令和4年度

2021年12月の記事一覧

精 進

三冬枯木花(さんとうこぼくのはな)という言葉があります。12月、1月、そして2月という冬の3か月(三冬)に、枯れ木が花を咲かせることを表現しています。「枯れ木であっても、そして最も厳しい環境下であっても、内に秘めた力により花を咲かせることができる。人も同じで、花を咲かせようとする精進や努力を忘れてはいけない。」という戒めです。生徒の皆さんには、学びをとおして得た、知識というエネルギーをたくさんため込み、どんなときにも心に花を咲かせることのできる、そうした存在になってほしいと思っています。

12月28日(火) 川俣高等学校長

衝 突

人と自分の意見が合わないとき、皆さんはどうしますか。もちろん、自分の正当性を主張する姿勢は大切ですが、一方で、そうした主張が強すぎるあまり、人間関係を損ねることは避けたいものです。相田みつをさんの書詩集「雨の日には/雨の中を/風の日には/風の中を」には、次のような言葉が紹介されています。「セトモノとセトモノ ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう どっちかやわらかければだいじょうぶ やわらかいこころを持ちましょう」

12月27日(月) 川俣高等学校長

時間の有効活用

時は金なり、時を得る人は万物を得る、など、時間の大切さを伝える言葉は多くあります。人の平均寿命から考えると、睡眠や仕事など必要とされる時間を差し引くと、いわゆる自分の自由時間は約20年分との試算があります。これを長いと見るか、意外に短いと見るかは別として、少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、という南宋時代の学者朱熹の言葉を待つまでもなく、その瞬間瞬間に、一生という現実の持つ時の重みを感じずにはいられません。時間の捉え方は様々です。一日を24時間とする以上に、50時間にでも、100時間にでも変えることができます。時間の有効活用を丁寧に行う心を常に持ちたいと思います。

12月24日(金) 川俣高等学校長

葦間の月

良寛和尚の歌に、「浮き草の生ふる渚に月影の ありとはここに誰か知るらん」というものがあります。通い慣れた道の傍らの葦の間に、昼間なら気づかない水たまりを見つけ、そこに天上の月の影がくっきりと映っている光景は、山奥の庵に住む自分によく似ている、といったことを表しています。月明かりに照らされて、夜に葦間から姿を現す水たまりとは、人の内面なのかもしれません。人の心の奥底には、清い月影が宿っています。その存在を自らの力で見つけることができたとすれば、それは素晴らしいことです。また、それに気づいてくれる友人がいたとすれば、それもまた、素晴らしいことです。

12月21日(火) 川俣高等学校長

汝自身を知れ

汝自身を知れ、これは古代ギリシアのアポロン神殿に掲げられていた言葉です。自分の立場をわきまえよ、といった戒めと理解されている場合もありますが、当時のギリシアでは、「ご機嫌よう」にあたる言葉として使われていたようです。ただしその中には、心の健康を祈る気持ちを込めていたようです。では、健康な心とは、一体どういったものを指すのか。それは、自分のしていることを深く理解する、という、いわば「知の知」です。自分の生き方を見直す機会としてこの言葉を念頭に置くことは、昔も今も変わることなく必要なのかもしれません。

12月20日(月) 川俣高等学校長

陰徳を積む

隠れた徳を行うことを陰徳を積むといいます。中国の漢の時代に、「夫れ陰徳のあるものは、必ず陽報あり」と説いた思想家がいます。「わからないように人のためになる良い行いをすると、必ず良い結果を伴う」ということから、この言葉は十分に、徳を行う人の励みになります。一方で、一層深化した考えを述べたのが唐代の百丈禅師です。「善を行って善を忘れ、執着なくして大我へ向かえ。行雲流水を求めて、報酬を期すな」と説きました。このレベルに達すると、きっと心の中には少しの淀みもなく、澄み切ったものとなっているはずです。この極みを目指さない手はありません。

12月17日(金) 川俣高等学校長

立 志

情報があふれ、多様な価値観が示される現在であるがために、自分が目指すことを明確にすることができず、悩む人は多いと思います。言い換えれば、自ら決めた志を持つのが難しい時代なのかもしれません。でも、間違いなく、自己を外面のみ飾るのではなく、内面を変革しながら生きる必要性は高まっています。過酷な運命を生き抜いた文豪ドストエフスキーは、「私は、全生涯をとおして、いたるところで、何事においても限界を乗り越えた。」と話しています。人生とは、環境に左右されることなく、自らの信念の下、自己を厳しく見つめ、改善を図り、次なるステップを目指して再び歩みを始める、この繰り返しとも言えます。「流されざるものは何なのか。まさしく、一人ひとりの志が問われる時代がやって来る」という視点から、ある広告会社が1988年を立志元年と位置付けました。その考えは、33年を経た今でも変わることなくある、と感じています。

12月16日(木) 川俣高等学校長

飛騨白川郷の合掌づくりは、屋根の傾斜が急なので雪を早く落とすことができたり、材料のカヤは軽くて建物に重みを与えないなど、実によく工夫されています。また、屋内の囲炉裏から出る煙は、屋根裏までまわってススとなるため害虫を防ぐとともに、カヤを乾燥させて長持ちもさせています。30年程経つと屋根のふき替えが行われますが、カヤの確保やお金以上に大変なこと、それが人手の確保です。そこで、共助組織の結(ゆい)があります。人と人を結ぶこの結により、人が集い、協力し、心を一つにして奉仕作業が行われます。日本の歴史は、人の手により守られています。

12月15日(水) 川俣高等学校長

句の心

松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだ山寺、立石寺は山形県にあります。多くの観光客は、大型バスで到着すると山のふもとを散策し、それほど古くはない句碑を眺めた後に、次の観光地に向かってしまうのだそうです。頂上にある奥の院までは、急な坂を1時間程登り続けなければなりません。それを避けて現地を一望すれば十分、と考えるのは、少しもったいない気がします。芭蕉の句の心に真に触れるには、山門をくぐって樹林の中に立ってみることが肝要と思います。来月には修学旅行があります。多くの場所を巡る中で、こうした句の心に触れる機会を大切にする旅であれば幸いです。

12月14日(火) 川俣高等学校長

もうとまだ

生徒の皆さんが試験問題を解いていると仮定します。「残り、もう5分しかない」と感じれば、多少の焦りが生じていることになります。一方で、「残り、まだ5分ある」と感じれば、少し余裕もありそうです。時間の捉え方一つに限っても、「もう」と「まだ」には大きな差があり、そのことが、結果にも大きく反映します。皆さんが「まだ派」となるためにも、常に計画的な取組を行うこと、強靭な精神力を培うこと、そして、工夫改善を図る姿勢を持ち合わせることを望みます。

12月13日(月) 川俣高等学校長