令和4年度

校長より

目的のすり替わり

以前、ある大学で、ビーカーに残った過塩素酸を爆発させる事故が起こりました。本来であれば、専門業者をとおして焼却処分をするところ、処理費を惜しみ、廃液の入った容器のフタを開けて蒸発させ、廃液自体の容積を減らすなどしたことによるものであったそうです。そうすることで、たまたま、過去に複数回うまくいったことから、こうした行為が常習化したことによる事故でした。そもそも、目的は薬品を安全に処理することにあったはずですが、いつのまにか、薬品を完全に蒸発させることが目的となってしまっていたようです。こうした目的のすり替わりは、あまりよい結果を導くことはありません。たとえば、商品開発は世の中の役に立つことを目的とすべきところですが、商品がヒットすると、その商品を作り続けることが目的となってしまうケースも同じです。こうした目先の結果のみを追おうとする傾向は、柔軟な変化に対応できなくなる、という大きな欠陥をもたらすことにもなります。

8月23日(月) 川俣高等学校長

人 生

輝く20代を過ごそうとしたら、10代の積み重ねにより、そうなります。充実した30代は、20代で何をするかにかかっています。40代のために、30代で足りないと思われることを補充することも重要です。ただ待っていて、何かが起きる可能性は少なそうですね。

8月20日(金) 川俣高等学校長

失敗から学ぶ

生徒の皆さんは常に、失敗したらどうしよう、と思いながら何かに取り組んでいませんか。確かに、失敗した自分の姿を誰かに見られるのは格好いいものではないかもしれません。でも、創業時からずっと、すべてがうまくいっている会社はそうありません。ビジネスにピンチは訪れます。そのときに、知恵を出し合いながらチャンスに変えている、そうした会社もまた数多くあるのです。皆さんは、失敗しても悩まないでほしいのです。失敗とは、「こうやったらうまくいかない」ことを知る、最大のチャンスです。いっぱい失敗して転んだとしても、いっぱい立ち上がればいいのです。そもそも失敗は、何かに取り組んでいるからこそ生じます。むしろ、何事にも取り組まずに傍観する、ノープレー・ノーエラーこそ、意味のないことと思います。

8月19日(木) 川俣高等学校長

小志を抱け

遠くに目標設定をしてテキパキと歩みを進めることは大切です。一方で、近くの目標に向けて、自分の足元を注意深く見ながら歩くと、沿道に咲く小さな花や、どこからともなく流れてくる音楽、また、道のくぼみに満ちた、昨夜の雨に映る青空の美しさに気づくかもしれません。それは、大志を抱いて取り組むことと同様に、小志を抱きながらも着実に物事をこなしていく、この大切さに重なることかもしれません。

8月18日(水) 川俣高等学校長

継 続

生徒の皆さんは、初志貫徹の大切さについて、保護者の方から、また、先生方から多く聞いていることと思います。当初、興味を持って取り組んだことを、途中から何らかの理由により止めてしまう、このことを私がもったいないと感じるのは、少しでも興味を持ったことは、皆さんにとって間違いなく必要であった要素、その可能性が高い、ということなのです。その要素を身に着けることにより、皆さんが一層、スキルアップを図ることができたはずなのです。詩経にも、初志貫徹と同様の意味を持つ、「始めあらざるなし、克(よ)く終りある鮮(すくな)し」という表現があります。これまでに興味を持ったことを思い出してみませんか。そして、前回歩みを止めた場所から、再度歩き出してみませんか。今回、また途中で止めてもいいのです。次回にそこから始めて、最終的に全うすればよいのですから。皆さんには、十分すぎるくらいの時間があります。

8月17日(火) 川俣高等学校長

苦 労

生徒の皆さん、「なぜ自分だけうまくいかないのだろう」と感じた瞬間はありませんか。周囲は容易にできていることを、自分は四苦八苦しながら結局はできない。こうした苦労、これは、どこにでも落ちています。誰にでも落ちてきます。苦労の伴わない人生なんてない、こう考えれば、人という存在は、少しだけ悲しいけれど、でも、とても興味深いですね。道を歩いている人が皆、独自の苦労を携えている。そして、その苦労に立ち向かっている。いわば、人は、人生のドラマを持ち歩いているわけです。人は、一人ひとりが長い人生の主役なんです。

8月12日(木) 川俣高等学校長

自分の存在

以前に、落語家の三遊亭円楽さんが述べていたことを紹介します。

「父は折に触れ、私にこんなことを言っていました。機嫌のいいときには愚痴をこぼすな。言い訳は、自分を正当化するための心の弱さを世間中に言いふらすようなもの、ひがみは進歩の妨げだ。毀誉褒貶(きよほうへん)は世の常、人の評価は時が経ってからわかるもの。どうせなら大木になりな。風当たりは強いが、多くの人が雨宿りもでき、憩いの場所にもなる。」

8月12日(木) 川俣高等学校長

一日即ち一生

生徒の皆さんは、自ら立てた計画の下、夏季休業を過ごしていますか。本校は昨日8月11日より、3日間の学校閉庁日に入っています。でも、登校する、しないに関わることなく、その日を一生懸命に生きる、こうした取組の継続が大切であることは言うまでもありません。作家の城山三郎さんは、かつて次のように述べています。「僕は一日即(すなわ)ち一生、という言葉が好きです。毎日を一生の思いで生きる。今日一日が楽しかったか、もしも楽しくはなくても深く生きたか、それが大切なのではないでしょうか。人生は、思い出の総量ですからね。」

8月12日(木) 川俣高等学校長

じゅうたん

生徒の皆さんは、まだそうした年齢には達してはいませんが、ある程度年を重ねると、これまでの人生を顧みる機会が増えます。「あのときに、こうしておけばよかった。」という反省ばかりではなく、「あのときはうまくいった。」という経験など、様々なことが思い起こされます。そういえば、人生はその過程で、自分の体験や経験を織り込みながら作成されていくことから、まさに、自分自身のじゅうたん作りにもたとえることができます。経験や体験の中には、自分にとって厳しいものも含まれると思います。でも、じゅうたんは、人に踏まれて美しくもなります。

8月10日(火) 川俣高等学校長

「でも」か「では」か

生徒の皆さんは、夏季休業に入る際に立てた計画の下、目標達成に向けた歩みを進めているでしょうか。

さて、後に、今の自分よりもスキルアップを図ることができるかどうかは、「でも」か「では」かの違いである、と考えています。「今からでもできる」と思えば、進歩が見えます。一方で、「今からでは無理」と思えば、それまでのことです。生徒の皆さんには、「でも派」であってほしいと思っています。

8月10日(火) 川俣高等学校長