令和4年度

校長より

長 考

将棋の十五世名人大山康晴氏が、対戦中に長考をするのはどんなときか、と問われた際に、うまくいきすぎているとき、と答えています。守りの大山とも称される彼は、物事とはそれほどうまくいくわけもないのに、順調に事が進んでいるときにはどこかに落とし穴がある、と、常に警戒していたようです。そして、誰にでも山と谷があり、山は高ければ高いほど良いけれど、谷の深いのは最も避けなければいけないので、谷をできるだけ浅くするよう、予め様々な手立てを考えている、とも話しています。一方で、一瞬のうちに、現在、過去、未来が頭をよぎるのだそうです。プロ棋士の頭の中には、かつての名人の棋譜が記憶されており、現在の局面を眺め、過去の棋譜から類推して未来を読むのだそうです。一見穏やかにも見える盤上には、現在、過去、未来が混在する状態になっているんですね。盤上では、まさに人生模様が展開されているとも言えます。

6月9日(金) 川俣高等学校長

書き手の思い

世の中で起こっていることを知るには、新聞やテレビ、ネットが重宝されますが、世の中で起こっていることを理解するには、本を読むことが求められます。情報の新鮮さを求めるならネット等の活用による一方で、情報の信頼度など体系的な内容を求める場合は本、とも言えます。本には、書き手によって精査され、分析された情報が書かれているため、土台となる基礎知識を容易に身につけることができるなど、書き手の思いが込められています。現段階で基礎知識のない分野でも、予め本を読んで下地を作っておくことで、後に大きな差が生じます。

6月8日(木) 川俣高等学校長

物 流

江戸時代には、武士の家に出入りする町人などが武士に対して、干魚や昆布、片栗粉など、比較的長持ちする献進物を届けていたそうです。多くもらい過ぎて余ってしまうために、武士から献進物の残りを引き取る献残屋(けんざんや)という商売があった、と、喜多川守貞の著に記されています。献残屋は引き取った品を御用達(ごようたし))に売り、その御用達は、必要とする武士や町人に売っていたとされますから、ある意味、滞ることなく物流が実践されていたとも言えます。でも、自分が届けた献進物が、ぐるっと回って自分の手元に戻ってきたこともあったのかな、と想像すると、少し落語的感覚にも陥ります。

6月7日(水) 川俣高等学校長

干 支

年末や年始など限られた時を除き、私たちの日常生活の中で干支を意識する瞬間は少ないかもしれませんが、一年中、干支を身近に感じる地域があります。宮崎県延岡市にある北方町(きたかたちょう)です。子丑寅卯と、ほぼ時計回りに地区内が12区分されています。明治22年にこうした区分に決まったといいますから、かなりの歴史を持ちます。かつて、「日本唯一干支の町」をキャッチフレーズとして町起こしに取り組み、十二支の文字が入った街灯や絵入り標識などを設置したりしました。12地区全てを回って印をもらうスタンプラリーも行われたそうです。大晦日に行われる干支祭では、実際の牛を連れてきて、子年からの引継ぎ式を催したこともあったそうですが、想像上の動物である辰のときにはどうしたのか、少し気にもなります。

6月6日(火) 川俣高等学校長

場 面

指揮者井上道義氏が若い頃、イタリアのシシリー島を訪れて、半円形劇場で野外音楽会を開催したことがあったそうです。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第二楽章が終わる直前に、突然の停電が発生します。街中の灯が消えてしまい、周囲は全くの暗闇と化し、見えるのは空に煌々と輝く月のみ。そのとき、客席の一人から、ベートーベンの『月光の曲』のリクエストがありました。譜面もなければ練習もしていない、手元すら見えない暗闇の中、果たして演奏するべきか一瞬悩んだそうですが、『月光の曲』の演奏にこれ以上のお膳立てはない、不意の停電の思いがけない贈り物と考え、演奏を決意します。楽団員も皆、頷いて演奏の準備を整えていました。時々、音をはずすことはあったものの、それは心に染み入る名演奏であった、と、井上氏は話されています。もしかするとそれは、運命が予め準備していた場面であったのかもしれません。

6月5日(月) 川俣高等学校長

邪 念

札幌市資料館入口に、右手には秤を、左手には剣を持った法の女神像が設置されています。そして、正義の象徴として飾られたこの女神像は、目隠しをしています。もともとはギリシャ神話やローマ神話に登場した女神を表したとされるこの像は、欧米にも似たようなものがあるそうですが、目隠しをしている像もある一方で、していない像も存在します。目隠しは、余分なものを見ることなく心の眼で裁く、という信念を表現しているとも言われています。そういえば、江戸時代の京都所司代であった板倉重宗氏は、障子を隔てて人の訴えを聞いたそうです。人の顔を見てしまうと、つい、ひいきの感情が芽生えることもあるため、それを避ける手段だそうです。目以上に心眼は、深く広いところまで見通すことができます。

6月1日(木) 川俣高等学校長

趣 味

北海道函館に眼科を開院している方がいらっしゃいます。彼が若い頃、東京大学医学部に眼科医局員として入局する際に、同じく開業医をしていた父が、息子をよろしく、という意味を込めて、予め医局に手紙を送っていたそうです。そこには、自分の子どもを謙遜して使う愚息と同意の言葉、豚児が使われていたので、仲間は親しみを込めて、豚児来る、と黒板に書き、温かく迎え入れてくれたそうです。あだ名はトンジになりました。紹介を受けて結婚をされた相手の方が、あだ名にちなんで、最初のプレゼントとしてブロンズ製の豚を模(かたど)った貯金箱をお贈りになり、それがきっかけとなって、豚に関するコレクションを始めます。イギリスでは、紳士の国らしくネクタイを締めた置物、オランダでは素朴な麦わら細工、スペインでは革製の作品、イタリアではベネチアングラス製のものを購入するなど、今では1万を超えるまでになりました。しみじみと眺めると、それぞれに味がある、というのですから、趣味がもたらす幸福感は大きなものです。でも、これだけ多くのコレクションになっても、一番大切にしているもの、それは、お亡くなりになった奥様から、最初にいただいた貯金箱だそうです。

5月31日(水) 川俣高等学校長

背 景

香りの漂う空間は居心地の良いものです。香りには気分をリフレッシュさせてくれる一定の効果があり、加えて集中力が高まるとも言われています。小さく音楽を流すバックグラウンド・ミュージック(BGM)に対して、バックグラウンド・フレグランス(BGF)と呼ぶこともあるようです。企業によっては、出勤時には気分をスッキリとさせるシトラス系、勤務中には集中力を増すと言われるフローラル系、退勤時間頃には疲れを癒すと言われるウッディ系など、香りの使い分けをしているところもあるとも聞いています。大学の研究により、香りの中でパソコンを打つ作業をしたところ、打てる文字数は14%増加し、一方で、エラーは21%減少したとの報告もあるから驚きです。香りと上手に付き合うのも楽しそうです。

5月30日(火) 川俣高等学校長

当事者意識

歴史を学習する上で大切なこと、それは、その時代をよく知りたいと思うことだそうです。そして、現在放送中の大河ドラマのタイトルにもあるように、その時代に居合わせたとすれば、どうする自分、と考えることも大切なことの一つだそうです。教科書に、モールス信号が発明された、と書かれていたとします。そうなんだ、としか思わないとすれば、それまでですが、その時代は情報を届ける手段が手紙中心であったことを考えると、その発明が日常生活にもたらす劇的な変化を感じ取ることができます。もしかすると、現代に生きる私たちには計り知れない価値を、その時代の人は感じたことと思います。自分がその時代に生きていたらどうするか、この歴史の当事者意識については、かつて大学入試にも出題されたことがあるほど、興味深いテーマです。

5月29日(月) 川俣高等学校長

今の自分

人は、過去を考えると後悔します。未来を考えると不安になります。人は今にフォーカスを当てるようできているようです。でも、今の自分が、他者の顔色をうかがったり、他者比較ばかりするなど、他者の人生を歩むような姿勢を持つことを、最もしてはいけないこととアルフレッド・アドラーは指摘しています。では、どう生きればよいのか。自分の意見や考えを適切にアウトプットできることが大切です。普段から、考える時間と相談相手を見つけるとともに、場面に応じてメモを取るためのノートを持ち歩くことを勧める人も多くいます。一日で劇的な変化は生じませんが、小さくとも、やれることを必ずやることの積み上げは、徐々に正の変化をもたらします。間違いなく、他者のそれではなく、自分の人生を歩むことができます。

5月26日(金) 川俣高等学校長