令和4年度

校長より

自己受容

生徒の皆さんも、自己肯定感という言葉を聞いたことがあると思います。自分の可能性を信じ、自分に自信を持ち、肯定的に自己認識をすること、これが自己肯定感です。一方で、自分に自信が持てないなどの感情を自己否定感といいます。自分の感情にマイナスを掛け合わせてしまうこうした瞬間は、確かにありますね。その改善を図る第一段階として、自己受容に努めることが大切であり、その方法として、精神科医樺沢紫苑氏は、「自己受容の4行日記」を推奨されています。1行目に、「ミスをして叱られた」など、自分の体験したネガティブな事例を書き、次の2行には、「誰にでもミスはある」「少し落ち込んだ」など、自分の自然な感情を書き込み、最後の1行は、「それでも、まずまず良い一日だった」など、前向きな表現で締めくくるのだそうです。自己否定から自己受容を行うとともに、最後の前向きな表現により、脳内にプチ変化が生じ、そしてプチ成長を遂げることができます。

7月4日(月) 川俣高等学校長

単位の考え方

ある企業の経営者が、「これまで7日かかっていたリードタイム(すべての工程が完成するまでの所要時間)が3日になりました。」と話すと、それを聞いた別の経営者はその取組を賞賛した上で、「では次は、72時間(3日)を、1時間、2時間と、さらに短縮化を図ることができそうですね。」と話したそうです。リードタイムを「日」という単位で考えれば、4日の短縮は十分な対応ですが、「時間」という単位で考えれば、まだ改善の余地があることに気づきます。加えて、「時間」を「分」に置き換えて考えることもできます。このような取組を継続すれば、最初の経営者の会社は、将来、リードタイムが2日になっているかもしれませんね。時間の単位(時単)を変えることで、時間の短縮(時短)につながるわけです。生徒の皆さんの周囲にも、改善の余地は無限にありそうです。

7月1日(金) 川俣高等学校長

百聞は一見に如かず

人の話を百回聞くよりも一度でも自分の目で見た方が、はるかに理解できることを表す諺「百聞は一見に如かず」はよく知られています。でも、百回見るよりも一度でも行動してみると、一層正しい判断ができます。「百見は一行に如かず」です。加えて、きちんとした成果が出れば、苦労も報われます。「百行は一果に如かず」です。生徒の皆さんが、スピード感を持って対応しなければならないとき、そして成果を求めたいときの参考にしてみてください。

6月30日(木) 川俣高等学校長

整 理

生徒の皆さんが、工場で働いていると仮定します。ものづくりの現場は、集団作業により成り立ちます。一人ひとりの個人作業で完結することは、一つとしてありません。前工程の後に自分の作業があり、後工程に引き継がれます。前と後ろの人との連携があって、円滑な作業実践を図ることができます。よって、重要なことは整理整頓です。不特定多数の人が手にするものは、定位置を定め、必ずそこに戻すことが大切です。誰もが素早く、ものを取り出せる環境づくりは、一部、皆さんの学習活動にも応用ができます。学んだ知識は、頭の引き出しに入ります。その際に、知識の出し入れをスムーズにできるよう、引き出しの表面にラベル(タイトル)を貼るイメージを持ってみてください。出した知識を、必ず元の引き出しの中に戻すことで、次に必要なときにも、短時間でその出し入れが可能です。考査日程が迫ってきました。知識の整理整頓の重要性が高まっています。

6月29日(水) 川俣高等学校長

個 性

自らの個性を磨くことにより自らの魅力を十分に発揮できる瞬間は、実にうれしいものです。かつては、個性を前面に押し出し過ぎることを躊躇する時もありました。一方で、他との違いをアピールしすぎるなど、奇抜さを個性として捉えた時もありました。でも今では、個性は尊重されるべき存在という考えがしっかりと定着しています。すべてが全く他と同じことはありません。自分が存在していること、そのことが既にあなたの個性です。身に着けたことを自然に発揮すること、そのことが立派にあなたの個性なのです。「他人と違うことを恐れるな。違いこそが個性を生む。他人は他人、自分は自分。他人の人生を自分が歩くことはできない。自分の人生を他人が歩くこともできない。」評論家佐高信氏の言葉です。

6月24日(金) 川俣高等学校長

身近なもの

中松義郎氏は、世界の発明王と称されるエジソンよりも多くの発明をしたことで知られています。彼が最初に特許を取得したのは中学二年生のときでした。第二次世界大戦中の物資の少ない中、冬でも暖房はありません。暖かくする材料はないか探しに探して、あまりにも身近な空気の存在に注目します。空気を逃げないようにして急速に圧縮すると高熱を発する、と本に書いてあったことを思い出し、シリンダーを作り、足で踏んで中のピストンを動かしてみると、放熱器の部分が触れることができないほど熱くなりました。さらに改良を加え、生み出したのが無燃料暖房装置です。無理だ、ダメだ、を禁句として、あきらめることなく取り組んだ大きな成果です。そして、大きな成果も、そのヒントは、意外に身近なところに隠されています。生徒の皆さんも、周囲にあるものを注視すれば、改善を図るヒントが見つかるかもしれません。

6月23日(木) 川俣高等学校長

納 得

人の話を聞く行為は簡単そうに見えますが、意外に難しいものです。でも、人の話には、参考となることが数多く含まれています。だからでしょうか、優れた指導者や経営者は、例外なく相手の話に耳を傾けます。松下幸之助氏も然りです。ディール・カーネギーも、人を動かすには人の話を熱心に聞くよう勧めています。一方で、人に話す立場で考えてみると、無理に説得を試みても、うまくいかないことに気づかされます。人は説得では動きません。納得して動きます。強制力や報酬、専門性を前面に押し出して話をしても、相手の心には響かないのです。では、何をもって話をするのがよいのでしょうか。一つの要素として、人間性があげられます。相手を信頼できると感じれば、人は自然に、その人のために動いてくれます。

6月22日(水) 川俣高等学校長

目標に向けた取組

何か興味のあることを継続して取り組んでいると、ある瞬間に、飛躍的な質の変化を起こすことがあります。人の潜在意識や深層心理に刻まれた経験値が引き起こすこうした事象を、シンギュラー・ポイントと呼びます。知識の深さも関係はしますが、大切なのは、面白いから一層知りたい、という気持ちを持つこと、そして、その気持ちを持ち続けることです。人の持つ能力を開花させてくれるパワーの源、シンギュラー・ポイントに到達できればできるほど、きっと、楽しさに満ち溢れた生活を送ることができます。

6月21日(火) 川俣高等学校長

新たな道

大正生まれの江頭匡一さんは、アメリカのレストラン王と言われたハワード・ジョンソンの本を読み、レストラン経営に興味を持ちます。まだ、飲食業が東京証券取引所一部に上場されていなかった時代に、彼は日本にも飲食業が定着すると考え、故郷福岡市に一軒の店を構えます。そして、江頭さんは常に、店の経営に関して創意工夫を積み重ねます。人通りの多い交通に便利な場所に店がなければ、人は入りません。でも、そうした場所は土地代が高くなります。そこで、全ての調理をお店でするのではなく、業務を分けることはできないか、と彼は考えます。郊外に広いスペースの調理場を作り、調理したものを各店舗に配ることでコストダウンを図る、セントラルキッチン方式を生み出したのも、そうした創意工夫の一つです。後に彼は、日本の外食産業の先駆者と称されるようになりました。新たな道を創り出すことは楽しいものです。そして、新たな道を見つけ出すヒントは、本の中、日常生活の中、生徒の皆さんの頭の中にあるのです。

6月20日(月) 川俣高等学校長

成功の秘訣

経済界のトップの方に成功の秘訣を尋ねると、周囲の方から信用を得ること、という回答が多く聞かれます。信用を得るために必要なことを問うと、時間を厳守すること、だそうです。お金をかけて一定の時間を節約することはできますが、相手の時間を買うことはできません。時間を貯めておくこともできません。一日24時間は、皆さんに与えられた平等な権利です。一年間の8760時間も然りです。使いたくはないと思っても、時間は流れていきます。時間の有効活用を図るためにも、やるべきことが多くあるのは幸せなことなのかもしれません。

6月17日(金) 川俣高等学校長

間違いの未然防止

やらなくてはならないことを先延ばしして、期限直前にまとめて行ったことで、多くのミスが生じた経験は誰にでもあると思います。会社などにおいてもそうです。締結日が近づいてから多くの承認依頼書等を提出すると、ミスや行き違いが生じ、そのことでやり直しに多くの時間を要することとなります。期限間近にまとめて行う大ロット生産よりも、多少の時間はかかるものの、早期から取り組む一個流し(小ロット生産)の方がミスの未然防止には効果的です。まるで川が淀みなくサラサラと流れていくように、滞りなく仕事が流れていくイメージですね。生徒の皆さんの場合は、試験に臨む際の学習の進め方に当てはまります。大切なのは、言うまでもなく計画性です。間もなくやってくる期末考査に向けて、小ロット生産の実行を図っていますか。

6月15日(水) 川俣高等学校長

兄 弟

孔子の弟子である司馬牛が、兄弟のいないことを寂しく感じる、と話すと、同じく弟子の子夏が孔子の言葉として、「己を慎み深くして過失のないように努め、人との交際はうやうやしい態度で礼儀正しくするならば、天下の人々も、兄弟同様に温かく接してくれる。」と伝えます。「四海皆兄弟(けいてい)たり」という言葉が、まさにそれにあたります。今から2500年前の、孔子と弟子との問答などを集めた論語には、現代にも通じる、人や社会の在り方についての記述が多くあります。

6月14日(火) 川俣高等学校長

達成感

ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベンは、ドイツのボンで生まれます。宮廷オルガニストの指導を受け、技術力の向上とともに、彼の中に、自由と平和の考えが築かれていきます。26歳の頃に耳の病に罹りますが、第五交響曲「運命」など、代表的な作品の多くは、この後に生み出されたものです。最後の交響曲となる第九交響曲「合唱付き」では、その素晴らしさから、演奏後に、満員の観客から嵐のような賞賛の拍手が寄せられ、歌手ウンガーとともにその成功を喜び合った、とされています。彼の人生に係る達成感の大きさ、そして満足感の深さは相当のものであった、と推察されます。「諸君、ご喝采を。劇は終わったよ。」との言葉を残し、彼は永遠の眠りにつきます。

6月10日(金) 川俣高等学校長

思いの深さ

長野県伊那群中川村出身の写真家宮崎学さんは、中学校を卒業するとカメラ工場に就職し、カメラの交換レンズの組立て作業を担当します。毎日、ベルトコンベアで流れてくる磨き上げられたレンズを見ているうちに、子どもの頃に地元の自然の中で見た、動物の眼の輝きを思い出すようになります。カメラで生き生きとした動物を撮ってみたい、特に、幻と言われるニホンカモシカに接してみたい、と強く思うようになりました。その思いを叶えるために、宮崎さんは山岳会に入り、登山の基本を学び、山登りに励むようになります。そして、2年が経過した頃、中央アルプスの尾根から下に広がる灌木の中に、褐色のニホンカモシカを見つけます。でも、遠方からでは、生き生きとした写真とはなりません。そこで、宮崎さんはニホンカモシカの生態を知る必要性を感じ、毎日のように山に入り、朝から晩までニホンカモシカを追い、その行動を調べます。ついには、その一つひとつの仕草の意味まで理解できるまでになりました。ニホンカモシカの行動を事前に読むことができるようになったために、信じられないくらいの「生きた」写真を撮れるようになりました。「山に生きるニホンカモシカ」など、多くの写真集を出版され、後に、「動物と話せる男」とまで称されるようになりました。

6月9日(木) 川俣高等学校長

自己改装

お店であれば、数年に一度、多くの業者により店舗改装をすることはあります。では、人はどうやって改装(成長)するのでしょうか。自分の力により行うしかありません。こうした自己改装(自己成長)には、自己啓発と多くの教養を要します。でも、自己改装により、自分の持つ人間力が大きく増します。人間力の向上により、自身の魅力も増します。そして、まさに今取り組んでいる学習も、自己改装の原動力になります。一層輝ける存在となるよう、学習活動の継続を図ってほしいと思います。

6月8日(水) 川俣高等学校長

私たちの生活に必要な水は、空からもたらされます。雨の素となる大気中の水蒸気は、地球全体に平均25ミリの雨を降らす量に相当します。年間では1000ミリの雨が降ることを考えると、365日の中で40回の循環をしていることがわかります。地球に降った雨は、9日経つと再び水蒸気となり、空に戻るわけです。この9日という短いサイクルの中で、水は、私たちの生活に潤いを与えてくれているのです。家庭にある水道も、空の水道も、どちらも大切にしたいものです。

6月6日(月) 川俣高等学校長

進 化

人工知能やコンピュータの進化は目覚ましく、特定分野では、人の能力を超えるレベルにまで達しています。では、人はいつの日か、自らが作り出した人工知能やコンピュータに凌駕されてしまうのでしょうか。そんなことはないと思います。ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈博士は、「人には欠点があるものの、むしろ欠点があるからこそ、人は進化する。」と話されています。欠点による不安定さの中にこそ、創造性が秘められています。自分の気づかない欠点を指摘されたとしても、下を向く必要はありません。まだまだ伸びる可能性がある、ということがわかったのですから。

6月3日(金) 川俣高等学校長

自らを磨く

学校を巣立ち、社会に身を置くときには、自らの判断力やコミュニケーション能力が求められます。生徒の皆さんは、学習活動をとおして、そうした自己力を高めています。やるべきことを疎かにして、自己力育成を図ることはできません。また、自己力のないまま仕事に向き合うことは、仕事に対しても失礼なことです。一方で、陽明学には事上磨練(じじょうまれん)という言葉があるように、仕事は、自らを一層磨く場でもあります。自己力が高まれば、毎日の仕事を、心の底から楽しむことができます。

6月2日(木) 川俣高等学校長

庭 訓

孔子の子である伯魚が庭に佇む孔子の前を通ると、孔子は、「詩を学んだか。詩を学ばねば、人と立派に処することはできない。」と話しかけます。またあるとき、庭にいる孔子の前を通ると、孔子は伯魚に対して、「礼を学んだか。礼を学ばねば、立派に世に処することはできない。」と話されます。庭での教えから、庭訓(ていきん)という言葉が生まれました。「君子はその子を遠ざくる」とあるように、本来、君子は我が子を遠ざけるものですが、庭訓から、孔子の、父としての一端を垣間見ることができます。親であれば、我が子を思います。発する言葉が少なくても、その中には、深い思いが込められています。生徒の皆さんは、保護者の方の話に耳を傾けていますか。

6月1日(水) 川俣高等学校長

有言実行

自分に課したことを実行できず、悔しい思いをした経験は誰にでもあると思います。実行を図る上で大切なのは、心の中で目標を唱える以上に、敢えて口に出して言うことです。未来に向かって言葉を投げかけることにより、自分にハードルを設けることができます。周囲の人にも、そのハードルは見えています。ハードルを飛ぶことができるよう、何度でもチャレンジする姿を目にすれば、きっと、周囲の人も応援してくれるはずです。未来の自分に期待することをやめないでほしいのです。

5月31日(火) 川俣高等学校長

常識を見つめ直す

アスリートの持つ記録は、飛躍的に向上しています。アスリートご本人の努力はもちろんですが、それを支える周囲の環境もその一因です。かつて日本のマラソン界では、金栗四三さん考案の、地下足袋に似た「金栗たび」を履いて走るのが当たり前でした。その金栗たびには、走りやすいという利点に対して、走り終わったときにマメができるという難点がありました。後に、マラソンシューズの改良に尽力された鬼塚喜八さんも、当初は、マメを克服してこそ一流、という当時の選手の考えに疑問を持つことはありませんでした。でも、ふと、マメのできない靴は作れないものかと思い、文献を検索したり、医学部教授に話を聞いたりして研究を始めます。マメの予防には足の裏を冷やすことが重要と気づき、底に水を入れた靴を作ったり、横に穴を開けて風通しを良くしたものを作ったりするなど試行錯誤を重ね、ついに二重底で衝撃を和らげるシューズの開発に成功します。一層の改良により、目の前の常識が、後の常識であり続ける保証はありません。常識をあらゆる角度から眺め、見つめ直す意識が大切です。

5月30日(月) 川俣高等学校長

着 想

昭和48年、ある中学校の理科の授業中のことです。一人の生徒が手を挙げて、「大雨が降ったら、その分、空から雲がなくなるんですね。」と先生に問いました。その生徒の根拠は、教科書にある、「雲の基となる小さな水の粒が集まり、重くなると雨になり、落ちる」という記述にありました。明確な回答ができずに授業を終えた先生は、ずっとそのことが頭に残っており、その後、その先生が科学教育研究センター長になられたときに、北海道大学に雲の調査を依頼します。カナダのバンクーバーで偶然目にした、高さ一万メートルもの巨大な積雲を写真に収めた北海道大学の教授は、煙ったように見える雲の一部(激しく雨の降っている部分)の上部の雲が、すっぽりと削り落ちていることを確認します。まさしく中学生の着想通り、雨が降ったために雲がなくなっていたのです。先生も明確に答えることのできなかったことを、一人の中学生が気づいたことに感動を覚えます。また、そのことをずっと念頭に置いていたその先生の、教師としての意識の高さにも驚かされます。ちなみに、前述した写真は、改訂された理科の教科書に掲載されました。

5月27日(金) 川俣高等学校長

チョウは適当にふわふわと飛んでいるように見えますが、そこに一定のルール(基本概念)があることをご存じでしょうか。ナミアゲハやクロアゲハなどアゲハチョウの仲間には、日当たりのいいところに育つミカンやカラタチの木に卵を産むものが多いため、自然にそうした木の上を飛ぶようになるのです。こうした通り道をチョウ道と呼びます。一方で、キアゲハは、セリやニンジン、パセリなどセリ科の草に卵を産むため、広がる草原の上を飛ぶこととなり、結果としてチョウ道はできません。また、モンシロチョウはアブラナ科の植物を好むため、耕したばかりの畑には近寄らず、また、緑のない場所も飛ばないのです。こうした研究は、かつて滋賀県立大学長であった日高敏隆氏によってなされました。当時はあまり注目されることのなかったこの研究は、時が移ろい、街に明るい公園を作り、中央に大きな花壇を設置して、チョウの舞う街づくりをしようとした多くの地方自治体に注目されることとなります。大学の研究意義は、現状を変えるだけではなく、将来を変えるという意味においても大きな意義があると思います。また、チョウにはチョウ道(チョウのルール)があるように、街づくりにも街づくり道(街づくりのルール)が、そして、学校づくりにも、確固とした学校づくり道(学校づくりのルール(基本概念))が必要不可欠とも言えます。

5月26日(木) 川俣高等学校長

承認欲求

周囲の人から一定の評価を得たい、と思う気持ちは誰にでもあります。心理学で承認欲求と呼ぶこの心理は、マズローの欲求5段階仮説でも、重要なものとして上から2番目に位置づけられています。一方で、他者からの承認を求めるために行動すると、他者のみを意識した生き方になる、との指摘もあります。アルフレッド・アドラーは、「他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には、他者の人生を生きることになる」としています。自分の培った経験や得た知識をとおした、自分の考えによる言動に自信を持てるよう、一定の客観的な視点を持ち合わせることは大切です。

5月25日(水) 川俣高等学校長

Iメッセージ

主語をYouとして話をすることを「Youメッセージ」といいます。「遅刻したりして、(あなたは)だめじゃないか。」といった表現がこれに当たります。相手に対する思いやりからの発言であっても、その相手にすれば、命令や指示を受けたと感じるため、反感を持たれる場合もあります。一方で、「Iメッセージ」という表現があります。これは、「時間を守る人を、(私は)信頼できる。」など、自分の願望や希望、思いを相手に伝えるような表現です。場面に応じて、適宜「Iメッセージ」を取り入れることで、良き人間関係を保つことができそうです。

5月24日(火) 川俣高等学校長

噺家(はなしか)の桂歌丸氏が、かつて語った言葉です。「弟子に噺を教えることはできるが、間(ま)を教えることはできない。噺家は、早く自分の間を拵(こしら)えた人が勝ちです。」ここでいう間とは、単に一定の時間を取ることを意味するのではなく、独自に作り上げたやり方のこと、と思っています。自分に合った間は、知識の習得にも応用できます。たとえば、先生方から授業で教えていただいた知識をそのままノートに写すのではなく、自分の解釈を加える工夫により、自分のものにすることができます。間を挟むことで、単色であった知識が、色彩溢れる魅力あるものに変わります。

5月23日(月) 川俣高等学校長

わかる

何かについて「わかる」ためには、「分ける」ことが大切だと言われます。すべてがわからない、ということはないので、何がわかり何がわからないのか、分けながら考えることにこそ意味があります。そして、分けながら考える分析的習慣が身につくと、その過程で解決してしまう課題も多くあります。理解の深化を図るためにも、私たちは常に、分ける意識を持つ必要がありそうです。

5月20日(金) 川俣高等学校長

読解力の精度

『名探偵コナン』をご存じの方は多いと思います。小五郎さんは、数少ない証拠をもとに、即座に、そしてかなり勝手に話を創ってしまい、誤った方向に進むことがよくあります。一方で、コナン君は、じっくりと証拠を集めて、それを合理的に組み上げる作業をします。小五郎さんが話を「創造」してしまうのに対して、コナン君は、「想像」はしても「創造」はしません。その根本的な違いは、どこにあるのでしょうか。それは、対象からの視線の切り方にあると思います。小五郎さんは、すぐに現場から目を離します。つまり、すぐに視線を切ってしまうのです。コナン君は、現場を徹底的に見るので、なかなか視線を切ろうとしません。だから、真実が見えるのです。読解力を問われる文章を読み込む際にも、この視線の切り方により大きな差が生じます。生徒の皆さんも、今度文章を読むときには、すぐに視線を切ることなく、また、思い込みによる創造をすることなく、じっくりと文を読み込んでみてください。これまでには味わったことのなかった深い領域まで、文の中に踏み込めるはずです。

5月19日(木) 川俣高等学校長

分 類

図書館を利用すると、自分の見つけたい本を比較的容易に探すことができます。日本十進分類法により、整理・分類されているのがその理由です。森清氏が、海外の十進分類法を基に生み出したこの分類法は、1から9までの数字に当てはめた哲学や歴史、社会科学などの「類」を作り、その類を10個の「綱」に分け、さらにその中を「目」に分けるなど、体系的な分類となっており、そのことが、本を管理する図書館側にも、利用者側にも優しい環境を生み出すこととなりました。私たちも、頭の中でよく物事を整理し分類します。その秩序を保つよう努めることは、生活の上でも非常に重要なことです。

5月18日(水) 川俣高等学校長

江戸時代の寺子屋で、教科書として使用された「実語教」の中に、「水は方円の器に従い、人は善悪の友による」という表現があります。水は入れ物の形に応じて、四角にも丸にもなるのと同様に、人は交わる友により変わる、というものです。人の友は、人とは限りません。自分の身近な存在、たとえば、本や花、動物なども友です。自分が無意識のうちに向ける目線の先によくあるもの、それが友です。自らの可能性を広げ、高めてくれる友の存在に感謝するとともに、その存在を、いつまでも大切にする必要がありそうです。

5月17日(火) 川俣高等学校長

読 書

正確な情報を得るためにも、読書習慣は大切なものです。でも、2018年度調査によれば、高校生の1週間の読書時間の平均は約2時間とのことです。文庫本1冊を読み終えるのに4時間程度かかるとすれば、2週間かけて1冊の本を読むこととなり、本の内容の興味は薄れてしまいそうです。また、全く読書をしない高校生は57%にもなるとのことです。かつてアメリカでは、多忙な人が短時間で本を読むことができるよう、速読を取り入れる傾向にありました。ケネディ元大統領も速読者として有名です。本を読む際の方法としては、こうした速読もありますが、一方で、一字ずつ文字を追い、文脈をたどり、行間の意味を考えるなど、じっくりと時間をかけた読書法もあります。自分の時間と相談しながら、読書法を変えてみるのも楽しみの一つです。いずれにしても、読書による思索体験の積み重ねが、主体的な人間形成に欠かせないことは確かなようです。

5月13日(金) 川俣高等学校長

心を磨く

私たちは、一日に数えきれないほどの言葉を発しています。言葉は、相手を励まし勇気づけることもできれば、悲しませることもあるなど、大きな力を持っています。「心が言葉をつくり、言葉が心をつくる」と言われます。優しい心を持つ人から、優しい言葉は発せられます。また、優しい言葉から、一層優しい心が形成されます。心を磨く一つの手段として、言葉を意識してみませんか。

5月12日(木) 川俣高等学校長

自 立

ウミガラスの親鳥は、若鳥を1千メートルもの断崖に置き去りにするのだそうです。海にあるエサを食べるためには、若鳥は、その断崖から飛び立つ必要があります。こうした試練を経て、若鳥は自立していきます。自然界には今でも、危険や困難が当たり前に存在しており、その克服に、自立は欠かすことのできない要素とされています。では、自立の先には何があるのか。大きな成長があります。私たち人間も、そこから学ぶことは多くありそうです。

5月11日(水) 川俣高等学校長

無知の知

自分の無知を自分で自覚すること、つまり無知の知が人間行動の始まり、とする考え方があります。少なくとも、湯川秀樹博士のいう、「何もかも知ってしまうことよりも、無知を知ることのほうが一層人間らしい。」という言葉は、よく理解できます。新しいことを知ったときの新鮮な驚きは進歩を呼び込み、未知の分野に挑戦する意欲と興味を引き起こします。私たちは、すべてを知ることはできません。知識に人間の本質があるのではなく、知らないことに気づく知恵こそ、人間にとって大切であると思います。何を知らなくてはいけないのかについて、じっくりと考え、自分を見つめる時間は十分にあります。

5月10日(火) 川俣高等学校長

心配り

イギリスで、多くの国賓の方々をもてなす晩餐会が開かれたときの話です。手を洗うために出された水を、ある国賓の方が思わず飲んでしまったそうです。政府要人の方々から失笑がもれたそのとき、その方が間違って水を飲まれたことに気づいたエリザベス女王は、ごく自然に自分の前に置かれていた水をお飲みになったそうです。相手の立場を思う振舞いや心配りは、日頃の意識から生じます。私たちも見習うべきことが多くありそうです。

5月9日(月) 川俣高等学校長

「今やらねばいつできる。わしがやらねば誰がやる」を合言葉として、かつて仕事に取り組んだ区役所がありました。私たちは、刻一刻と過ぎ去る時間を無駄にしてしまうことがよくあります。松下幸之助氏は、「自分に20歳の若さを与えてくれる人がいたら、自分の財産と取り替えてもいい。」と話されたことがあるそうです。古代ローマの思想家セネカは、「人生は短いのではない。我々がそれを短くしているのだ。」と語りました。一日24時間は皆平等に与えられます。何もせずに日々過ぎてしまうと悔やむ前に、充実した生活を送るためにも、人生の先達の言葉を噛みしめ味わうべきなのかもしれません。

5月6日(金) 川俣高等学校長

習い

多くの知識を身に着けるためには、短時間で理解度を高める必要はありますが、一方で、すぐにはわからなくても、悪いことばかりではありません。学ぼうとする知識が手軽に手に入らないからこそ、いったん身に着けると、絶対に忘れないものです。不器用であったとしても、長い時間をかけて自分を内面から変革していく過程もまた、学ぶ魅力の一つです。読書百編、意自ら通ず。生徒の皆さんも、時の概念を脇に置き、じっくりと考える経験を大切にしてみてください。

4月28日(木) 川俣高等学校長

後ろ姿への責任

相撲の力士が花道を引き揚げる際に、その後ろ姿がテレビに映し出されます。仮にその取組を目にしていなくても、後ろ姿から勝ち負けを想像することができます。生徒の皆さんは、皆さんの前(目や意識の届くところ)に加えて、後ろにも注意を向けているでしょうか。たとえば、バスや電車に乗っているときに、自分の背負っているバッグが周囲にいる人の邪魔になってはいないでしょうか。また、歩道に広がって歩くことで、後ろを歩く方々の通行を妨げてはいないでしょうか。就職や大学の試験では、多く面接が課せられます。緊張感を強いられる中、試験会場に入室してすべての応答をし終えた、まさにそのときの皆さんの表情、そして、退室する際の所作こそ、面接をされる方の知りたいところなのです。皆さんは、自分の後ろ姿(目や意識の届かないところ)にも、責任を持つ必要があります。

4月27日(水) 川俣高等学校長

後始末より

何かに取り組んで失敗してしまった際に、その後始末に大きな時間やエネルギーを費やすことがあります。失敗自体は悪いことではなく、そこから学ぶことは多くあります。でも、失敗しないために十分な備えをしたか、と問われると、自信を持って答えることはできない場合もあります。計画的に物事を進める先見性や情報収集、また、情報の適切な整理や分析などの洞察力をとおして、事前の備えを万全にすることを前始末と呼ぶとすれば、こうした前始末に係る時間やエネルギーは、後始末のそれと比較してもかなり短く、そして小さくてすみます。

4月26日(火) 川俣高等学校長

雀になれ

学習活動には、先生方から教えをいただく場面同様に、自ら考え、努力により実力をつける取組も重要です。教えてもらえば、余すところなく学ぶことができるし、効率的な学習も可能である一方で、自分の眼で見て、自分の頭で考えて、自分の肌で感じる瞬間は圧倒的に少なくなります。「カナリアは、愛鳥家に育てられ、立派な籠の中で十分な餌を与えられるなど、何不自由ない生活を送るが、これに慣れると、自力自活の術を失っていく。それに対して雀は、自然の中で風雨にさらされ、餌も自分で見つけなければならない。しかし、雀は、思いのまま自然界を飛び回ることができる鳥に成長する。」これは、日産自動車元会長の川又克二氏が、入社式の際に新人社員に対して述べた言葉です。いつの時代にも、厳しいけれど、こうした試練を避けては真に学ぶことはできない、という戒めと受け止めています。

4月25日(月) 川俣高等学校長

理想の人の在り方

論語に、「質文に勝てば即ち野なり。文質に勝てば即ち史なり。文質彬彬として、然る後に君子なり。」という表現があります。質とは人の持つ誠実さ、文とは教養、野とは粗野なこと、史とは、物知りではあるものの心からの誠のない人をいい、また、彬彬とは、美しく調和の取れていることを指しています。つまり、孔子は、生まれながらに持つ誠実心と、後天的に身に着ける教養とが調和した人物を理想的な人と捉えているようです。人としてのバランスを保つことは、いつの時代においても大切なことのようですね。

4月22日(金) 川俣高等学校長

一生涯実行するに値する言葉を問われ、孔子は、「其れ恕か。己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」と答えています。恕とは、自分の「心」に対するが「如く」に人に対する思いやり、のことです。歳を取るにつれて、身体には衰えが生じるかもしれませんが、心には永遠に衰えはありません。常にこの言葉を念頭に置いて、人と接する姿勢を持ち続けたいと思います。

4月21日(木) 川俣高等学校長

良 心

昭和22年頃の公衆電話料金は、50銭で利用できる、交換手を介して相手と話をするものでした。でも、50銭硬貨というものはなく、また、10銭硬貨を5枚揃えるのも難しかったので、当時の電話局は50銭紙幣を入れることのできる箱を設置してみたそうです。でも交換手には、利用者が50銭紙幣を実際に箱に入れたかどうかを確認することはできません。信用して電話を繋ぐしかなかったのです。数日後に箱を開けた係員は、驚くべき光景を目にします。料金の収納率は105%だったのです。お釣りが出ないことを知っていながら10円札を入れる人もいるなどしたため、100%を上回る結果となりました。人の目があろうとなかろうと、日本人は揺らぐことのない良心を持っている証です。こうした伝統は末永く受け継ぐものだ、と改めて思います。ちなみに、当時のアメリカでは、「日本人の道義心、恐るべし」と紹介されたそうです。

4月20日(水) 川俣高等学校長

有言実行

国によって人を判断する基準は異なりますが、多くには次の4つの型が見られるようです。第一に有言実行型です。言うまでもなく、最も信頼されるタイプです。次に不言実行型です。言葉を発することはなくても、自分のすべきことについてしっかりと取り組むタイプです。第三に不言不実行型です。言うことも言わなければ、やることもやらないタイプで、周囲からの評価は概ね低くなります。最後に有言不実行型です。やるはずのことに手を付けないわけですから、その穴埋めをするために、周囲の負担はかなり増します。信用の信は、人が言う、と書きます。人は、口に出したことを守る義務があります。生徒の皆さんには、自らの発言に責任を持ち、周囲との良き人間関係を築いてほしいと思っています。

4月19日(火) 川俣高等学校長

時の大切さ

「世の中は三日見ぬ間の桜かな」というように、日々の変化の激しさには驚くばかりです。ほんの少し本を読まずにいれば、考え自体が空疎なものとなってしまうことを言う、「三日 書を読まざれば、その言 含蓄なし」という言葉もあります。このように、時を大切なものとして捉える表現は多くあります。現在は永遠ではありません。中国の詩人陶淵明も、「盛年は重ねて来たらず、一日再び あしたなり難し」とうたっています。青年(盛年)期は、2度はやって来ません。生徒の皆さんの年齢時に学ぶことはたくさんあります。皆さんにとって、毎日が進歩的日々であることを期待します。

4月18日(月) 川俣高等学校長

日本では温帯林が繁茂していたため、かねてより、家や道具に、また燃料としても木が多く利用されてきました。一見すると柔らかく、弱々しくも見える木ですが、法隆寺の修理を担当する宮大工さんによれば、桧の柱は千年以上もの寿命があるとのことです。一方で、法隆寺の改修に必要な桧は日本国内では見つからず、台湾など海外から輸入して対応するとのことです。木の文化は日本の大きな特徴の一つです。私たちの生活に身近な存在である木ですので、これからも大切にしていきたいものです。

4月15日(金) 川俣高等学校長

和よりも積

1957年から1年間、南極観測隊の越冬隊長として昭和基地で業務に関わった西堀栄三郎氏は、個性の強さを基準として11名の人選を行ったそうです。長期間にわたり寝食を共にするメンバーであれば、まずは個人よりも集団を優先するタイプを選びそうですが、西堀氏には一つの信念がありました。「同じ性格の人が一致団結しても、その力はせいぜい「和」の形でしか大きくならない。しかし、異なる性格の人が団結すれば「積」の形となり、その力が格段に大きくなるはずである。」。集団の在り方を考える上で、一つの参考になりそうです。

4月13日(水) 川俣高等学校長

長 崎

坂道の多いことで知られる長崎、そこに住む人は様々な取組や工夫をされているようです。たとえば、引越しのときに、坂道が急すぎるため車を横付けできない家がほとんどなので、横付けできる家の場合には、「車横付け可」が不動産屋さんのキャッチフレーズになっている地域もあるそうです。また、バスの定期券を購入するときには、決まった停留所間を往復分買うものですが、長崎の場合には、往復別々の区間、つまり片道ずつの定期券を買うのだそうです。朝の出勤の際には、自宅を出て坂道を下りて行けるバス停から乗り、帰宅するときには、自宅より高い場所にあるバス停で下り、坂道を下って家に着けるよう工夫しているのだそうです。坂道を意識するのは、何も芸能界に限ったことではなさそうです。

4月12日(火) 川俣高等学校長

生徒の皆さんは、周囲にある物を大切にしているでしょうか。現在のように物に溢れる時代とは異なり、かつて物がなかった頃には、使い古したものを再度加工して使用するのは当たり前で、物に対する意識は相当に高かったと思います。人がそうであるように、物にも命があります。諸行無常という言葉が表すように、物にはすべて命が宿っており、だから変化もします。人と同様に物に対しても、感謝の気持ちや謙虚な心を持って接してみませんか。

4月11日(月) 川俣高等学校長

言葉は戻る

自分の感情の苛立ちから、周囲の人に強い言葉をぶつけてしまう経験は誰にでもあると思います。そうした言葉を発してから後悔することもまた、多くあります。でも、いったん発せられた言葉を消すことは、なかなか難しいものです。そして、自分の後悔にとどまることなく、言葉はそのまま自分に戻ってきます。周囲の人に不快感を与えれば、自分に不快感が戻ってきます。言葉を発する前に自分の心を正す冷静さを持ち、言葉を発した後の行動には責任を持つ、このことを念頭に過ごしたいと常に思っています。

4月8日(金) 川俣高等学校長