令和4年度

校長より

追いかけっこ

海鼠と書いてナマコと読みます。その見た目から、初めてナマコを食べた人は勇気があった、とも言われますが、コリコリとした食感があり、美味しく食べることができます。乾燥したものはイリコと呼ばれ、中国料理には欠かせない存在です。捕獲には底引き網漁が使われるものの、岩が多くある海底にいるので、古くから底見漁法も用いられています。あまり活発に動き回るタイプではなく、一晩で7メートル程しか動きませんが、一方で、うまく保護色を使うため、船の上から海底を見てもなかなか見つけることができません。そう、捕まらないよう、ナマコも考えています。そこで、昔の漁師さんは、どうしたらナマコを見つけることができるのか考え、その習性から一つの解答を見い出します。ナマコは移動しながら海底の砂泥を吸い込んで有機物を栄養として取り込み、残りは糞として排出します。最初は大きな糞が、二度目、三度目には徐々に小さくなっていくことを考慮して辿っていくと、ナマコに行きつくというわけです。今のところは人の叡智が優ってはいますが、ナマコも海底で、密かに次なる対策を練っているかもしれません。

10月3日(火) 川俣高等学校長

学びの意義

どうして学ばねばならないのか、生徒の皆さんはこうした疑問を抱いたことがあると思います。知識を得ることは重要とは知っていても、それが学ぶ意義にはならないのも事実です。この問いに対して全ての人が納得する回答は存在しないのかもしれません。かつて大学の同級生に、なぜ学ぶ必要があるのかを知るために大学に来た、と話す友人がいました。この命題、どれが正解かというよりも、どのタイミングで考えるのかも重要になるようです。でも、その回答に近づくためにも、読書をすることは大切です。読書により新たな知識を得ることができ、加えて、読書は、得た知識の活用についても一定の方向性を示してくれます。

9月29日(金) 川俣高等学校長

繋がり

大手飲料水メーカーの元会長であった宮田保夫氏は、ふと、自社製品の名にも通じるから、と思い、趣味で亀の甲羅を集め始め、その数、日本だけではなく海外からのものも含めて800以上にもなったそうです。古代中国の言い伝えによれば、東西南北の四方に、青竜、白虎、朱雀、玄武の四神がいること、そして、亀を模った玄武は黒褐色をした水の神であることを後に知り、その偶然性に驚いたそうです。さて、ふと気になったことや、ふと手にしたものが、自分に深い関りをもつ存在であった、という体験を持つ生徒の皆さんもいることと思います。そこに導かれたのは、偶然に見えて、実は必然だったのかもしれません。今の時代でも、科学で解明されない分野は多く存在します。

9月28日(木) 川俣高等学校長

木ヘン

なぞなぞです。木ヘンに朱は木の切り株、木ヘンに白は柏、では木ヘンに黄色は?、と尋ねられたら、生徒の皆さんはどう答えますか。ミカンではありませんよ、答えは横ですね。それはともかく、木ヘンの漢字は多くあります。たとえば、ショウやミョウ、ビョウと読む漢字は、木ヘンに少と書きます。梢を指すこの言葉は、よく繁っている木でも上の方にいくと枝葉が少なくなる様を表しています。加えて、この言葉には、終わり、という意味もあります。木が少なくなったら地球環境にも大きな影響を及ぼす、という警鐘の思いも込められているのかもしれません。一方、桐という木は、切ったほうが良く育つそうです。幹が柔らかいこの木は中心に空洞ができやすく、大きく育っても使えないことも多々あるので、その対策として、ある程度育った桐を根元から切り倒すそうです。後に出てくる新芽は良く締まり、親木以上に大きく育つそうです。これは台切りと呼ばれているため、桐はキリノキと称されるようになった、とも言われています。それにしても、漢字の持つ意味合いの深さを感じます。

9月27日(水) 川俣高等学校長

「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやのあきのゆふ暮」これは歌人藤原定家の作品です。辺りを眺めると、花も紅葉もなく、漁師の小屋があるだけの秋の海辺の夕暮れである、といった、秋の風情を素直に歌ったものです。でも、なぜか、侘しさを伴った感情がわいてきます。秋に対する私たちの捉え方には、華美と反する寂寥、華やぎと反するわびやさび、といったものが根底にあるのかもしれません。藤原定家のこの歌は、素直な描写であるがゆえに、様々な捉え方もできます。日本文学の底深い魅力漂う作品に、少しでも多く触れてみたいと感じさせられます。

9月25日(月) 川俣高等学校長