令和4年度

校長より

数的根拠

相手に説明をする際に、具体的な数字(数値)を示すことで説得力が増すことはよくあります。では、経済的効果として、5000万円、50億円、5兆円と3つの数字が示されたとします。5000万円と50億円には100倍の差があり、また、50億円と5兆円には1000倍の差があることを、瞬時に把握できるでしょうか。このように、その数字(数値)に納得したように思えても、その実態を正確には捉えられない理由の一つに、あまりにも大きな数字や数値に対して、人は数の無感覚に陥る、と指摘する人もいます。一方で、想像以上の数字(数値)になることを知り、後に驚く場合も多くあります。100枚の紙で1㎝の厚さになることを前提として、その紙を半分に折り2枚に、それをまた半分に折って2枚を4枚にすることを50回繰り返すとすれば、その厚さはいくらになりますか、という質問に対して、生徒の皆さんが瞬時に描く答えの数は何でしょうか。間違いなく、頭に浮かんだ数よりも驚くほど大きな数になるので、試しに計算してみてください。だからこそ、数字に魅力を感じる人が多くいるのかもしれませんね。

5月25日(木) 川俣高等学校長

真 情

人は人との繋がりにより存在しているので、孤独を嫌う傾向にあります。でも、自分自身と向き合う瞬間は、誰でも孤独です。では、孤独の状態の中、できることは何なのでしょうか。自分のあるがままの思いを、自分自身に率直に伝えることができます。そして、そうする勇気を培うことができます。世にある尺度によりランク付けにこだわる以上に、自分の真情に忠実で、それを信じようとする姿勢は貴重です。その真情こそ、いざというときに自分を守ってくれもします。ドイツの作家ノサックは、「いかに悲観論が強くても、私はやはり、誰かが自分に真情を吐露してくれる人を待っている人間、そして、真情を吐露するのを容易にしてくれる人を待っている人間が、現在も将来も必ずいる、という信念を捨てきれない。」と書いています。

5月23日(火) 川俣高等学校長

幸福感

生徒の皆さんは、どのようなときに幸せを感じるでしょうか。購入したいものが手に入ったとき、あるいは、目指していたことを達成したときなど、人によって違いはあると思います。作家の尾崎一雄氏は、長く寝たきりの療養生活を送りながら、病からの回復を図り闘った方です。彼は次のように書いています。「寝床から抜け出し縁側に出る。激しい勢いで若葉を吹き出している庭前の木や草をしげしげと眺める。自分は、今生きて、ここにこうしている。こういう思いが、これ以上を求め得ぬ幸福感となって胸をしめつける。心につながるもの、目につながるものの一切が、しめやかな、しかし断ちがたい愛惜の対象となるのも、こういう時だ」と。

5月22日(月) 川俣高等学校長

知らない自分を知る

「私はそこを立ち去りながら、独りこう考えた。とにかく自分の方があの男よりも賢明である、と。彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、私は少なくとも、自ら、知らぬことを知っているとは思っていない限りにおいて、あの男よりも知恵の上で少しばかり優っている。」これはプラトン著『ソクラテスの弁明』に書かれた一節です。知らないことを、知らないと話すことに人は躊躇することがありますが、全く恥じることはありません。知らなければ、知るように心がければよいだけです。むしろ、知らないと表明した方が、思いっきり人に聞くこともできます。併せて、知らない自分に目を向ける勇気を持つことも大きな意味を持ちます。数日後、数か月後、数年後に、大きな差が生じます。

5月19日(金) 川俣高等学校長

褒める

小学校になっても学習に目を向けない我が子を思い、母親は担任の先生に相談します。するとその先生は、家に伺って勉強を見る約束をしてくれました。その少年の家を訪問する先生への感謝の気持ちを込めて、母親は毎回夕食として、メザシとニンジンの煮つけ、ホウレンソウのおひたしを出したそうです。先生から過剰なまでに褒められることで楽しくなり、学習習慣が定着するとともに、いつも美味しそうに食べる先生の様子を見て、その少年も、苦手としていたメザシやニンジン、ホウレンソウを食べることができるようになります。その少年の名は松平康隆さんといいます。身体の弱かった松平さんは、心の中で自分を自分で褒めることでバレーボールに継続して取り組み、大学日本一にもなりました。全日本男子チームの監督に就任すると、1972年ミュンヘンオリンピックで金メダルを獲得します。自分も褒められて成長した、選手のことも褒めに褒めて才能を伸ばすことを心がけた、そう語ったのは、還暦を過ぎた頃に受けた取材の時でした。金メダルを獲得し帰国した松平さんに、小学校時の担任の先生、高橋泰四郎先生から連絡が入ります。松平さんが、当時美味しそうにメザシを食べていた先生の姿が忘れられない旨、話をすると、高橋先生は、山奥出身のためメザシを見るのも食べるのも初めてで、どちらかといえば苦手ではあったものの、我が子の偏食を直したいという母親の意をくんで食べていた、と話されたそうです。指導者が見せる姿には、かなりの奥の深さがあります。

5月18日(木) 川俣高等学校長