令和4年度

校長より

相手を思う

東南アジアのある国では、以前に車やバイクの数が急激に増えたために、交通事故が多く発生するようになったそうです。特に、乗っている車やバイクから放り出され、道路に頭を強く打ちつける重度の事故も多かったことから、日本では現地医療機関に対してCTスキャンの機器を提供するなど支援を行ったそうです。でも、その機器を扱える技師が限られており、慣れてもいなかったために、あまり使うことなく放置された事例がありました。その後、その国からは、大量のヘルメットの希望が出されたそうです。別の国には、日本から耕運機を提供したそうです。広い面積を耕す耕運機は重宝されると思いましたが、その国の土壌はかなり固く、部品が壊れるなどトラブルが多く発生し、修理を担当できる人もいなかったため、結局、耕運機は放置されることとなりました。支援は、対象となる地域の詳細な状況、場合によっては文化的背景や地理的条件をよく知った上で実施することが求められます。そして、時の移ろいとともに支援内容も変わります。細目にわたり相手を思う姿勢もまた求められます。

2月26日(月) 川俣高等学校長

言葉の意味するところ

machineが機械を意味する英語であることはご存じのとおりですが、その具体的に意味する対象は国により異なるようです。旧西ドイツではマシーネと発音され、飛行機を指していたそうです。1990年代のイタリアではmacchina(マッキーナ)として、またスペインではmaquina(マキーナ)として車を指しました。同時代、日本でマシーンといえばミシンのことだったそうです。1860年にジョン万次郎がアメリカから持ち帰ったとされるsewing machineの後半を耳にしてミシンと呼ばれるようになった、との話もあります。人の手を使うことなく縫うことのできるミシン(マシーン)は、当時の日本人にとって衝撃的な存在であったことがわかります。言葉は時代背景を基に生み出されます。そして、同じ言葉であっても、その意味することは時代と共に変化します。生徒の皆さんが日常使っている言葉が、50年後には全く異なる意味を持つことも大いに有り得ます。

2月22日(木) 川俣高等学校長

由 来

タイの首都はご存じの通りバンコクです。でも、バンコクの正式名称は、クルンテープで始まる、とてもとても長い名前です。現地の人でも覚え切れずに、そのほとんどを省略してクルンテープと呼んでいたくらいです。では、バンコクという名前はどこからきたのでしょうか。水路沿いに作られた村(バーン)にオリーブ樹の一種(コーク)が多くあったことから、もともとはバーンコークとされており、それが縮まってバンコクと呼ばれるようになった、との説もあります。そのバンコクを流れるのがメナム川です。でもメナムは、現地で川を指す言葉なので、メナム川という名称は、川川と言っていることになります。また、メナム川を別名チャオプラヤ川ともいいますが、このチャオプラヤという言葉もまた、川を意味する言葉として使われていますから、またまた川川となり、話はかなりややこしくなります。

2月21日(水) 川俣高等学校長

人との関係性

3年生の皆さんは卒業が近づいてきました。これまでの、主に同級生を対象とした人間関係から、社会において幅広い方々との関係性を築くことになり、これまで以上に、友と呼べる存在が大切になります。一方で、人の持つ側面を正確に把握する力も求められることになります。中には、言葉や態度を器用に使い分ける型の人もいます。皆さんにとっての真の友の在り方について、深く考えてみてください。

2月20日(火) 川俣高等学校長

化粧箱

中に商品が収められた化粧箱をいただくことがあると思います。贈られた側が一つや二つの上箱を開けるのであれば楽しみしか感じませんが、限りなく多くの化粧箱の上箱を取って商品を詰める工程を必要とする会社側にしてみれば、上箱を取る作業の短縮化を図りたいと考えるのは当然です。上箱と下箱の隙間に爪のようなものを入れ、上箱のみ引き上げる機械を開発した会社がありました。でも、爪が箱の側面を傷つけたり箱自体を圧迫することもあり、うまくいきません。ある担当者が、引く(引き上げる)のがダメであれば押し(押し込む)てみよう、と発想の180度転換を図ります。試行錯誤の結果、下箱の隙間から秒速300メートル程度のスピードで空気を押し込むと、全く傷を付けることなく上箱が開くことがわかりました。人の手では毎分20箱のところ、この機械により毎分200個の処理が可能となったといいますから驚きです。大きな効果は柔軟な発想からもたらされることが多くあります。

2月19日(月) 川俣高等学校長

ヒント

ふと手にしたお土産の雷おこし、その凹凸のある表面を見て、河川の堤防を固めるコンクリートを緑で覆われた景観に変えることはできないか、と考えた方がいます。石とセメントを混ぜて凸凹した透水性のブロックを作り、石と石の隙間には、人工土とともにカスミソウやハーブなどの種を入れてみます。人工土には、栄養剤に加えて、地中の水分を吸い上げることができるよう充填剤を含ませるなど工夫をしました。こうしたブロックを地面に置いてみると、充填剤は充分に水を吸い、根はしっかりと地中に張ったそうです。程なく緑のスペースができあがりました。展示会に出品してみると、コンクリートの上にただ植物を置いているだけではないか、と疑った人が、植物を引き抜いてしまう事案が多く発生するほど反響があったそうです。私たちの周囲には、生活空間をより良く変えるヒントが多く存在しています。ちょっと手を加えることで、私たちの生活は一層彩り豊かなものとなります。

2月16日(金) 川俣高等学校長

会議時間

生徒の皆さんが入社した後に、会議に出る機会も増えることと思います。自分の手がけた仕事をよく知ってもらうために力が入り過ぎ、つい資料が多くなることもあります。でも、資料を整える時間、及び会議に係る時間が膨大になるのは考えものです。大企業ではこうした会議時間の短縮化を図るために、様々な取組を行います。かつては、座ることなく立ったままで会議をした会社もあったと聞きます。また、産業革命にかけて三行革命を打ち出した会社もありました。会議に提出する資料は、問題点とその解決策、成果予測の三行のみ書き込む決まりにしたようです。多く書くことができないため、表記する内容を熟考する必要が生じることにより、業務に対して真剣に向き合う効果を生み出しました。

2月15日(木) 川俣高等学校長

代名詞

200年程前の江戸時代から浅草寺参詣のお土産として知られる雷おこしは、その固さで有名です。でも中には、柔らかさを求める人もいたことを受け、改良に取り組むこととなります。水あめを増量することで固く甘くなることから、コーンスターチや小麦粉などを混ぜることで歯触りを柔らかくするなど工夫を施し、一層幅広い方々に好まれるようになりました。雷おこしは固いものという概念を覆す勇気、人の声に耳を傾ける柔軟な姿勢などがもたらす成果です。ちなみに、雷おこしという名は、浅草寺総門が雷門と呼ばれていることことを受け、雷除けとして売り出されたとも言われています。徐々に、家を興し名を興す縁起のいいもの、という地位を築くこととなりました。でも、その固さを求めた江戸っ子が現代にやって来て、柔らかい雷おこしを口にしたら、お気に召すかどうかはわかりません。

2月14日(水) 川俣高等学校長

モノに溢れる

「皆が持っているから」を口癖に、小さな子どもは、よくモノを欲しがる傾向にあります。そして、現代はモノに溢れており、買おうと思えばすぐにでも手に入る時代です。でも、一つのモノを与えると、次には別のモノを欲しがるようにその行為にはキリがない、と嘆く保護者の方の声もよく耳にします。それを家庭内消費の悪循環と称する人もいます。一方で、モノに溢れる生活を見直すために、あえて限られたものしかない生活を体験させようと考える方もいます。自然に囲まれた場所で、家族で数日間生活を送ることで、何が必要か、何がそうでもないか、について、じっくりと考えるのだそうです。『人々が手に入れるために躍起になって奔走するもの、そうしたものは、彼らに何ら幸福をもたらさない。心の平安は、いたずらなる欲望の充足によって生じるものではなく、反対にそうした欲望の棄却によって生じるものである。』と、トルストイも『文読む月日』の中で述べています。

2月13日(火) 川俣高等学校長

ヤドカリ

甲殻類に属するヤドカリは、その名のとおり巻貝を借りて自分の住処にしています。生まれたばかりの頃には家を持たずに海中を漂っていますが、しばらくすると、空になった巻貝を探し始めます。適当な住処を見つけると、奥行や幅を調べたり、ハサミを使って中を掃除したりするそうですから、まさに人と行動が似ています。成長期には身体が飛躍的に大きくなるため頻繁に住処を変える必要があり、よって、適当な大きさの巻貝をめぐり、時にシェル・ファイティングと呼ばれる仲間同士のイザコザも生じるそうです。でも、住んでいる間は愛着を感じるのか、一時も離れようとしません。進路により生活環境が変化する3年生の皆さん、自分の家や故郷を思う気持ち、いつまでも大切に持ち続けてください。

2月9日(金) 川俣高等学校長

今を生きる

時間がない、やる気がでない等の理由により、自己実現の機会を先延ばしにする人がいます。生徒の皆さんはどうでしょうか。でも、明日になれば、時間ができる、やる気が起きる保証はありません。いつやるか、それは今です。明日を知らない私たちができること、それは、今という時を今いる場所で全力を傾けて生きることです。吉田兼好も『徒然草』の中で、『もし人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何事を頼み、何事をか営まん。我等が生ける今日の日、何ぞその時節に異ならん』と書いています。

2月8日(木) 川俣高等学校長

歓迎の仕方

かつて、日本では引越しをすると、近所に住む方々にちょっとした品物を届けながら挨拶をする習慣がありました。一方で海外には、近所の方々が引っ越してきた方のところに行って、ギフトを届ける地域があるのだそうです。そして、そうしたギフトを運ぶワゴンのことをウエルカム・ワゴンと呼びます。日本に長く住む外国の方には、特に海外から日本に来て生活を始める外国の方の不安な気持ちがよくわかります。そこで、日本でもこのウエルカム・ワゴンを実施しよう、と思いついた方がいたそうです。加えて、そこに日本文化を取り入れて、ワゴンの代わりに風呂敷に包んでギフトを送ったといいますから、発想が豊かです。主な目的は、相談相手がいることで少しでも不安が和らげば、との思いから始めた行動ですが、その輪はあっという間に広がりを見せ、多くの企業もその活動を支援するようになりました。まさに優しさの輪に満ちた取組です。ちなみにこの活動のことを、ウエルカム・ワゴンにちなんで、日本ではWELCOME FUROSHIKIと呼んだそうです。

2月7日(水) 川俣高等学校長

人の叡智

後に京都大学総長になられる松本紘氏は、1970年代に、太陽電池を宇宙に打ち上げて電力確保を図ろうと考えました。長さ20キロメートル、幅5キロメートル程の太陽電池で、一千万キロワットの電力が得られる計算になるそうです。宇宙には降雨もなく夜もないことから、24時間のフル発電ができ、電気をマイクロ波に変えて地球に送ることで、各家庭でも利用可能となります。同時期にアメリカでも太陽発電衛星を打ち上げる計画を持っていました。一千万キロワットの発電衛星60基でアメリカ全土の電力を賄える計算となり、かなり本気の取組をしたそうですが、発電衛星は一基一千億円ほどもかかる高額であるために断念したそうです。でも、エネルギー問題も地球環境問題も深刻な現在、私たちの持つ叡智や様々な経験を結集して、地球規模で考える時期にきていることは確かです。

2月6日(火) 川俣高等学校長

トマト

現在の長崎県西海市大島町は、かつては炭鉱と造船の町でしたが、閉山やオイルショックの影響により、自然を活かした観光の町に生まれ変わります。そして、町を訪れた方々のお土産も必要と考え、町の持っていたバイオ技術を駆使してトマトの栽培を検討し、アンデス原産のトマトが甘くて美味しいという情報の下、その栽培に着手し始めます。その栽培方法は、トマトにとっては過酷とも思えるものです。水を断つためにビニールハウスの中で育てられ、与えられるのはわずかな有機肥料のみです。土が乾きヒビも入る状態ともなると、トマトの茎は細くなり、葉は枯れたようになります。せめて空中の水分を摂取しようとするかのように細い毛が生えてくるのを目の当たりにして、栽培に関わった方々の中には涙を流す人もいたと聞きます。ただただ枯れていくのを見ているだけではないのか、という不安も生じた頃、トマトの実が色づき始めたそうです。不安は歓喜に変わります。通常5度程度の糖度が12度程度あるといいますから、その甘さに再度の歓喜を覚えることとなりました。住む町への思いの下、そして自ら育てるトマトへの思いの下、皆で協力してトマトに改良を重ねることで、今でも町を支える産業となっています。

2月5日(月) 川俣高等学校長

心構え

生徒の皆さんは、自らの心構えとする言葉を決めているでしょうか。60年程前に、「気心腹己人」という看板を入口に掲げていたバス会社があったそうです。でも、その表記は独特です。気は縦に長く書かれており、心という漢字は丸みを帯びています。腹は横向き、己はかなり小さく、一方で人は大きく書かれています。これを、「気は長く 心は丸く 腹立てず 己は小さく 人は大きく」と読むのだそうです。バスの運航は人の命を預かる大切な仕事なので、ハンドルを握る者として平常心を忘れることなく、また、バスの中で少しでも、お客様に快適にお過ごしいただきたい、との思いを込めた表現なのだそうです。この心構え、あらゆる場面で使えそうです。

2月1日(木) 川俣高等学校長

差し水

黒豆や大豆などを煮るときに、湯に冷水を加えることを差し水と言います。沸騰させておくと、表面の皮だけ煮え皺ができて内側に熱が入り込まないため、水を加えることで皺を取り、内部まで熱を通す効果があるとされています。沸騰する湯に合わせて動いていた黒豆などが、冷水を浴びせられてびっくりしたように静かになることから、別名びっくり水とも表現します。かつては,、湯の吹きこぼしを防ぐ目的もある、日本人の知恵から生まれたびっくり水ですが、家庭でも火力調節が簡単にできるようになった現代では、このびっくり水という表現自体、徐々に使われなくなっていくのかもしれません。  

1月31日(水) 川俣高等学校長

変化の捉え方

現代は変化の激しい世、とよく言われます。かつて西欧では、世界が変わるからこそ不動の真理を追求しようとしました。中国では変化する側面を陰と陽の2面として捉え、人間万事塞翁が馬という考えを育てたとも言われます。日本では変化をそのまま受け入れ、徒然草にもあるように、定めなきこそいみじけれ、と表現しています。一定の状態が保たれることのない、こうした変化に富んだ事態に対応するには、様々な経験を基にした心構えを要するようです。

1月30日(火) 川俣高等学校長

啐啄同時

母親ニワトリが卵を抱いて何日も温めていると、卵の内側からヒヨコが殻を突く瞬間があります。これを啐といいます。そして、母親ニワトリがヒヨコの突いた同じ箇所を突き返すことを啄といいます。啐と啄が同時に行われることで卵が割れ、ヒヨコが世に誕生します。これを基に、禅の世界では、師僧が弟子に法灯を伝える絶妙なタイミングのことを啐啄同時としています。教員による教えも、早すぎることなく遅すぎることなく、タイミングが重要とされています。ちなみに、 啐啄同時が書かれた掛け軸は、本校校長室にも掲げられています。

1月29日(月) 川俣高等学校長

喜びのお返し

生徒の皆さんの中には、企業への就職を考えている人も多くいると思います。企業は欲する人にモノを提供する側面を持っているのは事実です。でも、利することのみ考えている処から繫栄は生じません。企業は人に喜びも与えているのです。人には、与えられたものを返そうとする傾向があります。憎しみを与えられると、憎しみを返すことにもなります。一方で、喜びを与えてもらうと、人はその喜びを大きくして返そうとします。熊本に、モチ投ぐるダゴ返る、という方言があります。誰かにモチをあげたらアンコの入ったダンゴが返ってきた、という意味だそうです。喜びの輪廻に入り込むと、皆が笑顔になります。生徒の皆さんがそうした空間を作り出せたら、周囲の人も、皆さん自身も幸せになります。

1月26日(金) 川俣高等学校長

ほととぎす

豊臣秀吉の『鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす』という句に対して、徳川家康は、『鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす』と詠んだ、とされています。織田信長の句を含めて三者の異なる性格をよく表していると称されています。でも、この三句は、鳴くホトトギスは善、鳴かぬホトトギスは悪、という共通する観点から成っています。一つの概念に対して、善と悪、陰と陽、あるいは有と無を求めるのは人の常ですが、超越した別の観点も存在します。松下電器の創設者である松下幸之助氏は、『鳴かぬなら それもまたよし ほととぎす』と表現されました。目の前にある状況をあるがままに受け入れるには、ある意味、勇気を要します。

1月25日(木)川俣高等学校長