令和4年度

校長より

便利の裏側

ホノルルのタクシー運転手の間では、タクシーを利用する日本人観光客のことがよく話されるそうです。ホノルルのタクシーの場合、ドアは手動で開閉するため、降りた後で利用客がドアを閉めることになっていますが、自動ドアに慣れている日本人は開けたまま立ち去ってしまうため、運転手がその都度、ドアを閉めに外に出るのだそうです。文化の違い、と言ってしまえばそれまでですが、こうした自動ドアは、人の精神にも影響を及ぼす、と指摘する文化人類学者もいます。押し開き型のドアが多かった以前には、向こう側にいる人を押しのけることのないよう、自然に注意を払うなどしていたものです。また、ドアを通り抜けた後には、次の人のために、手でドアを押さえるなどして待つ心遣いもありましたが、こうした「後姿のモラル」とも言える気持ちや行為は、自動ドアでは必要としないため、人の心に何かしらの影響を与える、という指摘です。生徒の皆さんも、生活の中で少しだけ、自分の周囲の存在に意識を向け、心配りをしてみませんか。

4月7日(木) 川俣高等学校長

新たな学び

新年度は、人との新たな出会いのときです。またこの時期は、人から教わったりすることも、人に教えたりすることも多くあります。そして、こうした営みをとおして、自分の考えや人生観など、自らの進む道を再認識する機会でもあります。自分の道を真っすぐに進むことは人生の基本です。そのためにも、イギリスの哲学者ベーコンがいうように、「書を読むことは充実した人を作り、議論をかわすことは覚悟のできた人を作る。」という考えを念頭に置く必要がありそうです。これは、「玉 磨かざれば器を成さず、人 学ばざれば道を知らず。」という考えにも通じます。

4月6日(水) 川俣高等学校長

出口の発想

昔のデパートには1階にトイレがなく、2階以上に設置されていることが多くありました。これは、デパートはお客様に物を提供するところである、という考えの下、使用頻度の高かったトイレの位置をあまり考慮しなかったことによるものと言われています。ちなみに、1階にトイレを設置してみると、多くの客が店に足を運ぶようになり、トイレが人集めの財産であったことがわかりました。昔の東京駅も、必要性の高いトイレについては考えることなく、人を乗せたり降ろしたりする、いわば本来業務を優先して拡張を図ったことにより、トイレの位置がわかりづらくなり、特に外国人の旅行客には不評だったそうです。デパートでいう物を提供することや、駅でいう人の乗り降りなど、本来業務を「入口」とするのであれば、本来業務に付随して存在するトイレは「出口」となります。でも、建築においてもそうであるし、また、文化においても、この「出口」から発想を展開することは重要です。夏に涼しい風を欲するのであれば、まずは木陰を作ってくれる木を植える、また、良き友人を得たいと思うのであれば、まずは心豊かになるためにも本を読む、など、生徒の皆さんも、日常生活の中に、出口の発想を多く取り入れてみませんか。

4月5日(火) 川俣高等学校長

不 安

人は他者からの評価を気にする生物です。いい評価を得た場合には取組の励みにもなりますが、逆の場合には、特に気持ちの落ち込みが大きくなり、モチベーションにも影響が及ぶなど、結果として不安も増します。でも、自然科学には動的平衡という言葉があります。常に動いている(評価の幅が大きい)のに、平均すると平衡状態にある、というこの現象と、日々の取組は類似しています。他者からの評価によっては誰もが感じる不安、その不安を楽しむくらいの気持ちを少しだけでも持てれば、毎日学ぶことで、多くの知識を手に入れることができます。学びから知識を得る、楽しい学問の旅を体験できます。

4月1日(金) 川俣高等学校長

小さな幸福

人が生活を送るとき、喜びとともに、悲しみや苦しみを伴う場面が多くあります。それらを乗り越える力を求められますが、でも、ちょっとした心の拠り所がほしいのも事実です。そんなときには、周囲にある小さな幸福を感じてはみませんか。黒田三郎氏は私たちに、次のような詩を送ってくれています。「秋の空が青く美しいというただそれだけで、何かしら、いいことがありそうな気のする、そんなときはないか。空高く噴き上げては、むなしく地に落ちる噴水の水も、わびしく梢をはなれる落葉さえ、何かしら喜びに踊っているように見える、そんなときが。」

3月30日(水) 川俣高等学校長

個性の伸長

自分の個性を大切にすることは言うまでもありません。作家の水上勉氏は、著書「働くことと生きること」の中で、大工である父親が言った言葉を次のように表現しています。「近頃の大工は、何もかも機械でやるから、機械にかからぬ材料は捨ててしまう。曲がった木は機械にかからん。曲がったものが重宝する場所にも真っすぐな材料で済まそうとするから、建材はすぐに壊れる。山にはそれぞれの事情によって、曲がった木や曲がらぬ木が生えている。曲がった木が悪くて曲がらぬ木がよい、というはずはない」。この言葉、よく理解できますね。

3月29日(火) 川俣高等学校長

花は咲く

マラソンの瀬古利彦氏の恩師である中村清監督が、瀬古選手とともに知床半島を訪れたときのことです。人が足を踏み入れたこともなさそうな山奥に向かうと、ひっそりと桜の花が咲いていました。心が洗われるようなピンクの花を目にした中村監督は、「この桜は、人が見ようと見まいと、きちんと花をつけている。お前も、人が見ていようと見ていまいと、一生懸命に練習しなくてはいけないよ。つらい練習もそうだが、充実した練習だと感じても、それは敢えて人に見せるものではないよ。」と、瀬古選手に話したそうです。人の目に触れずに取り組み、そして努力すること、また、精一杯の営みに徹し切ることは、ある意味、とても辛いものですが、私は思うのです。人知れず陰で取り組んでいたとしても、どこかで誰かが、そうした努力する姿をそっと見ていて、その人の記憶にとどめているのではないか、と。

3月28日(月) 川俣高等学校長

峠を登る

詩人である真壁仁氏の「峠」の一節には、「峠に立つとき、過ぎ来し道は懐しく、開け来る道は楽しい。人はそこで、一つの世界に別れねばならぬ。」とあります。生徒の皆さんが進級をするとき、あるいは卒業をするときの心境に似ているでしょうか。峠に立ち眺める光景は、きっと皆さんを爽快な気分にしてくれるし、顔にあたる風は心地よいものであると思います。峠を登ることは苦しみを伴いますが、それを乗り越えたときに、自らの成長を実感できるのだ、とも思います。一つの峠(目標)を越えれば、また新たな峠越え(目標達成)が待っています。生徒の皆さんは今、どんな峠を登っていますか。峠を登る自分の姿は見えていますか。そしてこれまでに、いくつの峠を越えてきましたか。これから、いくつの峠を越えるのでしょうか。

3月25日(金) 川俣高等学校長

知識や情報の活用

生徒の皆さんは、日々学ぶことで多くの知識を蓄え、そして様々なツールをとおして、日々多くの情報を得ています。でも、その知識や情報を活かすことについては考えているでしょうか。儒学者の貝原益軒は慎思録の中で、「知っても、これを行わなければ知らないのと同じである。」と述べています。知識や情報に生命を吹き込むのは、生徒の皆さん自身です。それらを自分のものとするためにも、一歩進んだ取組をしてみませんか。

3月24日(木) 川俣高等学校長

精神の根本性能

生徒の皆さんは何かに取り組んだときに、この位でいいや、と思い、その取組を終えてしまった経験はありませんか。自分の豊かな能力や開ける未来を、早期に見限ることにもなりかねないこうした気持ちは、人の持つ向上心にとって大きな障害となります。物質の根本性能は重力として下に向かうのに対して、精神の根本性能は重力に抗して上に向かいます。これまでの人の進歩を支えてきたもの、それこそ向上心なのです。常に一段上を目指し、歩みを進めたいものです。

3月23日(水) 川俣高等学校長

努力の継続

「結局、まだこれからしばらく生きないと、調子が出てこないね。年をとればできるかと思ったら、努力が足りないのか、なかなかできないね。年齢はたくさん生きても、努力が続かなければだめなんだね。」これは、テレビの取材を受けた際に、陶芸界の第一人者であった加藤唐九郎氏85歳のときの言葉です。加藤氏は次のようにも述べています。「ま、これから勉強して、ものになるつもりでおるんですがね。年齢は別にして、結局、まだ未熟なわけですわ。」さて、生徒の皆さん、私たちが通常よく口にする「努力している」という言葉、本当の意味で努力しているのでしょうか。加藤氏の言葉から考えさせられることは、かなり多くありそうです。

3月22日(火) 川俣高等学校長

東日本大震災のあった年に、1年間を象徴する言葉として選ばれたのは絆でした。その2年後には、輪という言葉が選ばれます。未曽有の大災害をとおして、11年間にわたり、特に福島県に住む私たちにとって、友人や知人、そして家族の絆の在り方、また、人の輪の大切さを考えさせられる機会が多くありました。人を思い、そして、人に思われる。人は、周囲の人に支えられ存在しています。生徒の皆さんは、教師である私たちに支えられることもあり、また、私たち教師は、生徒である皆さんの存在に支えられることが多々あります。私たち教師は、生徒の皆さんとの絆を感じ、それを生き甲斐としています。そして、皆さんの家族もまた、皆さんとの絆を感じたい、と切に願っています。特に春季休業中は、家族の絆について真剣に考えることのできる期間です。新年度にやりたいことについて、自らの進路について、また、自分の今考えていることについて、家族の方々とたくさん話をしてほしいと思います。

3月18日(金) 川俣高等学校長

継 続

一日のわずかな努力でも、長期に継続することで大きな実を結ぶことはよく知られています。吉田松陰も次のように述べています。「一日一字を記さば、一年にして三百六十五字を得、一夜一時を怠れば、百歳の間に三万六千五百時を失う」。こうした考えが、日々努力する背中を押してくれているのも事実です。生徒の皆さんも、成果を信じて確かな歩みを進めてほしいと思います。

3月15日(火) 川俣高等学校長

サン・テグジュペリの著書「星の王子さま」に、「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目に見えないんだよ。」という表現があります。欲にこだわって生きる多くの星の大人は、ものの真の姿を見ることができなくなっている、このことを知ったときの王子の言葉です。心で見るためには、欲のない、わだかまりのない、純真な心を持つことが必要です。本質(目に見えないもの)を見極めることは難しいことですが、やってみる価値はありそうです。

3月14日(月) 川俣高等学校長

今日という日

今日を疎かにしておきながら、明日はどうなるか、と気にする人がいます。今日の挑戦が明日問われる、ということを忘れてしまいがちですが、大切なのは、力の限りを尽くして今日を生きることです。明日のことは、明日になってみれば自然にわかります。生徒の皆さんも、今日を精一杯生きてみませんか。物理学者ニュートンも、「今日、できる限りの全力を尽くしなさい。そうすれば、明日は一段の進歩がある。」と述べています。

3月11日(金) 川俣高等学校長

迷い

何かを成し遂げようとするとき、迷うことなく目標を達成できることはめったにありません。高い目標であればあるほど、人はあれこれと迷い、そして悩むものです。ゲーテのファウストにも、「人間は努力する限り、迷うものである。」と述べられています。迷いこそ生きている証であり、迷ったあげく目標に到達するところに大きな価値がある、とも言えます。生徒の皆さん、迷うことを苦に思わないでください。迷い、それは真剣に努力しているからこそ存在するのです。

3月10日(木) 川俣高等学校長

失敗と成功

結果を伴うことに挑戦するとき、人は、どうしても失敗を恐れる傾向にあります。だから、「失敗は成功の母」や「禍転じて福となす」など、励ましの意味を込めた表現が多く見られます。そういえば、同じ結果を得たとしても、ある人は成功と感じ、一方で失敗と感じる人もいます。それは、目標をどこに置いていたのか、または、その取組の過程において、どのくらい本気度を高めて取り組んだのか、によるものだと思います。いずれにせよ、仮に、一時失敗しても、人にはやり直す時間はたくさんあるし、また、人はそうする力も備えています。「我らのつとめは成功にあらず。失敗にたゆまずして、さらに進むことなり。」という言葉もあるように、前向きな取組の継続を図ることこそ、成功につながる近道であると思います。

3月9日(水) 川俣高等学校長

しぐさと文化

私たちは人を呼ぶときに、上から下に手をヒラヒラとさせますが、海外では多く、下から上に動かすことで人を呼びます。これは、例えば、上から下に流れる滝を美的鑑賞する日本人の感覚と、下から上に噴き上げる噴水を楽しむ海外の感覚との違い、とする人もいます。そういえば、軒を上から押さえる日本の瓦屋根と、下から天に向かう西欧建築の塔にも当てはまります。また、足を踏みしめる日本の舞と、上に跳躍する西欧の舞踏もそうですね。数年単位ではなく、永きにわたる文化的背景や習慣により生じる考えや行動、この比較をしてみるのも興味深いことです。

3月8日(火) 川俣高等学校長

生きる、そして生かされる

生徒の皆さんは、エッセイストの大石邦子さんをご存じでしょうか。彼女が半身不随となり、病室で2度目の春を迎えたときのことです。会津若松の鶴ヶ城に咲く3千本のソメイヨシノを見ているうちに、急に大きな孤独感がこみ上げてきて、大石さんは大声をあげ、手当たり次第に物を投げつけ始めたそうです。疲れ果てて物を投げる気力がなくなったとき、駆け付けていた看護師さんは、「ちょっと桜を見てこようか。」と、そっと優しく声をかけ、大石さんに背中を向け、大石さんをおんぶして外に出たそうです。看護師さんの背中の温かみが伝わると、麻痺した体が溶けていくように感じた、と、後に大石さんは話されています。そしてそのとき、両親や親戚、友人など多くの方々の顔が浮かんだそうです。何と多くの人に支えられて自分は生きているのか、このことが大石さんに力を与えます。生きることは、周囲の方々に生かされることと同意だ、とも感じたそうです。多くの命の絆に結ばれて、生き、そして生かされる。生徒の皆さんも、そうしたことを感じる瞬間があるかもしれません。

3月7日(月) 川俣高等学校長

日本と雪の関係は深く、そのことは、雪に関する言葉の多さからもうかがえます。綿をちぎったようなふんわりとした綿雪(わたゆき)、牡丹の花に似た牡丹雪(ぼたんゆき)、細雪(ささめゆき)は、雪が細かく降る様子を言います。斑雪(はだれ)は、春先に降った雪が地肌にまだらになっている状態を指し、また、きめ細かく降り積もり、しまった感じのしまり雪、木の枝などに、まるで紐のように垂れ下がった雪紐(ゆきひも)、電線に積もった雪が凍り付いて、電線を包む筒状になった筒雪(つつゆき)という言葉もあります。門柱などに積もり帽子を被ったように見えるのは冠雪(かんむりゆき)と表現します。降り過ぎる雪には大変なことも多く生じますが、雪には、日本の情緒を感じる側面もあります。

3月2日(水) 川俣高等学校長

機械科閉科式

本日3月1日には、本校において卒業証書授与式が行われます。それに先立ち、昨日には、本校機械科の閉科式が開催されました。その際にお話したことを掲載いたします。

私たちの周囲には様々なものがあり、それを使うことにより、私たちの生活は一層豊かになります。人の役に立つものづくりができるよう、そのための考え方や方法を学ぶ場所、それが機械科です。ものづくりには、技術の向上を図ることに加え、従来存在するものを別の観点から見て、よりよいものとするための発想力も求められます。そうした柔軟な考えや、その考えを形にする技術を身に着けるべく、機械科の生徒の皆さんは、日々学習に、そして実習に励んでこられたことと思います。本校の開校以来113年のうち、78年間を共に歩んできた機械科、そして、地域から支援をいただきながら、その地域と共に成長してきた機械科が、今年度をもって閉科となり、その歴史に幕をおろします。機械科に寄せられる期待は、川俣高等学校に寄せられる期待でもあります。ものづくりの精神を守るためにも、次年度以降も、普通科の生徒の皆さんを対象に、工業に係る基本的な選択科目を設定するなどして、川高機械科魂の継承を図ります。

3月1日(火) 川俣高等学校長

試 練

明日3月1日には、卒業証書授与式が行われます。本校から巣立つ3年生に、孟子の言葉をとおしてメッセージを送ります。「天が人に対して重大な任務を与えようとするときには、必ず、まずその人の精神を疲れさせ、行動(することなすこと)を失敗させ、しようとする意図と食い違うようにさせるものである。これは、天がその人の心を発憤させ、性格を辛抱強くさせ、今までにできなかったことも、できるようにするための貴い試練である。人は苦しみ思案に余って悩み抜いてこそ、はじめて発憤して立ち上がり、そして、その煩悶や苦悩が顔色にも表れるようになってこそ、はじめて解決の方法を心に悟るのである。」確かに厳しい言葉です。でも、試練は誰にでも訪れるもの、であれば、重大な任務を自分に与えてくれる天(会社)に感謝して、これまでの先人(先輩)もそうであったように、その克服を図るべく全力で取り組んでみませんか。1年後に振り返ったときに、間違いなく、1年前の自分を褒めてあげられるはずです。

2月28日(月) 川俣高等学校長

 

人の教え

書家の相田みつをさんは、兄からの言葉に大きな影響を受けたそうです。相田さんが旧制中学4年生の頃に、家計を助けるべく刺繍をしながら兄が相田さんによく話したこと、それは無抵抗の人をいじめることは最低だ、ということでした。また、相田さんの足先を指さし、「お前の足袋(たび)には穴があいているけれども、そのことは一向に恥ずべきことではない。その穴のために、心が貧しくなることの方が恥ずかしいことなのだ。その足袋の穴から、いつもお天道様を見ていなさい。」とも話したそうです。人生を生きる以上は、自分の心の底から納得できる生き方をしよう、との兄の話があったからこそ、相田さんの作品からは心地よい温かさを感じるのかもしれません。言葉の持つ力は、私たちの想像以上に大きいとも言えます。

2月25日(金) 川俣高等学校長

無用の用

以前は、家族数も多かったことから家も大きく、部屋数も多くあったものです。必然的に、家の中には使われない部屋も存在していました。小さな子どもの感覚でいえば、そうした部屋には一体何があるのか想像してみたり、時には恐怖心を抱くなどしていたものです。今では、不要なものはできる限り取り除かれ、周囲には必要なもののみ存在するようになりました。必要に慣れ切った生活をしているために、不必要で無駄とも思えるものと偶然遭遇すると、戸惑う一方、でも、人生に係る貴重な問いや反省、想像する喜びや刺激などを受ける場合もあります。私たちの心の中に、こうした無用の用的存在を許容することは、自分の価値観を高めるためにも必要なのかもしれません。

2月22日(火) 川俣高等学校長

支 援

人は誰かに支えられて生きています。でも、通常、そうした支援を意識することなく、私たちは生活を送っています。では、そうした支援のありがたさを強く感じるときはいつでしょうか。その人が去った瞬間です。これまで何の問題もなく生活を送ることができた一面には、そうした陰からの支えがあったことを痛感します。人との別れは実にさみしいものです。でも一方で、そうした支援を受けずとも、十分に独り立ちできるとの判断から、その人は去ったのかもしれません。そう信じたい、とも思います。生徒の皆さんの周囲にも、そうした支援を送ってくれる存在の方が多くいます。皆さんを守ってくれています。そのことに感謝するとともに、是非、皆さん自身にも、周囲の人を支える存在になってほしい、と願っています。

2月21日(月) 川俣高等学校長

独創性の原点

ファッションに興味を持つ人は多いと思いますが、イメージとは異なり、その創造の過程は実に地味なものだそうです。デザイナーのコシノ・ジュンコさんは、新しいものを創造する際に最も重要なこととして、まずは、目の前のものを一つ一つ丁寧に見る目、を挙げています。現存するものをしっかりと捉えることに時間をかけ、その後に、その色や形、使う場面や使用する人にまで、徐々にそのイメージを広げていくのだそうです。独創的な発想は、現在の自分とかけ離れたところにあるものではなく、むしろ、身近な日常の中に存在しているのかもしれません。

2月18日(金) 川俣高等学校長

SNS疲れ

スマホユーザーが増えるにつれて、SNS疲れを感じる人の割合も増加しています。ある調査によれば、SNS疲れの経験があると答えた人は全体の42.7%、20代女性では65%にもなった、とのことです。SNSは心理的距離を縮めるのに大きな効果を発揮する一方で、その距離感が近くなりすぎると、トラブルの原因にもなります。そういえば、心理学では、ヤマアラシジレンマという概念があります。寒さの中、2匹のヤマアラシがいます。離れていると寒いので近づこうとすると、お互いの針が相手に刺さって痛みを感じます。離れたり近づいたりを繰り返しながら、ちょうどよい適度な距離感を見つける、といったものをそう呼びます。私たちが日常生活を送る際にも、こうした概念を念頭に置く必要がありそうです。

2月17日(木) 川俣高等学校長

守破離

茶道や武道などにおける学びの姿勢を示すものとして、守破離(しゅはり)という言葉があります。守とは、型を守り基本に忠実に行うこと、破とは、型を破り創意工夫により他のやり方を学ぶこと、そして離とは、型を離れ独自性を打ち出すなど新たな型の創造を図ること、を表現しています。この考えを、4月より社会人となる3年生の皆さんに当てはめると、次のようになると思います。守として、仕事の基本を学び、言われたようにできるようにする。破として、教わったことに加えて独自に学ぶなどして、新たな仕事の領域に挑戦する。離として、教わったことを発展させたり応用したりして、自からの取り組み方を開発する。時間はかかるかもしれません。むしろ、時間をかけてもいいのです。社会人として常に念頭に置き、確実な歩みを進めてほしいと思います。

2月16日(水) 川俣高等学校長

新しい出発

水上勉氏は、9歳で親元を離れお寺に入るなど、様々な経験をされた後に作家になられた方です。彼のエッセイ「くも恋の記」には、「心構えについて、たった一つだけ言っておきたいことがある。それは、挫折は何度でもやって来る、ということである。社会というところは、人生に挫折を与えるよう仕組まれている。この挫折という危機を越える人は大きくなる。一つ一つ、自分の劣等感を克服するチャンスを与えてくれる挫折は、まさしく新しい出発にもなる。」と記されています。誰もが経験したくはない挫折に、新たな出発点という意味合いが含まれていると知れば、その克服を図るエネルギーも湧いてきます。

2月15日(火) 川俣高等学校長

大器晩成

作家の深田祐介氏は、26歳のときに小説「あざやかな人々」で文学界新人賞を受賞しますが、その後、苦労の時期が長く続きました。会社勤めをする一方で、悩みながらも休日には原稿用紙に向かう生活を続けていた深田氏に対して、親交のある作家井上靖氏は、「20代で成功を収めるという意識を断ち、しばらくは筆を折って、もう一度チャンスがあったら出直すくらいの気持ちでいいんじゃないか。」とアドバイスを送ったそうです。深田氏が再びペンをとったのは40歳のとき、そして、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したのは44歳のときです。「天才でもない自分が晩成するというのは、たとえ挫折という精神的な苦痛を経ても、愚直なまでにこだわりを持ち続け、自分の能力を開花させる技術を磨くことにつきる。」と、彼は話しています。私たちの生き方にも、大いに参考になる言葉です。

2月14日(月) 川俣高等学校長

五十歩百歩

孟子による有名なたとえ話「五十歩百歩」は、生徒の皆さんもよく知っていることと思います。五十歩と百歩のどちらも逃げたことには変わりがない、という意味で、大差ないことを指す比喩として使われる表現です。もちろん、その意味は十分に理解した上で、あらゆる場面で程度の差を完全否定することへの、少しだけ躊躇の念があるのも事実です。人が行うことには、完璧ということはあまりありません。完璧とは言えない小さな努力にも、大きな意味があります。「5ではないという点において、2も3も同じである。」という論理は、成り立たない場面も多くあるのではないか、とも思います。特に、教員である私たちには、常に持つ必要のある概念なのかもしれません。

2月10日(木) 川俣高等学校長

人は一人では、その力を十分に発揮するのに限界があります。そうしたときに頼りになるもの、それが人間関係です。社会学者ポール・アダムスによれば、人間関係は親しい順に、「親友、相談相手、癒し手、仲間、協力者、情報源、知り合い」の8パターンがあると話しています。そのうち特に、親友、相談相手、癒し手の3者を強い絆と捉えており、その数は、多くて15人程度だそうです。生徒の皆さんの周囲には、そうした絆を築いている人が何人いますか。今現在、15人はいなくても、何の心配もいりません。将来において、強い絆を築くことのできる余地が残されているわけですから。

2月9日(水) 川俣高等学校長

曖昧さ

電車に乗ろうとして目の前でドアが閉まったとき、あなたはどういった表情をするでしょうか。作家の椎名誠氏は、「アメリカ人は大げさなアクションで残念だと表現し、イタリア人は「何という不運」と激しく嘆いてみせる。ドイツ人は無表情に電車を睨みつけ、中国人は「次がある」と泰然自若そよとも騒がぬ。」と、随分以前の本に書いています。もちろん、それぞれの国民の方すべてに当てはまるわけではありませんが、国民性の一端は反映されているのかもしれません。では、日本人はどうでしょうか。椎名誠氏は、「ニヤニヤ笑う。」と表現しています。このニヤニヤの裏に隠された不確実な曖昧さが、周囲の人にはわかりづらい、とも指摘されています。知らず知らずのうちに、私たちも多く、こうした表情をしているのかもしれません。曖昧であることが大きな誤解を生じさせる場合もあります。恥ずかしさ故のこうした表情であったとしても、少しでも見直す努力は必要なのかもしれません。

2月8日(火) 川俣高等学校長

青春と老い

「若さとは、人生のある時期のことを指すではなく、心の在り方を指すのである。」こう言ったのは、実業家であり詩人のサミュエル・ウルマンです。彼は、「人は歳月を重ねたから老いるのではなく、理想を失うときに老いるのである。歳月は皮膚にしわを刻むが、情熱の消滅は、魂にしわを刻む。」とも述べています。そして、「若くあるためには、易(やす)きに流れようとする心を、叱咤する冒険への希求がなければならない。大地や人から、喜び、勇気、崇高さを感じる限り、その人は若いのである。人は、その信念に比例して若くあり、疑いに比例して老いる。」など、とにかくエネルギーに満ちた表現を多く残されました。ちなみに、こうした言葉を世に残したのは、彼が80歳のときです。まさに、80歳にして青春です。生徒の皆さん、10代で老いる考えなど持ちたくはありませんね。

2月7日(月) 川俣高等学校長

天気予報

かなりの確率で的中する天気予報ですが、天気は生活にも深く関係するので、人は以前から、暮らしの中で培った経験により天気を予想していました。例えば、山が近くに見えると雨になる、と、よく言われます。これは、大気に多量の水蒸気が含まれると、遠方の山が見えにくくなるために引き起こされる、視覚的・心理的現象とされています。また、朝やけの後には雨が降る、というのは、空気中に水分の微粒子が多いときに生じる現象が朝やけなので、朝やけが見えると大抵、昼頃までに雨が降るのだそうです。加えて、星がチカチカすると雨、というのもあります。大気中の温暖な空気層と寒冷な空気層を星の光が通過すると、光が屈折します。この現象は低気圧が接近しているときに起こるので雨が近い、とされています。昔の人は、経験から知識を作り上げる名人ですね。

2月4日(金) 川俣高等学校長

人に好まれる

性格心理学を研究されていた東京都立大学託魔武俊教授は、周囲から好まれる人の本質を次のように分析されていました。「総合的に見て、好まれる人には2種類あります。1つは、心の底から湧き出るエネルギーがあり、明るく積極的に生きていこうとする意欲を持つ人です。これを前向きの構えといいます。もう1つは、内面を見る目を持つ人です。静かに自らを凝視し、自分はこれでいいのか、常に自らに問い質す姿勢を持ち合わせている人です。」言われることはよく理解できるものの、実際に取り組もうとすると、難しそうですね。でも、毎日少しずつでも実践を図ろうとすることこそ、大切なのかもしれません。

2月2日(水) 川俣高等学校長

失敗後の対処

茶人である千利休のところに豊臣秀吉が訪ねてくるため、総出で準備をし、すべてが整ったそのときに、小坊主が花を生ける器の花生(はないけ)を落としてしまい、その口のあたりにひびが入ってしまったそうです。別の花生を用意する時間もなく、思案した千利休が取った行動、それが、花生のふちを縁側の端に叩きつけ、さらに大きく斜めにひびを入れ、その裂け目に花を生ける、といったものでした。その風情は、また違った新鮮な美しさを醸し出し、豊臣秀吉を大いに喜ばせたそうです。失敗を積み重ねてこそ人は大きくなれる、といいます。加えて、大切なのは、失敗の後の対処の仕方です。冷静な判断の下、これまでの経験を結集した対応ができれば、想像もしなかった良い結果をもたらすことにもなります。

2月1日(火) 川俣高等学校長

体 格

時代を追うごとに、人の平均身長は伸びていると考えがちですが、意外にそうではありません。桃山時代まで、日本人男性の身長は平均160センチ以上あったとされていますが、江戸時代になると徐々に低くなり、最も身長の低いときが幕末で、155センチであったとの調査もあります。その要因として、江戸時代の肉食禁止措置や雑穀中心の食事等により、人が慢性的なタンパク質不足に陥っていた、という時代背景が関係しているようです。ある事象には必ず、それを引き起こす要因があります。生徒の皆さんも、周囲にある事象に目を向けてみてください。それは、偶然にそこにあるのではなく、確固たる理由の下、そこに存在しているのです。

1月31日(月) 川俣高等学校長

知識と情報

生徒の皆さんは授業をとおして新たな視野が広がったときに、心の底から喜びを感じると思います。知識は生きる上で大切なものであり、また、自らを守ってくれるツールでもあります。そして、知識を吸収する際には多くの情報を必要としますが、ネットに溢れるそれは玉石混淆であり、中には強い思い込みによる偏った主張も含まれているのが現状です。自らの判断を適切に行うためにも、情報の内容を見極める力が求められています。そして、問題の背景に横たわる本質を追求するためにも、本校の授業をとおしてそうした力の育成を図るなど、知的探求心を常に持ち続ける生活を送ってほしいと思っています。

1月28日(金) 川俣高等学校長

親 指

英語では、He has eight fingers.と表現することがあります。数が合わないのは、親指をthumbという別の語として扱うことによるものです。日本語では、その表現からもわかるように、親指を重視する傾向がある一方で、英語圏では、thumbはfingerほどには思われていないようです。His fingers are all thumbs.とは、「彼は不器用です。」という表現であることからも、そのことがうかがえます。どうしてそうした表現を使い、どうしてそうした意味を持つようになったのか、その歴史的・文化的背景を知ることで、一層、知識の深化を図ることができそうです。生徒の皆さんも、身近な言葉から、文化の違いを感じ取ってみませんか。

1月27日(木) 川俣高等学校長

今しかできないこと

作家の沢木耕太郎氏が、過去を振り返って話をされたことがあります。「中学生の頃まで住んでいた家の近くに、古本屋さんがありました。店主はいつも黙って、本を見る私をいい意味で放っておいてくれたので、本好きの私にとってはありがたく、よく足を運んでいました。ルポルタージュを書くようになってからも、よく立ち寄りました。あるとき、店主が私に話しかけてきました。今では何と声をかけられたのかも思い出すことはできませんが、間違いなく、そうした声かけは初めてのことだったと思います。そのとき、私は少し疲れた表情をしていたのかもしれません。声かけは店主の気遣いだったのでは、と、今では思っています。でも、私は返事をすることもなく、すぐに視線を古本の棚に向けてしまったのです。その店主が亡くなったのは、それから間もなくのことと聞きました。そのときの私は、何をそんなに急いていたのだろう。後悔しかありません。」私たちの周囲には、今しかできないことが想像以上に多くあります。でも、いつでもできることを優先して、選択してしまう場合も多く見られます。大切なことを見落とさぬよう、心がける必要がありそうです。

1月26日(水) 川俣校長学校長

ものに宿る自らの存在

靴職人だった小説家水上勉さんのお父さんは、靴には人の癖や性格などがよく出る、と話されていたそうです。靴はその履き方により底の減り方などが変わるので、実際に、玄関に置かれた靴を目にしただけで、どういった性格の人が履いているのかがわかったそうです。これは靴に限ったことではありません。ものには使う人の魂が宿ります。ものをよく見ることで一層深く人を知ることもできるし、一方で、使っているものから、自らを顧みる機会を得ることもできます。

1月25日(火) 川俣高等学校長

楽しんでやらなきゃ

シェイクスピアの戯曲「じゃじゃ馬ならし」の第一幕に、「楽しんでやらなきゃ、何事も身につきません。」という台詞があります。英文学者小田雄志氏は、「学問も芸術も、身につけるためには確かに苦しい思いをするだろうが、その苦しさの中に楽しみを見出さなければ、本当の意味で自分のものとはならない、という、日頃からのシェイクスピアの考えが、そこには表現されている。」と話されています。生徒の皆さんは、学校での授業を楽しみながら受けていますか。

1月24日(月) 川俣高等学校長

思いやり表記

私たちが多くの人と情報を伝達し合う際に用いるものとして、メールがあげられます。でも、表記の仕方により全く意図しない捉え方をされるなど、多くの誤解が生じることもあります。そうならないためにどうすべきか。当たり前のことですが、伝わりやすい言葉を選び表記することだと思います。そして、相手に応じた、わかりやすい表記を心がける背景には、相手への思いやりが必要とされます。

1月19日(水) 川俣高等学校長

異常値の価値

大学では、予め研究テーマを明確にし、その目的達成を図るために実験を行います。99回は目的に沿ったデータが得られたものの、1回だけ異なるデータが出た場合、「たった1%のこと、なかったことにしよう」とはできません。つまり、異常値除去はあり得ない行為なのです。この1%をうやむやにすることで、99%の成功データの信ぴょう性まで疑われることになります。むしろ、「なぜ、こうしたデータが出たのか」「なぜ、こうしたデータが今までは出なかったのか」を考えることで、研究の深みは一層増します。実験の失敗から生じた異常値が新たな発見の発端となった事例は多くあり、かつてノーベル化学賞を受賞された田中耕一さんの場合も、それに当てはまります。うまくいかなかったケースの中にこそ、宝物が隠れているのかもしれません。

1月18日(火) 川俣高等学校長

思考経験

ガリレオ・ガリレイが振り子の法則を発見したのは、ピサの聖堂で神父さんの説教を聞いていたときだそうです。規則正しく揺れているランプをじっと見ているうちに、物理学の大発見がなされました。生徒の皆さんが過ごす日常の中にも、興味深いことが多くあります。日常に潜む面白そうなことを見つけるのは、登下校の際にもできます。学校の休み時間にもできます。思考経験を増やすことにより、新しい変化、そしてすばらしい変化を生み出す土台が、日々、皆さんの中に作られていきます。

1月17日(月) 川俣高等学校長

3学期が始まります

昨日本校では、3学期の始業式が行われました。その際に、校長から生徒の皆さんに伝えたことを投稿いたします。

本日は、人として生きる上で大切なことについてお話をします。

まず第一に、学問に対する心構えについてです。人として何ができるのか、人として何をすべきなのかについて、真剣に自らに問いかけるとともに、思い描く希望実現のために、辛抱強く学問を追い続けることを求めたいと思います。大リーグのジョージ・シズラーのシーズン安打世界記録を塗り替えた、元大リーガーのイチロー選手は、「結局は、細かいことを積み重ねることでしか頂上に行くことはできない。それ以外に方法はない。」と話しています。一つ一つは小さく見えることでも、継続することで成果を上げることができる、まさに水滴石を穿つという諺に通じる考えを大切にしてほしいと思います。

第二に、パートナーについてです。人は出会いにより進化するし、深化もします。「良き師、良き友」との出会いが大切です。本校には、良き指導者として先生方がいます。会社では、先輩方がそれにあたります。生徒の皆さんが求めることに十分に応えてくれる頼もしい存在に対して、大いに頼ってほしいと思います。また、良き友との友情を深めてください。「良き友人を得る唯一の方法は、まず自分が、人の良き友人になることである」。これは19世紀アメリカの詩人ラルフ・エマーソンの言葉です。

今世紀は環境問題やエネルギー問題、人口問題や食糧問題など、地球規模の多くの課題に直面し、多くの国、地域の利害が絡み、極めて複雑な様相を呈しています。一方で、科学技術の進歩は加速度的に進行しており、人に利便性を与えてくれる反面、多くの新たな課題が生じているのも現状です。生徒の皆さんが生きる時代には、こうした変化に対応できる能力や工夫が求められます。

以上のことを踏まえ、1年生や2年生は、あらゆるシステムの改革が必要な社会に対応できるよう、高校での学問をしっかりと身に着けてほしいと思います。また、3年生には、社会に出た後においても、常に柔軟な考えを持ち続ける人になってほしいと願っています。

1月13日(木) 川俣高等学校長

合理的な解を導く

私たちがよく目にするGoogle、この入社試験に、「シアトルにあるすべての窓ガラスを拭くとして、あなたはどのくらいの代金を請求しますか。」という問題が出たことがあるそうです。清掃業者でもないし、ビル会社に勤務した経験もない、だから答えられるわけがない、と思いますよね。求められているのは完璧な正解ではなく、知識として持っている脳内データから、いかにして合理的な解を導き出せるか、だと思います。たとえば、居住人口や世帯数から窓の数を想定したり、1軒の窓拭きを、何人の人手で何分で終了させる、との仮定から全体では何時間かかる、などと考えていく、その考察のプロセスこそ重要とされるのです。学習をとおして知識を入力するだけではなく、その知識を活用して出力させる、このことの重要性と同じです。ちなみに、前述した入社試験の解答の中には、「シアトルは雨が多いので、雨がガラス窓をきれいにしてくれる。だから代金は無料。」といったものもあったそうです。その方が採用になったかどうかは、定かではありません。

1月12日(水) 川俣高等学校長

姿 勢

就職をした当初には、作成されたマニュアルなどに沿って、その仕事内容の説明を受けることと思います。でも、そうした形あるものから学ぶ以上に大切なこと、それは、仕事に向かう先輩方の姿勢です。集中して取り組む先輩方の様子を感じ取ることができれば、それは間違いなく、生徒の皆さんに最適な仕事と言えます。彫刻家の平櫛田中氏のように、「わしがやらねば、たれ(誰)がやる。いまやらねば、いつできる。」といった気概を先輩方から学ぶことは、皆さんにとって大変幸せなことと思います。マニュアルは時代の変化に応じて書き換える必要がありますが、仕事に向かう姿勢は、いつの時代も変わることのない存在です。

1月11日(火) 川俣高等学校長

最適解

将棋に魅力を感じている人は多くいます。そして、アマチュアの方の中には、一瞬で100手先まで読むことができる人もいるそうです。では、プロであればどうか。羽生善治氏によれば、大山康晴名人は晩年、あえて5手先以上は読まなかった、とのことです。パターン化思考が定着すると、直観を重視して将棋を指したとしても、それはそれで当たるようになるのだそうです。プロは最適解になりそうな候補を絞り込むことに長けており、一方でアマチュアの方には、容易にその手が最適かどうか判断を下すことができずにいる、これが両者の違いなのかもしれません。将棋の世界に限ることなくどの分野においても、熟練領域に入った際には、相手の手を見た上でシンプルに考え、そして対応したほうが、結果として良い判断になる場合が多そうです。

1月7日(金) 川俣高等学校長