令和4年度

校長より

噺家(はなしか)の桂歌丸氏が、かつて語った言葉です。「弟子に噺を教えることはできるが、間(ま)を教えることはできない。噺家は、早く自分の間を拵(こしら)えた人が勝ちです。」ここでいう間とは、単に一定の時間を取ることを意味するのではなく、独自に作り上げたやり方のこと、と思っています。自分に合った間は、知識の習得にも応用できます。たとえば、先生方から授業で教えていただいた知識をそのままノートに写すのではなく、自分の解釈を加える工夫により、自分のものにすることができます。間を挟むことで、単色であった知識が、色彩溢れる魅力あるものに変わります。

5月23日(月) 川俣高等学校長

わかる

何かについて「わかる」ためには、「分ける」ことが大切だと言われます。すべてがわからない、ということはないので、何がわかり何がわからないのか、分けながら考えることにこそ意味があります。そして、分けながら考える分析的習慣が身につくと、その過程で解決してしまう課題も多くあります。理解の深化を図るためにも、私たちは常に、分ける意識を持つ必要がありそうです。

5月20日(金) 川俣高等学校長

読解力の精度

『名探偵コナン』をご存じの方は多いと思います。小五郎さんは、数少ない証拠をもとに、即座に、そしてかなり勝手に話を創ってしまい、誤った方向に進むことがよくあります。一方で、コナン君は、じっくりと証拠を集めて、それを合理的に組み上げる作業をします。小五郎さんが話を「創造」してしまうのに対して、コナン君は、「想像」はしても「創造」はしません。その根本的な違いは、どこにあるのでしょうか。それは、対象からの視線の切り方にあると思います。小五郎さんは、すぐに現場から目を離します。つまり、すぐに視線を切ってしまうのです。コナン君は、現場を徹底的に見るので、なかなか視線を切ろうとしません。だから、真実が見えるのです。読解力を問われる文章を読み込む際にも、この視線の切り方により大きな差が生じます。生徒の皆さんも、今度文章を読むときには、すぐに視線を切ることなく、また、思い込みによる創造をすることなく、じっくりと文を読み込んでみてください。これまでには味わったことのなかった深い領域まで、文の中に踏み込めるはずです。

5月19日(木) 川俣高等学校長

分 類

図書館を利用すると、自分の見つけたい本を比較的容易に探すことができます。日本十進分類法により、整理・分類されているのがその理由です。森清氏が、海外の十進分類法を基に生み出したこの分類法は、1から9までの数字に当てはめた哲学や歴史、社会科学などの「類」を作り、その類を10個の「綱」に分け、さらにその中を「目」に分けるなど、体系的な分類となっており、そのことが、本を管理する図書館側にも、利用者側にも優しい環境を生み出すこととなりました。私たちも、頭の中でよく物事を整理し分類します。その秩序を保つよう努めることは、生活の上でも非常に重要なことです。

5月18日(水) 川俣高等学校長

江戸時代の寺子屋で、教科書として使用された「実語教」の中に、「水は方円の器に従い、人は善悪の友による」という表現があります。水は入れ物の形に応じて、四角にも丸にもなるのと同様に、人は交わる友により変わる、というものです。人の友は、人とは限りません。自分の身近な存在、たとえば、本や花、動物なども友です。自分が無意識のうちに向ける目線の先によくあるもの、それが友です。自らの可能性を広げ、高めてくれる友の存在に感謝するとともに、その存在を、いつまでも大切にする必要がありそうです。

5月17日(火) 川俣高等学校長