令和4年度

2021年8月の記事一覧

継 続

生徒の皆さんは、初志貫徹の大切さについて、保護者の方から、また、先生方から多く聞いていることと思います。当初、興味を持って取り組んだことを、途中から何らかの理由により止めてしまう、このことを私がもったいないと感じるのは、少しでも興味を持ったことは、皆さんにとって間違いなく必要であった要素、その可能性が高い、ということなのです。その要素を身に着けることにより、皆さんが一層、スキルアップを図ることができたはずなのです。詩経にも、初志貫徹と同様の意味を持つ、「始めあらざるなし、克(よ)く終りある鮮(すくな)し」という表現があります。これまでに興味を持ったことを思い出してみませんか。そして、前回歩みを止めた場所から、再度歩き出してみませんか。今回、また途中で止めてもいいのです。次回にそこから始めて、最終的に全うすればよいのですから。皆さんには、十分すぎるくらいの時間があります。

8月17日(火) 川俣高等学校長

苦 労

生徒の皆さん、「なぜ自分だけうまくいかないのだろう」と感じた瞬間はありませんか。周囲は容易にできていることを、自分は四苦八苦しながら結局はできない。こうした苦労、これは、どこにでも落ちています。誰にでも落ちてきます。苦労の伴わない人生なんてない、こう考えれば、人という存在は、少しだけ悲しいけれど、でも、とても興味深いですね。道を歩いている人が皆、独自の苦労を携えている。そして、その苦労に立ち向かっている。いわば、人は、人生のドラマを持ち歩いているわけです。人は、一人ひとりが長い人生の主役なんです。

8月12日(木) 川俣高等学校長

自分の存在

以前に、落語家の三遊亭円楽さんが述べていたことを紹介します。

「父は折に触れ、私にこんなことを言っていました。機嫌のいいときには愚痴をこぼすな。言い訳は、自分を正当化するための心の弱さを世間中に言いふらすようなもの、ひがみは進歩の妨げだ。毀誉褒貶(きよほうへん)は世の常、人の評価は時が経ってからわかるもの。どうせなら大木になりな。風当たりは強いが、多くの人が雨宿りもでき、憩いの場所にもなる。」

8月12日(木) 川俣高等学校長

一日即ち一生

生徒の皆さんは、自ら立てた計画の下、夏季休業を過ごしていますか。本校は昨日8月11日より、3日間の学校閉庁日に入っています。でも、登校する、しないに関わることなく、その日を一生懸命に生きる、こうした取組の継続が大切であることは言うまでもありません。作家の城山三郎さんは、かつて次のように述べています。「僕は一日即(すなわ)ち一生、という言葉が好きです。毎日を一生の思いで生きる。今日一日が楽しかったか、もしも楽しくはなくても深く生きたか、それが大切なのではないでしょうか。人生は、思い出の総量ですからね。」

8月12日(木) 川俣高等学校長

じゅうたん

生徒の皆さんは、まだそうした年齢には達してはいませんが、ある程度年を重ねると、これまでの人生を顧みる機会が増えます。「あのときに、こうしておけばよかった。」という反省ばかりではなく、「あのときはうまくいった。」という経験など、様々なことが思い起こされます。そういえば、人生はその過程で、自分の体験や経験を織り込みながら作成されていくことから、まさに、自分自身のじゅうたん作りにもたとえることができます。経験や体験の中には、自分にとって厳しいものも含まれると思います。でも、じゅうたんは、人に踏まれて美しくもなります。

8月10日(火) 川俣高等学校長