令和4年度

2023年6月の記事一覧

周 期

人は24時間周期に従って生活をしています。これは、太陽の光や温度など自然的要因や、学校・会社など時間を拘束される社会的要因、食事など様々な要素から来るもの、とされています。そしてこのリズムに応じて、ホルモンの分泌が効果的になされます。人の体温が下がり自律神経が休まる時間帯は夜の11時から朝の6時頃までとされているため、人が寝る時間に適しているとの指摘もあります。一方で、人は柔軟な生き物なので、一定期間であれば、1時間早く就寝することや3時間程度遅く寝ても対応はできるようです。23時間から27時間が人にとって調節可能時間帯となるため、それを超える時間帯、たとえば海外に移動する際に生じる時差などを体験すると、リズムの同調障害が生じるとも言われています。いずれにせよ、夜更かしや基本的生活習慣を乱す生活は好ましくない、とは言えそうです。

6月15日(木) 川俣高等学校長

客観的観察

大学の講義の際に、金魚が1匹だけ入っている金魚鉢を机上に置き、客観的観察に基づくレポート10枚をまとめるよう指示して教室を出ていかれた教授がいたそうです。学生は、左右に泳いでいるだけで退屈そう、狭いところにいてかわいそう、口をぱくぱくさせることで水を取り入れている、などといったことを書き始めますが、10枚のレポートをまとめるまでには至りませんでした。次の週になると、教授は再び金魚鉢を置き、同じ指示をして教室を出ていきます。前週にまとめたレポートには、主観的記述とされた箇所が赤字でびっしりと指摘されていました。学生の金魚を見つめる視線の本気度が高まります。尾びれの上部を45度右に動かし左に45度動かすことで胴体を170度ターンさせる、金魚鉢の底から10センチのところから4センチ浮上し8秒後に再び底から10センチのところに戻った、など書き始めると、あっという間に10枚のレポートが仕上がりました。行動観察を研究するこの教授は、主観的観点(思い込み)は客観的観察を行う上での障害に成り得ると教えたかったようです。周囲にいる人との関係を築く際にも、予め自分が抱く主観的観点と実際が異なる場合があります。

6月14日(水) 川俣高等学校長

未 知

人は未知なるものを恐れる場合があり、年齢を重ねれば重ねるほど、その傾向は強まります。では、未知なるものと出会ったとき、どう対処すべきでしょうか。一般的には、これまでに得た知識と結びつけたりするなどして、できる限り既知のものに近づけようとします。もしも未知の度合いが強すぎる場合には、これまでに築いた自分の価値観や考え方を壊すことを余儀なくされることもあります。でも、既知ばかりが周囲に存在し、未知がなければ進歩はありません。頭の中に大きな?を浮かべることは、恥じることではなく、むしろ、大きな進歩を生み出す第一歩です。疑問が浮かばない人生はありません。わからない、を連発しながら周囲を見渡すと、その答えを友が持っていたり、教科書に書いてあったり、偶然に目にしたテレビ等をとおして答えが飛び込んできたりします。生徒の皆さん、今日はいくつの?が頭に浮かびましたか。

6月13日(火) 川俣高等学校長

輪 郭

子どもの頃に、塗り絵帳に色を付けていった経験があると思います。予め示されている輪郭から絵の具をはみ出さないように塗っていくと、そこばかりが気になり、何度も何度も色を重ねるなどして、全体としてイメージしたものとはかけ離れた出来となってしまうことがあります。でも、自分では、輪郭からはみ出して描いてしまったと後悔している個所を、誰かが、絵に元気が宿っているね、というように話してくれると、その瞬間から、自分から見ても、同じ絵が見違えるように素晴らしい存在に変わっていることはよくあります。そして、塗り絵帳の次のページに色を付ける際には、その輪郭を気にすることなく、純粋に塗り絵を楽しむ自分がいることと思います。そしてまた、次のページを開いた際には、その輪郭さえ目に入らなくなるかもしれません。でも、もしかすると、もともと輪郭は書かれておらず、自分が作り出した幻想だったのかもしれません。自由な感性をとおして表現するときに、枠は不要です。

6月12日(月) 川俣高等学校長

長 考

将棋の十五世名人大山康晴氏が、対戦中に長考をするのはどんなときか、と問われた際に、うまくいきすぎているとき、と答えています。守りの大山とも称される彼は、物事とはそれほどうまくいくわけもないのに、順調に事が進んでいるときにはどこかに落とし穴がある、と、常に警戒していたようです。そして、誰にでも山と谷があり、山は高ければ高いほど良いけれど、谷の深いのは最も避けなければいけないので、谷をできるだけ浅くするよう、予め様々な手立てを考えている、とも話しています。一方で、一瞬のうちに、現在、過去、未来が頭をよぎるのだそうです。プロ棋士の頭の中には、かつての名人の棋譜が記憶されており、現在の局面を眺め、過去の棋譜から類推して未来を読むのだそうです。一見穏やかにも見える盤上には、現在、過去、未来が混在する状態になっているんですね。盤上では、まさに人生模様が展開されているとも言えます。

6月9日(金) 川俣高等学校長

書き手の思い

世の中で起こっていることを知るには、新聞やテレビ、ネットが重宝されますが、世の中で起こっていることを理解するには、本を読むことが求められます。情報の新鮮さを求めるならネット等の活用による一方で、情報の信頼度など体系的な内容を求める場合は本、とも言えます。本には、書き手によって精査され、分析された情報が書かれているため、土台となる基礎知識を容易に身につけることができるなど、書き手の思いが込められています。現段階で基礎知識のない分野でも、予め本を読んで下地を作っておくことで、後に大きな差が生じます。

6月8日(木) 川俣高等学校長

物 流

江戸時代には、武士の家に出入りする町人などが武士に対して、干魚や昆布、片栗粉など、比較的長持ちする献進物を届けていたそうです。多くもらい過ぎて余ってしまうために、武士から献進物の残りを引き取る献残屋(けんざんや)という商売があった、と、喜多川守貞の著に記されています。献残屋は引き取った品を御用達(ごようたし))に売り、その御用達は、必要とする武士や町人に売っていたとされますから、ある意味、滞ることなく物流が実践されていたとも言えます。でも、自分が届けた献進物が、ぐるっと回って自分の手元に戻ってきたこともあったのかな、と想像すると、少し落語的感覚にも陥ります。

6月7日(水) 川俣高等学校長

干 支

年末や年始など限られた時を除き、私たちの日常生活の中で干支を意識する瞬間は少ないかもしれませんが、一年中、干支を身近に感じる地域があります。宮崎県延岡市にある北方町(きたかたちょう)です。子丑寅卯と、ほぼ時計回りに地区内が12区分されています。明治22年にこうした区分に決まったといいますから、かなりの歴史を持ちます。かつて、「日本唯一干支の町」をキャッチフレーズとして町起こしに取り組み、十二支の文字が入った街灯や絵入り標識などを設置したりしました。12地区全てを回って印をもらうスタンプラリーも行われたそうです。大晦日に行われる干支祭では、実際の牛を連れてきて、子年からの引継ぎ式を催したこともあったそうですが、想像上の動物である辰のときにはどうしたのか、少し気にもなります。

6月6日(火) 川俣高等学校長

場 面

指揮者井上道義氏が若い頃、イタリアのシシリー島を訪れて、半円形劇場で野外音楽会を開催したことがあったそうです。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第二楽章が終わる直前に、突然の停電が発生します。街中の灯が消えてしまい、周囲は全くの暗闇と化し、見えるのは空に煌々と輝く月のみ。そのとき、客席の一人から、ベートーベンの『月光の曲』のリクエストがありました。譜面もなければ練習もしていない、手元すら見えない暗闇の中、果たして演奏するべきか一瞬悩んだそうですが、『月光の曲』の演奏にこれ以上のお膳立てはない、不意の停電の思いがけない贈り物と考え、演奏を決意します。楽団員も皆、頷いて演奏の準備を整えていました。時々、音をはずすことはあったものの、それは心に染み入る名演奏であった、と、井上氏は話されています。もしかするとそれは、運命が予め準備していた場面であったのかもしれません。

6月5日(月) 川俣高等学校長

邪 念

札幌市資料館入口に、右手には秤を、左手には剣を持った法の女神像が設置されています。そして、正義の象徴として飾られたこの女神像は、目隠しをしています。もともとはギリシャ神話やローマ神話に登場した女神を表したとされるこの像は、欧米にも似たようなものがあるそうですが、目隠しをしている像もある一方で、していない像も存在します。目隠しは、余分なものを見ることなく心の眼で裁く、という信念を表現しているとも言われています。そういえば、江戸時代の京都所司代であった板倉重宗氏は、障子を隔てて人の訴えを聞いたそうです。人の顔を見てしまうと、つい、ひいきの感情が芽生えることもあるため、それを避ける手段だそうです。目以上に心眼は、深く広いところまで見通すことができます。

6月1日(木) 川俣高等学校長