令和4年度

校長より

便利の裏側

ホノルルのタクシー運転手の間では、タクシーを利用する日本人観光客のことがよく話されるそうです。ホノルルのタクシーの場合、ドアは手動で開閉するため、降りた後で利用客がドアを閉めることになっていますが、自動ドアに慣れている日本人は開けたまま立ち去ってしまうため、運転手がその都度、ドアを閉めに外に出るのだそうです。文化の違い、と言ってしまえばそれまでですが、こうした自動ドアは、人の精神にも影響を及ぼす、と指摘する文化人類学者もいます。押し開き型のドアが多かった以前には、向こう側にいる人を押しのけることのないよう、自然に注意を払うなどしていたものです。また、ドアを通り抜けた後には、次の人のために、手でドアを押さえるなどして待つ心遣いもありましたが、こうした「後姿のモラル」とも言える気持ちや行為は、自動ドアでは必要としないため、人の心に何かしらの影響を与える、という指摘です。生徒の皆さんも、生活の中で少しだけ、自分の周囲の存在に意識を向け、心配りをしてみませんか。

4月7日(木) 川俣高等学校長

新たな学び

新年度は、人との新たな出会いのときです。またこの時期は、人から教わったりすることも、人に教えたりすることも多くあります。そして、こうした営みをとおして、自分の考えや人生観など、自らの進む道を再認識する機会でもあります。自分の道を真っすぐに進むことは人生の基本です。そのためにも、イギリスの哲学者ベーコンがいうように、「書を読むことは充実した人を作り、議論をかわすことは覚悟のできた人を作る。」という考えを念頭に置く必要がありそうです。これは、「玉 磨かざれば器を成さず、人 学ばざれば道を知らず。」という考えにも通じます。

4月6日(水) 川俣高等学校長

出口の発想

昔のデパートには1階にトイレがなく、2階以上に設置されていることが多くありました。これは、デパートはお客様に物を提供するところである、という考えの下、使用頻度の高かったトイレの位置をあまり考慮しなかったことによるものと言われています。ちなみに、1階にトイレを設置してみると、多くの客が店に足を運ぶようになり、トイレが人集めの財産であったことがわかりました。昔の東京駅も、必要性の高いトイレについては考えることなく、人を乗せたり降ろしたりする、いわば本来業務を優先して拡張を図ったことにより、トイレの位置がわかりづらくなり、特に外国人の旅行客には不評だったそうです。デパートでいう物を提供することや、駅でいう人の乗り降りなど、本来業務を「入口」とするのであれば、本来業務に付随して存在するトイレは「出口」となります。でも、建築においてもそうであるし、また、文化においても、この「出口」から発想を展開することは重要です。夏に涼しい風を欲するのであれば、まずは木陰を作ってくれる木を植える、また、良き友人を得たいと思うのであれば、まずは心豊かになるためにも本を読む、など、生徒の皆さんも、日常生活の中に、出口の発想を多く取り入れてみませんか。

4月5日(火) 川俣高等学校長

不 安

人は他者からの評価を気にする生物です。いい評価を得た場合には取組の励みにもなりますが、逆の場合には、特に気持ちの落ち込みが大きくなり、モチベーションにも影響が及ぶなど、結果として不安も増します。でも、自然科学には動的平衡という言葉があります。常に動いている(評価の幅が大きい)のに、平均すると平衡状態にある、というこの現象と、日々の取組は類似しています。他者からの評価によっては誰もが感じる不安、その不安を楽しむくらいの気持ちを少しだけでも持てれば、毎日学ぶことで、多くの知識を手に入れることができます。学びから知識を得る、楽しい学問の旅を体験できます。

4月1日(金) 川俣高等学校長

小さな幸福

人が生活を送るとき、喜びとともに、悲しみや苦しみを伴う場面が多くあります。それらを乗り越える力を求められますが、でも、ちょっとした心の拠り所がほしいのも事実です。そんなときには、周囲にある小さな幸福を感じてはみませんか。黒田三郎氏は私たちに、次のような詩を送ってくれています。「秋の空が青く美しいというただそれだけで、何かしら、いいことがありそうな気のする、そんなときはないか。空高く噴き上げては、むなしく地に落ちる噴水の水も、わびしく梢をはなれる落葉さえ、何かしら喜びに踊っているように見える、そんなときが。」

3月30日(水) 川俣高等学校長

個性の伸長

自分の個性を大切にすることは言うまでもありません。作家の水上勉氏は、著書「働くことと生きること」の中で、大工である父親が言った言葉を次のように表現しています。「近頃の大工は、何もかも機械でやるから、機械にかからぬ材料は捨ててしまう。曲がった木は機械にかからん。曲がったものが重宝する場所にも真っすぐな材料で済まそうとするから、建材はすぐに壊れる。山にはそれぞれの事情によって、曲がった木や曲がらぬ木が生えている。曲がった木が悪くて曲がらぬ木がよい、というはずはない」。この言葉、よく理解できますね。

3月29日(火) 川俣高等学校長

花は咲く

マラソンの瀬古利彦氏の恩師である中村清監督が、瀬古選手とともに知床半島を訪れたときのことです。人が足を踏み入れたこともなさそうな山奥に向かうと、ひっそりと桜の花が咲いていました。心が洗われるようなピンクの花を目にした中村監督は、「この桜は、人が見ようと見まいと、きちんと花をつけている。お前も、人が見ていようと見ていまいと、一生懸命に練習しなくてはいけないよ。つらい練習もそうだが、充実した練習だと感じても、それは敢えて人に見せるものではないよ。」と、瀬古選手に話したそうです。人の目に触れずに取り組み、そして努力すること、また、精一杯の営みに徹し切ることは、ある意味、とても辛いものですが、私は思うのです。人知れず陰で取り組んでいたとしても、どこかで誰かが、そうした努力する姿をそっと見ていて、その人の記憶にとどめているのではないか、と。

3月28日(月) 川俣高等学校長

峠を登る

詩人である真壁仁氏の「峠」の一節には、「峠に立つとき、過ぎ来し道は懐しく、開け来る道は楽しい。人はそこで、一つの世界に別れねばならぬ。」とあります。生徒の皆さんが進級をするとき、あるいは卒業をするときの心境に似ているでしょうか。峠に立ち眺める光景は、きっと皆さんを爽快な気分にしてくれるし、顔にあたる風は心地よいものであると思います。峠を登ることは苦しみを伴いますが、それを乗り越えたときに、自らの成長を実感できるのだ、とも思います。一つの峠(目標)を越えれば、また新たな峠越え(目標達成)が待っています。生徒の皆さんは今、どんな峠を登っていますか。峠を登る自分の姿は見えていますか。そしてこれまでに、いくつの峠を越えてきましたか。これから、いくつの峠を越えるのでしょうか。

3月25日(金) 川俣高等学校長

知識や情報の活用

生徒の皆さんは、日々学ぶことで多くの知識を蓄え、そして様々なツールをとおして、日々多くの情報を得ています。でも、その知識や情報を活かすことについては考えているでしょうか。儒学者の貝原益軒は慎思録の中で、「知っても、これを行わなければ知らないのと同じである。」と述べています。知識や情報に生命を吹き込むのは、生徒の皆さん自身です。それらを自分のものとするためにも、一歩進んだ取組をしてみませんか。

3月24日(木) 川俣高等学校長

精神の根本性能

生徒の皆さんは何かに取り組んだときに、この位でいいや、と思い、その取組を終えてしまった経験はありませんか。自分の豊かな能力や開ける未来を、早期に見限ることにもなりかねないこうした気持ちは、人の持つ向上心にとって大きな障害となります。物質の根本性能は重力として下に向かうのに対して、精神の根本性能は重力に抗して上に向かいます。これまでの人の進歩を支えてきたもの、それこそ向上心なのです。常に一段上を目指し、歩みを進めたいものです。

3月23日(水) 川俣高等学校長