令和4年度

校長より

読書三余

生徒の皆さんは、「読書百遍、意おのずから通ず」という言葉を聞いたことはありますか。中国の董遇という学者が弟子に教えたもので、同じ本を百遍読めばその真意がわかる、と説いたものです。そんな時間は作れない、と悲鳴をあげた弟子に対して、彼は、「まさに、三余をもってすべし。」と続けます。三余とは、冬、夜、雨を指し、このときであれば、読書の時間を確保できると諭したのです。そういえば、勝海舟にも似たようなことがありました。店頭にあったオランダの兵書が欲しくなった勝海舟は、お金を工面して買いに行くと、その本は売れてしまっていたそうです。買い主を探し出し、自分に売ってもらえるよう話をしますが、買い主は頑として首を縦にはふりません。それでも勝海舟は粘り、その買い主に、「あなたがお読みになる間はその本がご入用でしょうが、就寝後の時間であればその本はお空きであろう。その空いている時間だけ借覧させてはもらえぬか。」と提案します。これはまさに、三余をもってすべし、です。結果として、勝海舟は自宅から四谷大番町にある買い主の自宅まで一里半(6キロ)の道のりを毎日通い、午後10時から午前6時まで、本の内容を写し取る作業を続けたそうです。その期間は半年。学びへの執念を感じる逸話です。

1月6日(金) 川俣高等学校長

砂には、砂丘など大きな存在から、石川啄木の「一握りの砂」から感じる身近なものなど、様々なイメージがあります。その砂丘も、動と静、荒々しさと優しさなど、相反するイメージを持っています。また、砂浜に立つと、人は波の音を聞きながら、指で思い思いの絵を描いたり、手で作品を作ったりします。砂の上では、皆が芸術家です。砂を知るには、豊かな創造力と思考力を要するようです。小学校や公園にある砂場もそうです。哲学者の中村雄二郎氏は、「子どもの頃に誰でも経験のある砂場の遊びには、生の自然にじかに触れる愉しみと手ごたえがある。触覚によるこの手ごたえは、一見なんでもないことのように見えるが、私たち人間が自分の生命感覚を確かめる原点でもある。」と話しています。若い頃に培われた感性は、人生を豊かにしてくれます。

1月4日(水) 川俣高等学校長

煩 悩

除夜の鐘が心に響く時期となりました。そいういえば、お寺には山門がありますが、本来は、三解脱門(さんげだつもん)を略して三門と表記し、悟りの境地を表しているのだそうです。人の持つ煩悩のうち、特に3つの改善を図ることで、人としてのあるべき姿を目指している、とされています。第一に貧(とん)です。何事に対してもむさぼる心のことをいいます。第二に瞋(じん)です。自己中心に考え、感情的になることをいいます。第三に愚かな心の癡(ち)です。物事の善悪の判断がつかず、正しいことができない状態をいいます。貧や瞋は自分の周囲に、癡は自分の将来に大きな影響を与えることがあります。三門(山門)をくぐるときだけではなく、常日頃から意識をして、その解脱を図るよう心がけることも大切です。人は、3か月継続することで変化の兆候が表れ、3年で完全に変わることができる、とされています。

12月28日(水) 川俣高等学校長

心の鏡

松下幸之助氏は、「迷うということは、一種の欲望からきているように思う。ああなりたい、こうもなりたい、という欲望から迷いは生じる。それを捨てれば問題はなくなる。だから、自分の才能というものを冷静に考えてみて、その才能に向くような仕事を選んでいくことが大切です。」と話されたことがあります。自分の進路を決めるために自分自身を知ることは、自分にしかできませんが、なかなか難しいことですね。自分の姿なら鏡に映すことができます。自分の声なら録音できます。でも、自分の心は、鏡に映すことも録音することもできません。自分を知るには、自分自身を心の鏡で見るしかなさそうです。心の鏡は汚れやすいものです。ごまかしの気持ちがあれば、瞬く間に濁ってしまいます。心の平静を保つことは、全てにおいて大切であるようです。

12月27日(火) 川俣高等学校長

灌 木

志賀直哉氏に師事していた作家の尾崎一雄氏は、何も書けない一時を過ごします。迷いに迷って、志賀直哉氏を頼り奈良に行き、厳寒の真夜中に鷺池のほとりに立ったとき、「我れ無一物」と痛感するとともに、頭の中で、何かが豁然(かつぜん)と拓けるのを覚えたそうです。それは、今すぐにでも、志賀直哉氏の域に達しようと背伸びをしていた自分の姿に気づいたためです。「志賀先生を亭々(ていてい)とそびえ立つ松とすれば、今の自分は小さな灌木(かんぼく)。でも、松には松の、八ツ手には八ツ手の生き方がある。」との悟りの境地であった、と、後に尾崎氏は話しています。人はそれぞれ、異なる環境に生まれ、異なる性格や考え方の下、成長します。そして、そのすべてが、個性として尊重されます。志賀直哉文学とは異なり、尾崎一雄文学は、庶民的とも呼べる、市井の夫婦の哀歓を描く作品を世に送り出すことで、その輝きを放つことになります。

12月26日(月) 川俣高等学校長