令和4年度

2023年1月の記事一覧

生徒の皆さんは、読書をする時間を確保していますか。厚いし、読むのに時間がかかる、などの理由で、本を遠ざけてはいませんか。本はタイムマシーンです。文字をとおして、戻ることのできない過去にも、先の未来にも行くことができます。本は魔法の箒です。簡単には足を運ぶことのできない国々にもひとっ飛びです。そして、本は鏡です。人の考えや感動など、心の深いところにあるものも、見事に映し出してくれます。文字文化を堪能できる本を、実際に手に取って読んでみませんか。

1月31日(火) 川俣高等学校長

やる気スイッチ

生徒の皆さんは、学習を始める際にやる気スイッチがあったらいいな、と思ったことはありませんか。それが、あるんです。脳には側坐核(そくざかく)という部分があり、そこを刺激すると活動を始め、やる気物質と言われるドーパミンが分泌されます。ただし、側坐核というのに、即座に反応しない特徴があるので一工夫を要します。ハーバード大学のアミィ・カディ教授は、それの一つに、たった1分間、両手を天に突き上げる、仁王立ちで胸を張る、などのパワーポーズをすることを推奨しています。また、今から学習を始めるぞ、と大声を出して叫ぶことも効果的としています。大声であればあるほど、その効果は高まります。世界的に有名なコーチであるアンソニー・ロビンズ氏も、「感情は、体の動きによってつくられる。」と話しています。

1月30日(月) 川俣高等学校長

司馬遼太郎氏の作品「坂の上の雲」には、「坂の上の青い天にかがやく一朶(いちだ)の白い雲」を追い求めていた明治時代の日本人が描かれています。先人の教えを知り、その域に達することが学びの原点であることは、明治時代も今も変わりはありませんが、一方で、変化の激しい現在においては、新たな雲を探し求める重要性もまた増しています。これから歩む道筋を、自分の手によって描くのです。その対応の一つに、志を持つことがあげられます。志を持つことにより、人は、その実現に向けた努力の過程において、感動的な体験場面を何度も目の当たりにできます。また、そのときに、大きな生き甲斐も感じることができます。志を持つことは、まさに、生きる上で不可欠とされる貴重なエネルギーを私たちに与えてくれます。

1月27日(金) 川俣高等学校長

笑 い

笑いの効能に関する諺や表現は多く見られます。笑うことでストレスが発散され、血圧や脈拍数が下がるなどの現象については、以前より話題となっていました。また、血液中のナチュラルキラー細胞や、ウイルスに対して防御機能のあるインターフェロンが、笑うことで増える事実も指摘されているようです。一方で、涙を流すことはどうでしょうか。人は一般的に、一日に0.5グラムから0.8グラム程度の涙を流しています。涙の成分のほとんどを水分が占めますが、消毒剤にも使われるリゾチームという酵素もわずかに含まれていることから、適度な涙は目の汚れを清めたり、目に栄養を与えるなど大切な役目をしているとされています。病理史学者であった立川昭二氏は、「病理学的に見ても、目の使い過ぎや病弱な状態のときは、涙も冷たい。」と、独特の表現で話されています。悲しみの涙以上に、感動したり心が高まった際に流す温かい涙は、笑い同様に私たちを元気にしてくれそうです。

1月26日(木) 川俣高等学校長

ためらい

私たちの持つ品位や品格については多く述べられているところですが、コラムニストであった天野祐吉氏もご自身の本の中で、「品とは自分の愚かさを知る心の動きから生まれてくるものであり、自己批評の機能を失ったところから品位の喪失は始まる。」と書かれています。では、自らの品を保つためにはどうすればよいのでしょうか。自分を客観視することの大切さを挙げる人もいます。客観視とは、行動を起こすにせよ、何かに興味や関心を持つにせよ、即実行の前に少しだけ間を置くこと、とも理解できます。うまくいくかどうかわからずに悩み、思い切って実行することができずにいる状態を指す、やや否定的な心の動きともされるためらいを、自己を慎重に見つめるための前向きのためらいと位置づけ、意識的に活用することで、健全な心、そして品を保つことができそうです。

1月25日(水) 川俣高等学校長

将来像

東京の明治神宮には、神社に加えて、約70ヘクタールに及ぶ森があります。元々は畑と草地であったところに、綿密な計画の下、1915年から6年間かけて人工的な森が作られました。全国から寄せられた樹木は約10万本とも言われています。その植林の際に最も考えられたこと、それは、50年後、100年後、150年後の森の姿であったそうです。そして、100年後には、天然の森に近くなるよう設計されたとも言われています。作家の椎名誠氏が以前、「日本人は遠くを見なくなった。」と新聞の記事に書かれていたことを記憶しています。確かに、以前の日本人は、100年後のことも視野に入れた取組をしていたのかもしれません。明治神宮の植林から、今、約100年が経ちました。森の姿がどうなっているのか、少し気になります。今後、どう変化するのかを見通す姿勢は、激動の現在であるからこそ必要とされることとも思います。

1月24日(火) 川俣高等学校長

生物社会

かつて横浜国立大学の名誉教授であった宮脇昭氏は、植物生態学を専門としていらっしゃいました。失われた熱帯林に植林を試みる際に、どの程度の割合で植林すべきかを学生に問いたところ、数メートルの間隔をあけて植えるべき、と答えた学生に対して、彼は、一平方メートルにつき3~4本植えるべき、と、密なる植林を推奨します。養分の取り合いになりませんか、と学生が尋ねると、彼は、密集状態になると、木は一斉に太陽を求めて上に伸びる傾向があるため、実は早く大きく成長する、と諭します。私たちが通常兼ね備えている感覚は、事実とは異なる場合も多くあるようです。ちなみに、彼は、上に伸び切れなかった幼木は、次のチャンスを待ち、少しだけ我慢しながら共存する、この形もまた、 長い歴史の中で繰り返されてきた健全な自然形態だ、と指摘します。 生物社会には、チャンスは何度でも存在します。

1月23日(月) 川俣高等学校長

苦 楽

昼夜や表裏など、反対の意を持つ語を並べる表現は多く見られます。対等に表記されていますが、一方があるから他方がある、という意味で使われる場合も多く見られます。苦楽もそうです。「苦があるから楽がある。闇があるから光がある。苦を生かせ。闇を生かせ。」という坂村真民氏の詩もあります。「楽のみ存在していれば、楽を楽とも感じなくなることもある。苦しみを味わうからこそ、本当の楽しみを感じることができる」とも言えます。そして、目の前にある苦しみは永遠に続くものではなく、いつかは必ず終わりが来ます。苦を乗り切った先、そこには希望があります。

1月20日(金) 川俣高等学校長

先入観

『舞姫』や『雁』の作者で知られる森鴎外は医者でもあり、3年間ドイツに留学するなどして、医学に関する見識を深めました。そうした彼の一つの研究課題が脚気でした。ビタミンB1 摂取により、その予防を図れることは後にわかりますが、当時の日本では、積極的にはその摂取を行ってはいなかったようです。加えて、彼が留学したドイツでは、脚気の原因は細菌による感染との理論が強く、森鴎外自身もそう思っていたようです。徐々にビタミンB1 を含む麦飯や米糖の効果がささやかれるようになっても、彼の手元に届くのは、細菌による感染を示す資料ばかりであった、とのことです。多くの功績を残した森鴎外であっても、先入観は真実を見えにくくする一面があります。私たちもそうです。一度信じたことを変えるには大きなエネルギーを要します。であればこそ、ものごとを客観的に見て判断する柔軟性は重要です。

1月19日(木) 川俣高等学校長

不安と行動

不安を感じるとき、それは、何らかのピンチや困った状況に陥った場合だと思います。どうしよう、と長く考えて思考停止のループに入ってしまい、何の解決にもならなかった経験は、生徒の皆さんにもあるはずです。イギリスの哲学者トマス・ホッブズ氏も、人間の感情において最も根源的なものは恐怖であり不安である、と言っています。では、不安を解消するにはどうすればよいのでしょうか。それは、行動を起こすことです。不安の源であるノルアドレナリンは、行動するためのエネルギーとされています。生徒の皆さんを困っている状況から救ってくれるエネルギー、これこそが不安なのです。何もしないと不安は増え、一方で、行動すると不安は減ります。だから、不安というエネルギーをどんどん使うことで、思いっきり行動を起こしてみてください。

1月18日(水) 川俣高等学校長

遊び心

随分と以前の話です。工事現場にあるクレーンの支柱の中ほどに、プレートが取り付けられているのを目にしました。よく見てみると、それぞれに、ひばりやつばめ、かもめなどと書いてあります。何号クレーンと呼ぶよりも、ひばりで材料を上げてくれ、と言ったほうが心が和むからそうしている、とのことでした。そういえば、現場を囲う塀には、中の様子が見えるよう、のぞき窓のようなものも付けられており、ずっと下の方の足元あたりにも、やや小さめののぞき窓がありました。その脇には、犬用、と書かれています。何とも長閑な時代でした。でも、ちょっとした遊び心は、人を楽しくしてくれます。今の時代だからこそ、心の中でふっと笑えるようなゆとりは失いたくはない、とも思います。

1月16日(月) 川俣高等学校長

生きる

私たちは生活を送る上で、当たり前に必要とするものを手に入れています。スーパーには、食べ物や飲み物が数多く用意されているし、本屋さんには、多くの本が売られています。でも、美的感動を享受するにせよ、科学の恩恵を受けるにせよ、何一つとして、一人の力で成り立っているものはありません。世の中では専門による分業化がなされており、お互いがお互いの生命の一端を担い合い人間社会が構成されている、そうした一面があるようです。私たちが生きているのは、大自然の力を基盤として、あらゆるものの力により生かされている、とも言い換えることができそうです。生きる力という言葉があります。自然の恵みや人の叡智を謙虚に受け取る姿勢から育まれる力のことを言います。決して、人を押しのけて前に飛び出すことから得る力のことを指すものではありません。どなたが話されたのかは定かではありませんが、次のような表現を記憶しています。「他のために灯をともしなさい。あなたの足元も明るくなります。」

1月13日(金) 川俣高等学校長

漢 字

夏の話で恐縮ですが、「青嶺緑風の候」で始まる葉書をいただいたことがあります。普段は目にしたことのない表現でしたが、すぐに頭の中で、青々と連なる高い山々から吹き降ろす涼しく爽やかな風が、深々と生い茂った木々の間を吹き抜けていくイメージが浮かびました。漢字の持つ特性を十分に活かし切った表現である、と思うとともに、この言葉に触れることで、夏の暑さをも忘れるほどの清々しい思いをしたと記憶しています。私たちの使っている漢字は表意文字であるために、こうした気持ちを抱かせてくれるのだとも思います。返す返すも夏の話で恐縮ですが、同じ頃の季節でいえば、新涼という表現は、夏の暑さから解放され、ややひんやりとした大気を肌で感じる、そうした季節の変わり目を、私たちにそっと教えてくれます。また、俳句に使われる季語を集めた歳時記を開くと、日本語の持つ繊細なニュアンスの素晴らしさを知ることができます。漢字に対する認識を深めると、心もまた深まる気がします。

1月12日(木) 川俣高等学校長

見ぬ世の人

北ドイツの牧師の子として生まれたシュリーマンが、ミケーネの遺跡発掘などによりエーゲ文明の存在を世界史上に位置付けるきっかけとなったのは、父親から与えられた「子どものための世界歴史」という一冊の本でした。彼はこの本により、古代ギリシアの詩人ホメロスの詩に触れ、トロイが伝承や神話ではなく実在したものだったのではないか、と考えたのです。このように、一冊の本は、人の生き方をも左右するまでの影響力を持つことがあります。また、良書との出会いは良友との出会いにも通じます。吉田兼好は徒然草に、「ひとり灯のもとに、文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる」と書いています。ここでいう文とは書物のこと、見ぬ世の人とは会ったことのない人を指すので、吉田兼好は、本を読むことで、出会ったことのない人と友人のように知り合うことができ、心がなぐさめられる、と言っています。読書は、知識を増やすだけではなく、友も増やしてくれます。

1月11日(水) 川俣高等学校長

本来、祭りと言えば、京都の下賀茂神社と上賀茂神社の葵祭を指していたそうです。現在では、津軽地方のねぷた祭や秩父の夜祭り、博多どんたくなど誰でも聞いたことのあるものから、眠気を払い流すために七夕の日に行う福島県のねむた流しなど、日本各所に様々な祭りがあります。元々祭りには、神の声と民の声を伝え合うという側面がある、ともされています。学校でも、年間行事の中に、体育祭や文化祭など祭の付く行事が多くあります。お祭り騒ぎに陥るだけではなく、各行事がなぜあるのか、その本来の意味を考えることは大切です。祭りの準備には相当の時間を要します。そして、祭り当日は、年に一度の晴れやかな日です。だから、祭りが終わると一抹のはかなさを感じるのだ、とも思います。祭りのときに取り組もうと思っていてできなかったことがあっても、その日に後戻りはできません。後の祭りとならないよう、一層の計画性は必要です。

1月10日(火) 川俣高等学校長

読書三余

生徒の皆さんは、「読書百遍、意おのずから通ず」という言葉を聞いたことはありますか。中国の董遇という学者が弟子に教えたもので、同じ本を百遍読めばその真意がわかる、と説いたものです。そんな時間は作れない、と悲鳴をあげた弟子に対して、彼は、「まさに、三余をもってすべし。」と続けます。三余とは、冬、夜、雨を指し、このときであれば、読書の時間を確保できると諭したのです。そういえば、勝海舟にも似たようなことがありました。店頭にあったオランダの兵書が欲しくなった勝海舟は、お金を工面して買いに行くと、その本は売れてしまっていたそうです。買い主を探し出し、自分に売ってもらえるよう話をしますが、買い主は頑として首を縦にはふりません。それでも勝海舟は粘り、その買い主に、「あなたがお読みになる間はその本がご入用でしょうが、就寝後の時間であればその本はお空きであろう。その空いている時間だけ借覧させてはもらえぬか。」と提案します。これはまさに、三余をもってすべし、です。結果として、勝海舟は自宅から四谷大番町にある買い主の自宅まで一里半(6キロ)の道のりを毎日通い、午後10時から午前6時まで、本の内容を写し取る作業を続けたそうです。その期間は半年。学びへの執念を感じる逸話です。

1月6日(金) 川俣高等学校長

砂には、砂丘など大きな存在から、石川啄木の「一握りの砂」から感じる身近なものなど、様々なイメージがあります。その砂丘も、動と静、荒々しさと優しさなど、相反するイメージを持っています。また、砂浜に立つと、人は波の音を聞きながら、指で思い思いの絵を描いたり、手で作品を作ったりします。砂の上では、皆が芸術家です。砂を知るには、豊かな創造力と思考力を要するようです。小学校や公園にある砂場もそうです。哲学者の中村雄二郎氏は、「子どもの頃に誰でも経験のある砂場の遊びには、生の自然にじかに触れる愉しみと手ごたえがある。触覚によるこの手ごたえは、一見なんでもないことのように見えるが、私たち人間が自分の生命感覚を確かめる原点でもある。」と話しています。若い頃に培われた感性は、人生を豊かにしてくれます。

1月4日(水) 川俣高等学校長