令和4年度

2021年8月の記事一覧

ノイズ

スマホやパソコンによりインターネットを活用し、自分の興味のある分野について調べることが容易にできる時代となりました。ある特定分野の深化を図りやすくなった、とも言えます。一方で、専門分野以外のことで意見交換をするなど、興味・関心や知識の幅が問われる場面も以前として多くあります。その対応を可能にしてくれるもの、その一つが新聞です。新聞を広げると、自分の興味を持つ分野だけではなく、他分野の記事も同時に目に飛び込んできます。思いがけなく目にした記事が、自分の興味・関心の範囲を広げるきっかけになることもあります。ちなみに、勝手に入ってくる情報、このことをノイズといいます。

8月31日(火) 川俣高等学校長

国語力の向上

国語力の向上、これはコミュニケーション能力の向上にも結び付く大切な要素です。しかし、どうやってその向上を図るのかは難しく、一朝一夕ではいきません。それでも、ちょっとだけ意識を持てば、改善する余地はあります。たとえば、小学生の書く作文には、「今日は遠足に行きました。お花がきれいでした。楽しかったです。」といった風の文章をよく目にします。一見すると何の問題もなさそうにも思えるこの文章ですが、どこに手を入れるとよいのか。「今日はいつ?どこに遠足に行ったのか?どんな花が咲いていたのか?なぜ花をきれいと感じたのか?以前に見た何の花と比較してきれいなのか?どう楽しかったのか?」こうした要素を文中に入れ込むだけでも、遠足に参加していない人に伝わる情報は格段に増します。私たちは話す際にも、そして書く際にも、漠然とした印象を優先してしまうことが多くあります。正確な事実の伝達を心がけ、論理を組み立てながら話したり書いたりすることをとおして、日々国語力の向上を目指しませんか。

8月30日(月) 川俣高等学校長

人として

私たちは、人という一種族メンバーであることから逃れることはできません。また、物心つく頃には、多かれ少なかれ、家庭・社会環境などをとおして得たことにより、精神形成上の刻印づけがなされている、とも言われています。であるならば、私たちが人としてあるためにも、ラッセルのいう人類史のうち、解決されたとされる第一段階の「人と自然との闘いの時代」を顧みるとともに、第二段階の「人と人との関係の時代」、そして第三段階である「人が自分自身とどう向き合いかが問われる時代」の在り方について、真剣に考える時期にさしかかっているのかもしれません。

8月27日(金) 川俣高等学校長

タフでグローバルであれ

本校では8月24日(火)に始業式を行いました。その際に、生徒の皆さんに話した内容を紹介いたします。

生徒の皆さんに、「よりタフで、よりグローバルであれ」ということを求めたいと思います。はじめに、「よりタフ」であることについてお話をします。これは、知識を身に付けることに加え、社会で確実に通用する力を鍛え上げること、つまり、社会的なコミュニケーションの場におけるたくましさを意味します。生きる環境や言葉の違いを越えて、知識を人に伝え、一方で知識を受け取り、互いに論じ合うことのできる力を備えることは重要です。併せて、自分が正しいと思う道を突き進むこと、失敗に挫折することなく繰り返しチャレンジを続けていくこと、慣れない環境においても生き抜くこと、そして、自分自身の内面にある精神的な弱さを克服しようと努力すること、これらのタフさを備えることは一層大切なことです。その本質は、自分の能力を精一杯使うことで、物事に正面から向き合い乗り越えようとする姿勢、そして、それを維持していく姿勢にあると考えます。生活をしていく上では、計算や予測の不可能な事柄、不合理で理不尽に思える事柄など、数え切れないほどの課題や困難に遭遇します。そうした課題等に臆することなく、新しい道や解決法、新しい仕組みや生き方、そして新しいものの見方を見出すために、力の限りを尽くすことを厭わないこと、これこそタフである証です。タフな精神は多様な経験の中で培われます。人は、自分とは異なる知識や価値、生き方に出会うことで衝撃を受け、それをもとに成長します。異なるものに刺激を受けて、それを受け入れることもあれば、反発することもあります。反発するときにおいても、自分という存在を再確認できるので、そこから成長の芽が育ちます。次に、「よりグローバル」であるということについてお話をします。これは、国境なき時代に対応できる存在たれ、ということを意味します。専門知識や語学力を駆使して世界を飛び回り、活躍することも重要ですが、それ以上に、国際社会に目を向け、自分がこれまで生きてきた世界とは異なる考え方や異なる行動様式、価値観と触れ合い、刺激を受けるよう心がけることで、自分を成長させていくこともまた重要です。この点において、多様性に満ちたタフさを育むという先ほどの内容とも重なります。私たちはそのほとんどを、家庭や職場、学校など、限られた地域で生活しています。しかし、世界の動きは、予期せぬときに予期せぬ場面で、私たちの生活にも影響をもたらします。特に今日、あらゆる意味においてグローバル化が進み、国境という壁がますます低くなっていることを考慮すれば、単に1つの国、1つの地域という枠の中だけではなく、国境を越えた新しい協調の仕組み、新しい国際社会の秩序や文化、そこに生きる人の人生のスタイルや価値観を理解する能力を持つことが私たちに求められています。一方で、1つの地域の出来事が国際社会に大きな影響を与えることもあり得ます。生徒の皆さんには、地域貢献が国際社会への貢献にもつながる、という意識を持つとともに、次世代を担う中心的な存在になることを期待しています。

8月26日(木) 川俣高等学校長

優しさ

人生をとおして、常に勝者ではあり得ません。一方で、敗者になって、初めて知ることは多くあります。明るい場所から暗い場所を見るのは難しいことですが、暗い場所からなら、明るい場所も暗い場所も見ることができ、そして、広い視野も、また、それぞれの立場を理解する優しさも身に付きます。優しさについて作家である太宰治氏は、「その字のとおり、人の憂いを知る心」と述べています。

8月25日(水) 川俣高等学校長

今を生きる

昨日の24時間は過ぎ去っていて、もう戻ってはきません。明日の24時間は、まだ手にしてはいません。生徒の皆さんの手元にあるのは、今日の24時間です。この24時間をどう使うのか。例えるならば、今日を振り返ったときに手にした収支決算が、皆さんの努力の証です。さあ、本日より2学期の始まりです。

8月24日(火) 川俣高等学校長

目的のすり替わり

以前、ある大学で、ビーカーに残った過塩素酸を爆発させる事故が起こりました。本来であれば、専門業者をとおして焼却処分をするところ、処理費を惜しみ、廃液の入った容器のフタを開けて蒸発させ、廃液自体の容積を減らすなどしたことによるものであったそうです。そうすることで、たまたま、過去に複数回うまくいったことから、こうした行為が常習化したことによる事故でした。そもそも、目的は薬品を安全に処理することにあったはずですが、いつのまにか、薬品を完全に蒸発させることが目的となってしまっていたようです。こうした目的のすり替わりは、あまりよい結果を導くことはありません。たとえば、商品開発は世の中の役に立つことを目的とすべきところですが、商品がヒットすると、その商品を作り続けることが目的となってしまうケースも同じです。こうした目先の結果のみを追おうとする傾向は、柔軟な変化に対応できなくなる、という大きな欠陥をもたらすことにもなります。

8月23日(月) 川俣高等学校長

人 生

輝く20代を過ごそうとしたら、10代の積み重ねにより、そうなります。充実した30代は、20代で何をするかにかかっています。40代のために、30代で足りないと思われることを補充することも重要です。ただ待っていて、何かが起きる可能性は少なそうですね。

8月20日(金) 川俣高等学校長

失敗から学ぶ

生徒の皆さんは常に、失敗したらどうしよう、と思いながら何かに取り組んでいませんか。確かに、失敗した自分の姿を誰かに見られるのは格好いいものではないかもしれません。でも、創業時からずっと、すべてがうまくいっている会社はそうありません。ビジネスにピンチは訪れます。そのときに、知恵を出し合いながらチャンスに変えている、そうした会社もまた数多くあるのです。皆さんは、失敗しても悩まないでほしいのです。失敗とは、「こうやったらうまくいかない」ことを知る、最大のチャンスです。いっぱい失敗して転んだとしても、いっぱい立ち上がればいいのです。そもそも失敗は、何かに取り組んでいるからこそ生じます。むしろ、何事にも取り組まずに傍観する、ノープレー・ノーエラーこそ、意味のないことと思います。

8月19日(木) 川俣高等学校長

小志を抱け

遠くに目標設定をしてテキパキと歩みを進めることは大切です。一方で、近くの目標に向けて、自分の足元を注意深く見ながら歩くと、沿道に咲く小さな花や、どこからともなく流れてくる音楽、また、道のくぼみに満ちた、昨夜の雨に映る青空の美しさに気づくかもしれません。それは、大志を抱いて取り組むことと同様に、小志を抱きながらも着実に物事をこなしていく、この大切さに重なることかもしれません。

8月18日(水) 川俣高等学校長

継 続

生徒の皆さんは、初志貫徹の大切さについて、保護者の方から、また、先生方から多く聞いていることと思います。当初、興味を持って取り組んだことを、途中から何らかの理由により止めてしまう、このことを私がもったいないと感じるのは、少しでも興味を持ったことは、皆さんにとって間違いなく必要であった要素、その可能性が高い、ということなのです。その要素を身に着けることにより、皆さんが一層、スキルアップを図ることができたはずなのです。詩経にも、初志貫徹と同様の意味を持つ、「始めあらざるなし、克(よ)く終りある鮮(すくな)し」という表現があります。これまでに興味を持ったことを思い出してみませんか。そして、前回歩みを止めた場所から、再度歩き出してみませんか。今回、また途中で止めてもいいのです。次回にそこから始めて、最終的に全うすればよいのですから。皆さんには、十分すぎるくらいの時間があります。

8月17日(火) 川俣高等学校長

苦 労

生徒の皆さん、「なぜ自分だけうまくいかないのだろう」と感じた瞬間はありませんか。周囲は容易にできていることを、自分は四苦八苦しながら結局はできない。こうした苦労、これは、どこにでも落ちています。誰にでも落ちてきます。苦労の伴わない人生なんてない、こう考えれば、人という存在は、少しだけ悲しいけれど、でも、とても興味深いですね。道を歩いている人が皆、独自の苦労を携えている。そして、その苦労に立ち向かっている。いわば、人は、人生のドラマを持ち歩いているわけです。人は、一人ひとりが長い人生の主役なんです。

8月12日(木) 川俣高等学校長

自分の存在

以前に、落語家の三遊亭円楽さんが述べていたことを紹介します。

「父は折に触れ、私にこんなことを言っていました。機嫌のいいときには愚痴をこぼすな。言い訳は、自分を正当化するための心の弱さを世間中に言いふらすようなもの、ひがみは進歩の妨げだ。毀誉褒貶(きよほうへん)は世の常、人の評価は時が経ってからわかるもの。どうせなら大木になりな。風当たりは強いが、多くの人が雨宿りもでき、憩いの場所にもなる。」

8月12日(木) 川俣高等学校長

一日即ち一生

生徒の皆さんは、自ら立てた計画の下、夏季休業を過ごしていますか。本校は昨日8月11日より、3日間の学校閉庁日に入っています。でも、登校する、しないに関わることなく、その日を一生懸命に生きる、こうした取組の継続が大切であることは言うまでもありません。作家の城山三郎さんは、かつて次のように述べています。「僕は一日即(すなわ)ち一生、という言葉が好きです。毎日を一生の思いで生きる。今日一日が楽しかったか、もしも楽しくはなくても深く生きたか、それが大切なのではないでしょうか。人生は、思い出の総量ですからね。」

8月12日(木) 川俣高等学校長

じゅうたん

生徒の皆さんは、まだそうした年齢には達してはいませんが、ある程度年を重ねると、これまでの人生を顧みる機会が増えます。「あのときに、こうしておけばよかった。」という反省ばかりではなく、「あのときはうまくいった。」という経験など、様々なことが思い起こされます。そういえば、人生はその過程で、自分の体験や経験を織り込みながら作成されていくことから、まさに、自分自身のじゅうたん作りにもたとえることができます。経験や体験の中には、自分にとって厳しいものも含まれると思います。でも、じゅうたんは、人に踏まれて美しくもなります。

8月10日(火) 川俣高等学校長

「でも」か「では」か

生徒の皆さんは、夏季休業に入る際に立てた計画の下、目標達成に向けた歩みを進めているでしょうか。

さて、後に、今の自分よりもスキルアップを図ることができるかどうかは、「でも」か「では」かの違いである、と考えています。「今からでもできる」と思えば、進歩が見えます。一方で、「今からでは無理」と思えば、それまでのことです。生徒の皆さんには、「でも派」であってほしいと思っています。

8月10日(火) 川俣高等学校長

部活動(バドミントン部)

バドミントン部の皆さんです。部員数が少ないので、日々の練習から、顧問の先生方も一緒に取り組むなどして、その技術力の向上を図っています。随時、生徒対教員によるダブルスの試合を行いますが、やはり圧倒的に、生徒チームの勝利の場面が多いようです。先生方の現在の目標は、試合中に生徒に走り負けないこと、だそうです。福島は連日35度を超える猛暑であり、加えて、体育館の中は一層過酷な環境にありますが、シャトルを追いかける生徒と先生方は、実に楽しそうです。 

8月2日(月) 川俣高等学校長