令和4年度

2022年7月の記事一覧

個 性

個性の重要性は言うまでもありません。でも、個性は確固とした変わらぬ存在、という考えにより、自分を拘束してしまうことは、かえって少し堅苦しさを覚えます。そもそも、個性(パーソナリティ)の語源は、仮面を意味するペルソナ、だと言われています。私たちは日常生活の中で、場面に応じてペルソナを使い分けます。素の自分を出せる個性にもペルソナがあるのであれば、個性は決まりきった1つのものではない、というのが今の心理学の考え方です。自らの成長や取り入れる知識量に応じて、個性は、臨機応変、変幻自在に変わっていきます。自分の個性を見つけることができないと悩んでいる生徒の皆さん、もしかすると、皆さんの個性は今、変化を遂げている最中なのかもしれません。

7月20日(水) 川俣高等学校長

良質の睡眠

睡眠が人にとって重要なのは言うまでもありません。良質の睡眠を得るには、特に、寝る前の2時間の過ごし方を改善することが有効です。その一つとしては、ブルーライトを浴びないことです。ブルーライトとは、スマホやPC、蛍光灯から発せられる光をいい、青空の波長、つまり、昼に出る光の波長と同じものです。ブルーライトを浴びれば、今が昼と誤認し、睡眠物質のメラトニンの分泌を抑制してしまうのです。一方で、赤い光は夕焼けの波長です。そうした光を浴びると、脳は夜になったと認識し、メラトニンが分泌され、全身活動に徐々にブレーキがかかります。生徒の皆さんは、夜にたっぷりとブルーライトを浴びてはいませんか。

7月15日(金) 川俣高等学校長

五月晴れ

昔の話です。ある高校の校長先生が5月に行われた集会で、「文字通りの五月晴れの下」と話されたとき、一人の生徒は、ふとした疑問が浮かびました。松尾芭蕉の句「五月雨をあつめて早し最上川」の中に出てくる五月雨は梅雨の雨を指し、新緑の季節である五月を指してはいない、と授業で習ったことを思い出し、五月晴れも、古くからある表現であれば、同様に梅雨の合間の晴れを指すのではないか、と考えたからです。その生徒は校長室に行き、直接、校長先生に自分の疑問について話します。二人で辞書を調べ、新暦五月の晴れという意味もあることを確認した上で、でも、表現する際に、「文字通りの」を付けると誤解が生じることから、その校長先生はその生徒に誤り、その後二人で、しばし松尾芭蕉の時代の話に浸ったそうです。学んだ知識を応用して考え、勇気をもって校長室のドアをたたいたその生徒は立派です。学ぶことの大きな意義が、そこにはあります。ちなみに、その校長先生はすぐに校内放送をとおして、ご自身の話された表現に間違いがあったことを全校生徒に伝えたそうです。

7月12日(火) 川俣高等学校長

責任の倫理

ロンドンの街中を車椅子で移動していたイギリスの少年が、歩道の轍に車輪を取られ、動けなくなりました。偶然そこを通りかかった日本人が手を差し伸べようとすると、周囲にいたイギリスの方々から、止めるよう言われたそうです。周囲のイギリスの方々は、誰一人その場を立ち去ることなく、手を出す代わりに、苦労して轍から出ようとするその少年に大きな声援を送り続けました。そして、彼が脱出に成功すると、大きな拍手を送ったそうです。ヨーロッパ伝統の、自分の人生は自分で切り拓く、という人間観の一端を垣間見ることができる出来事です。手を差し伸べないことは冷淡な行為ではなく、人と人との間に、心の橋が架かっているからこそできることです。日本では信条の純粋さを重んじる傾向にあります。一方で、行為の先にある責任までは考慮しないこともあります。信条の倫理に加えて、責任の倫理の重要性を説いたのは、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーでした。価値観の多様化に直面する中、私たちには、どういった言動を取るのがよいのかを瞬時に判断する責任が求められています。ちなみに、偶然少年の脇を通りかかった日本人は、私の大学の同級生です。

7月11日(月) 川俣高等学校長

普 通

人は初めて会った人に対して、好きか嫌いか、の感情を持つ傾向にあります。自分の身を守るために備わっている、そうした判断を下す場所が偏桃体です。ちなみに、偏桃体では、0.02秒で判断をするそうです。でも、嫌いという感情を持ってしまうと、それが相手にも伝わるので、人間関係という観点からは好ましくありません。嫌いの感情を抑制するには、好きか嫌いか、という基準に、普通という基準を加えるとよい、とされています。大脳皮質を進化させ、じっくりと考える論理的思考ができる人間には、偏桃体の働きをコントロールできる力が備わっています。嫌いの感情を薄めて、できれば、好きか普通か、の2つの基準により、人と接してみるのも楽しそうです。

7月8日(金) 川俣高等学校長