令和4年度

2022年3月の記事一覧

小さな幸福

人が生活を送るとき、喜びとともに、悲しみや苦しみを伴う場面が多くあります。それらを乗り越える力を求められますが、でも、ちょっとした心の拠り所がほしいのも事実です。そんなときには、周囲にある小さな幸福を感じてはみませんか。黒田三郎氏は私たちに、次のような詩を送ってくれています。「秋の空が青く美しいというただそれだけで、何かしら、いいことがありそうな気のする、そんなときはないか。空高く噴き上げては、むなしく地に落ちる噴水の水も、わびしく梢をはなれる落葉さえ、何かしら喜びに踊っているように見える、そんなときが。」

3月30日(水) 川俣高等学校長

個性の伸長

自分の個性を大切にすることは言うまでもありません。作家の水上勉氏は、著書「働くことと生きること」の中で、大工である父親が言った言葉を次のように表現しています。「近頃の大工は、何もかも機械でやるから、機械にかからぬ材料は捨ててしまう。曲がった木は機械にかからん。曲がったものが重宝する場所にも真っすぐな材料で済まそうとするから、建材はすぐに壊れる。山にはそれぞれの事情によって、曲がった木や曲がらぬ木が生えている。曲がった木が悪くて曲がらぬ木がよい、というはずはない」。この言葉、よく理解できますね。

3月29日(火) 川俣高等学校長

花は咲く

マラソンの瀬古利彦氏の恩師である中村清監督が、瀬古選手とともに知床半島を訪れたときのことです。人が足を踏み入れたこともなさそうな山奥に向かうと、ひっそりと桜の花が咲いていました。心が洗われるようなピンクの花を目にした中村監督は、「この桜は、人が見ようと見まいと、きちんと花をつけている。お前も、人が見ていようと見ていまいと、一生懸命に練習しなくてはいけないよ。つらい練習もそうだが、充実した練習だと感じても、それは敢えて人に見せるものではないよ。」と、瀬古選手に話したそうです。人の目に触れずに取り組み、そして努力すること、また、精一杯の営みに徹し切ることは、ある意味、とても辛いものですが、私は思うのです。人知れず陰で取り組んでいたとしても、どこかで誰かが、そうした努力する姿をそっと見ていて、その人の記憶にとどめているのではないか、と。

3月28日(月) 川俣高等学校長

峠を登る

詩人である真壁仁氏の「峠」の一節には、「峠に立つとき、過ぎ来し道は懐しく、開け来る道は楽しい。人はそこで、一つの世界に別れねばならぬ。」とあります。生徒の皆さんが進級をするとき、あるいは卒業をするときの心境に似ているでしょうか。峠に立ち眺める光景は、きっと皆さんを爽快な気分にしてくれるし、顔にあたる風は心地よいものであると思います。峠を登ることは苦しみを伴いますが、それを乗り越えたときに、自らの成長を実感できるのだ、とも思います。一つの峠(目標)を越えれば、また新たな峠越え(目標達成)が待っています。生徒の皆さんは今、どんな峠を登っていますか。峠を登る自分の姿は見えていますか。そしてこれまでに、いくつの峠を越えてきましたか。これから、いくつの峠を越えるのでしょうか。

3月25日(金) 川俣高等学校長

知識や情報の活用

生徒の皆さんは、日々学ぶことで多くの知識を蓄え、そして様々なツールをとおして、日々多くの情報を得ています。でも、その知識や情報を活かすことについては考えているでしょうか。儒学者の貝原益軒は慎思録の中で、「知っても、これを行わなければ知らないのと同じである。」と述べています。知識や情報に生命を吹き込むのは、生徒の皆さん自身です。それらを自分のものとするためにも、一歩進んだ取組をしてみませんか。

3月24日(木) 川俣高等学校長

精神の根本性能

生徒の皆さんは何かに取り組んだときに、この位でいいや、と思い、その取組を終えてしまった経験はありませんか。自分の豊かな能力や開ける未来を、早期に見限ることにもなりかねないこうした気持ちは、人の持つ向上心にとって大きな障害となります。物質の根本性能は重力として下に向かうのに対して、精神の根本性能は重力に抗して上に向かいます。これまでの人の進歩を支えてきたもの、それこそ向上心なのです。常に一段上を目指し、歩みを進めたいものです。

3月23日(水) 川俣高等学校長

努力の継続

「結局、まだこれからしばらく生きないと、調子が出てこないね。年をとればできるかと思ったら、努力が足りないのか、なかなかできないね。年齢はたくさん生きても、努力が続かなければだめなんだね。」これは、テレビの取材を受けた際に、陶芸界の第一人者であった加藤唐九郎氏85歳のときの言葉です。加藤氏は次のようにも述べています。「ま、これから勉強して、ものになるつもりでおるんですがね。年齢は別にして、結局、まだ未熟なわけですわ。」さて、生徒の皆さん、私たちが通常よく口にする「努力している」という言葉、本当の意味で努力しているのでしょうか。加藤氏の言葉から考えさせられることは、かなり多くありそうです。

3月22日(火) 川俣高等学校長

東日本大震災のあった年に、1年間を象徴する言葉として選ばれたのは絆でした。その2年後には、輪という言葉が選ばれます。未曽有の大災害をとおして、11年間にわたり、特に福島県に住む私たちにとって、友人や知人、そして家族の絆の在り方、また、人の輪の大切さを考えさせられる機会が多くありました。人を思い、そして、人に思われる。人は、周囲の人に支えられ存在しています。生徒の皆さんは、教師である私たちに支えられることもあり、また、私たち教師は、生徒である皆さんの存在に支えられることが多々あります。私たち教師は、生徒の皆さんとの絆を感じ、それを生き甲斐としています。そして、皆さんの家族もまた、皆さんとの絆を感じたい、と切に願っています。特に春季休業中は、家族の絆について真剣に考えることのできる期間です。新年度にやりたいことについて、自らの進路について、また、自分の今考えていることについて、家族の方々とたくさん話をしてほしいと思います。

3月18日(金) 川俣高等学校長

継 続

一日のわずかな努力でも、長期に継続することで大きな実を結ぶことはよく知られています。吉田松陰も次のように述べています。「一日一字を記さば、一年にして三百六十五字を得、一夜一時を怠れば、百歳の間に三万六千五百時を失う」。こうした考えが、日々努力する背中を押してくれているのも事実です。生徒の皆さんも、成果を信じて確かな歩みを進めてほしいと思います。

3月15日(火) 川俣高等学校長

サン・テグジュペリの著書「星の王子さま」に、「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目に見えないんだよ。」という表現があります。欲にこだわって生きる多くの星の大人は、ものの真の姿を見ることができなくなっている、このことを知ったときの王子の言葉です。心で見るためには、欲のない、わだかまりのない、純真な心を持つことが必要です。本質(目に見えないもの)を見極めることは難しいことですが、やってみる価値はありそうです。

3月14日(月) 川俣高等学校長

今日という日

今日を疎かにしておきながら、明日はどうなるか、と気にする人がいます。今日の挑戦が明日問われる、ということを忘れてしまいがちですが、大切なのは、力の限りを尽くして今日を生きることです。明日のことは、明日になってみれば自然にわかります。生徒の皆さんも、今日を精一杯生きてみませんか。物理学者ニュートンも、「今日、できる限りの全力を尽くしなさい。そうすれば、明日は一段の進歩がある。」と述べています。

3月11日(金) 川俣高等学校長

迷い

何かを成し遂げようとするとき、迷うことなく目標を達成できることはめったにありません。高い目標であればあるほど、人はあれこれと迷い、そして悩むものです。ゲーテのファウストにも、「人間は努力する限り、迷うものである。」と述べられています。迷いこそ生きている証であり、迷ったあげく目標に到達するところに大きな価値がある、とも言えます。生徒の皆さん、迷うことを苦に思わないでください。迷い、それは真剣に努力しているからこそ存在するのです。

3月10日(木) 川俣高等学校長

失敗と成功

結果を伴うことに挑戦するとき、人は、どうしても失敗を恐れる傾向にあります。だから、「失敗は成功の母」や「禍転じて福となす」など、励ましの意味を込めた表現が多く見られます。そういえば、同じ結果を得たとしても、ある人は成功と感じ、一方で失敗と感じる人もいます。それは、目標をどこに置いていたのか、または、その取組の過程において、どのくらい本気度を高めて取り組んだのか、によるものだと思います。いずれにせよ、仮に、一時失敗しても、人にはやり直す時間はたくさんあるし、また、人はそうする力も備えています。「我らのつとめは成功にあらず。失敗にたゆまずして、さらに進むことなり。」という言葉もあるように、前向きな取組の継続を図ることこそ、成功につながる近道であると思います。

3月9日(水) 川俣高等学校長

しぐさと文化

私たちは人を呼ぶときに、上から下に手をヒラヒラとさせますが、海外では多く、下から上に動かすことで人を呼びます。これは、例えば、上から下に流れる滝を美的鑑賞する日本人の感覚と、下から上に噴き上げる噴水を楽しむ海外の感覚との違い、とする人もいます。そういえば、軒を上から押さえる日本の瓦屋根と、下から天に向かう西欧建築の塔にも当てはまります。また、足を踏みしめる日本の舞と、上に跳躍する西欧の舞踏もそうですね。数年単位ではなく、永きにわたる文化的背景や習慣により生じる考えや行動、この比較をしてみるのも興味深いことです。

3月8日(火) 川俣高等学校長

生きる、そして生かされる

生徒の皆さんは、エッセイストの大石邦子さんをご存じでしょうか。彼女が半身不随となり、病室で2度目の春を迎えたときのことです。会津若松の鶴ヶ城に咲く3千本のソメイヨシノを見ているうちに、急に大きな孤独感がこみ上げてきて、大石さんは大声をあげ、手当たり次第に物を投げつけ始めたそうです。疲れ果てて物を投げる気力がなくなったとき、駆け付けていた看護師さんは、「ちょっと桜を見てこようか。」と、そっと優しく声をかけ、大石さんに背中を向け、大石さんをおんぶして外に出たそうです。看護師さんの背中の温かみが伝わると、麻痺した体が溶けていくように感じた、と、後に大石さんは話されています。そしてそのとき、両親や親戚、友人など多くの方々の顔が浮かんだそうです。何と多くの人に支えられて自分は生きているのか、このことが大石さんに力を与えます。生きることは、周囲の方々に生かされることと同意だ、とも感じたそうです。多くの命の絆に結ばれて、生き、そして生かされる。生徒の皆さんも、そうしたことを感じる瞬間があるかもしれません。

3月7日(月) 川俣高等学校長

日本と雪の関係は深く、そのことは、雪に関する言葉の多さからもうかがえます。綿をちぎったようなふんわりとした綿雪(わたゆき)、牡丹の花に似た牡丹雪(ぼたんゆき)、細雪(ささめゆき)は、雪が細かく降る様子を言います。斑雪(はだれ)は、春先に降った雪が地肌にまだらになっている状態を指し、また、きめ細かく降り積もり、しまった感じのしまり雪、木の枝などに、まるで紐のように垂れ下がった雪紐(ゆきひも)、電線に積もった雪が凍り付いて、電線を包む筒状になった筒雪(つつゆき)という言葉もあります。門柱などに積もり帽子を被ったように見えるのは冠雪(かんむりゆき)と表現します。降り過ぎる雪には大変なことも多く生じますが、雪には、日本の情緒を感じる側面もあります。

3月2日(水) 川俣高等学校長

機械科閉科式

本日3月1日には、本校において卒業証書授与式が行われます。それに先立ち、昨日には、本校機械科の閉科式が開催されました。その際にお話したことを掲載いたします。

私たちの周囲には様々なものがあり、それを使うことにより、私たちの生活は一層豊かになります。人の役に立つものづくりができるよう、そのための考え方や方法を学ぶ場所、それが機械科です。ものづくりには、技術の向上を図ることに加え、従来存在するものを別の観点から見て、よりよいものとするための発想力も求められます。そうした柔軟な考えや、その考えを形にする技術を身に着けるべく、機械科の生徒の皆さんは、日々学習に、そして実習に励んでこられたことと思います。本校の開校以来113年のうち、78年間を共に歩んできた機械科、そして、地域から支援をいただきながら、その地域と共に成長してきた機械科が、今年度をもって閉科となり、その歴史に幕をおろします。機械科に寄せられる期待は、川俣高等学校に寄せられる期待でもあります。ものづくりの精神を守るためにも、次年度以降も、普通科の生徒の皆さんを対象に、工業に係る基本的な選択科目を設定するなどして、川高機械科魂の継承を図ります。

3月1日(火) 川俣高等学校長