令和4年度

校長より

いかに生きるか

科学技術の進歩は、快適さや利便性の飛躍的向上を可能とするなど、私たちの生活に大きな影響を及ぼしました。でも、一方で、人としての向上に繋がったのかについては、まだ、明確な回答段階にはないようです。いかに生きるべきか、という人の持つ永遠の命題は、解決されることなく残っているようにも思えます。むしろ、自己に向かい合う時間は、以前よりも限られているのかもしれません。私たちは常に学んでいます。学びの本質とは、知識の習得以上に、いかに生きるかについて知ること、という方も多くいます。生徒の皆さん、一日のうちで少しでも時間を作り、自らについて考えてみるのもいいのかもしれません。

3月28日(木) 川俣高等学校長

ルール作り

様々なルールが作られるには、その国や地域の事情が大きく影響しています。1960年代のサンフランシスコでは、朝の時間帯に限り、金門橋を渡り市内に入る車からは通行料を取らず、夕方の時間帯に橋から出る車に2倍の通行料を課したそうです。その背景には、深刻な交通渋滞があったようです。帰宅時間が分散する夕方と比較して、車が集中する朝に一台ずつ車を止めて通行料を取っていることが渋滞の大きな要因の一つと考えた担当部局が、通行料を部分的に無料とする規則に係る住民投票を実施します。その結果か注目されましたが、圧倒的多数で規則は支持を受けることとなります。誰にでも小さな不利益は生じる可能性はありました。でも、交通渋滞解消という大きな目的のために多くの人が納得した、といいますから、その判断には多少驚かされます。価値観が大きく異なる中においても一致点は見い出される、という事例とも言えます。

3月27日(水) 川俣高等学校長

教 養

今では普通に使用される文中の「、」や「。」ですが、奈良時代や平安時代に一部使用されるまで、日本では、文字を表記する際に、「、」や「。」を書かない習慣が永く続きました。挨拶文中にはこうした記号を入れないのは当時の慣習によるもの、ともされています。少なくとも、手紙のやり取りをしていた当時の方々には、長い文でもちゃんと読むことができていたわけです。文の切れ目が明確にわかる記号を敢えて使わなかったのには、そうしなくても、受け手を、文脈を読み取れる教養人として捉えていたことを示す一つの手段だった、とする説もあります。言葉や表現法は時代背景により変化します。今、私たちが普通に使用していることが将来の人にとっては?、という場合もあり得ます。

3月25日(月) 川俣高等学校長

スピーチ

日本人のスピーチは、「高いところから皆様にお話しする無礼をお許しください。」など、多くの場合、お詫びから始まります。一方で、アメリカの方はジョークから始めるケースが多く見受けられます。これをCracking the ice(氷を砕く)と表します。国民性と言ってしまえばそれまでですが、場を和ませる観点からすると、ジョークの必要性は高いと考えます。アメリカの方はいつでもジョークを使うことができるよう、普段からその在庫作りに励んでいるようです。一流とされるアメリカのビジネスマンが、面白い話を耳にするとすぐにメモを取る姿もよく見られます。ある日本人がスピーチの冒頭で、「私にはジョークの持ち合わせがありません。ジョーク抜きでスピーチを始める非礼をお許しください。」と話したのを聞いて、それがジョークと思い込んだアメリカ人の方々が大いに受けた、というエピソードすらあります。自らの主張がうまく相手に伝わるかどうか、それはスピーチの入り方にも左右されます。

3月22日(金) 川俣高等学校長

ストレス

南米エクアドルのビルカバンバは長寿村として知られています。出生時の記録が曖昧な点もあり、正確な年齢とは言えない側面もあるようですが、100歳を有に越えていると思われる多くの方々が、元気に畑仕事をされています。高地にあるため空気が澄んでいることに加え、緑も豊富なため、元気が維持されるとも言われています。また、フェステとシエステと呼ぶ、お祭りと昼寝を好む方々のようで、聞いただけでも健康に良さそうです。一方で、長寿の秘訣として台風の存在を挙げる研究者もいます。台風による気圧の変化が身体に与える影響、及び台風に備える心理的影響は大きいとの指摘をよく耳にしますが、赤道付近で発生する台風はまだ小さいため、そうした影響も少なく、ビルカバンバの方々がストレスを感じることはない、というのがその根拠です。ストレスとうまく付き合う方法がわかれば、今の生活を一層豊かなものにできそうです。

3月19日(火) 川俣高等学校長