではないか、など様々考えながら調理に取り組むため、相手への配慮を念頭に置くことが調理の前提となります。そして、その料理が好評となれば、相手との結びつきも一層強いものとなります。つまり、話すことなく、自分の思いを伝えることができるのです。問題解決の手順を筋道立てて考えることは、伝えるための言語使用以上の効果をもたらすこともあります。また、創作料理以外にも、自分の思いを相手に伝える方法は数多くありそうです。

4月3日(月) 川俣高等学校長

あこがれ

人は時に、周囲の人に嫉妬心を抱くことがありますが、激しい嫉妬心は、脳に悪影響を及ぼすこともあるそうです。嫉妬を感じると脳全体が熱を帯び、高度な情報処理をする超前頭野の血圧が上がります。すると、脳の酸素効率が悪くなり、複雑で深い思考がしにくい状況に陥るようです。一方で、人にあこがれを抱くと、超前頭野がクールダウンされるため、脳の酸素効率はよくなるのです。人より1歩前に出たとしても、それは一時のことです。他者比較以上に大切なことは、周囲の人への尊敬の念を忘れることなく、自分をよく見つめることです。

3月31日(金) 川俣高等学校長

生活領域

私たちが日々生活している領域のことをコンフォートゾーン(快適領域)といいます。コンフォートゾーンには、常に訪れる場所、常に会う人、常に食べるお店など全てが含まれます。日々の生活を楽しいと感じないときには、コンフォートゾーンの中に楽しいことが見つからないことも原因の一つと考えられます。コンフォートゾーンの外には無限の世界が広がっており、そこに足を踏み入れることで、新たな楽しいこと(興味や関心)にも出会えます。初めての領域に入る際には、勇気を要します。でも、大切な宝物を手にすることができます。

3月30日(木) 川俣高等学校長

瞬 間

生徒の皆さんはインスピレーションのようなものを感じて何かに取り組み、成果を上げた経験があることと思います。人にはそうした心惹かれる瞬間があり、そのときに、迷うことなく取り組むか、あるいは、面倒と感じて取り組まないかにより、大きな差が生じるようです。与謝蕪村も、牡丹有(ある)寺ゆき過(すぎ)しうらみ哉(かな)、と詠んで、 来年になれば、再び牡丹の花も咲くし春の風も体感できる、と思い、見過ごしてしまったものの、実際にはそうした体験はその時のみであることを知り、後に後悔した経験があるようです。自分の思いにかなうと感じた瞬間は、まさに一期一会として大切にしなくてはならないようです。

3月29日(水) 川俣高等学校長

尺 度

私たちが生きる今の時代は、科学技術の恩恵を受けることにより豊かな生活を送ることができています。多くの知識も得ることができます。一方で、過去と比較して、人の生活はバランスの欠けたものになっているとの指摘も耳にします。人が本来持つ尺度をはるかに超えた時空間で、私たちが生活していることから生じる現象によるもの、との指摘です。人間は万物の尺度である、と話したのは、古代ギリシアの哲人プロタゴラスです。人の素晴らしさを表す一方で、人はあくまでも人を基準としてしか物事を捉えない、との厳しい解釈もされているようです。人のあるべき姿を尺度とするならば、私たちは自分たち自身について、時には見直す機会を持つ必要があるのかもしれません。

3月28日(火) 川俣高等学校長

正確な問い

人は目の前の常識を疑うところから、その考えの深化を図ってきました。なぜ、と問うことで、新たな発見が生まれ、そのことにより、人は進歩を遂げてきました。その前提となるのは、正しい問いかけです。問いが正しくなければ、正しい答えを導くことはできません。生徒の皆さんが学んでいることは知識である一方で、正確な問い方を学ぶことでもあります。荀子も、問いの悪い者には答えるな、と説いています。生徒の皆さんにとって、今も、そして将来においても、良き問いができるよう、正しい問いの立て方を意識し学び続けることが必要です。

3月27日(月) 川俣高等学校長

山あり谷あり

生徒の皆さんも、人生は山あり谷あり、という表現を耳にしたことがあると思います。何かに取り組む際には、うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある、という意味で使われていますが、実際に、自分にとって悪いことが起きるのは、思いがけない良いことが起こる前兆、ということはよくあります。登山を思い浮かべてみてください。山頂にたどり着いた後に、さらに高い山に登るときには、直通する道は存在しないので一旦は山を下ることになります。下山は想像をはるかに超えてつらいものです。でも、たとえば麓に下り立ったときに自分の登った山を見上げると、登山前に見上げた光景とは別のようにも見えて、異なる領域に達した満足感を感じることができる、と言う人もいます。一旦は谷に下りるからこそ、成長もできるのです。

3月24日(金) 川俣高等学校長

可 能

全国規模で事業展開をする企業が、野外に置く商品を架設するのに、これまでのコンクリート使用から、耐久性や軽さを考慮して鋼管柱を用いることに決めたそうです。でも、鋼管は中が空洞になっているため、小鳥が入り込み、出られなくなる事案が多く発生してしまいます。年間数百万羽もの小鳥が命を落としていることが報じられると、多くの非難が寄せられました。そのことが最初に企業内で報告されたとき、鋼管柱にキャップを取り付けるには多くの費用と年数がかかる、という理由で、対応に二の足を踏む傾向にありましたが、命の大切さを重視すべきとの声が社内で高まり、本格的な検討を始めます。結果として、プラスチックで作成したフタは大量注文のため、当初予想された費用の10分の1で済みました。また、年間2回実施していた点検時にキャップを付けるようにしたために、新たな人件費もかかることなく、作業期間も半年程度で済んだそうです。不可能という文字が頭に浮かぶと、間違いなくすべての取組は不可能になります。創意工夫により、不可能が可能に変わる瞬間は、必ず存在します。

3月23日(木) 川俣高等学校長

物に聞け

ものづくりに関わる企業では、者に聞くな、物に聞け、という教訓があるそうです。人(者)から伝え聞いたことには、その人の思い込みや誤解も含まれる場合があり正確とは言えず、一方で、目の前にある商品(物)を自分の目でしっかりと見ることで状況を正確に把握することができる、という姿勢を説いている言葉です。生徒の皆さんであれば、目の前にある教科書(物)に何度も問いかけること(何度でも教科書から学ぶこと)が、物事の真意を把握する最適な手立てであり、また、理解の深化を図る近道となります。

3月22日(水) 川俣高等学校長

精 進

一つの道を極めるには精進を継続することが必要とされます。そのためには考え方を変える必要も生じます。考え方が変わると、徐々に行動が変わります。行動が変わると、結果が変わります。何かに取り組むことには苦しみを伴うこともありますが、その苦しみから逃れようとしたり手を抜こうとしたりすると、結果として、苦しみは継続します。苦楽という言葉があります。苦しみの先には楽しみがある、という意味で、苦楽吉祥とも言うそうです。そういえば、楽には、多くの人が集まる、という意味も含まれていたことがあったそうです。一人だけで苦しみを感じることはありません。友が集まり、協力し合いながら物事に向き合うことで、効果も高まり、楽しくもなります。楽しくなれば、その場に光もあたります。

3月20日(月) 川俣高等学校長

生徒の皆さんには、それぞれ夢があると思います。夢を持つことは良しとされていますが、一方で、夢を追いかけているうちは、夢と自分との間に距離がある、という厳しい指摘をする人もいます。プロのピアニストを夢見て、技術向上に励んでいた方の話です。緊張から、ステージに上がる前に足が震えるのは誰にでもあることですが、うまく弾くことのみ過剰に意識するあまり、結果としてうまく弾けないと感じる場面が多くなったそうです。そのときに考えたこと、それは準備の大切さでした。足の震えは体力の欠如も一因と考え、筋力トレーニングやウォーキングを取り入れます。また、ピアノに向かう際には、うまく弾くこと以上に魂で弾くことを心がけて練習に臨みます。徐々に、鍵を叩いたときに出る音は自分の心そのもの、と思えるようになりました。自分の人間性が貧しければ、そうした音を聴衆の皆さんに届けてしまうと思い、心の鍛錬にも励みます。すると、無の境地でピアノを演奏できるようになったそうです。そして、自分の夢であったプロのピアニストになられました。彼女の名前は、フジコ・ヘミングさんといいます。彼女とピアノの間に、距離は存在しません。私はピアノであり、ピアノは私、と、彼女はよく話されます。

3月17日(金) 川俣高等学校長

京都の法隆寺や薬師寺の宮大工になることを夢見ていた方の話です。建築を学べることから工業高校への進学希望を家族に伝えると、宮大工として一流の地位にあった祖父や父から反対を受け、その意見に従い、彼は農業高校に進学することとなります。そして、3年間懸命に農業の勉強に取り組み、卒業後には祖父や父の仕事の手伝いを始めます。祖父から、「人は土から生まれ、土に返る。木も土に育ち、土に返る。建物も土の上に建てる。土を忘れたら、人も木も塔もない。土のありがたさをわからないようでは、立派な大工になれるはずはない。」との話を聞いたのは、彼が一人前の宮大工になった頃だったそうです。一見すると関係性を見出せないことでも、深く繋がりのある場合は多くあります。ちなみに、薬師寺金堂再建に使用する檜選びを任されたのも彼でした。その候補として、枝や葉に勢いのある樹齢2千年程の老木を勧める人がいたそうです。でも、その枝や葉に養分が取られるため中は空洞となっていることを彼は学んでおり、金堂に使用するには適さないと判断します。一方で、年相応に老いの風格の漂う木は芯がしっかりとしている、などの知識により、的確な判断の下、彼はその重責を立派に果たすこととなります。

3月16日(木) 川俣高等学校長

謙虚の美徳

将棋の世界は、盤上の勝負で対局料が決まるなど厳然たる実力主義に貫かれています。ところが、対局が行われる際に座る位置については趣が異なる場合があるそうです。対局が行われる座敷には床の間があり、それを背にする位置を上座、反対を下座としています。対局を迎える棋士のうち順位の高い方が上座となりますが、将棋の世界の先輩を立てたり、年齢を考慮したりして譲り合いが起こる場合もあるそうです。でも、一定の時間が過ぎると、他の棋士が見ても違和感を感じることがなく二人の位置が決まるというのですから、興味深いものです。棋士に必要とされる資質として、実力と謙虚の美徳の2つをあげる人が多くいます。まさに、座る位置の過程から見ても然りです。

3月15日(水) 川俣高等学校長

組 織

山の南斜面と北斜面に同時に植物を植えるとすれば、南斜面の方が育ちが良くなり、周囲からの注目度も高まります。組織も同様で、リーダーなど目立つ立場にいる一部の人に注目が集まる傾向は確かにあります。でも、植物で言えば、北斜面の木は年輪がよく締まり、木質も堅く丈夫であるために、やがて大きな花を咲かせるようになるのだそうです。一時、陽の当たりが悪いと感じても、そのときに全ての評価が決まるわけではありません。将来の太陽を独占するくらいの意気込みで、目の前のやるべきことに正面から向き合い続けることが大切です。

3月14日(火) 川俣高等学校長

マニュアルをこえる

企業には多くのマニュアルが存在します。顧客対応を要する企業では、2万5千を超えるマニュアルを持つ企業もあるそうです。でも、担当者間には売上実績に差が生じます。マニュアル通りに対応して、どうして差が生じるのでしょうか。そこには、一定の事由があるようです。たとえば、お客様に声をかけるタイミングや、かける声のトーンなど、マニュアル化されていない項目は数多くあります。笑顔で接することは書かれていても、どういった笑顔で接するのかについては、本人に任されます。また、想定外のやり取りが生じた際には、本人判断により対応する必要があります。こう考えると、マニュアルの数を2万5千から仮に5万に増やしたとしても、最終的に問われるのは本人の本質である、ということは間違いなさそうです。生徒の皆さんも、相手へのさりげない、そして、きめ細やかな心遣いができるよう、日頃より高い意識を持ち行動することが大切です。

3月13日(月) 川俣高等学校長

自然美

彫刻でも絵画でも、あるいは音楽でも、人は一つの意図を込めて作ります。そして、その美しさは、私たちの眼や耳を存分に楽しませてくれます。一方で、たとえば、富士山は誰かがあのような形にしようとしたものでないし、また、県内にもある鍾乳洞は、何万年、何十万年という途方もない歳月を経て、その中の石柱や石筍(せきじゅん)が作られるなど、自然が人智の及ばない形や色彩を形成しているものも多く存在します。自然の景観は、誰かの意図により作り出されるものではないので、バランスに欠けたりすることもあります。でも、そこも含めて大きな魅力があります。私たちには、こうした見飽きることのない自然美をこれからも大切にする責任があります。

3月10日(金) 川俣高等学校長

気づき

船に搭載される魚群探知機の発明は、少年時代にラジオいじりの大好きだった、電気店に勤める、ある一人の男性の発想によるものでした。海の底に向けて発信した超音波が反射してくるまでの時間を計測することで、その深さを知る超音波測深器をヒントに、その少年は、海底までの途中にいる魚を探知できないか、と考えます。相談をした大学教授からは、魚の体はそのほとんどが水でできているから、超音波には反応しない、との回答がなされます。でも彼はあきらめずに、直接漁師に魚を獲るコツについて聞いて回り、魚の大群は口から多くの泡を出すので、泡のかたまりが海面に出たところを狙って網を投げ込む、という話を耳にします。水は超音波を通すけれど、泡なら反射可能、と考えた彼は、自信を持って魚群探知機の開発を進めます。後に、彼の魚群探知機は、ベテランの漁師が気づかない魚群をいち早く察知するまでに精度を高めることとなります。ちなみに、魚自体には反応しないとされていた超音波は、その魚にも反応することもわかりました。大きな発明の最初の一歩は、実に身近なところに潜む、ふとしたときに気づく事実、であることがよくあります。

3月9日(木) 川俣高等学校長

感動作

生徒の皆さんは、映画や劇などを観て感動したことがあると思います。良き作品は観た者の心に突き刺さり、思わず感動の涙を流した経験もあるかもしれません。感動的な映像は人の持つ前頭前野の血流を活発にし、結果としてセロトニン神経を活性化するのだそうです。涙を流す前の交感神経優位の状態から、涙を流すことで副交感神経優位に切り替わるため、リラックスと癒しを得ることができます。ギリシャの哲学者アリストテレスも、著書『詩学』の中で、感動の涙は心の中に溜まっていた澱のような感情を解き放ち、気持ちを浄化させる、と述べています。カタルシスと呼ぶこうした状態を体験するためにも、生徒の皆さんに、数多くの良き映画や劇などの作品に触れてみることをお勧めします。

3月8日(水) 川俣高等学校長

想像以上

私たちは、一定の未来予想図を抱きながら物事に取り組みますが、その通りにいはいかない場面にも多く遭遇します。そして、それは、想像していた成果を大いに上回る場合もあります。昭和50年代の始めに、マイコン・チップの新しい販路先を模索していた企業がありました。冷蔵庫やミシンなどへの取込みを考える一方で、アメリカの事例を探ってみると、マイコン・チップを組み込んだ小さなおもちゃの製造をしていることを知ります。会社内で行われた検討会では、ほぼすべての役員がそのおもちゃの製造に反対を唱えます。でも、開発チームの商品に対する熱い思いから、試しに売り出してみよう、ということになり、結果、これが大当たりします。マイコン・チップ付きのプラモデル形式で販売したところ、自分で小さなコンピュータを組み立てる喜びを体験できるため、多くの需要を生み出します。加えて、特殊な電源を要するため、そのアダプタが開発されたり、テレビゲームのような製品ができると、そのゲームを扱う本が出版されるなど、サードパーティーが飛躍的に充実するなどしたそうです。大きな成果が生み出される背景には、常に、真摯に向き合う姿勢があります。

3月7日(火) 川俣高等学校長

能 力

今から30年程前に、企業に対して、21世紀に企業が求める基礎的・基本的能力についてアンケートを実施したところ、従来から重要であり、今後も重要と思われることとしては、行動力、人間関係を円滑にする力、新しい経験や知識を身に付ける力、論理的に考える力、課題を発見する力が上位になったそうです。一方で、今後新たに重要となることとしては、状況に柔軟に対応する力、コンピュータ活用能力、異文化を受容する力、情報収集力、語学力が上位となりました。今になって考えてみると、当時の認識は正しかったようです。そういえば、千葉商科大学の学長であった加藤寛氏も、社会科学系の研究をするには、自然言語と人工言語という2つの言語が基本となる、との話をされていました。ここでいう自然言語は英語を、また、人工言語とは情報を指します。私たちが今を生きる上で、こうした力を総合的に育成する努力は、一層その重要度を増しています。

3月6日(月) 川俣高等学校長

自我同一性

思春期から成長する過程で、自我がしっかりと固まった状態をアイデンティティと称したのは、人類学者エリクソンでした。日本語では自我同一性と訳されています。自分から見た自分と、社会から見た自分に一致点が見出され、大人としての責任ある行動を取ることができるようになること、それがアイデンティティの一つの基準とされています。その長短はあるにせよ、自分の存在を探し求め、もがき苦しむ期間は誰もが経験することです。そして、その期間の脱却に欠かすことのできないもの、それが読書であることも忘れてはなりません。

3月3日(金) 川俣高等学校長

不言実行

言うは易く行うは難し、という言葉があります。言葉で表明するにも勇気を要しますが、実行する際にはより多くの困難を伴う、ということを意味します。百の言葉よりも一つの実行が大切であり、実行する裏付けがなくては、その言葉から重みが消え去る、という意味合いも含んでいます。一方で、自分の取り組んでいることの大変さを、他に語ることなく控えることを不言実行といいます。言葉以上に心を込ることに重きを置き、物事にあたることで立派な仕上がりにもなるし、周囲からの評価も高まる一面はありそうです。他者に惑わされることなく、自らの信念の下、取り組む姿勢を、武者小路実篤氏も、「見るもよし、見ざるもよし、されど我は咲くなり」と表現しています。

3月2日(木) 川俣高等学校長

共感力

生徒の皆さんは、テレビや映画を観ているときに、思わず主人公になり切っている自分に気づくことはありませんか。感情移入することは共感できたことを意味するため、心理的にも良いこととされています。主人公はなぜそういった行動を選択したのか、など考えながら観ることで、作品も一層身近なものになります。主人公の心理が理解できることは、相手の気持ちになって考えることのできる証拠です。周囲への思いやりの点からも、主人公の気持ちに自分の気持ちをチューニングしながら多くの作品を楽しんでみてください。

3月1日(水) 川俣高等学校長

趣 味

砂を集めることを趣味としている人がいます。旅行先で手にした岩手県浄土ヶ浜やアメリカのサンディエゴ海岸の少量の砂は、小さなガラス瓶に入れて大切にしています。インド洋のモルジブの砂にはピンク色のサンゴが、ジャマイカの海岸の砂には多くの巻貝が混ざっており、その時の海の美しさを思い出させてくれるのだそうです。また、アフリカのサハラ砂漠の砂は赤茶けた唐辛子に似た色をしており、また、南極越冬隊員の友人からもらったという南極の砂は、白を基調とした中に黒や茶色の粒がはっきりと見えます。砂にも個性があり、それぞれの匂いを持ち、振った時の音にも違いがあるそうです。五大陸の砂を集め比較することで、以前に、こちらの大陸とあちらの大陸が繋がっていたなど、発見ができたらうれしい、とその人は話しています。生徒の皆さんは、どんな趣味を持っていますか。

2月28日(火) 川俣高等学校長

ゴールデンタイム

朝起きてからの2~3時間は、人の脳が活き活きと活躍するゴールデンタイムと言われています。この時間帯で何をするかにより、一日でこなせる仕事量にも影響を与えます。でも、多くの人は、この貴重な時間を通勤や通学に要しています。読書などをしながら通勤・通学できる環境であればまだよいのですが、何も考えることなく過ごすには、もったいない気がします。できる限り早起きをして脳を活性化するためにも、防犯等の問題はありますが、カーテンを閉めずに寝ることを推奨する研究者もいます。朝日からの光刺激が網膜から縫線核に届くと、セロトニンの合成が始まり、セロトニンからのインパルスが脳全体に行き渡ることにより、脳をクールな覚醒状態にしてくれるのだそうです。朝日を浴びることで生じるセロトニンの存在が、快適な1日を確約してくれます。早起きは三文の徳ですね。

2月27日(月) 川俣高等学校長

精神一到

随分と前の話になります。山形県で生まれ育った阿部さんは、猛勉強の末に、希望する山形大学医学部に合格しますが、運動系サークルの練習中に頸椎の脱臼骨折を起こします。1年間のリハビリを経て大学に復学はしたものの、両手両足はほぼ麻痺した状態であったといいます。教授の中には、医師としての勤務は難しく、他の進路を選択した方がよいのではないか、と話す方もいましたが、医者になり社会貢献をしたい、という安部さんの強い意思を尊重し、彼は医学の専門課程に進むことになります。学習以外の要素を極力排除して懸命に学ぶ彼の姿を見て、大学は、大学の目の前に通学用宿舎を用意するなど配慮してくれたそうです。また、多くの友人が彼の車椅子を押したり、ノートのコピーを手伝ってくれました。そして、彼は見事に医師国家試験に合格します。彼は山形県内にクリニックを開業し、社会貢献をしたいという当時の信念の下、今日も診療を行っています。ちなみに、彼のモットーは、精神を統一して事に当たれば、どんなに難しいことでも必ず成し遂げることができる、ということを意味する、精神一到何事か成らざらん、です。

2月24日(金) 川俣高等学校長

光 沢

床の掃除と言えば、掃く、拭く、磨く、を基準とします。ある大手スパーでは、そこに、床に光沢計をあててそのピカピカ度を測る、という工程を加えるのだそうです。たとえば、光の80%が反射されると80という数字が表示され、かなり光沢に優れていますが、60であれば、やや光沢に欠けるため再度磨く必要があるなど、一定の目安にしているのだそうです。お客様は、床が綺麗なのでお店に行こう、とは思わないかもしれないけれど、床が綺麗であれば気持ちよく買い物をしていただける、とのお店の方の思いから、毎日欠かすことなく取り組んでいるそうです。一方で、綺麗な床は、従業員にも大きな影響を及ぼします。床が綺麗なら棚も綺麗に整えよう、商品の並べ方にも気を配ろう、など、各人の意識が高まり、結果として、商品管理のレベル向上に繋がる、という副次的効果を生み出している、とのことです。さて、生徒の皆さんが学習活動をしている教室の床は、ピカピカでしょうか。

2月22日(水) 川俣高等学校長

高校生や大学生の時間間隔は、「今」に集約される傾向にあるのだそうです。情報化社会においてその度合いは加速しており、これまで以上に「今」を強く実感する場面が増えています。「今」起きたことを即時に伝える多くのツールにより、情報は個から個へとかなりの速度で駆け巡り、一瞬で全員が「今」を共有するようになりました。これは、目の前にある「今」を大切に生きることが求められていることであり、決して悪いことではありません。遠い過去、遥かな未来に思いをはせるのも、その出発点には、「今」への深い認識が必要です。

2月21日(火) 川俣高等学校長

大相撲力士の四股名には、海や山が多く使われていますが、意外にも川の付いた四股名はあまり見られません。これを日本人の川離れと結びつけて指摘したのが、以前に関東学院大学工学部の教授であった宮村忠氏です。かつて、海や山と同じように、川が日本人の郷土意識と強く結びついていた時代、たとえば、名横綱双葉山が全勝優勝した昭和18年頃には、山の付いた力士が5人、海の付いた力士が2人に対して、川を四股名にした力士も3人いるなどしました。それが徐々に少なくなった理由として、山は動かないが川は流れてしまう、という、相撲界のゲン担ぎの要素もあったようです。でも、川の復権活動にもなると考えた宮村教授は、学生も巻き込んで研究室一丸となり、勝手に、川の四股名の力士の応援を始めたそうです。大学の先生は、発想も行動も興味深いですね。ちなみに、かつて、北海道十勝地方出身で大関昇進を果たしたある力士に、地元の方々から、十勝川という四股名にしてほしいとの強い要望が出されたことがあったそうです。十勝川は、広大な十勝平野を貫き流れ太平洋に注ぐ大河で、多くの人に慕われています。でも、結果として、十番しか勝てなくなる、との落語にも似た理由により、その四股名にはしなかった、という話もありました。

2月20日(月) 川俣高等学校長

経 験

中国宋の時代のある大夫(たいふ)が、すぐに家を建てるよう大工さんに命じると、その大工さんは、「まだいけません。木が生です。生の材木で重い壁土を支えると、たわみが生じます。」と答えます。するとその大夫は、「木は枯れれば一層強くなる。一方、壁土は乾けば軽くなる。強い材木で軽い壁土を支えるのだから、たわみが生じることはない。」として、再度、即座の建築を命じます。大工さんは命じられるまま家を建てますが、出来上がったときは立派であったその家は間もなくたわみ、壊れることとなります。経験から学んだ大工さんの知恵は、現実に適応したものであったわけです。木枯と塗乾との間に存在する時間に注目することなく、材木や壁土など、ものにだけ注目し、一足飛びに論を進めたために起きた失敗談です。このように、言葉の上では、一見すると筋が通っているように思えても、実際には妨げとなるようなことを、「辞(じ)に直(なお)くして事に害あり」といいます。実践の伴わない、現実の裏打ちのない話には注意が必要です。

2月17日(金) 川俣高等学校長

行動の選択

福沢義光さんというプロゴルファーがいらっしゃいます。試合中に、彼の打ったボールがピンそばに止まりますが、よく見ると、赤とんぼがそのボールの下敷きになっていることに気づいたそうです。このまま打てば、小さな命を奪ってしまうことにもなる、と考えた福沢さんは、迷うことなくボールを持ち上げ、赤とんぼを逃がしてやります。ルールにより一打のペナルティーが与えられました。試合終了後にそのことを問われると、彼は、「もちろんルールは頭に入っていました。でも、そのまま打つには、あまりにも赤とんぼが可哀そうで。」と話されたそうです。そういえば、大リーグのベーブ・ルース選手にも似たエピソードがあります。彼の打ったボールがスタンドに飛んでいき、一人の男の子が抱いていた子犬に当たってしまったそうです。すると、彼は試合中にも関わらず、すぐにスタンドにいるその子のところに駆け寄り、子どもとともに子犬を病院に連れて行ったそうです。試合の勝ち負け以上に命の大切さを考えた行動です。咄嗟の判断や行動は、人の持つ本質を表します。ちなみに、前述した福沢義光さんは、彼の行為はユネスコ憲章の考えに合致することから、ユネスコ日本協会からフェアプレー特別賞を授与されました。

2月16日(木) 川俣高等学校長

必 然

生徒の皆さんは、セレンディピティという言葉を聞いたことはありますか。偶然に出会ったように見えて、実は、常に高い問題意識を持っていたからこそ必然に出会えるような場合を指します。たとえば、本屋さんで書棚を探しているときに、思わぬ書籍コーナーに目指す本が置かれていることに気づくことがあります。普段なら目に留まるはずはないのに、本にある帯の一文字が目に飛び込んできたり、本の装丁が少し気になったりして、その本の存在に目が行くときなど、まさにセレンディピティ現象が起きたのだと思います。本のほうから生徒の皆さんのことを手招きしてくれるのですから、高い問題意識を持っていると、かなりお得です。

2月15日(水) 川俣高等学校長

定向進化

ある種の閾値を超えると一気に繁栄し、また繁栄するがために副作用が生じて絶滅するという事例は、恐竜など生物の存在や王朝の在り方など、歴史を紐解くと多く見られます。こうした一連の流れを定向進化と呼びます。一旦ある方向に向けて進化していくと、それがそのまま行き過ぎてしまうことになるので、常に、現状に課題はないのかを冷静に考える観点が必要とされます。これは、生徒の皆さんが送っている日常を見直す際にも重要なことです。今ある課題をなくす(打破)だけではなく、多様性を取り入れて一層の進化や深化を図るためにも、是非、創造的打破の領域に踏み込んでみてください。

2月14日(火) 川俣高等学校長

淡 い

よく、はじめに言葉ありき、という言葉を耳にします。あのときの一言で元気づけられた、または、あのときの一言がなければ、など、言葉の力が大きいことは言うまでもありませんが、一方で日本では、言葉を明確に発することなく曖昧にする傾向がある、との指摘を受けることもあります。その一因は、日本の風土にもあるのかもしれません。日本中が色彩に覆われる桜や新録の季節、その色合いは、霞たなびく、とも表現できるほど、どことなく淡い感じに包まれます。色彩は、人の気持ちに大きな影響を与えます。淡い色合いをとおして想像する世界の深さが、日本人を思慮深くしている一面があるのかもしれません。

2月10日(金) 川俣高等学校長

自分の色

棋士の坂田三吉氏をご存じでしょうか。小さい頃から暇を見つけては将棋ばかり指していた三吉氏に、父親の卯之吉氏は、「ここに、赤と青、黄と紫、白と5色あるが、将棋しか見えていないお前には、白しか見えないのと同じこと。本来なら5つの色を学ぶべきところだが、お前は、白一色の世界でやっていくがいい。こうと決めたら気を散らすことなく、どこまでも白一色を貫きなさい。」と話します。卯之吉氏は三吉氏に対して、一途に一筋の道を究めることを教え、一方で、三吉氏はその教えを忠実に守り通します。数多くの実践をとおして彼は腕を磨き、彼の独特で個性豊かな指し方は、当時の将棋界を席巻することとなります。そして後に関西将棋名人となり、日本将棋連盟から、名誉名人「王将」が贈られました。生徒の皆さんは自分の色を知っていますか。もしも、まだ自分の色に気づいていないなら、友に聞くのも一つの手です。友はいつも近くにいて、想像以上に皆さんのことをよく見ています。

2月9日(木) 川俣高等学校長

他者への思い

周囲にいる人の心の痛みが分かるようになることは大切なことです。自分本位の見方により、冷静な判断を欠き、感情的、功利的に動いてしまうことはありますが、その未然防止のためにも、いつでも少し間を置き、逆の立場であればどう思うのかを考えた後に行動に移すよう心がけることが必要です。人は一人では生きていくことができません。永六輔氏も、「生きているということは、誰かに借りをつくること。生きていくということは、その借りを返していくこと。誰かに借りたら、誰かに返そう。誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげよう。」と話されていました。生徒の皆さんも、他者への思いを深くし、他者と支え合い、助け合って生きる姿勢を持ち続けてほしい、と願っています。

2月7日(火) 川俣高等学校長

読書の楽しみ

作家の富岡多恵子さんは読書について、「読書には幾通りもの楽しみがあります。知ることを知る。興味あることをさらに深く知るという未知なるものへの期待があります。自己の経験を他者の経験で確認し、分析し、客観化し、納得する面白さもあります。他者の論理の助けで、自分の中に新たな発見もできます。物語で、現実を横すべりするスリルもあります。疲れて萎えた気持ちを鼓舞される快感もあります。さらにもっと、人によって様々な楽しみがあることと思います。本は読まれることを目的として作られているので、手を差し出し、手に取ってみなければ、その楽しみは得られないでしょう。」と、新聞に書かれていました。そういえば、作家の井上ひさしさんがご自身のお子さんに言い続けていたこと、それは、騙されたと思って本を読みなさい、という言葉であったそうです。

2月6日(月) 川俣高等学校長

風の色

「奥の細道」の最初には、「片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず」とあり、また、「道祖神の招きにあひて取るもの手につかず」と記されています。松尾芭蕉の旅立ちへの思いが伝わります。旅に出ると、日頃見慣れた光景とは異なる街並みや自然の景観に触れることができ、多くの感動を覚えます。自分の中にある何かを、新鮮に意識する瞬間を体験できるのも、旅の魅力の一つです。スケジュール管理をされた旅であっても、ゆったりとした心で周囲を見渡す一時を持つことで、こうした瞬間を感じることができます。以前に、何かのキャッチコピーで、「ゆっくり歩くと風の色が見える。」というものがありました。「奥の細道」を読むと、松尾芭蕉の目にも風の色が見えていたのではないか、と思わせる箇所が多くあることがわかります。日常とは異なる環境の中で、新しい自分に出会うことができる旅、そうした旅を自然にできる時が早く来ることを願います。

2月3日(金) 川俣高等学校長

一生学び

世に様々な歌を出された小椋佳氏をご存じでしょうか。彼は東京大学卒業とともに銀行に入行し、その業務に携わりながら音楽活動にも取り組みます。定年を待つことなく退職すると、子どもを対象とした音楽劇作りにも着手するなど活動の幅を広げながら、その一方で、猛勉強の末に、東京大学法学部に学士入学を果たします。さらに、法学部修了後には、再度の学習を経て、東京大学文学部の学生になります。そのとき、彼は52歳です。月曜日から金曜日まで毎日、朝8時30分から夕方6時30分までの講義を受ける日々を送るとともに、土曜日や日曜日にはコンサートや講演活動をするため、出てくる言葉は、「時間が欲しい。」であったと聞いています。彼が学びに対して心に秘めていたこと、それは、「好きなことがないと嘆くことなく、好きになろうとしてみよう。」、そして、「答えのない問題を解きほぐす孤独な挑みを一生継続していこう。」だそうです。小椋佳氏のすべてを真似ることは難しいとしても、学びに向かう姿勢など、生徒の皆さんに少しでも参考となることがあれば幸いです。

2月1日(水) 川俣高等学校長

生徒の皆さんは、読書をする時間を確保していますか。厚いし、読むのに時間がかかる、などの理由で、本を遠ざけてはいませんか。本はタイムマシーンです。文字をとおして、戻ることのできない過去にも、先の未来にも行くことができます。本は魔法の箒です。簡単には足を運ぶことのできない国々にもひとっ飛びです。そして、本は鏡です。人の考えや感動など、心の深いところにあるものも、見事に映し出してくれます。文字文化を堪能できる本を、実際に手に取って読んでみませんか。

1月31日(火) 川俣高等学校長

やる気スイッチ

生徒の皆さんは、学習を始める際にやる気スイッチがあったらいいな、と思ったことはありませんか。それが、あるんです。脳には側坐核(そくざかく)という部分があり、そこを刺激すると活動を始め、やる気物質と言われるドーパミンが分泌されます。ただし、側坐核というのに、即座に反応しない特徴があるので一工夫を要します。ハーバード大学のアミィ・カディ教授は、それの一つに、たった1分間、両手を天に突き上げる、仁王立ちで胸を張る、などのパワーポーズをすることを推奨しています。また、今から学習を始めるぞ、と大声を出して叫ぶことも効果的としています。大声であればあるほど、その効果は高まります。世界的に有名なコーチであるアンソニー・ロビンズ氏も、「感情は、体の動きによってつくられる。」と話しています。

1月30日(月) 川俣高等学校長

司馬遼太郎氏の作品「坂の上の雲」には、「坂の上の青い天にかがやく一朶(いちだ)の白い雲」を追い求めていた明治時代の日本人が描かれています。先人の教えを知り、その域に達することが学びの原点であることは、明治時代も今も変わりはありませんが、一方で、変化の激しい現在においては、新たな雲を探し求める重要性もまた増しています。これから歩む道筋を、自分の手によって描くのです。その対応の一つに、志を持つことがあげられます。志を持つことにより、人は、その実現に向けた努力の過程において、感動的な体験場面を何度も目の当たりにできます。また、そのときに、大きな生き甲斐も感じることができます。志を持つことは、まさに、生きる上で不可欠とされる貴重なエネルギーを私たちに与えてくれます。

1月27日(金) 川俣高等学校長

笑 い

笑いの効能に関する諺や表現は多く見られます。笑うことでストレスが発散され、血圧や脈拍数が下がるなどの現象については、以前より話題となっていました。また、血液中のナチュラルキラー細胞や、ウイルスに対して防御機能のあるインターフェロンが、笑うことで増える事実も指摘されているようです。一方で、涙を流すことはどうでしょうか。人は一般的に、一日に0.5グラムから0.8グラム程度の涙を流しています。涙の成分のほとんどを水分が占めますが、消毒剤にも使われるリゾチームという酵素もわずかに含まれていることから、適度な涙は目の汚れを清めたり、目に栄養を与えるなど大切な役目をしているとされています。病理史学者であった立川昭二氏は、「病理学的に見ても、目の使い過ぎや病弱な状態のときは、涙も冷たい。」と、独特の表現で話されています。悲しみの涙以上に、感動したり心が高まった際に流す温かい涙は、笑い同様に私たちを元気にしてくれそうです。

1月26日(木) 川俣高等学校長

ためらい

私たちの持つ品位や品格については多く述べられているところですが、コラムニストであった天野祐吉氏もご自身の本の中で、「品とは自分の愚かさを知る心の動きから生まれてくるものであり、自己批評の機能を失ったところから品位の喪失は始まる。」と書かれています。では、自らの品を保つためにはどうすればよいのでしょうか。自分を客観視することの大切さを挙げる人もいます。客観視とは、行動を起こすにせよ、何かに興味や関心を持つにせよ、即実行の前に少しだけ間を置くこと、とも理解できます。うまくいくかどうかわからずに悩み、思い切って実行することができずにいる状態を指す、やや否定的な心の動きともされるためらいを、自己を慎重に見つめるための前向きのためらいと位置づけ、意識的に活用することで、健全な心、そして品を保つことができそうです。

1月25日(水) 川俣高等学校長

将来像

東京の明治神宮には、神社に加えて、約70ヘクタールに及ぶ森があります。元々は畑と草地であったところに、綿密な計画の下、1915年から6年間かけて人工的な森が作られました。全国から寄せられた樹木は約10万本とも言われています。その植林の際に最も考えられたこと、それは、50年後、100年後、150年後の森の姿であったそうです。そして、100年後には、天然の森に近くなるよう設計されたとも言われています。作家の椎名誠氏が以前、「日本人は遠くを見なくなった。」と新聞の記事に書かれていたことを記憶しています。確かに、以前の日本人は、100年後のことも視野に入れた取組をしていたのかもしれません。明治神宮の植林から、今、約100年が経ちました。森の姿がどうなっているのか、少し気になります。今後、どう変化するのかを見通す姿勢は、激動の現在であるからこそ必要とされることとも思います。

1月24日(火) 川俣高等学校長

生物社会

かつて横浜国立大学の名誉教授であった宮脇昭氏は、植物生態学を専門としていらっしゃいました。失われた熱帯林に植林を試みる際に、どの程度の割合で植林すべきかを学生に問いたところ、数メートルの間隔をあけて植えるべき、と答えた学生に対して、彼は、一平方メートルにつき3~4本植えるべき、と、密なる植林を推奨します。養分の取り合いになりませんか、と学生が尋ねると、彼は、密集状態になると、木は一斉に太陽を求めて上に伸びる傾向があるため、実は早く大きく成長する、と諭します。私たちが通常兼ね備えている感覚は、事実とは異なる場合も多くあるようです。ちなみに、彼は、上に伸び切れなかった幼木は、次のチャンスを待ち、少しだけ我慢しながら共存する、この形もまた、 長い歴史の中で繰り返されてきた健全な自然形態だ、と指摘します。 生物社会には、チャンスは何度でも存在します。

1月23日(月) 川俣高等学校長

苦 楽

昼夜や表裏など、反対の意を持つ語を並べる表現は多く見られます。対等に表記されていますが、一方があるから他方がある、という意味で使われる場合も多く見られます。苦楽もそうです。「苦があるから楽がある。闇があるから光がある。苦を生かせ。闇を生かせ。」という坂村真民氏の詩もあります。「楽のみ存在していれば、楽を楽とも感じなくなることもある。苦しみを味わうからこそ、本当の楽しみを感じることができる」とも言えます。そして、目の前にある苦しみは永遠に続くものではなく、いつかは必ず終わりが来ます。苦を乗り切った先、そこには希望があります。

1月20日(金) 川俣高等学校長

先入観

『舞姫』や『雁』の作者で知られる森鴎外は医者でもあり、3年間ドイツに留学するなどして、医学に関する見識を深めました。そうした彼の一つの研究課題が脚気でした。ビタミンB1 摂取により、その予防を図れることは後にわかりますが、当時の日本では、積極的にはその摂取を行ってはいなかったようです。加えて、彼が留学したドイツでは、脚気の原因は細菌による感染との理論が強く、森鴎外自身もそう思っていたようです。徐々にビタミンB1 を含む麦飯や米糖の効果がささやかれるようになっても、彼の手元に届くのは、細菌による感染を示す資料ばかりであった、とのことです。多くの功績を残した森鴎外であっても、先入観は真実を見えにくくする一面があります。私たちもそうです。一度信じたことを変えるには大きなエネルギーを要します。であればこそ、ものごとを客観的に見て判断する柔軟性は重要です。

1月19日(木) 川俣高等学校長

不安と行動

不安を感じるとき、それは、何らかのピンチや困った状況に陥った場合だと思います。どうしよう、と長く考えて思考停止のループに入ってしまい、何の解決にもならなかった経験は、生徒の皆さんにもあるはずです。イギリスの哲学者トマス・ホッブズ氏も、人間の感情において最も根源的なものは恐怖であり不安である、と言っています。では、不安を解消するにはどうすればよいのでしょうか。それは、行動を起こすことです。不安の源であるノルアドレナリンは、行動するためのエネルギーとされています。生徒の皆さんを困っている状況から救ってくれるエネルギー、これこそが不安なのです。何もしないと不安は増え、一方で、行動すると不安は減ります。だから、不安というエネルギーをどんどん使うことで、思いっきり行動を起こしてみてください。

1月18日(水) 川俣高等学校長