令和4年度

2022年12月の記事一覧

木 鶏

戦前の名横綱である双葉山が69連勝という記録を打ち立て、70連勝目をかけて安芸ノ海との取組に臨んで負けたとき、師事していた陽明学者の安岡正篤氏に宛て、「我、いまだ木鶏に及ばず」と電報を打ったそうです。木鶏とは、「荘子」にある「之ヲ望ムニ木鶏ノ似(ごと)シ」からの言葉です。王が、自分の鶏を相手の鶏と闘わせる状態かどうか尋ねた際の、闘鶏育成の名人である紀省子が話す4つの答えが示されています。①「今は空(から)威張りの状態です。」②しばらくして、「まだ、相手を見ると必要以上にムキになります。」③十日待たされて、「まだ、相手に対して嵩(かさ)にかかります。」④「もう、他の鶏の鳴き声を聞いても平気です。徳が充実しています。相手を、まるで木で作った鶏としか思っていません。相手は、闘わずして逃げ出すことでしょう。」 この4つの話には、それぞれ、①競争心を駆り立てぬこと②自分を、自分以上に見せぬこと③辺りを気にしないこと④静かに自己を見つめること、という教訓が含まれています。自己を厳しく見つめながらも冷静な判断ができる、双葉山の優れた一面を知ることができます。ちなみに、双葉山は少年時代に、遊び友達が放った吹矢が右の眼にあたり、視力を失っていたにもかかわらず、その友達を全く責めることもなく、また、そのことを誰に話すこともなく土俵に上がり続け、努力の下、横綱という名誉な地位を築いたことでも知られています。

12月21日(水) 川俣高等学校長

受け入れられる

ゴーリキーが歩いていると、海岸に座っているトルストイを目にします。トルストイが自然の一部と化し、まるで、波やそこにある岩、雲と会話をしているようにも思えたそのとき、彼には言いようのない喜びが心に満ちて、何もかもが幸福な思考の中に溶け合ったように感じたそうです。「自分はこの地上にいて一人ではない。この人がいる限りは。」という胸の内を、彼は「追憶」に記しています。ゴーリキーが老トルストイの姿から何を感じたのかは明かされていません。でも、自然と共にあるトルストイから、自分もまた、自分の持つ良さも欠点もすべてを含めて、周囲から受け入れられている、と感じ取れたのかもしれません。友にも、家族にも、そして自然にも、受け入れられていると感じることができれば、大きな安心感を得ることができます。私たちに生きる喜びを与えてくれるのも、友、家族、自然なのだとも思います。

12月20日(火) 川俣高等学校長

リベラルアーツ

海外の企業に勤める方には、文系理系を問わず、哲学や文化、歴史など幅広い教養を身に付けている場合が多く見られます。それは、海外の大学教育がリベラルアーツだから、とする意見もあります。専攻に関わりなくリベラルアーツ教育を受け、むしろ専門分野は大学院で学ぶもの、とする海外の大学もあります。では、そこまで重視するリベラルアーツとは何なのでしょうか。古代ギリシアやローマにおいて生まれたもので、言葉に係る文法や修辞学、論理学、そして、数学に係る算術や幾何学、天文学、加えて音楽の7科を指します。リベラルは自由、アーツは学問なので、人を自由にする学問、として、自由な発想や思考を可能にするもの、とされています。今はもちろん、古代ギリシアやローマの時代ではありませんので、その中身について吟味する必要はあります。でも、人を作り上げる礎として、長い期間にわたり引き継がれてきた分野であることを意識した上で、適宜、自分に取り入れていく姿勢は、今でも大切なのかもしれません。

12月19日(月) 川俣高等学校長

知 る

現在、私たちの周囲には多くの情報が飛び交っており、知ろうとすればすぐにでも、スマホなどをとおして一定の知識を得ることができるようになりました。以前は図書館に行って、多くの書物の中から目的に合ったものを探し出し、時間をかけて何かを調べるのが当たり前でしたが、今では、自分の部屋にいながらにして、瞬時に多くの情報が手に入ります。また、自分で考えたことを話していると思い込んでいると、実はそれは、テレビや新聞、書籍などからの情報であった事実に気づかされることも多々あります。こうした媒体から得た情報は大変貴重であり、そうした情報ツールは私たちの生活にはなくてはならぬものである一方で、間接体験、言い換えれば抽象的体験であるために、物事を本当の意味で知り、考えるために必要とされる直接体験の機会もまた大切である、とも言えます。論語には、「之れを知るを之れを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。」という言葉があります。知っていることだけを知っているとし、知らぬことは知らないと認める姿勢を説いたものです。友の心に響くのは、その表現が多少ぎこちなくとも、自分で考えたり感じたりしたことを自分の言葉で語る、生徒の皆さんの中にある真の声、なのかもしれません。

12月16日(金) 川俣高等学校長

後 悔

生徒の皆さんは、自分の過去を振り返った際に自分の行動が間違っていたと感じ、後悔したことはありませんか。でも、過去の自分はその時に、全力を尽くして考え、努力し、行動していたはずです。仮に過去の自分が誤っていたとしても、誤った自分も自分である以上、そのことを含めて自己の全部を肯定し引き受ける必要があります。考えてみれば、成功か失敗かの要因は、無数にある因果関係や偶然の作用に支配されるなど、自分の他にある場合が多く見られます。できることはすべてやった、あとは天に任せる、くらいの気持ちを持つことも大切です。宮本武蔵「五輪書」にも、「我(われ)事(こと)に於(おい)て後悔せず」とあります。また、小林秀雄氏は、後悔を受け入れるようでは、人は本当の自己に出会うことはできぬ、と述べています。

12月14日(水) 川俣高等学校長