令和4年度

校長より

令和5年度卒業証書授与式 式辞

 ただいま、卒業証書を授与されました皆さん、卒業おめでとうございます。
 さて、皆さんが入学式を迎えた日、教室の黒板一面に、チョークで絵が描かれていたことを覚えているでしょうか。本校でこれから学ぶ皆さんのことを思い、担任の先生が心を込めて、数日間かけて完成させた作品です。そして、その思いの下、今、皆さんはここにいます。
 皆さんには、川俣高校での数多くの思い出があると思います。川俣町と合同で開催した公開文化祭のときには、多くの地域の皆様にお越しいただく中、お化け屋敷を企画し、楽しんでいただくことができました。かつて川高生だったときに企画したお化け屋敷以上に、格段にクオリティーが高かった、と感動して帰路につかれた本校卒業生の方の話が、今でも印象深く残っています。また、修学旅行はどうでしょうか。日光・鬼怒川、那須高原で過ごした3日間は充実したものであったと思います。地元農家の方々のご指導の下、一から野菜作りに励み、数か月手塩にかけて大きく育て、地域の方々をお招きして行った収穫祭もまた、良き思い出ではないでしょうか。加えて、学習活動や探究活動に積極的に取り組んできた皆さんが卒業することに、教職員一同、大きな寂しさを禁じ得ません。一方で、別れは新たな旅立ちでもあります。皆さんが、これからの人生を歩んでいくうえで、大切にしてほしいことについてお話をします。
 まず、常識を疑う目を持ってほしいと思います。常識とは、社会的に見て当たり前とされる行為、及び、普通の知識や思慮分別のことを指します。そして、私たちは、常識をとおして行動を起こすことにより、一定の安心感を得ています。一方で、この繰り返しのみなされてきたとすれば、現在の発展は生じなかったかもしれません。独特の観点を持つ人がいて、常識の矛盾に目を向け、勇気をもってその改善を図ろうとする取組を続けたからこそ、今の社会がある、とも言えます。新しいことに取り組もうとするとき、最初は常に少数派です。皆さんには、今、目の前にある、一見すると合理的とも思える概念が、時や状況の変化に伴い、将来において変わる場合もある、ということを念頭に置いてほしいと思います。そのためにも、日々の生活の中で、なぜ、と自らに問う姿勢を持ち続けてください。私たちの先達がそうであったように、なぜ、の気持ちは、皆さんが今、感じている疑問を解くための大きな力を与えてくれます。
 東京大学の元総長 小宮山宏氏は、次のようにお話されています。「誤った常識を覆すためには、まず常識を疑うことが不可欠です。学問の世界にも常識は存在します。そして、学問発展の歴史は、学問の根底にある常識を疑い、覆し、新たな常識を作り出してきた歴史でもあるのです。」
 次に、人との関わりを大切にしてほしいと思います。人は、人を思い成長し、人に思われ喜びを感じる存在です。被災県である本県が13年前の東日本大震災から学んだことの一つ、それは、人は周囲に支えられ存在する、ということであったとも思います。先を見通すことのできない状況下にあった当時、一本の電話をとおして、本県に寄せられた、全国からの温かい思い、一枚の手紙をとおして寄せられた、心のこもった励ましの言葉があったからこそ、私たちは頑張ることができました。そのことを忘れることなく、その大切さを、今後も継承していく気持ちを持ち続けてほしいと思います。
 加えて、人と関わる中で、皆さんの持つ個性の在り方についても深く考えて欲しいと思っています。個性、その彩る側面について話されたのは、染織家の志村ふくみさんです。先天性の性質を持つ経糸(たていと)に、後天性の緯糸(よこいと)をとおすことで、織物に特色が生まれます。それこそ個性です。ひたすら一つの色を織っていたとしても、そこには自然に多様な色が含まれる、としています。皆さんは、これまでにも、意図的に、時には無意識のうちに、様々な色を取り込みながら人生という織物を織り続けてきました。そして、自分の個性、言い換えれば自分色の確立に努めてきました。その営みは、これからも続きます。様々な知識を習得していくことで、また年齢を積み重ねることで、折に触れ、その色は変わっていくことと思います。でも、覚えておいてほしいこと、それは、皆さんの持つ個性は、常に輝いている、ということです。
 保護者の皆さまにおかれましては、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。卒業生は、この4月より、自らが選んだ道を歩むことになります。新たな人生の始まりに対して、ご家庭での温かい励ましをお願いいたします。また、本校入学以来3年間、教育活動について、格別の御支援、御協力をいただき、ありがとうございました。教職員一同、厚く御礼申し上げます。これからも、本校の発展を見守っていただくとともに、変わらぬ御支援と御協力を賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 結びに、卒業生の皆さんが、川高生としてのプライドを持ち続け、輝き続けてくれることを願うとともに、本校川俣高等学校は、今後とも永遠に、卒業生の皆さんの、心の拠り所としてある、ということをお約束し、式辞といたします。

モンテーニュはキケロとの友情を、『我々の友情は、それ自体に何らの模範も持ってはいない。ただただ自己に拠るばかりである。』と称しました。友情に関しては外部の規範も手本も不要であり、そこに必要とされるのは自己の持つ意識のみ、とも読み取ることができます。相手を信じる中で友情は育まれます。親友(しんゆう)は信友(しんゆう)とも表現できるのかもしれません。3年生の皆さんは本日、卒業証書授与式を迎えます。本校で学んだ3年間で、友と呼べる存在を見つけることができましたか。管仲に対する鮑叔の深い信にも通じるような友がいたとしたら、それだけで皆さんは幸せ者です。卒業おめでとう。

3月1日(金) 川俣高等学校長

為すべきこと

高村光太郎詩集に、『牛はただ為(し)たい事をする 牛は為た事に後悔をしない 牛の為た事は牛の自信を強くする(一部抜粋)』という一節があります。牛に例えた存在は、何事かに専念する人の姿、との捉え方もあります。何かに取り組めば成果があるので、自分の「為た事」が自分に大きな自信を与えるのは確かなようです。ここで重要なことは何か、それは、することです。行動を起こすことこそ、自信を勝ち取る近道です。ある程度、予定を立てることも大切である一方で、頭で考えている間は、事は進みません。生徒の皆さん、自分の手でものを掴もうとしてみてください。その際に課題が生じたら、工夫すればよいのです。学習をしているときにせよ、将来仕事に就いたときにせよ、課題という存在は皆さんを一層大きく成長させてくれます。

2月29日(木)川俣高等学校長

幸福の追求

中世末からルネサンスにかけて、なぜ人は独創的になれたのか、人が人として生き生きと過ごすことができたのかについて、フェーブルが1925年に書いた『フランス・ルネサンスの文明』の中では、『comfortという言葉に含まれる利便や物質的安楽、つまり、指先で押すだけで点いたり消えたりする照明、季節と無関係な室温、自由自在に流れ出る熱湯や水、これら全てが我々を縛り、我々を捉えている。』と述べられています。そして、こうした意味において16世紀に生きた人は自由だった、とも書かれています。人は豊かな生活を求めます。その追求の過程において、人の手により多くのモノが開発され、私たちの生活に彩りを添えます。一方で、そうしたモノに強い拘束を受けることは、本来の幸福という側面からは離れてしまうこともあります。生徒の皆さん、皆さんが日常的に手にするモノ、触れるモノを主体的に活用していますか。生活の主人公は皆さんです。

2月28日(水) 川俣高等学校長

根気よく

アランは、『教育論』の中で次のように述べています。『長年にわたり、誰が優秀であり、誰がそうではないのかについて、私は嫌と言うほど耳にしているが、人の持つ精神をこんな風に軽々に判断することが最悪の愚行である、という気がする。たとえ人から凡庸と見なされようとも、順を追うて進むなら、幾何をマスターできない人はいない。諸々の困難も同様である。根気のない者には打ち克ちがたいことではあっても、辛抱強く、一つずつ考えていく者にとっては、何でもないことである。結果は、長い学習のあとでなければ出てこない。』アランは、知性に段階を付けることはできない、とも話しています。生徒の皆さん、興味あるものに長く取り組むとともに、思いっ切り深入りしてみるのも、結構面白い体験です。

2月27日(火) 川俣高等学校長