令和4年度

校長より

水 泳

泳ぐことのできない子を対象にした水泳教室で、子どもたちはプールサイドに敷いた浮輪に腹ばいになり、手足をバタバタさせながら平泳ぎの型を練習しています。15分程経過すると、子どもたちは浮輪を身に付けて水に入ります。顔を水面に伏せようとする子がいると、コーチから、「顔を上げて。水で顔を濡らさないで。」と指示が飛びます。よく見ると、ひと泳ぎした後に、コーチは子どもに知られることなく、浮輪から少しだけ空気を抜いています。やや浮きにくくなった浮輪を付けた子どもたちは、強く手足を動かしながら泳ごうと努力します。でも、2か月もすると、すべての子どもたちが浮輪なしで泳げるようになるのだそうです。これはフランスで水泳を教えている、オリンピックにも出場された方の指導例です。水が怖いから泳げないのではなく、泳げないから水が怖くなる、というのがその方流考え方です。そして、顔が濡れるのを怖がる子も多くいるため、まずは、濡れることの少ない平泳ぎの型から指導を始めているということです。指導法は奥深いものです。

7月12日(水) 川俣高等学校長

機 転

鷹狩に出かけた豊臣秀吉が近江の石田村に立ち寄り茶を所望すると、一人の少年が大きな碗に温めのお茶を用意します。2杯目は先ほどの半分の量をやや熱めに、また3杯目はかなり熱めにして小さな碗に入れて出したので、機転の利くその少年、石田三成を近習として召し抱えた、という逸話は有名です。でも、よく似た話が海外にもあることをご存じでしょうか。インドで狩りに出かけた王子が隣国の村に立ち寄り、足の汚れを落とすために水を依頼すると、末利(まつり)という少女が、太陽に当たり温かくなっている泉の表面の水を汲んで渡します。今度は顔を洗う水を依頼すると、泉の中ほどのややぬるめの水を、更に飲み水を所望すると、泉の最も深いところから汲んだ冷たい水を運んできたそうです。全くといっていいほど同じ逸話ですね。もしかすると、博識な石田三成は、インドのこの話を耳にしていたのかもしれません。あるいは、機転が利くという概念の捉え方が、日本とインド間では同じなのかもしれません。ちなみに、この類似した2つの話については、幸田露伴が指摘しています。

7月11日(火) 川俣高等学校長

仕事の道筋

ある会社の新人社員研修で、ある新聞の全ページに使われている字数を90分で数えるよう指示されたそうです。3つに分けられた班では、その方法について手順を話し合い、作業に取りかかります。1つ目の班は、1人分の担当ページを決めて、それぞれが一斉に数え始めます。2つ目の班は、題字の下に掲載された新聞社の電話番号に電話をして、解答を聞き出そうとします。そして3つ目の班は、全員で1ページ目の傾向把握に努めます。日によって違いはあるものの、平均的な数値として新聞には約12万字が使用されているそうですが、数字や記号を含ませるかどうかなど、不確定要素により正解は異なります。その会社が見たかったこと、それは、正解以上に取り組む過程での姿勢だったようです。1つ目の班のように、エネルギッシュに立ち向かう力は、社会人に必要不可欠とされます。また、2つ目の班のように、電話などの手段を有効活用して情報収集することも大切です。3つ目の班のように、全員で協力して目を通した結果、その新聞の紙面は15段に区切られており、各段には80行から90行あり、その1行には14字程度入っていることを分析する、そうした協力と分析力も求められる力です。課題解決の方法は、準備されているものではなく自分で見い出すものであり、また、正解も一つとは限らない、ということは、いつの時代にも当てはまるようです。

7月6日(木) 川俣高等学校長

過 敏

何かに対して過敏に反応することは誰にでもあります。でも、周囲からの刺激や他者の感情を必要以上に受け止めてしまうと、心理的に疲れてしまうこともあります。こうした傾向は、音や色彩の微妙な違いを感じ取るなど、直観的に察知できるアーティストの方に多く見られるそうです。また、日常の些細な疑問を見つけ出せるなど、素晴らしい才能を持っている人とも言えます。でも、疲労感を感じるまでの過敏な状態にならないよう、以下のような対応を推奨する心理学者もいます。予め、過敏になりそうな要素をできる限り避けることを前提として、頑張りすぎることなく上手に休みを取り入れ、マルチタスクをすることなくシンプルに物事を進め、時には、敢えて人に頼るなどすると、安心感に満ちた生活環境を作り上げることができるようです。

7月6日(木) 川俣高等学校長

人との付き合い

生徒の皆さんが人と話すとき、予めその人に関する情報を集めたりすると思います。でも、そうした情報以上に、今、目の前にいる方と誠意をもって向き合うことは大切です。人は十人十色、これまでの経験値も考え方も様々です。そうした中、もしも自分に似た人と出会うことができれば、それは幸運です。お互いの魂が共鳴することで生み出されるセレンディピティ(思いもよらない幸運)に感謝して、誠実に話をしてみるのも良いと思います。同じ者同士の結びつきは、その力を何倍にもしてくれます。一方で、異なる者の結びつきからも、同種とは異なる大きな力が生じます。緩やかな繋がりではあっても永く続く関係により、多様化する社会への対応力向上を図ることができます。

7月5日(水) 川俣高等学校長