令和4年度

2022年2月の記事一覧

試 練

明日3月1日には、卒業証書授与式が行われます。本校から巣立つ3年生に、孟子の言葉をとおしてメッセージを送ります。「天が人に対して重大な任務を与えようとするときには、必ず、まずその人の精神を疲れさせ、行動(することなすこと)を失敗させ、しようとする意図と食い違うようにさせるものである。これは、天がその人の心を発憤させ、性格を辛抱強くさせ、今までにできなかったことも、できるようにするための貴い試練である。人は苦しみ思案に余って悩み抜いてこそ、はじめて発憤して立ち上がり、そして、その煩悶や苦悩が顔色にも表れるようになってこそ、はじめて解決の方法を心に悟るのである。」確かに厳しい言葉です。でも、試練は誰にでも訪れるもの、であれば、重大な任務を自分に与えてくれる天(会社)に感謝して、これまでの先人(先輩)もそうであったように、その克服を図るべく全力で取り組んでみませんか。1年後に振り返ったときに、間違いなく、1年前の自分を褒めてあげられるはずです。

2月28日(月) 川俣高等学校長

 

人の教え

書家の相田みつをさんは、兄からの言葉に大きな影響を受けたそうです。相田さんが旧制中学4年生の頃に、家計を助けるべく刺繍をしながら兄が相田さんによく話したこと、それは無抵抗の人をいじめることは最低だ、ということでした。また、相田さんの足先を指さし、「お前の足袋(たび)には穴があいているけれども、そのことは一向に恥ずべきことではない。その穴のために、心が貧しくなることの方が恥ずかしいことなのだ。その足袋の穴から、いつもお天道様を見ていなさい。」とも話したそうです。人生を生きる以上は、自分の心の底から納得できる生き方をしよう、との兄の話があったからこそ、相田さんの作品からは心地よい温かさを感じるのかもしれません。言葉の持つ力は、私たちの想像以上に大きいとも言えます。

2月25日(金) 川俣高等学校長

無用の用

以前は、家族数も多かったことから家も大きく、部屋数も多くあったものです。必然的に、家の中には使われない部屋も存在していました。小さな子どもの感覚でいえば、そうした部屋には一体何があるのか想像してみたり、時には恐怖心を抱くなどしていたものです。今では、不要なものはできる限り取り除かれ、周囲には必要なもののみ存在するようになりました。必要に慣れ切った生活をしているために、不必要で無駄とも思えるものと偶然遭遇すると、戸惑う一方、でも、人生に係る貴重な問いや反省、想像する喜びや刺激などを受ける場合もあります。私たちの心の中に、こうした無用の用的存在を許容することは、自分の価値観を高めるためにも必要なのかもしれません。

2月22日(火) 川俣高等学校長

支 援

人は誰かに支えられて生きています。でも、通常、そうした支援を意識することなく、私たちは生活を送っています。では、そうした支援のありがたさを強く感じるときはいつでしょうか。その人が去った瞬間です。これまで何の問題もなく生活を送ることができた一面には、そうした陰からの支えがあったことを痛感します。人との別れは実にさみしいものです。でも一方で、そうした支援を受けずとも、十分に独り立ちできるとの判断から、その人は去ったのかもしれません。そう信じたい、とも思います。生徒の皆さんの周囲にも、そうした支援を送ってくれる存在の方が多くいます。皆さんを守ってくれています。そのことに感謝するとともに、是非、皆さん自身にも、周囲の人を支える存在になってほしい、と願っています。

2月21日(月) 川俣高等学校長

独創性の原点

ファッションに興味を持つ人は多いと思いますが、イメージとは異なり、その創造の過程は実に地味なものだそうです。デザイナーのコシノ・ジュンコさんは、新しいものを創造する際に最も重要なこととして、まずは、目の前のものを一つ一つ丁寧に見る目、を挙げています。現存するものをしっかりと捉えることに時間をかけ、その後に、その色や形、使う場面や使用する人にまで、徐々にそのイメージを広げていくのだそうです。独創的な発想は、現在の自分とかけ離れたところにあるものではなく、むしろ、身近な日常の中に存在しているのかもしれません。

2月18日(金) 川俣高等学校長

SNS疲れ

スマホユーザーが増えるにつれて、SNS疲れを感じる人の割合も増加しています。ある調査によれば、SNS疲れの経験があると答えた人は全体の42.7%、20代女性では65%にもなった、とのことです。SNSは心理的距離を縮めるのに大きな効果を発揮する一方で、その距離感が近くなりすぎると、トラブルの原因にもなります。そういえば、心理学では、ヤマアラシジレンマという概念があります。寒さの中、2匹のヤマアラシがいます。離れていると寒いので近づこうとすると、お互いの針が相手に刺さって痛みを感じます。離れたり近づいたりを繰り返しながら、ちょうどよい適度な距離感を見つける、といったものをそう呼びます。私たちが日常生活を送る際にも、こうした概念を念頭に置く必要がありそうです。

2月17日(木) 川俣高等学校長

守破離

茶道や武道などにおける学びの姿勢を示すものとして、守破離(しゅはり)という言葉があります。守とは、型を守り基本に忠実に行うこと、破とは、型を破り創意工夫により他のやり方を学ぶこと、そして離とは、型を離れ独自性を打ち出すなど新たな型の創造を図ること、を表現しています。この考えを、4月より社会人となる3年生の皆さんに当てはめると、次のようになると思います。守として、仕事の基本を学び、言われたようにできるようにする。破として、教わったことに加えて独自に学ぶなどして、新たな仕事の領域に挑戦する。離として、教わったことを発展させたり応用したりして、自からの取り組み方を開発する。時間はかかるかもしれません。むしろ、時間をかけてもいいのです。社会人として常に念頭に置き、確実な歩みを進めてほしいと思います。

2月16日(水) 川俣高等学校長

新しい出発

水上勉氏は、9歳で親元を離れお寺に入るなど、様々な経験をされた後に作家になられた方です。彼のエッセイ「くも恋の記」には、「心構えについて、たった一つだけ言っておきたいことがある。それは、挫折は何度でもやって来る、ということである。社会というところは、人生に挫折を与えるよう仕組まれている。この挫折という危機を越える人は大きくなる。一つ一つ、自分の劣等感を克服するチャンスを与えてくれる挫折は、まさしく新しい出発にもなる。」と記されています。誰もが経験したくはない挫折に、新たな出発点という意味合いが含まれていると知れば、その克服を図るエネルギーも湧いてきます。

2月15日(火) 川俣高等学校長

大器晩成

作家の深田祐介氏は、26歳のときに小説「あざやかな人々」で文学界新人賞を受賞しますが、その後、苦労の時期が長く続きました。会社勤めをする一方で、悩みながらも休日には原稿用紙に向かう生活を続けていた深田氏に対して、親交のある作家井上靖氏は、「20代で成功を収めるという意識を断ち、しばらくは筆を折って、もう一度チャンスがあったら出直すくらいの気持ちでいいんじゃないか。」とアドバイスを送ったそうです。深田氏が再びペンをとったのは40歳のとき、そして、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したのは44歳のときです。「天才でもない自分が晩成するというのは、たとえ挫折という精神的な苦痛を経ても、愚直なまでにこだわりを持ち続け、自分の能力を開花させる技術を磨くことにつきる。」と、彼は話しています。私たちの生き方にも、大いに参考になる言葉です。

2月14日(月) 川俣高等学校長

五十歩百歩

孟子による有名なたとえ話「五十歩百歩」は、生徒の皆さんもよく知っていることと思います。五十歩と百歩のどちらも逃げたことには変わりがない、という意味で、大差ないことを指す比喩として使われる表現です。もちろん、その意味は十分に理解した上で、あらゆる場面で程度の差を完全否定することへの、少しだけ躊躇の念があるのも事実です。人が行うことには、完璧ということはあまりありません。完璧とは言えない小さな努力にも、大きな意味があります。「5ではないという点において、2も3も同じである。」という論理は、成り立たない場面も多くあるのではないか、とも思います。特に、教員である私たちには、常に持つ必要のある概念なのかもしれません。

2月10日(木) 川俣高等学校長