令和4年度

心を無にして物事に向き合えば、今まで見えなかったことも見えてくる、と言います。無とは、具体的に私意を離れ無私になることを指し、多く武道に関わる際に使われますが、文学に対する心構えにも使われる場合があります。松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ、という松尾芭蕉の言葉があります。思い通りにしようとして、たとえば自ら竹に光を当てるような行為を慎むべき、との教えとされており、それが無の境地に通じます。ちなみに、無とは自分色を一切なくすことを意味してはいません。無であるがために周囲との一体化を図ることができ、その瞬間に、潜在化していた真の自分に出会えるのだそうです。生徒の皆さんの中にも、自分では気づいていない真の自分が潜んでいます。その魅力を引き出すために、心穏やかになる一時を過ごしてみませんか。

10月4日(水) 川俣高等学校長