令和4年度

校長より

小さな喜び

自然の中に喜びを見い出す瞬間があります。正岡子規は病に伏せながらも、『杖にすがりて手のひら程の小庭を徘徊す。日うららかに照して鳥空を飛ぶ。心よきこといはん方なし。秋草はわづかに芽を出して、いまだ萩とも桔梗とも知らぬに、一もとの紫羅傘は巳に一輪の白花を開く。雨後土未だ乾かぬ処にささやかなる虫のうごめくは、これも命あればなるべし。』と表現します。モノに溢れる時代であるからこそ、人の在り方を考える必要は高まります。人として生きていることを実感できたとき、 人は心の底から感動を覚えます。

1月24日(水) 川俣高等学校長

時の流れ

いつの世も時の流れるスピードは同じはずなのに、依然と比較して今の方が速く感じることがあります。退屈と感じる瞬間が格段に少なくなったことも要因の一つかもしれません。退屈とは、目的がなく、することもなく、たとえすることがあったとしても、そのことを重要とは考えていない状態を指します。現代は、周囲にある様々な刺激が、私たちから退屈に感じる機会を奪っているとも言えます。でも、退屈なのは否定的側面ばかりではありません。目的意識は、退屈ゆえに生まれるとした哲学者もいます。ハイデッガーは、退屈な気分こそ人が存在する重要な概念とし、人は退屈な状態から抜け出そうとして、物事に意味を求めるとしています。こうした意識の下、文化も生じた、ともしています。生徒の皆さん、もしも今が退屈と感じたら、それは、皆さん独自の文化創造の瞬間を迎えているのかもしれません。

1月23日(火) 川俣高等学校長

気持ちの切り替え

ストレスの多い業務に携わる人の中には、会社を出る瞬間に、会社員ではない一人の人間に戻るよう心がけている方が多くいます。うまく気持ちの切り替えをするために、一定期間、旅行に出る人が多くいるのもそのためです。俳優の森繁久彌さんは、嫌なことがあるとヨットで海に出たそうです。広い海を眺めていると、悩みがちっっぽけに思えてきて、気持ちが晴れると言いますから、上手に気分転換をなさっていたことがうかがえます。その森繁久彌さんが、日本人がストレスを抱えるようになった理由の一つには、日本の家屋に縁側がなくなったからではないか、と話したことがあるそうです。子どもの遊び場でもあり、近所の方が気楽に立ち寄り座って話をする場所でもあり、時には人も猫も日向ぼっこをする縁側は、ほっとする憩いの場であったとの認識からのお話です。実際の縁側を取り付けることが難しくとも、少なくとも心の縁側はなくしたくはない、とも思います。

1月19日(金) 川俣高等学校長

ティー

ゴルフのティーには、一般的に長持ちするプラスチック製のものが多く使われているようです。でも以前に、ティーグランドに落ちていたティーが芝刈機にひっかかり、刃こぼれを起こす事案が多く発生したことがあり、修理代に多額のコストがかかりました。ゴルフ場では木製ティーを無料で提供するサービスを始めますが、無料であるためか、打ち終わった利用者は木製ティーを拾うことなく立ち去るようになります。それを拾い集める人に費やす人件費がかさむようになり、新たな対策を考える必要に迫られます。でも、アイディアが尽きることはありません。そこで考えたのが、土製ティーの開発です。粘土を固め、表面を樹脂塗料で加工します。たとえティーグランドに残されたとしても、芝生の水分を吸収するなどして、12時間後には溶け始めるので、手間も人件費もかからず、地球にも優しい画期的な製品でした。ただし、残念なことに、かなり重く値段も高いなどの理由で、あまり普及はしなかったそうです。

1月18日(木) 川俣高等学校長

一本のチョーク

医師の方が診察をして症状に合った処方箋を準備すると、薬剤師の方が調剤して患者である私たちにお薬を渡してくれます。こうした医薬分業の体制確立を担当したのが、当時の厚生省官房総務課でした。医師会や薬剤師会、各署代表の方々からなる調査会を進めるのは大変な作業でしたが、課長さんであった高田氏は、部下に対して細かい指示をほとんど行いません。課員が相談して会の運営を進める中、次には採決になる可能性が高くなりました。投票に備えて、用紙や鉛筆、開票を示す黒板など、何度も確認しながら準備を整えます。投票にならない可能性も考慮して、黒板をはじめとして、こうしたものは目立たないよう置くなど、細かな配慮も怠りませんでした。当日、投票が決まると、緊張感が漂う中、課員は予め準備した物の設置を始めますが、投票直前になり、黒板に表示するチョークの準備を失念していることに気づきます。課員全員の顔色が変わったそのとき、高田課長さんがスーツのポケットからそっと一本のチョークを取り出し、課員の一人に手渡したのです。優秀な課員はほとんどの運営をうまくできる、という部下への信頼感が高田課長さんにはあったのです。加えて、高田課長さんは様々な事態への備えもしており、まさに見落としそうな、絞り込んだポイントだけを押さえていたのです。上司の態度として見習うべきことが多くあります。

1月17日(水) 川俣高等学校長

唯一のもの

商品化を前提にして、同じものを同じ工程により作ることを製造といいます。一方で、他とは異なることを善し、とすることを創造とも呼びます。ウエストサイド物語の作曲家としてよく知られるレナード・バーンスタインが、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団を指揮した、マーラーの交響曲第九番は歴史に残る名曲とも称されている演奏です。エネルギッシュな指揮をすることで有名なバーンスタインが、このときには一層力を込めているためか、彼の唸る声がレコードに入っています。第四楽章のクライマックスが近づくと、指揮台を踏み鳴らす大きな足音も録音されています。通常であればカットされるこうした音は、今回は生録音であったことで残り、その迫力を含めて芸術評価を高めることとなりました。レコードそのものは製造に相当しますが、音楽という芸術分野においての価値ある創造、言い換えれば世界で唯一のレコード、という捉え方もできそうです。

1月16日(火) 川俣高等学校長

ほのかな香り

農家の方々が自家用として栽培していた中に、香り米と呼ばれる米があります。近い地域では宮城県などで栽培されている香り米は、ほのかに煎った大豆のような香りがするためそう呼ばれるのだそうです。匂い米、あるいは麝香に似ていることから麝香米と言う人もいます。元々流通経路に乗っていたわけではないため、知っている人も限らていたようです。また、背が高くなるため倒れやすいなど、栽培にも多く手間がかかり収穫量も少量ではありますが、古米に少しだけ混ぜると、いわゆる古米臭を消してくれるため、新米のように感じられるという感想も聞かれるのだそうです。ピラフ料理にも合う、と生産農家の方々は話されています。少しの使用量でも存在感を発揮する香り米、どのような味なのか気になりますね。

1月15日(月) 川俣高等学校長

コンパス

歩く方向を示してくれるコンパス(磁石盤)を乳牛に向けると、普段は北を指すコンパスが乳牛の方を指すことを知っているでしょうか。ほとんどの乳牛の胃には磁石が入っているからです。これをカウマグネットといいます。牛は好奇心が強く、エサと思えるものを何でも胃に押し込み、反芻することで消化する性質を持っていることはよく知られています。そのエサに針金などが混じっていると、4つの胃のうち、特に収縮力の強い第二胃の胃壁を傷つけることもあるそうです。金物病と呼ばれるこうした事態の未然防止のために、異物を固定する目的で予め磁石を飲み込ませるのだそうです。1950年代にアメリカで普及したこのやり方は、後に日本でも活用されることとなりました。胃の中に磁石を入れると聞けば少し違和感を感じますが、長ければ15年にもわたりミルクを提供してくれる大切な財産を守る術なんですね。

1月12日(金) 川俣高等学校長

サイン

百貨店やデパートの中には、急に雨が降り始めると流すBGMが決まっているところがあるそうです。以前には、ショパンの『雨だれの曲』がかかるデパートもありました。地下の食品売り場で働く店員さんも、店内に流れる曲により外の天気を知ることができるため、お客様との会話の中に、自然に天気の話題を入れ込むこともできます。かつては、雨に塗れても大丈夫なように、やや厚手の買い物袋に変えていた店舗もあったと聞きます。入り口にはマットが敷かれるなど、一つの曲により、お客様が快適な買い物ができるよう様々な部署の方々が円滑に動く様は、組織の在り方としても大いに参考になります。ちなみに、雨が上がった際には、ジュディ・ガーランドの『虹の彼方に』が流れることもあったようです。

1月11日(木) 川俣高等学校長

春の情景

中国唐中期の詩人である王維は、「花落ちて家僮未だ掃(はら)わず 鶯鳴いて山客猶(な)お眠る」と詠みました。この前半には、「桃は紅にして復(ま)た宿雨を含み、柳は緑にして更に春煙を帯ぶ」とあります。昨夜の雨により桃の花は雫を含み、柳はまるで霞のようにその緑色の葉を垂れている中、山里の人々はまだぐっすりと眠っている、という意味の詩だそうです。何とものどかな春の様子が伝わってきます。王維は西安近くの藍田という地で育ちました。山も川も美しいこの地で育ったことで、彼の心にはいつも、自然の生み出す素晴らしい情景が宿っているのだとも思います。生徒の皆さんも、いつの日か、ここ川俣の地を離れることがあるかもしれません。でも、藍田にも匹敵する佳きこの地のことを、いつも頭に置いていてほしいと思います。ちなみに、かつての川は畑に代わるなどしていますが、王維が植えたとされる銀杏の木は、代替わりをしながらも、今でも藍田で葉を茂らせています。

1月10日(水) 川俣高等学校長

色合い

極に近い地域では太陽光が斜めに入り、空気層を通過する距離が長くなるため、粒子やチリにぶつかることで短波長の青色が散乱するのだそうです。一方で、赤道に近い地域では太陽光が直角に入るため、短波長が散乱しないために赤みを帯びた太陽光になるのだそうです。日本で比較すると、北海道では青く見える光が、沖縄や鹿児島では赤く見えることになります。北海道で朱赤色のロウソクの炎に太陽光が当たると、青が混じって紫にも見えることもあり、なかなか幻想的です。広島東洋カープは赤ヘルが特徴的ですね。でも、東日本にあっても、読売巨人軍はオレンジを基調としたユニフォームなので、全てが当てはまるわけではなさそうです。そういえば、色彩心理学という研究分野を研究する方によれば、色に応じた地域の特性があり、人は、18歳頃までに生活していた地域で綺麗に見える色を好む傾向にある、とのデータを示す方もいます。色に包まれた生活をしている私たちにとって、もう少しその存在に注目してもいいのかもしれません。

1月9日(火)川俣高等学校長

技術の進歩は、私たちの生活に大きな変化をもたらしました。効率性や利便性が大幅に高まることで、私たちは豊かな生活を手にしています。でもこれは、人として本来あるべき姿から大きく乖離してはいないのか、私たちが身の丈6尺程度の人間に見合った状況下にいるのか、について、自分に問いかけ続けることは大切です。人は生物的存在であるとともに、精神的存在としてこの世にいます。生徒の皆さん、技術進歩により、24時間という一日の時間帯を36時間や48時間に相当する時間にできたとしても、ただ無機質な生活を送ることは避ける必要があります。

1月5日(金) 川俣高等学校長

旅は目的地に到着することを重視しがちですが、旅の途中にも大切なことが多くあります。今までに交流のなかった方々と話す機会が生じます。日常とは異なるものを発見することもできます。人生を旅に例える人も多くいます。地球は自転しながら365日かけて太陽を一周し、太陽は2億年以上かけて銀河系宇宙を一周するのですから、地球に生活する私たちは、既に立派に旅人です。『日々旅にして旅を栖とす』とした松尾芭蕉は、宇宙的規模の感覚で真理を表していたのかもしれません。

12月28日(木) 川俣高等学校長

こけし

楊枝は、その多くが白樺を材料として作られています。柔らかい白樺は家具には向きませんが、楊枝には最適です。ヨーロッパ南部や東南アジアには白樺がないため、かねてより日本の楊枝が重宝されていました。かつて、イタリアのレストランの格式は置いてある楊枝でわかる、と言われたこともあったようです。この楊枝の頭の部分には、窪みのような装飾が施されています。この部分を箸置きのようにして使用する、という話をよく耳にしますが、これは、ある落語家の方や評論家の方が言い出したことのようで、実は、何もないのはさみしいと感じた楊枝メーカーの方が、昭和36年頃にちょっとした飾りをつけたのが始まりだそうです。ちなみに、こけしを参考にして刻みを入れたことから、この部分をこけしと呼ぶこともあるそうです。でも、楊枝置きとした発想、なかなか粋ですね。

12月22日(金) 川俣高等学校長

難 問

フランスの哲学者デカルトは、疑って疑い抜き、これだけは疑いようがない、というところから考えを進めるべき、と説きました。『我思う ゆえに我あり』という表現は、周囲には疑わしいことが多くあるものの、疑っている自分がいることだけは疑う余地はない、ということを表現している,、との解釈もあります。そして彼は、難しい課題は分割して処理すべき、とも説きます。現在、私たちの周りにある課題は、大抵、諸問題が関係して生じることが多くあります。複雑化した課題解決には、多少の時間や労力を必要としても、一つ一つの事象に丁寧に向き合うことから解決を図ることができます。中国の思想家である老子も、難しいことは容易いことから始め、大きいことは小さなことから手をつけよ、という意味で、『難ヲ易キニ図リ、大ヲ其ノ細キニ為ス』としています。

12月21日(木) 川俣高等学校長

一を聞いて

日本では、十のうち一だけを聞いてすべてを理解することを良し、としていますが、すべての国がそうであるとは限りません。『古池や蛙飛び込む水の音』という松尾芭蕉の句から、私たちは頭の中でその情景を思い浮かべるとともに、背景にまで思いを巡らせます。一方で、海外の人に芭蕉の句を披露すると、「それで?」と、その続きを促されるかもしれません。十の説明を聞いて一を知る文化においては、相手にわかるよう、的確な、そして充分な十の説明をすることが求められており、これもまた、なかなか大変なことです。言葉をつくして自分の考えを相手に理解してもらい、相手からも充分な言葉をとおして情報を得ることも、私たちが持つ感性同様に重要なこととされています。

12月20日(水) 川俣高等学校長

古 稀

古稀として七十歳を祝うのは、唐の詩人である杜甫による『人生七十古来稀なり』から来ているのだそうです。今では平均寿命は大幅に伸びていますが、杜甫の生まれた八世紀頃は一般的に人生五十年と言われており、当時の人にとっては七十歳は稀でした。古稀の次には七十七歳の喜寿を迎えます。これは、喜びをくずし字で表すと㐂となることから由来しており、八十歳は傘(さん)寿といって、傘は仐と略されるため、そう表現されるのだそうです。八十八歳の米寿は、米の字をばらばらにすると八十八になるため、九十歳は卒寿で、卒の略字が卆のため、そして九十九歳は白寿で、白は百に一足りないから、というように、言葉には、それぞれ意味が含まれています。以前はあまり注目しなかった表現が、時の移ろいとともに身近な存在に感じられることはよくあります。

12月19日(火) 川俣高等学校長

読 書

生徒の皆さんは1年間で何冊の本を読みますか。読書から得られる知識は計り知れません。読むスピードが遅く、それが読書のネックになっている場合もありますが、とにかく多く読むことで、自然にその速度は高まります。現在ではネットをとおした本の注文も一般的になりました。でも、自分の興味のあるテーマで検索をかけると、タイトルにその言葉のない本は検索結果に反映されないこともあります。実際に書店に足を運んでみると、知りたいテーマが集まっている棚をじっくりと眺めることができ、こんな本も出版されているんだ、など、多くの発見を楽しむこともできます。生徒の皆さんの中にも、本を読んで興味を示した箇所に、線を引いたりマーカーでチェックすることがあると思います。読み返した際に目が届きやすい反面、二度読み、三度読みの際には、別の箇所が気になる場合もあります。線などを引く代わりに、そうした個所に付箋を付けておくことを推奨する方もいます。独自の読書法を確立するのもまた、読書の楽しみの一つと言えます。

12月18日(月) 川俣高等学校長

中国では、気の存在を重視しています。気はエネルギーとされており、よって、体内に気を宿すことは気持ちを充実させてくれるとともに、元気をもたらすのだそうす。かねてより、日本にもそうした意識はありました。浮世絵師の葛飾北斎は、対象物をじっと見つめ、そこに宿るものを自分に取り込み、写し取ろうとする姿勢を持ちながら作品と向き合っていたようです。その領域は既にかなり高いレベルであったものの、70歳になっても現状に満足することなく、自分が到達する、確固とした更なる目標を定めていたといいますから、気に満ちた生活を送っていたことがうかがえます。その意味で、気は向上心とも言えます。周囲に対する気配りは大切な心構えですが、気の配り過ぎには注意が必要かもしれません。

12月15日(金) 川俣高等学校長

ハングリー

半導体などの洗浄に使用される水を超純水と呼ぶのだそうです。不純物を徹底的に除いた超純水には、50メートルプールの中に爪楊枝の先程度の砂粒があるくらいと言いますから、その純度には驚かされます。水は、他の物質を溶かし込みゴミを吸い取る性質を持つため、純度が高くなると洗浄力が増すのだそうです。超純水のことをハングリー・ウォーターと呼ぶ場合もあると聞きます。一般的に使用している水も、長く瓶などの入れ物に入れたままにしておくと、水が入れ物自体を溶かすなど、瓶が痩せると称される現象が稀に起きる場合もあるので注意が必要とのことです。一見、とても便利な超純水ですが、一方で、塩分やカルシウム、マグネシウムなど有機物が取り除かれているため、飲んでは美味しくはないようです。全てにおいて有効な物質はなかなか存在しませんね。

12月14日(木) 川俣高等学校長