令和4年度

2023年1月の記事一覧

遊び心

随分と以前の話です。工事現場にあるクレーンの支柱の中ほどに、プレートが取り付けられているのを目にしました。よく見てみると、それぞれに、ひばりやつばめ、かもめなどと書いてあります。何号クレーンと呼ぶよりも、ひばりで材料を上げてくれ、と言ったほうが心が和むからそうしている、とのことでした。そういえば、現場を囲う塀には、中の様子が見えるよう、のぞき窓のようなものも付けられており、ずっと下の方の足元あたりにも、やや小さめののぞき窓がありました。その脇には、犬用、と書かれています。何とも長閑な時代でした。でも、ちょっとした遊び心は、人を楽しくしてくれます。今の時代だからこそ、心の中でふっと笑えるようなゆとりは失いたくはない、とも思います。

1月16日(月) 川俣高等学校長

生きる

私たちは生活を送る上で、当たり前に必要とするものを手に入れています。スーパーには、食べ物や飲み物が数多く用意されているし、本屋さんには、多くの本が売られています。でも、美的感動を享受するにせよ、科学の恩恵を受けるにせよ、何一つとして、一人の力で成り立っているものはありません。世の中では専門による分業化がなされており、お互いがお互いの生命の一端を担い合い人間社会が構成されている、そうした一面があるようです。私たちが生きているのは、大自然の力を基盤として、あらゆるものの力により生かされている、とも言い換えることができそうです。生きる力という言葉があります。自然の恵みや人の叡智を謙虚に受け取る姿勢から育まれる力のことを言います。決して、人を押しのけて前に飛び出すことから得る力のことを指すものではありません。どなたが話されたのかは定かではありませんが、次のような表現を記憶しています。「他のために灯をともしなさい。あなたの足元も明るくなります。」

1月13日(金) 川俣高等学校長

漢 字

夏の話で恐縮ですが、「青嶺緑風の候」で始まる葉書をいただいたことがあります。普段は目にしたことのない表現でしたが、すぐに頭の中で、青々と連なる高い山々から吹き降ろす涼しく爽やかな風が、深々と生い茂った木々の間を吹き抜けていくイメージが浮かびました。漢字の持つ特性を十分に活かし切った表現である、と思うとともに、この言葉に触れることで、夏の暑さをも忘れるほどの清々しい思いをしたと記憶しています。私たちの使っている漢字は表意文字であるために、こうした気持ちを抱かせてくれるのだとも思います。返す返すも夏の話で恐縮ですが、同じ頃の季節でいえば、新涼という表現は、夏の暑さから解放され、ややひんやりとした大気を肌で感じる、そうした季節の変わり目を、私たちにそっと教えてくれます。また、俳句に使われる季語を集めた歳時記を開くと、日本語の持つ繊細なニュアンスの素晴らしさを知ることができます。漢字に対する認識を深めると、心もまた深まる気がします。

1月12日(木) 川俣高等学校長

見ぬ世の人

北ドイツの牧師の子として生まれたシュリーマンが、ミケーネの遺跡発掘などによりエーゲ文明の存在を世界史上に位置付けるきっかけとなったのは、父親から与えられた「子どものための世界歴史」という一冊の本でした。彼はこの本により、古代ギリシアの詩人ホメロスの詩に触れ、トロイが伝承や神話ではなく実在したものだったのではないか、と考えたのです。このように、一冊の本は、人の生き方をも左右するまでの影響力を持つことがあります。また、良書との出会いは良友との出会いにも通じます。吉田兼好は徒然草に、「ひとり灯のもとに、文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる」と書いています。ここでいう文とは書物のこと、見ぬ世の人とは会ったことのない人を指すので、吉田兼好は、本を読むことで、出会ったことのない人と友人のように知り合うことができ、心がなぐさめられる、と言っています。読書は、知識を増やすだけではなく、友も増やしてくれます。

1月11日(水) 川俣高等学校長

本来、祭りと言えば、京都の下賀茂神社と上賀茂神社の葵祭を指していたそうです。現在では、津軽地方のねぷた祭や秩父の夜祭り、博多どんたくなど誰でも聞いたことのあるものから、眠気を払い流すために七夕の日に行う福島県のねむた流しなど、日本各所に様々な祭りがあります。元々祭りには、神の声と民の声を伝え合うという側面がある、ともされています。学校でも、年間行事の中に、体育祭や文化祭など祭の付く行事が多くあります。お祭り騒ぎに陥るだけではなく、各行事がなぜあるのか、その本来の意味を考えることは大切です。祭りの準備には相当の時間を要します。そして、祭り当日は、年に一度の晴れやかな日です。だから、祭りが終わると一抹のはかなさを感じるのだ、とも思います。祭りのときに取り組もうと思っていてできなかったことがあっても、その日に後戻りはできません。後の祭りとならないよう、一層の計画性は必要です。

1月10日(火) 川俣高等学校長

読書三余

生徒の皆さんは、「読書百遍、意おのずから通ず」という言葉を聞いたことはありますか。中国の董遇という学者が弟子に教えたもので、同じ本を百遍読めばその真意がわかる、と説いたものです。そんな時間は作れない、と悲鳴をあげた弟子に対して、彼は、「まさに、三余をもってすべし。」と続けます。三余とは、冬、夜、雨を指し、このときであれば、読書の時間を確保できると諭したのです。そういえば、勝海舟にも似たようなことがありました。店頭にあったオランダの兵書が欲しくなった勝海舟は、お金を工面して買いに行くと、その本は売れてしまっていたそうです。買い主を探し出し、自分に売ってもらえるよう話をしますが、買い主は頑として首を縦にはふりません。それでも勝海舟は粘り、その買い主に、「あなたがお読みになる間はその本がご入用でしょうが、就寝後の時間であればその本はお空きであろう。その空いている時間だけ借覧させてはもらえぬか。」と提案します。これはまさに、三余をもってすべし、です。結果として、勝海舟は自宅から四谷大番町にある買い主の自宅まで一里半(6キロ)の道のりを毎日通い、午後10時から午前6時まで、本の内容を写し取る作業を続けたそうです。その期間は半年。学びへの執念を感じる逸話です。

1月6日(金) 川俣高等学校長

砂には、砂丘など大きな存在から、石川啄木の「一握りの砂」から感じる身近なものなど、様々なイメージがあります。その砂丘も、動と静、荒々しさと優しさなど、相反するイメージを持っています。また、砂浜に立つと、人は波の音を聞きながら、指で思い思いの絵を描いたり、手で作品を作ったりします。砂の上では、皆が芸術家です。砂を知るには、豊かな創造力と思考力を要するようです。小学校や公園にある砂場もそうです。哲学者の中村雄二郎氏は、「子どもの頃に誰でも経験のある砂場の遊びには、生の自然にじかに触れる愉しみと手ごたえがある。触覚によるこの手ごたえは、一見なんでもないことのように見えるが、私たち人間が自分の生命感覚を確かめる原点でもある。」と話しています。若い頃に培われた感性は、人生を豊かにしてくれます。

1月4日(水) 川俣高等学校長