令和4年度

2022年3月の記事一覧

今日という日

今日を疎かにしておきながら、明日はどうなるか、と気にする人がいます。今日の挑戦が明日問われる、ということを忘れてしまいがちですが、大切なのは、力の限りを尽くして今日を生きることです。明日のことは、明日になってみれば自然にわかります。生徒の皆さんも、今日を精一杯生きてみませんか。物理学者ニュートンも、「今日、できる限りの全力を尽くしなさい。そうすれば、明日は一段の進歩がある。」と述べています。

3月11日(金) 川俣高等学校長

迷い

何かを成し遂げようとするとき、迷うことなく目標を達成できることはめったにありません。高い目標であればあるほど、人はあれこれと迷い、そして悩むものです。ゲーテのファウストにも、「人間は努力する限り、迷うものである。」と述べられています。迷いこそ生きている証であり、迷ったあげく目標に到達するところに大きな価値がある、とも言えます。生徒の皆さん、迷うことを苦に思わないでください。迷い、それは真剣に努力しているからこそ存在するのです。

3月10日(木) 川俣高等学校長

失敗と成功

結果を伴うことに挑戦するとき、人は、どうしても失敗を恐れる傾向にあります。だから、「失敗は成功の母」や「禍転じて福となす」など、励ましの意味を込めた表現が多く見られます。そういえば、同じ結果を得たとしても、ある人は成功と感じ、一方で失敗と感じる人もいます。それは、目標をどこに置いていたのか、または、その取組の過程において、どのくらい本気度を高めて取り組んだのか、によるものだと思います。いずれにせよ、仮に、一時失敗しても、人にはやり直す時間はたくさんあるし、また、人はそうする力も備えています。「我らのつとめは成功にあらず。失敗にたゆまずして、さらに進むことなり。」という言葉もあるように、前向きな取組の継続を図ることこそ、成功につながる近道であると思います。

3月9日(水) 川俣高等学校長

しぐさと文化

私たちは人を呼ぶときに、上から下に手をヒラヒラとさせますが、海外では多く、下から上に動かすことで人を呼びます。これは、例えば、上から下に流れる滝を美的鑑賞する日本人の感覚と、下から上に噴き上げる噴水を楽しむ海外の感覚との違い、とする人もいます。そういえば、軒を上から押さえる日本の瓦屋根と、下から天に向かう西欧建築の塔にも当てはまります。また、足を踏みしめる日本の舞と、上に跳躍する西欧の舞踏もそうですね。数年単位ではなく、永きにわたる文化的背景や習慣により生じる考えや行動、この比較をしてみるのも興味深いことです。

3月8日(火) 川俣高等学校長

生きる、そして生かされる

生徒の皆さんは、エッセイストの大石邦子さんをご存じでしょうか。彼女が半身不随となり、病室で2度目の春を迎えたときのことです。会津若松の鶴ヶ城に咲く3千本のソメイヨシノを見ているうちに、急に大きな孤独感がこみ上げてきて、大石さんは大声をあげ、手当たり次第に物を投げつけ始めたそうです。疲れ果てて物を投げる気力がなくなったとき、駆け付けていた看護師さんは、「ちょっと桜を見てこようか。」と、そっと優しく声をかけ、大石さんに背中を向け、大石さんをおんぶして外に出たそうです。看護師さんの背中の温かみが伝わると、麻痺した体が溶けていくように感じた、と、後に大石さんは話されています。そしてそのとき、両親や親戚、友人など多くの方々の顔が浮かんだそうです。何と多くの人に支えられて自分は生きているのか、このことが大石さんに力を与えます。生きることは、周囲の方々に生かされることと同意だ、とも感じたそうです。多くの命の絆に結ばれて、生き、そして生かされる。生徒の皆さんも、そうしたことを感じる瞬間があるかもしれません。

3月7日(月) 川俣高等学校長

日本と雪の関係は深く、そのことは、雪に関する言葉の多さからもうかがえます。綿をちぎったようなふんわりとした綿雪(わたゆき)、牡丹の花に似た牡丹雪(ぼたんゆき)、細雪(ささめゆき)は、雪が細かく降る様子を言います。斑雪(はだれ)は、春先に降った雪が地肌にまだらになっている状態を指し、また、きめ細かく降り積もり、しまった感じのしまり雪、木の枝などに、まるで紐のように垂れ下がった雪紐(ゆきひも)、電線に積もった雪が凍り付いて、電線を包む筒状になった筒雪(つつゆき)という言葉もあります。門柱などに積もり帽子を被ったように見えるのは冠雪(かんむりゆき)と表現します。降り過ぎる雪には大変なことも多く生じますが、雪には、日本の情緒を感じる側面もあります。

3月2日(水) 川俣高等学校長

機械科閉科式

本日3月1日には、本校において卒業証書授与式が行われます。それに先立ち、昨日には、本校機械科の閉科式が開催されました。その際にお話したことを掲載いたします。

私たちの周囲には様々なものがあり、それを使うことにより、私たちの生活は一層豊かになります。人の役に立つものづくりができるよう、そのための考え方や方法を学ぶ場所、それが機械科です。ものづくりには、技術の向上を図ることに加え、従来存在するものを別の観点から見て、よりよいものとするための発想力も求められます。そうした柔軟な考えや、その考えを形にする技術を身に着けるべく、機械科の生徒の皆さんは、日々学習に、そして実習に励んでこられたことと思います。本校の開校以来113年のうち、78年間を共に歩んできた機械科、そして、地域から支援をいただきながら、その地域と共に成長してきた機械科が、今年度をもって閉科となり、その歴史に幕をおろします。機械科に寄せられる期待は、川俣高等学校に寄せられる期待でもあります。ものづくりの精神を守るためにも、次年度以降も、普通科の生徒の皆さんを対象に、工業に係る基本的な選択科目を設定するなどして、川高機械科魂の継承を図ります。

3月1日(火) 川俣高等学校長