令和4年度

校長より

天使の囁き

北海道旭川の少し北に、零下40℃を超える気温も観測されたこともある幌加内(ほろかない)町があります。柱など木材に含まれる水分が凍って膨張してお互いに押し合うことで生じる音が、静まり返った夜更けに鳴り響く「家鳴り」と呼ばれる現象も度々起こります。でも、家鳴りがあった翌朝には、運が良ければ、自然の贈り物、ダイアモンドダストを見ることもできるそうです。その様子は、まるで天使が囁きかけているようにも思えるほどの美しさだそうです。かつて、若い人が多く故郷を離れる傾向にあったのは寒さのせい、と考えていた町の人は、耐寒訓練を行う登山家、及び、寒冷地仕様車やスタッドレスタイヤなどのテストを行う自動車メーカーが多く幌加内町を訪れるのを目にして、寒さを味方につけるとともに、寒さを前面に押し出す企画を考案し始めます。北大演習林内にあるログハウスに泊まってもらい、寒さを体感しながら大学教授の話を聞いたり、雪の結晶のレプリカ作りなど貴重な体験をできるよう、工夫に工夫を重ねました。弱点と思っていたことが、見方を変えれば、実は最大の強みであった、ということはよくあります。ちなみに、1986年に、天使の囁きを聴く集いと名付けられたこの企画は、内容の一層の充実を図るなどして、今も開催されています。

6月16日(金) 川俣高等学校長

周 期

人は24時間周期に従って生活をしています。これは、太陽の光や温度など自然的要因や、学校・会社など時間を拘束される社会的要因、食事など様々な要素から来るもの、とされています。そしてこのリズムに応じて、ホルモンの分泌が効果的になされます。人の体温が下がり自律神経が休まる時間帯は夜の11時から朝の6時頃までとされているため、人が寝る時間に適しているとの指摘もあります。一方で、人は柔軟な生き物なので、一定期間であれば、1時間早く就寝することや3時間程度遅く寝ても対応はできるようです。23時間から27時間が人にとって調節可能時間帯となるため、それを超える時間帯、たとえば海外に移動する際に生じる時差などを体験すると、リズムの同調障害が生じるとも言われています。いずれにせよ、夜更かしや基本的生活習慣を乱す生活は好ましくない、とは言えそうです。

6月15日(木) 川俣高等学校長

客観的観察

大学の講義の際に、金魚が1匹だけ入っている金魚鉢を机上に置き、客観的観察に基づくレポート10枚をまとめるよう指示して教室を出ていかれた教授がいたそうです。学生は、左右に泳いでいるだけで退屈そう、狭いところにいてかわいそう、口をぱくぱくさせることで水を取り入れている、などといったことを書き始めますが、10枚のレポートをまとめるまでには至りませんでした。次の週になると、教授は再び金魚鉢を置き、同じ指示をして教室を出ていきます。前週にまとめたレポートには、主観的記述とされた箇所が赤字でびっしりと指摘されていました。学生の金魚を見つめる視線の本気度が高まります。尾びれの上部を45度右に動かし左に45度動かすことで胴体を170度ターンさせる、金魚鉢の底から10センチのところから4センチ浮上し8秒後に再び底から10センチのところに戻った、など書き始めると、あっという間に10枚のレポートが仕上がりました。行動観察を研究するこの教授は、主観的観点(思い込み)は客観的観察を行う上での障害に成り得ると教えたかったようです。周囲にいる人との関係を築く際にも、予め自分が抱く主観的観点と実際が異なる場合があります。

6月14日(水) 川俣高等学校長

未 知

人は未知なるものを恐れる場合があり、年齢を重ねれば重ねるほど、その傾向は強まります。では、未知なるものと出会ったとき、どう対処すべきでしょうか。一般的には、これまでに得た知識と結びつけたりするなどして、できる限り既知のものに近づけようとします。もしも未知の度合いが強すぎる場合には、これまでに築いた自分の価値観や考え方を壊すことを余儀なくされることもあります。でも、既知ばかりが周囲に存在し、未知がなければ進歩はありません。頭の中に大きな?を浮かべることは、恥じることではなく、むしろ、大きな進歩を生み出す第一歩です。疑問が浮かばない人生はありません。わからない、を連発しながら周囲を見渡すと、その答えを友が持っていたり、教科書に書いてあったり、偶然に目にしたテレビ等をとおして答えが飛び込んできたりします。生徒の皆さん、今日はいくつの?が頭に浮かびましたか。

6月13日(火) 川俣高等学校長

輪 郭

子どもの頃に、塗り絵帳に色を付けていった経験があると思います。予め示されている輪郭から絵の具をはみ出さないように塗っていくと、そこばかりが気になり、何度も何度も色を重ねるなどして、全体としてイメージしたものとはかけ離れた出来となってしまうことがあります。でも、自分では、輪郭からはみ出して描いてしまったと後悔している個所を、誰かが、絵に元気が宿っているね、というように話してくれると、その瞬間から、自分から見ても、同じ絵が見違えるように素晴らしい存在に変わっていることはよくあります。そして、塗り絵帳の次のページに色を付ける際には、その輪郭を気にすることなく、純粋に塗り絵を楽しむ自分がいることと思います。そしてまた、次のページを開いた際には、その輪郭さえ目に入らなくなるかもしれません。でも、もしかすると、もともと輪郭は書かれておらず、自分が作り出した幻想だったのかもしれません。自由な感性をとおして表現するときに、枠は不要です。

6月12日(月) 川俣高等学校長