令和4年度

校長より

小さな親切運動

昭和37年度の東京大学卒業生に向けた当時の学長さんの話の中に、「小さな親切にも心を配ろう」との提唱があり、その実践を図った高等学校の一つに、群馬県の明和高等学校がありました。通学時に、各生徒が自主的に、電車やバスの中で席を譲る活動を始めたそうです。この日常生活のごく自然な取組は、これもごく自然に上級生から下級生に受け継がれました。席に座ることのできた方々からの「ありがとう。」の一言に支えられ、約15年程前に閉校となるまで、百万回をはるかに超える活動として定着したそうです。誰が決めたわけでもない、自らの真の思いの下、行動すれば、周囲の方々に大きな喜びを届けることができそうです。

10月28日(木) 川俣高等学校長

鏡から学ぶ

生徒の皆さんは、一日に何度か鏡を使うことと思います。映し出される自分の姿を見て、何を思うでしょうか。鏡は、自分を客観視できる貴重な道具です。さて、話は変わりますが、日本の古典芸能である能は、能役者が面をつけ、台詞のない、しぐさで演じる極めて精神的、象徴的な劇と言えます。よって、能役者には優れた心と、その心を形として表現する演技力が求められます。能役者は、舞台につながる鏡の間において舞台への出を待ちます。鏡の間には、その言葉通り壁に鏡がかけられており、役者は自分の姿を映し衣装を整えるとともに、静かに心を正すのだそうです。コンパクトな鏡を持ち歩き、自らの姿を確認することも大切である一方で、心の中に鏡を備え、自らの心を映しながら、正しい考え方を求めることもまた大切です。

10月27日(水) 川俣高等学校長

中 庸

私たちは、大小を問わず無意識のうちに、すべての勝負に勝ちたいと願う傾向にあります。そういえば、白黒(しろくろ)をつける、または黒白(こくびゃく)をつける、という言葉もありますね。これは、囲碁に例えた表現です。でも、その囲碁の世界では、先手後手が最善を尽くし、最後には持碁(黒白の面積が同じ)になること、これを理想的な対局とする考えもあるのだそうです。どちらに偏ることもない中庸の考えは、現代においても必要とされています。

10月26日(火) 川俣高等学校長

課題解決

歴史的に成功したと言われる人は、あきらめないことの大切さを強調します。成功した人は、多くの人が感じる、「無理だ、だめだ」の感覚を持ちません。加えて、多くの人が、後々のことを考えて余力を残すのに対して、ここぞというときに、最後の1%まで躊躇なく力を出し切ります。私たちは、全力を尽くして課題解決を図ろうとしているように見えて実は、課題と正面から向き合うことなく、ただ課題解決の先送りをするために、多くの時間とエネルギーを費やしているのかもしれません。こうした場合に大変貴重なもの、それは、自分を客観的に見てくれる友からのアドバイスです。

10月25日(月) 川俣高等学校長

断捨離

物を捨てることを想像してみてください。これまでの努力や苦労、楽しかったことなど、思い出のあるものであればあるほど、捨てる際には当然悩みます。過去のものを捨てることで得られるもの、それは未来です。成功するのかしないのか、定かではない未来に向かう際の一抹の不安も、捨てる行為の妨げになります。でも、「坐忘」という禅の言葉があります。古いものを捨てなければ新しいものは手に入らない、という意味の言葉です。未来に向かう試みの過程で、たとえ失敗したとしても、それは成功のもとになる。その繰り返しが大きな成功につながる。時代の変革期には特に、坐忘の考えは重要です。

10月22日(金) 川俣高等学校長