令和4年度

校長より

緊張の中の集中力

緊張とは、外界との交流を遮断して自らを守ろうとする状態を指します。こうした状態に陥ると、新しいことを吸収することもうまくいまず、パフォーマンス自体が低下すると言われています。緊張は、一つのことにとらわれて心が固まることで柔軟な対応を阻害する「居つく」状態も呼び込んでしまいます。では、こうした場合にはどのように対応すればよいのでしょうか。緊張は誰でもするものだという開き直りの気持ちを持ちつつ、緊張の中にも集中力を高めるには、自らのこれまでの取組に対する自信を感じること、一定のリラックス状態を取り入れること、この2点が大切なのだそうです。2017-2018グランプリシリーズに出場した羽生結弦選手は、初戦において、フリーで初挑戦の四回転ルッツを成功させます。彼は著書の中で、「それまでの1年間、練習も私生活もすべてスケートのために使ってきたという自信があったので、思い切って自分の身体を信じることができました。」と述べています。プログラム使用曲に、彼が心から笑顔になれる「SEIMEI」を選曲したことも、リラックス状況を作り出した大きな要因ともされています。

9月6日(水) 川俣高等学校長

事の是非

生徒の皆さんは、自分にしかできない何かを見つけていますか。皆さんが真から興味のあることに一心に取り組み、工夫をしながらその道に励むことは素晴らしいことで、そこから自信も生じます。好きこそ物の上手なれ、という表現もあります。でも、物事に取り組む際には、他者の存在も視界に入ります。もしも先に進む人の姿を目にすると、焦燥に駆られることもあるかもしれません。尾崎一雄氏は『痩せた雄鶏』に、「疲れたら憩(やす)むがよい。彼等もまた、遠くはゆくまい。」と書いています。『宋名臣言行録』にも、「事の是非如何と顧みるのみ。成敗に至りては天なり。」と記されているように、要は、目の前にあることが、是か非か、つまりは、正しいか正しくはないかを見極めることこそ大切なのです。取組の後に、成功であったか失敗したかは問われるものではなく、また、他者の評価も然り、という考えにも行きつきます。ちなみに、ここでいう「天」とは天命を指します。

9月5日(火) 川俣高等学校長

家の形

かつて、地方で大手住宅メーカーの下請けをしていた会社が、基本は四角で作る家屋を八角形で作ってみる案について検討を始めます。提案した社員によると、同じ床面積の住宅の場合、四角形よりも円形に近い形の八角形の方が外周が短く、その分コストダウンを図ることができることをあげ、また、円形にすると工法上難しい問題が生じるものの、八角形であれば従来の工法で建てることができるなど、利点を説明したそうです。ただし、役員会では、壁面の一辺が短くなり、これまでの家具を置くことができなくなるなどの理由で多くの反対意見が出されたため、社長さんが自ら八角形の家を建て、1年間住んでみることにしました。家の中央部の間仕切りの壁に独自開発の家具を置くなど工夫すると、八方の窓からの採光により室内は明るく、夏は風通しに優れ、冬は北風を受ける部分が少ないため温かく、また広く感じる家になったそうです。それにしても、社長さんの商品開発に対する熱い意気込みを感じます。そういえば、八はかねてより、末広がりを示す縁起の良い数字とされていることに加え、聖徳太子が見た夢により建立された法隆寺の夢殿も八角形をしています。

9月4日(月) 川俣高等学校長

得たきもの

無欲の人として知られる与謝蕪村が、「得たきものはしゐて得るがよし(得たいと思うものは無理をしても手に入れたらよい)。」という言葉を残しています。彼はまた、「見たいものはつとめて見るがいい。」とも話しています。物事の判断基準は自分にある、との考えによる表現とされており、よって、しっかりとした判断基準をもって物事を捉えることができるよう日頃から努めることが肝要、との意味にも取ることができます。中国秦時代の宮殿であった感陽宮の釘隠しから作られた刀の鍔(つば)だとして、彼に自慢げに見せびらかす人に対して、与謝蕪村は、何も話さなければ実に良い品なのに、と感想を持った逸話が残されています。また、赤穂浪士の一人である大高源吾が所持していたとする高麗の茶碗だと自慢した知人に対して、彼はただ、何の証があるのか、と感じるのみであったそうです。さて、生徒の皆さんはこれまでに、他者の解釈抜きに、得たきもの、と感じた対象はどのくらいありましたか。

9月1日(金) 川俣高等学校長

ペンギン

ペンギンは氷山の端まで来ると、しばらくはじっとしています。そして、勇気ある1羽が氷の海に飛び込むと、残りのペンギンも次々とダイビングを始めるのだそうです。氷山というホームから、氷の海というアウェーに入り込むには、ペンギンにとっても大きな決断を要します。人も同じです。グローバル社会で躍動するには、まずはグローバル社会という未知なるアウェーに入り込む必要があります。アウェーに向かうことは脳の持つ潜在能力を最大限に目覚めさせるとも言われています。生徒の皆さん、皆さんが1羽目のペンギンになる場面は必ず来ます。グローバルという名のアウェーでの偶有性を是非楽しんでみてください。

8月31日(木) 川俣高等学校長

クロワッサン

クロワッサンはパンの中でも人気の高い商品です。このクロワッサン、オーストリア生まれであることをご存じでしょうか。オーストリアの首都ウィーンが1683年にオスマントルコ軍に包囲されますが、オーストリア軍は城壁を堅固にしていたためビクともしません。オスマントルコ軍は、相手に気づかれない夜中に、ツルハシでその城壁を崩そうと試みます。ところが、皆の食糧として、昼夜を問わずパンを焼き続けていたパン職員がツルハシの音に気づき、未然防止を図ることに成功したそうです。オーストリアの皇帝レオポルト一世はパン職人に対して、勝利を記念したパンを作る特権を与え、それにより作られたのがクロワッサンです。その形は、ツルハシの音に気づいた夜、空に浮かんでいた三日月を模したとも言われています。両端のとがった形は動物の角にも見えることから、ヘルンヘン(ドイツ語で小さな角の意)とも呼ばれ、各国で人気となります。中でも、マリー・アントワネットはよく好み、ベルサイユ宮殿のパン職員にもそれを作るよう命じたことから、クロワッサンはフランスの伝統的パンと思い込んでいる人も多くいるようです。歴史を想いながら食べるクロワッサンは、一味違ったものに感じるかもしれません。

8月30日(水) 川俣高等学校長

2学期始業式時校長講話

生徒の皆さんは、大きな障害や困難に立ち向かうとき、どう対処するでしょうか。登山で言えば、山頂にたどり着いた後で、さらに高い山に登りたいときには、一旦は山をおりなければなりません。登山も楽ではありませんが、下山は、想像をはるかに超えてつらいものです。でも、たとえば麓におり立ったときに、自分がそれまで登っていた山を見上げると、登山前に見上げた光景とは別のようにも見えます。異なる領域に達した満足感を感じることができる、と言う人もいます。苦しみながらも登り切り、そして一旦は谷に下りるからこそ、成長もできるのです。

皆さんは、この夏季休業中に、何かうまくいったことはありますか。もしもそうであれば、大きな自信をもって、これからの学校生活に臨むことができます。あるいは、何かうまくいなかったことはありますか。もしもそうであれば、今の下山の話を念頭に、これからの取組に活かしてほしいと思います。そして、自分にとって困難が生じるのは、思いがけず良いことが起こる前兆であることは実際によくあります。

さて、本日から2学期が始まります。やがて季節は秋となり、紅葉が終わると、冬がやって来ます。カレンダーを見ながら、そして季節の移ろいを感じながら、昨日から今日、今日から明日へというように、人は、連続する日々の流れに区切りをつけてきました。そうした区切りをつけることにより、人は敢えて、自分たちの心の動きを不連続にしたのです。でも、誰もが気づいているように、時や私たちの活動は、昨日も今日も、そして明日もまた、途切れることなく続きます。変化のない単調な毎日に敢えて区切りをつけることで、私たちは今日を生き、明日を想う新たな気持ちを手に入れているのかもしれません。区切りはけじめ、一歩を踏み出す大きな力です。不連続な心を繋げていく努力の先に、目標達成の瞬間があります。

8月29日(火) 川俣高等学校長

 

顧みる

ドイツの哲学者ヘーゲルは、人とは何か、と問われたとき、「そのような問いに応じるのに、哲学はいつもやって来るのが遅すぎる。」と答えます。これは彼の嘆きではなく、むしろ、一日が終わることなくその日を顧みることはできないとの考えから、この言葉は、日暮れになって初めて人の思索は始まることを表している、とされています。ここでいう哲学は、その日の振り返りの機会とも解釈できそうです。日々の行いを丁寧に思い出し、考えることは、良き経験を積むことに繋がります。歳を重ねることで思考が深まるのも、そうした理由からです。そしてヘーゲルは、ミネルヴァの梟(ふくろう)は夕暮に飛び立つ、とも話します。ミネルヴァはローマ神話の知恵の女神で、梟を使いとしています。今日という日を真正面から見つめ直し、反省すべきところは反省することから、明日の飛躍は生まれます。

8月25日(金) 川俣高等学校長

言葉遣い

私たちは日々、多くの場面で言葉を使って文章を作成したり、話をしたりします。その際に、自然に主観が入り込むこともあります。たとえば、「Aさんは仕事ができるうえに親切です。」「Aさんは仕事ができるのに親切です。」という2つの表現を比較してみます。どちらもAさんに対する評価であり、同じことを表現しているようにも思えますが、実は決定的な違いがあります。それは、後者で使用している「のに」です。この話し手は日頃から、仕事ができる人は基本的に親切ではない、と感じていることがうかがえます。この一例からも、言葉遣いの難しさと奥深さを感じます。また、「これはできなかったね。でも、それはできたね。」「それはできたね。でも、これはできなかったね。」という2つの表現では、順番を入れ替えているだけなのですが、受け手の印象としては、後者の方が「できなかった」と言われたイメージが強く、モチベーションも下がるようです。相手を励ます優しい気持ちから発する言葉を確実に伝えるためにも、自らの言葉について考えてみることは重要です。

8月24日(木) 川俣高等学校長

食文化

大晦日や正月には郷土料理を食する機会が増えます。大分県臼杵地方では、黄飯(おうはん)を炊く習慣があります。白身魚や大根、にんじんやネギ、豆腐などを鍋で煮て、黄飯に添えたり、上からかけて食べるのだそうです。日本では珍しい黄飯は、スペイン料理のパエリアから来た、ともされています。サフランで黄色に染めて炊き上げた米の上に、オリーブ油で炒めたエビやイカ、貝などが乗るパエリアは、かつて大友宗麟が好んで食べたそうです。手に入りにくいサフランはくちなしに、また、エビやイカはクロダイやエソなどの白身魚に、加えて、オリーブ油は菜種油に代えて炒めるなど工夫して、日本風にアレンジしたものが黄飯です。何百年にもわたりしっかりと根付いた食文化は、今でも正月三が日の間に何度も煮直しては食卓に載せられ、人の笑顔を作り出しています。

8月23日(水) 川俣高等学校長