令和4年度

2022年11月の記事一覧

適 職

生徒の皆さんは、自分の持つ個性に合った職種かどうかを念頭に置いて、就職先を絞り込んでいくことと思います。そして、実際に就職した後に、仕事が楽しいので、これこそ自分の天職だ、と思うかもしれません。でもそれは、もしかすると適職なのかもしれません。天職とは、その仕事をするために自分は生まれてきた、天から授かった、と思えるような職業を指します。そこには、楽しさに加えて、常にやりがいや満たされた感情が伴います。では、適職を天職にまで高めるにはどうすればよいのでしょうか。そのためには、ある程度の時間を要します。万が一、仕事でうまくいかない場面に遭遇したとしても、あきらめることなく継続して取り組み、経験を積む中で自己洞察が進み、自分の向き不向きなどについても明確化されていくと、いよいよ天職の領域に踏み込むことになります。天職とは、見つけるものでも与えられるものでもなく、適職を自分の力で徐々に変えていくこと、と言えるのかもしれません。適職に就ければ十分に幸せです。そして、もしも天職にも就ければ、人生が一層楽しくなると思います。

11月30日(水) 川俣高等学校長

性格を変える

生徒の皆さんは、自分の性格を変えたいと思ったことはありますか。精神医学的見地からすると、人の性格は3年程継続して取り組めば変えることは可能だそうです。でも、ある一つの性格を変えたとしても、自分の別の性格が気になり、結果として、性格を変え続ける無限連鎖に陥ってしまうこともあります。効果的な取組として、行動を変えることを推奨する心理学者もいます。自分のどういった性格をどのように変えたいのかを明確にして、そのために行う行動を3つ挙げます。例えば、内向的な性格を外向的に変えたいので、①笑顔で挨拶する ②意見を求められたら、最初に挙手して意見を述べる ③初対面の人には自分から話しかける、など、実現可能な3つの行動を意識して生活を送るのです。古代ギリシアの哲学者アリストテレスも、「その人の性格は、その人の行動の結果である。」と述べています。こうした皆さんの行動をとおして、自然に、周囲からの皆さんに対する見方が変わり、性格を変える以上の効果が表れます。

11月29日(火) 川俣高等学校長

コミュニケーション力

コミュニケーション力の大切さについては多く語られており、具体的な向上策も多々挙げられていますが、次の3観点も注目すべきこととされています。第一に、自分に自信を持つことです。情報を発信するには自信を要します。自信は、勇気と置き換えることもできます。第二に、相手の話に耳を傾け、理解しようとする姿勢を持ち続けることです。傾聴という言葉もあります。自分の言葉を伝えることに集中するあまり、話が一方通行になり、コミュニケーションが成立しないケースを避ける意味でも重要です。第三に、困ったときには助けを求めることです。すべての人がすべての分野について深く知っているわけではありません。お互いに補完し合うことで、自分の力とともに組織力も高めることができます。

11月28日(月) 川俣高等学校長

管鮑の交わり

友人間の信頼関係を表現するときに、「管鮑の交わり」という言葉が使われます。管仲と鮑叔は若い頃に友人となり、特に、鮑叔は管仲を優れた人物として尊敬します。後に斉の国政を担うまでになった管仲は、次のように話します。「かつて私は、鮑叔とともに商売をした。利益を分けるときに、私は自分の分け前を多く取ったのに、鮑叔は私を貪欲とは思わなかった。私が困窮していたのを知っていたからである。かつて私は、鮑叔のために事業を企て失敗したが、鮑叔は私を愚か者とは思わなかった。時に利・不利のあることを知っていたからである。かつて私は、三たび仕えて三たび君(主)から逐(お)われたが、鮑叔は私を無能とは思わなかった。私が時の利に合わなかったことを知っていたからである。かつて私は、三たび戦い三たび敗れて逃げ出したが、鮑叔は私を卑怯とは思わなかった。私に老母のあることを知っていたからである。私を生み育ててくれたのは父母だが、私を知ってくれているのは鮑叔である。」と。さて、生徒の皆さん、皆さんの周囲には、管仲から見た鮑叔のように、皆さんを真に理解してくれる友はいますか。

11月25日(金) 川俣高等学校長

一 念

何事も最初からうまくいくことはありません。人は皆、成果を上げるには繰り返しが大切である、ということを知っていますが、この繰り返しがなかなかできないのも事実です。あちらに行けば水が出るのではないか、向こうに行けば井戸があるのではないか、と右往左往してみても、結局、水の在処は自分の足元であったりします。「足下(そっか)を掘れ、そこに泉あり」というように、自分の足元を地道に掘っていけば、泉は必ず湧いています。成功を収めるには、自分に与えられた仕事(課題)を最後まで手を抜かずにやる、これしかありません。「一念(いちねん)、道を拓く」の信念の下、仕事(課題)をやり続けることで、自分にしか到達できない泉に出会うことができます。

11月24日(木) 川俣高等学校長

時の物差し

元東京工業大学教授の林雄二郎氏は、経済企画庁職員として、戦後日本の経済復興に係る三か年計画や五か年計画の策定に取り組んでいました。そして、友人である文化人類学者の梅棹忠夫氏から、「こういうことを今のうちにちゃんと考えておかないと、人類は間もなく大変なことになる。」との忠告を受けます。「間もなく」とは何年後のことか尋ねると、梅棹氏は真顔で、「5千万年後のことだ。」と答えたそうです。人は皆それぞれに、時の物差しを持っています。でも、その基準となる目盛りの幅には違いがあるようです。遠い将来に至るまで物事を考える人にとっては、千年刻みの目盛りからなる物差しが必要なのかもしれません。ちなみに、その話を聞いた林氏は、梅棹氏と同じ時間の物差しで考えることができるよう心がけることで、梅棹氏の話が世迷言や空想上のことではなく、現実味を帯びたこととして捉えることができたそうです。

11月22日(火) 川俣高等学校長

目標設定

目標を立てる重要性については以前にも話をしましたが、では、生徒の皆さんは、具体的にどのようにして目標を立てるでしょうか。SMART理論による目標設定を実践している企業があります。Specific(具体的か)、Measurable(測定可能か)、Achievable(達成可能か)、Realistic(現実的か)、Timely(期限が明確か)、という5観点を指標としたものです。目標は最高値に設定すればよいわけではありません。また、目標設定をすることがゴールでもありません。目標達成を何度も繰り返していくことで達成感や喜びを感じ、取り組んでいることに一層のやりがいを感じることこそ大切です。達成感や喜びを感じた生徒の皆さんの存在は、周囲にいる人も幸せにします。今日すぐにでも、何かに対する目標立案を図ってみませんか。

11月18日(金) 川俣高等学校長

心は人

ミヒャエル・エンデの「モモ」という小説をご存じでしょうか。登場人物のモモは、人の話を聴き、その魂の中にあるものを引き出す特異な才能を持つ少女として描かれています。モモと話をすると、自分の心の内を聞いてもらって心が安らぐため、多くの人がモモを訪れます。人は、何かを所有することよりも、人として穏やかに生きることの幸せを知るようになる、こうした内容です。でも、作者エンデは、「一人ぼっちで友だちがいないとき、モモは誰よりも無力。だからこそ、モモには友だちが必要。」とも話しています。モモは、人の心そのもの、なのかもしれません。心と心の交流を必要とする存在、それが人であるとすれば、人は心で生きる、と言えるのかもしれませんね。

11月17日(木) 川俣高等学校長

汗と涙

高校時代に陸上部に所属していたこともあり、三村仁司氏は大手靴メーカーに就職します。一層走りやすい靴を求めて研究したいという希望を持っていたものの、配属されたのは研究室ではなく製造現場でした。靴の底に糊を打ってアッパーをつける作業を、文字通り、額に汗しながら行い、次から次へと流れてくる製品に多く触れているうちに、理屈ではなく、靴作りの基本が自分の体に徐々に染み込んでいくのがわかったそうです。はみ出した糊を削ぎ取り、中敷きを入れ、紐を通すなど仕上げの作業にも従事するようになる頃には、靴と自分の間に距離感は全くなくなり、靴は自分の体の一部であるがごとく感じるまでになったそうです。瀬古利彦選手のシューズの担当となった縁で、三村氏は、瀬古選手の師である中村清先生と知り合い、大きな影響を受けられます。中村先生の「若いときに流さかった汗は、老いてから涙になって返ってくる。」という言葉を受け、若いときに汗を流せば流すほど、後にその結果が表れて喜びとなる、と、常に自らを戒め、仕事に取り組まれたそうです。

11月15日(火) 川俣高等学校長

条 件

目標達成のためには計画立案が大切と言われます。例えば、北海道旅行に行くと仮定します。今回の場合は、北海道旅行が目標となりますが、その過程の選択肢は、交通手段一つを取っても、新幹線や車、飛行機など無数にあります。加えて、道中、楽しんで北海道に向かうのか、最短で行くのかにより、選択する交通手段や経路、旅行に要する日数にも変化が生じます。このように、計画には多くの条件(時には制限)が伴います。まずは、自分の持つ、条件に関するカード(ここで言えば、新幹線や車、飛行機など)を正確に知ることが重要です。そして、その条件の中で有効なカードを使いながら、大きな成果をあげることができるよう取り組むことです。試験で目標とする得点を取ろうとする場合でも同様です。文法や英作文問題で8割以上の正答率をあげることを前提に、英語長文で7割の正解を得るよう学習を進めるなど、手持ちカードの熟知と有効活用、そして具体的な計画により、掲げた目標の達成率は飛躍的に高まります。

11月14日(月) 川俣高等学校長

話す

話の中で、「ていうか」という表現をよく耳にします。「というよりはむしろ・・じゃないか」という本来の使われ方から離れて、今では一般的に、話題の転換を図る際に使われているようです。また、「でも」という言葉は、相手の話を一応は否定しながら、相反することを話す際に使われるはずですが、「でも」の後で、逆説ではない内容が展開されることも多くあります。加えて、「アイドルなら、私は〇〇が好きです。」に対して、「でも、アイドルと言えば▢▢じゃないですか。」と切り返されると、否定を受けたようにも感じられますね。この場合は、「でも」を使うことなく、「そうですね。私は▢▢も好きです。」と返せば、意図は十分に伝わります。日本語は意思表示を曖昧にしたまま、ニュアンスで伝えることのできる言語とも言われています。であるからこそ、その使い方については、もう一度気をつける必要もありそうです。

11月11日(金) 川俣高等学校長

きしん

孔子の弟子である子貢が、井戸から水を汲み、瓶(かめ)に入れて何度も畑まで運ぶ老人に出会ったそうです。はねつるべなどの機械を使えば、わずかな労力で簡単に水を汲める、と忠告すると、その老人は、「機械を持っていると、機械を使う仕事(機事 きじ)が増える。機械に頼る気持ち(機心 きしん)も生まれて、自分はきっと、ますます機械に頼るようになる。そうなったら、私の心はどこに残るのだろうか。」と答えたそうです。「機事ある者は、必ず機心あり」という言葉が生まれました。チャップリンの映画「モダン・タイムス」にも、全てが機械化されていく現代文明に対する風刺が描かれていました。人の歴史は常に機械の発明や発展とともにあります。人類史を織りなしてきたもの、その一つは道具や機械です。身を守るため、生活を守るため、人は機械を作り出した一方で、機心がふくらむことで更なる労働要求がなされ、生活を一層忙しく感じるようになった一面もある、との指摘もなされています。ただ環境に流されることなく、人が本来携える精神を忘れずに意識しながら生きる必要性が高まっています。

11月10日(木) 川俣高等学校長

吹き出し

漫画に見られる吹き出しは、なぜあるのでしょうか。登場人物が話す内容を線で区切ることで、見やすくして読者に伝える側面はあります。でも、一見すると、それはまるで人の吐息のようでもあります。息を吐くことは、生物にとってとても大切なことです。緊張することを「息が詰まる」と表現するように、息が詰まったらリラックスはできません。無意識のうちに息を吸うことはできても、大きく息を吐くには敢えて意識する必要がある、そのくらい吐息は重要です。漫画の世界では、吹き出しによる、息を吐く場面ばかりがあります。漫画を読んで心がリラックスできるのは、登場人物の吐息を感じて、私たち読者も大きく息を吐いているからかもしれませんね。

11月7日(月) 川俣高等学校長

日本では古来より、丁寧に次への準備を進め、1回にすべてをかけて取り組む、との信念の下、行動する一面を持っていました。一度、墨(黒)を塗ったら元の場所へは戻ってはならない、とのこうした感覚を、原研哉氏は本の中で、「日本人の有する白」と表現しています。弓道の世界にある、1本目で当てることを意識しているからこそ、2本目の矢は持たない、といった習慣もまた、一期一会、1回にすべてをかけるという、覚悟にも似た価値観の表れです。全神経を集中し、全力で立ち向かう必要のある、こうした白の瞬間は、日常生活の中にも訪れます。生徒の皆さんは、今日、こうした白の場面に、何度遭遇しましたか。

11月4日(金) 川俣高等学校長

実 行

生徒の皆さんは物事に取り組む前に、失敗しないよう、必要以上に時間をかけてはいませんか。実行して失敗したら、すぐにまた実行する、というサイクルを速く回せることこそ、真の成功を収める近道とされています。失敗したとしても、即座に原因を追究し、改善を施す姿勢が大切です。「失敗したからといって、クヨクヨしている暇はない。」と、本田宗一郎氏も話しています。

11月2日(水) 川俣高等学校長

不易流行という言葉があります。不易とは変わらないことを指すのに対して、流行とは流れ動く、つまり変化を意味します。朱子学の思想が主な時代に生きた松尾芭蕉が、変化を好むことも頷けます。彼は、俳諧の世界に、積極的に連句を取り入れます。連句は、何人かの仲間と膝を突き合わせながら、前の人がつけた句に次の句をつけて答えるものです。次の人は前の句に新たな解釈を与えるので、その句は、前の句とは全く異なる変化を遂げることになります。近代文学を孤独の文学と称する人がいます。いわば個の文学に対して、松尾芭蕉は皆で作り上げる座の文学を取り込んだとも言えます。「秋深き隣は何をする人ぞ」からも、孤独を通じて人とつながろうとする、彼の、そして人の持つ本質が窺えます。

11月1日(火) 川俣高等学校長