令和4年度

折れたバット

阪神電鉄の取締役であった山崎登氏は、従来の枠からはみ出して行動することでも知られています。スキー場や植物園、遊園地や園芸部門など、会社の手掛けるあらゆる部門で業績を積み、甲子園球場のグランド整備を担当していた時期もありました。その当時、阪神タイガースの4番は掛布雅之氏でした。読売巨人軍を甲子園に迎えた3連戦は既に2敗し、最終戦もリードを許す展開の中、終盤に1アウト満塁で掛布氏に打順が回ります。当時掛布氏は、長くヒットやHRの出ない不調の時期にありました。多くのタイガースファンが逆転満塁HRを期待する中、打球はボテボテのセカンドゴロ、併殺で攻撃が終了します。その打席のときに1本のヒビが入ったバットは、試合終了後に1塁側ダグアウトにそっと立てかけて置かれていたそうです。山崎氏は球団に許可を得て、そのバットをもらい受けます。「人生なんて恰好いいことばかりではない。失敗と挫折の連続なんです。」後に山崎氏は、そう話します。そのバットについても、「夢が断ち切られ、ボテボテの併殺打でバットが折れる。でも、そのほうが、よほど現実の人生を反映している。」とも話します。山崎氏は、練習の虫と称される掛布氏の陰の努力を知っているのです。ちなみに、一時のスランプを脱した掛布氏はその後、HRを量産し始めます。苦しいことや思い通りにいかないとき、山崎氏は必ず、そのバットの前に立つのだそうです。

10月6日(金) 川俣高等学校長