令和4年度

校長より

経 験

中国宋の時代のある大夫(たいふ)が、すぐに家を建てるよう大工さんに命じると、その大工さんは、「まだいけません。木が生です。生の材木で重い壁土を支えると、たわみが生じます。」と答えます。するとその大夫は、「木は枯れれば一層強くなる。一方、壁土は乾けば軽くなる。強い材木で軽い壁土を支えるのだから、たわみが生じることはない。」として、再度、即座の建築を命じます。大工さんは命じられるまま家を建てますが、出来上がったときは立派であったその家は間もなくたわみ、壊れることとなります。経験から学んだ大工さんの知恵は、現実に適応したものであったわけです。木枯と塗乾との間に存在する時間に注目することなく、材木や壁土など、ものにだけ注目し、一足飛びに論を進めたために起きた失敗談です。このように、言葉の上では、一見すると筋が通っているように思えても、実際には妨げとなるようなことを、「辞(じ)に直(なお)くして事に害あり」といいます。実践の伴わない、現実の裏打ちのない話には注意が必要です。

2月17日(金) 川俣高等学校長

行動の選択

福沢義光さんというプロゴルファーがいらっしゃいます。試合中に、彼の打ったボールがピンそばに止まりますが、よく見ると、赤とんぼがそのボールの下敷きになっていることに気づいたそうです。このまま打てば、小さな命を奪ってしまうことにもなる、と考えた福沢さんは、迷うことなくボールを持ち上げ、赤とんぼを逃がしてやります。ルールにより一打のペナルティーが与えられました。試合終了後にそのことを問われると、彼は、「もちろんルールは頭に入っていました。でも、そのまま打つには、あまりにも赤とんぼが可哀そうで。」と話されたそうです。そういえば、大リーグのベーブ・ルース選手にも似たエピソードがあります。彼の打ったボールがスタンドに飛んでいき、一人の男の子が抱いていた子犬に当たってしまったそうです。すると、彼は試合中にも関わらず、すぐにスタンドにいるその子のところに駆け寄り、子どもとともに子犬を病院に連れて行ったそうです。試合の勝ち負け以上に命の大切さを考えた行動です。咄嗟の判断や行動は、人の持つ本質を表します。ちなみに、前述した福沢義光さんは、彼の行為はユネスコ憲章の考えに合致することから、ユネスコ日本協会からフェアプレー特別賞を授与されました。

2月16日(木) 川俣高等学校長

必 然

生徒の皆さんは、セレンディピティという言葉を聞いたことはありますか。偶然に出会ったように見えて、実は、常に高い問題意識を持っていたからこそ必然に出会えるような場合を指します。たとえば、本屋さんで書棚を探しているときに、思わぬ書籍コーナーに目指す本が置かれていることに気づくことがあります。普段なら目に留まるはずはないのに、本にある帯の一文字が目に飛び込んできたり、本の装丁が少し気になったりして、その本の存在に目が行くときなど、まさにセレンディピティ現象が起きたのだと思います。本のほうから生徒の皆さんのことを手招きしてくれるのですから、高い問題意識を持っていると、かなりお得です。

2月15日(水) 川俣高等学校長

定向進化

ある種の閾値を超えると一気に繁栄し、また繁栄するがために副作用が生じて絶滅するという事例は、恐竜など生物の存在や王朝の在り方など、歴史を紐解くと多く見られます。こうした一連の流れを定向進化と呼びます。一旦ある方向に向けて進化していくと、それがそのまま行き過ぎてしまうことになるので、常に、現状に課題はないのかを冷静に考える観点が必要とされます。これは、生徒の皆さんが送っている日常を見直す際にも重要なことです。今ある課題をなくす(打破)だけではなく、多様性を取り入れて一層の進化や深化を図るためにも、是非、創造的打破の領域に踏み込んでみてください。

2月14日(火) 川俣高等学校長

淡 い

よく、はじめに言葉ありき、という言葉を耳にします。あのときの一言で元気づけられた、または、あのときの一言がなければ、など、言葉の力が大きいことは言うまでもありませんが、一方で日本では、言葉を明確に発することなく曖昧にする傾向がある、との指摘を受けることもあります。その一因は、日本の風土にもあるのかもしれません。日本中が色彩に覆われる桜や新録の季節、その色合いは、霞たなびく、とも表現できるほど、どことなく淡い感じに包まれます。色彩は、人の気持ちに大きな影響を与えます。淡い色合いをとおして想像する世界の深さが、日本人を思慮深くしている一面があるのかもしれません。

2月10日(金) 川俣高等学校長

自分の色

棋士の坂田三吉氏をご存じでしょうか。小さい頃から暇を見つけては将棋ばかり指していた三吉氏に、父親の卯之吉氏は、「ここに、赤と青、黄と紫、白と5色あるが、将棋しか見えていないお前には、白しか見えないのと同じこと。本来なら5つの色を学ぶべきところだが、お前は、白一色の世界でやっていくがいい。こうと決めたら気を散らすことなく、どこまでも白一色を貫きなさい。」と話します。卯之吉氏は三吉氏に対して、一途に一筋の道を究めることを教え、一方で、三吉氏はその教えを忠実に守り通します。数多くの実践をとおして彼は腕を磨き、彼の独特で個性豊かな指し方は、当時の将棋界を席巻することとなります。そして後に関西将棋名人となり、日本将棋連盟から、名誉名人「王将」が贈られました。生徒の皆さんは自分の色を知っていますか。もしも、まだ自分の色に気づいていないなら、友に聞くのも一つの手です。友はいつも近くにいて、想像以上に皆さんのことをよく見ています。

2月9日(木) 川俣高等学校長

他者への思い

周囲にいる人の心の痛みが分かるようになることは大切なことです。自分本位の見方により、冷静な判断を欠き、感情的、功利的に動いてしまうことはありますが、その未然防止のためにも、いつでも少し間を置き、逆の立場であればどう思うのかを考えた後に行動に移すよう心がけることが必要です。人は一人では生きていくことができません。永六輔氏も、「生きているということは、誰かに借りをつくること。生きていくということは、その借りを返していくこと。誰かに借りたら、誰かに返そう。誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげよう。」と話されていました。生徒の皆さんも、他者への思いを深くし、他者と支え合い、助け合って生きる姿勢を持ち続けてほしい、と願っています。

2月7日(火) 川俣高等学校長

読書の楽しみ

作家の富岡多恵子さんは読書について、「読書には幾通りもの楽しみがあります。知ることを知る。興味あることをさらに深く知るという未知なるものへの期待があります。自己の経験を他者の経験で確認し、分析し、客観化し、納得する面白さもあります。他者の論理の助けで、自分の中に新たな発見もできます。物語で、現実を横すべりするスリルもあります。疲れて萎えた気持ちを鼓舞される快感もあります。さらにもっと、人によって様々な楽しみがあることと思います。本は読まれることを目的として作られているので、手を差し出し、手に取ってみなければ、その楽しみは得られないでしょう。」と、新聞に書かれていました。そういえば、作家の井上ひさしさんがご自身のお子さんに言い続けていたこと、それは、騙されたと思って本を読みなさい、という言葉であったそうです。

2月6日(月) 川俣高等学校長

風の色

「奥の細道」の最初には、「片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず」とあり、また、「道祖神の招きにあひて取るもの手につかず」と記されています。松尾芭蕉の旅立ちへの思いが伝わります。旅に出ると、日頃見慣れた光景とは異なる街並みや自然の景観に触れることができ、多くの感動を覚えます。自分の中にある何かを、新鮮に意識する瞬間を体験できるのも、旅の魅力の一つです。スケジュール管理をされた旅であっても、ゆったりとした心で周囲を見渡す一時を持つことで、こうした瞬間を感じることができます。以前に、何かのキャッチコピーで、「ゆっくり歩くと風の色が見える。」というものがありました。「奥の細道」を読むと、松尾芭蕉の目にも風の色が見えていたのではないか、と思わせる箇所が多くあることがわかります。日常とは異なる環境の中で、新しい自分に出会うことができる旅、そうした旅を自然にできる時が早く来ることを願います。

2月3日(金) 川俣高等学校長

一生学び

世に様々な歌を出された小椋佳氏をご存じでしょうか。彼は東京大学卒業とともに銀行に入行し、その業務に携わりながら音楽活動にも取り組みます。定年を待つことなく退職すると、子どもを対象とした音楽劇作りにも着手するなど活動の幅を広げながら、その一方で、猛勉強の末に、東京大学法学部に学士入学を果たします。さらに、法学部修了後には、再度の学習を経て、東京大学文学部の学生になります。そのとき、彼は52歳です。月曜日から金曜日まで毎日、朝8時30分から夕方6時30分までの講義を受ける日々を送るとともに、土曜日や日曜日にはコンサートや講演活動をするため、出てくる言葉は、「時間が欲しい。」であったと聞いています。彼が学びに対して心に秘めていたこと、それは、「好きなことがないと嘆くことなく、好きになろうとしてみよう。」、そして、「答えのない問題を解きほぐす孤独な挑みを一生継続していこう。」だそうです。小椋佳氏のすべてを真似ることは難しいとしても、学びに向かう姿勢など、生徒の皆さんに少しでも参考となることがあれば幸いです。

2月1日(水) 川俣高等学校長