令和4年度

2023年12月の記事一覧

旅は目的地に到着することを重視しがちですが、旅の途中にも大切なことが多くあります。今までに交流のなかった方々と話す機会が生じます。日常とは異なるものを発見することもできます。人生を旅に例える人も多くいます。地球は自転しながら365日かけて太陽を一周し、太陽は2億年以上かけて銀河系宇宙を一周するのですから、地球に生活する私たちは、既に立派に旅人です。『日々旅にして旅を栖とす』とした松尾芭蕉は、宇宙的規模の感覚で真理を表していたのかもしれません。

12月28日(木) 川俣高等学校長

こけし

楊枝は、その多くが白樺を材料として作られています。柔らかい白樺は家具には向きませんが、楊枝には最適です。ヨーロッパ南部や東南アジアには白樺がないため、かねてより日本の楊枝が重宝されていました。かつて、イタリアのレストランの格式は置いてある楊枝でわかる、と言われたこともあったようです。この楊枝の頭の部分には、窪みのような装飾が施されています。この部分を箸置きのようにして使用する、という話をよく耳にしますが、これは、ある落語家の方や評論家の方が言い出したことのようで、実は、何もないのはさみしいと感じた楊枝メーカーの方が、昭和36年頃にちょっとした飾りをつけたのが始まりだそうです。ちなみに、こけしを参考にして刻みを入れたことから、この部分をこけしと呼ぶこともあるそうです。でも、楊枝置きとした発想、なかなか粋ですね。

12月22日(金) 川俣高等学校長

難 問

フランスの哲学者デカルトは、疑って疑い抜き、これだけは疑いようがない、というところから考えを進めるべき、と説きました。『我思う ゆえに我あり』という表現は、周囲には疑わしいことが多くあるものの、疑っている自分がいることだけは疑う余地はない、ということを表現している,、との解釈もあります。そして彼は、難しい課題は分割して処理すべき、とも説きます。現在、私たちの周りにある課題は、大抵、諸問題が関係して生じることが多くあります。複雑化した課題解決には、多少の時間や労力を必要としても、一つ一つの事象に丁寧に向き合うことから解決を図ることができます。中国の思想家である老子も、難しいことは容易いことから始め、大きいことは小さなことから手をつけよ、という意味で、『難ヲ易キニ図リ、大ヲ其ノ細キニ為ス』としています。

12月21日(木) 川俣高等学校長

一を聞いて

日本では、十のうち一だけを聞いてすべてを理解することを良し、としていますが、すべての国がそうであるとは限りません。『古池や蛙飛び込む水の音』という松尾芭蕉の句から、私たちは頭の中でその情景を思い浮かべるとともに、背景にまで思いを巡らせます。一方で、海外の人に芭蕉の句を披露すると、「それで?」と、その続きを促されるかもしれません。十の説明を聞いて一を知る文化においては、相手にわかるよう、的確な、そして充分な十の説明をすることが求められており、これもまた、なかなか大変なことです。言葉をつくして自分の考えを相手に理解してもらい、相手からも充分な言葉をとおして情報を得ることも、私たちが持つ感性同様に重要なこととされています。

12月20日(水) 川俣高等学校長

古 稀

古稀として七十歳を祝うのは、唐の詩人である杜甫による『人生七十古来稀なり』から来ているのだそうです。今では平均寿命は大幅に伸びていますが、杜甫の生まれた八世紀頃は一般的に人生五十年と言われており、当時の人にとっては七十歳は稀でした。古稀の次には七十七歳の喜寿を迎えます。これは、喜びをくずし字で表すと㐂となることから由来しており、八十歳は傘(さん)寿といって、傘は仐と略されるため、そう表現されるのだそうです。八十八歳の米寿は、米の字をばらばらにすると八十八になるため、九十歳は卒寿で、卒の略字が卆のため、そして九十九歳は白寿で、白は百に一足りないから、というように、言葉には、それぞれ意味が含まれています。以前はあまり注目しなかった表現が、時の移ろいとともに身近な存在に感じられることはよくあります。

12月19日(火) 川俣高等学校長

読 書

生徒の皆さんは1年間で何冊の本を読みますか。読書から得られる知識は計り知れません。読むスピードが遅く、それが読書のネックになっている場合もありますが、とにかく多く読むことで、自然にその速度は高まります。現在ではネットをとおした本の注文も一般的になりました。でも、自分の興味のあるテーマで検索をかけると、タイトルにその言葉のない本は検索結果に反映されないこともあります。実際に書店に足を運んでみると、知りたいテーマが集まっている棚をじっくりと眺めることができ、こんな本も出版されているんだ、など、多くの発見を楽しむこともできます。生徒の皆さんの中にも、本を読んで興味を示した箇所に、線を引いたりマーカーでチェックすることがあると思います。読み返した際に目が届きやすい反面、二度読み、三度読みの際には、別の箇所が気になる場合もあります。線などを引く代わりに、そうした個所に付箋を付けておくことを推奨する方もいます。独自の読書法を確立するのもまた、読書の楽しみの一つと言えます。

12月18日(月) 川俣高等学校長

中国では、気の存在を重視しています。気はエネルギーとされており、よって、体内に気を宿すことは気持ちを充実させてくれるとともに、元気をもたらすのだそうす。かねてより、日本にもそうした意識はありました。浮世絵師の葛飾北斎は、対象物をじっと見つめ、そこに宿るものを自分に取り込み、写し取ろうとする姿勢を持ちながら作品と向き合っていたようです。その領域は既にかなり高いレベルであったものの、70歳になっても現状に満足することなく、自分が到達する、確固とした更なる目標を定めていたといいますから、気に満ちた生活を送っていたことがうかがえます。その意味で、気は向上心とも言えます。周囲に対する気配りは大切な心構えですが、気の配り過ぎには注意が必要かもしれません。

12月15日(金) 川俣高等学校長

ハングリー

半導体などの洗浄に使用される水を超純水と呼ぶのだそうです。不純物を徹底的に除いた超純水には、50メートルプールの中に爪楊枝の先程度の砂粒があるくらいと言いますから、その純度には驚かされます。水は、他の物質を溶かし込みゴミを吸い取る性質を持つため、純度が高くなると洗浄力が増すのだそうです。超純水のことをハングリー・ウォーターと呼ぶ場合もあると聞きます。一般的に使用している水も、長く瓶などの入れ物に入れたままにしておくと、水が入れ物自体を溶かすなど、瓶が痩せると称される現象が稀に起きる場合もあるので注意が必要とのことです。一見、とても便利な超純水ですが、一方で、塩分やカルシウム、マグネシウムなど有機物が取り除かれているため、飲んでは美味しくはないようです。全てにおいて有効な物質はなかなか存在しませんね。

12月14日(木) 川俣高等学校長

情 識

『風姿花伝』の中に、『稽古は強かれ、情識はなかれとなり』という一節があります。妬みの心にとらわれることなく厳密な稽古を心がけよ、という戒めです。心の持ちようにより、芸が広がりを見せることもあれば、不完全な表現に留まることもある、という考えは、世阿弥の考えにも通じます。そして、生徒の皆さんには、この稽古という言葉を、学びに置き換えて欲しいと思っています。学問の定着を図る過程では、人が自分より先んじる場面にも遭遇しますが、妬みが学びの障害になることのないよう、常に離見の見を心がけることは大切です。学びは、ある意味自己改革です。昨日の自分より今日の自分は一歩でも歩みを進めることができた、という喜びを胸に日々過ごして欲しいと思います。

12月13日(水) 川俣高等学校長

音 読

本を読むときに視覚のみを活用し、目のみで文字を追うことを黙読といいます。一定の理解はできますが、より効果的な読書法として音読を推奨する方は多くいます。理解した文章情報を音に変換し、口を動かし、息を出し、自らの声を耳により聞く、という一連の流れが、脳活動にもたらす影響が大きいのだそうです。黙読が視覚をとおした情報のインプットとすれば、音読はインプットとアウトプットの同時進行となり、脳の血流が増加して、脳の働きが活発化します。加えて、声に出すことにより、肺や横隔膜も鍛えられます。肺活量の増加は疲れにくい身体を作り出すのだそうです。生徒の皆さん、音読により知識の一層の定着を図るとともに、強い身体も作ってみませんか。

12月11日(月)川俣高等学校長

豊かな社会

管鮑の交わりで知られる管仲についてまとめた『管子』は、黒田官兵衛や二宮尊徳、西郷隆盛といった方々もよく読まれたと言われています。その中の『倉廩(そうりん)実(み)ればすなわち礼節を知り、衣食足ればすなわち栄辱を知る。』という表現は、国をまとめる立場にあった管仲が、自分に言い聞かせていたこととされています。直接的な意味を把握した上で、年間をとおして計画な生産ができるよう配慮することで経済が豊かになり、物資が集まるようになれば人も多く集うようになり、結果として豊かな社会を築くことができる、との趣旨と解釈されています。そして、国や地域を支える存在も、家庭や会社を支える存在も、人であることは言うまでもありません。

12月8日(金) 川俣高等学校長

繋 ぐ

鍛冶職人の家に生まれたイギリスの科学者マイケル・ファラデーは、弟子奉公をしながら独学で学問に取り組むとともに、当時のロンドンにはわずかなお金で聴講できる公開講座のような機会があったので、そこに熱心に通い、一流の科学者からの直接の教えに触れることで、一層、自然科学に対する興味を深めることになります。後にファラデーの法則等を発見する発端には、彼の持つ学問に対する熱心さに加えて、学ぶ機会を提供してくれた公的機関の存在がありました。若い世代に知的財産を繋ぐ役目として、晩年には、彼自身が講義を行います。そして70歳のときの講義が、『ロウソクの科学』という名で本になります。ロウソクから出た水素と空気中の酸素が結合するために、ロウソクが燃えた下には水がたまる、あるいは、人の呼吸の仕組みはロウソクが燃えて発生する炭酸ガスの過程と同じである、などの記述をとおして、多くの子どもたちが関心を高めるのに大きな効果をもたらしたそうです。学問が発達する背景には、人から人に繋ぐ意識が存在しています。

12月7日(木) 川俣高等学校長

織 物

人生を織物に例えたのは染織作家の志村ふくみさんです。先天性の性質を持つ経糸(たていと)を変えることはできませんが、緯糸(よこいと)を通すことで織物はでき上がり、個性も加味される、と志村さんは話されています。そして、人は、自分の色を求めて織物を織るのだそうです。ひたすら一色を織っていたとしても、そこには自然に多様な色が含まれます。個性は色彩豊かであることの証明なのかもしれません。生徒の皆さんは、自分の色を知っていますか。これまでも、そしてこれからも、皆さんは意図的に、また時に無意識に、様々な色を取り込みながら人生という織物を織り続けるのかもしれません。

12月6日(水) 川俣高等学校長

深堀り

世阿弥は、佐渡島にいた時期に徹底的に見つめ直すことをとおして、能楽に深みを加えたとも言われています。西郷隆盛や大久保利通も、情報が限られる中で世について考え、世界情勢までも知り得たそうです。共通するのは、我一心なり、の精神の下、よそ見をすることなく自分の足許を良く見て、深堀りしようとする姿勢です。隣の芝生は青く見えますが、その時点で二心があります。全てにおいて真理は深い処にあります。そして、不退転の覚悟で事に当たらねばならない瞬間は存在します。生徒の皆さんにも、その場面は必ず来ます。困難の克服を図るには苦労を伴いますが、その際には、山より大きな猪はいない、海より大きな鯨はいない、と心の中で唱えてみてください。

12月4日(月) 川俣高等学校長

1対29対300

かつて階段の踊り場に、「足元にお気をつけください。1対29対300」という張り紙を貼っていた会社がありました。1件の大きな事故が生じる背景には29の中規模の事故があり、29の事故の背景には、取るに足りないとも思える300の小さな事故がある、とのハインリッヒの理論です。宮水と呼ばれる名水が近くに湧出する地域にあるこの会社では、その水脈を守るために会社を拡大することをせず、また、建物の十分な幅もないことからエレベータを設置できないために、階段を活用していたそうです。でも、多くの社員や大切なお客様が階段で転ぶなどして怪我することのないよう、未然防止の意味を込めて先ほどの張り紙をしたそうです。会社広報の方は、会社を訪れた大抵の人はこの張り紙の意味を問うため、注意喚起の継続につながっている、とも話されていました。

12月1日(金) 川俣高等学校長