令和4年度

校長より

団 子

3月末から4月にかけて奈良の薬師寺では花会式(はなえしき)が開催されます。平安時代から永く続くこの行事では、金堂が和紙で作られた色鮮やかな造花で埋め尽くされ、薬師如来を祀る須弥壇(しゅみだん)周辺には、丸餅が積み上げられ、その上に灯明が置かれます。造花には、桜や山吹、牡丹など10種類の花が揃い、茎のところには竹を、また花芯にはタラの木を使うなど手が込んだものとして知られています。また、和紙には紅花やくちなしが使用されていて、かつては、その和紙を持ち帰り、煎じて飲むことで血行をよくしたり、胃腸を整えるなどしたともされています。当時は、1つの行事が生活に深く結び付いていたことがよくわかります。ちなみに、花会式が終わると造花は参加した方々に配られますが、中には、造花よりも丸餅など食べ物を所望した方も多くいたようです。花より団子、という表現はここから生じた、と、薬師寺管主 高田好胤師がかつて話されていました。

3月29日(金) 川俣高等学校長

健康維持

健康を維持するためにマラソンを取り入れている方が多くいます。そもそも、人はなぜ走るのでしょうか。太古の時代まで遡れば、敵から逃れるために人が走ることは必要であったとも思います。でも現代では、敢えて自らの身体を動かさずとも移動することは可能です。研究者の中には、走る能力があるということを繰り返し確認するために人は走る、としている方がいます。馬は時速70キロ、チータは時速110キロで走ると言われています。人は速くても時速40キロ程度ですので、単純比較すると誇れる値ではありません。でも、人以外は長い距離を走ることはできないのです。ちなみに、チータが最速で走るのはほんの数秒間と言われています。しかも、チータには速く走る目的があります。そう考えると、多くの人がマラソンに関わるのには、自分の持つ、走れるという優れた能力に気づいた喜びから走るのだ、とも言えます。本能で走る他の動物に対して、人は考えて走る唯一の動物なのかもしれません。

3月29日(金) 川俣高等学校長

いかに生きるか

科学技術の進歩は、快適さや利便性の飛躍的向上を可能とするなど、私たちの生活に大きな影響を及ぼしました。でも、一方で、人としての向上に繋がったのかについては、まだ、明確な回答段階にはないようです。いかに生きるべきか、という人の持つ永遠の命題は、解決されることなく残っているようにも思えます。むしろ、自己に向かい合う時間は、以前よりも限られているのかもしれません。私たちは常に学んでいます。学びの本質とは、知識の習得以上に、いかに生きるかについて知ること、という方も多くいます。生徒の皆さん、一日のうちで少しでも時間を作り、自らについて考えてみるのもいいのかもしれません。

3月28日(木) 川俣高等学校長

ルール作り

様々なルールが作られるには、その国や地域の事情が大きく影響しています。1960年代のサンフランシスコでは、朝の時間帯に限り、金門橋を渡り市内に入る車からは通行料を取らず、夕方の時間帯に橋から出る車に2倍の通行料を課したそうです。その背景には、深刻な交通渋滞があったようです。帰宅時間が分散する夕方と比較して、車が集中する朝に一台ずつ車を止めて通行料を取っていることが渋滞の大きな要因の一つと考えた担当部局が、通行料を部分的に無料とする規則に係る住民投票を実施します。その結果か注目されましたが、圧倒的多数で規則は支持を受けることとなります。誰にでも小さな不利益は生じる可能性はありました。でも、交通渋滞解消という大きな目的のために多くの人が納得した、といいますから、その判断には多少驚かされます。価値観が大きく異なる中においても一致点は見い出される、という事例とも言えます。

3月27日(水) 川俣高等学校長

教 養

今では普通に使用される文中の「、」や「。」ですが、奈良時代や平安時代に一部使用されるまで、日本では、文字を表記する際に、「、」や「。」を書かない習慣が永く続きました。挨拶文中にはこうした記号を入れないのは当時の慣習によるもの、ともされています。少なくとも、手紙のやり取りをしていた当時の方々には、長い文でもちゃんと読むことができていたわけです。文の切れ目が明確にわかる記号を敢えて使わなかったのには、そうしなくても、受け手を、文脈を読み取れる教養人として捉えていたことを示す一つの手段だった、とする説もあります。言葉や表現法は時代背景により変化します。今、私たちが普通に使用していることが将来の人にとっては?、という場合もあり得ます。

3月25日(月) 川俣高等学校長

スピーチ

日本人のスピーチは、「高いところから皆様にお話しする無礼をお許しください。」など、多くの場合、お詫びから始まります。一方で、アメリカの方はジョークから始めるケースが多く見受けられます。これをCracking the ice(氷を砕く)と表します。国民性と言ってしまえばそれまでですが、場を和ませる観点からすると、ジョークの必要性は高いと考えます。アメリカの方はいつでもジョークを使うことができるよう、普段からその在庫作りに励んでいるようです。一流とされるアメリカのビジネスマンが、面白い話を耳にするとすぐにメモを取る姿もよく見られます。ある日本人がスピーチの冒頭で、「私にはジョークの持ち合わせがありません。ジョーク抜きでスピーチを始める非礼をお許しください。」と話したのを聞いて、それがジョークと思い込んだアメリカ人の方々が大いに受けた、というエピソードすらあります。自らの主張がうまく相手に伝わるかどうか、それはスピーチの入り方にも左右されます。

3月22日(金) 川俣高等学校長

ストレス

南米エクアドルのビルカバンバは長寿村として知られています。出生時の記録が曖昧な点もあり、正確な年齢とは言えない側面もあるようですが、100歳を有に越えていると思われる多くの方々が、元気に畑仕事をされています。高地にあるため空気が澄んでいることに加え、緑も豊富なため、元気が維持されるとも言われています。また、フェステとシエステと呼ぶ、お祭りと昼寝を好む方々のようで、聞いただけでも健康に良さそうです。一方で、長寿の秘訣として台風の存在を挙げる研究者もいます。台風による気圧の変化が身体に与える影響、及び台風に備える心理的影響は大きいとの指摘をよく耳にしますが、赤道付近で発生する台風はまだ小さいため、そうした影響も少なく、ビルカバンバの方々がストレスを感じることはない、というのがその根拠です。ストレスとうまく付き合う方法がわかれば、今の生活を一層豊かなものにできそうです。

3月19日(火) 川俣高等学校長

ル ビ

読みづらい漢字につけるフリガナをルビと呼びます。でも、そもそもルビとは何でしょうか。今では文字の大きさを何ポイントとしていますが、かつて活字の大きさを表す単位がなかった頃、イギリスでは、最も小さな活字をダイヤモンド、そしてパール、ルビー、エメラルドというように、宝石の名前を使って表記したそうです。一方、日本では新聞等に活用される大きさの文字を5号として、順次番号を付けていました。フリガナを付けるのに最も適していた7号活字は、ちょうどルビー活字と大きさが同じであったため、短縮してルビと呼ばれるようになった、とのことです。私たちの周囲にある言葉には、それぞれ確かな由来があります。その歴史を紐解くと、興味深い時代背景など多くのことを学ぶことができます。

3月18日(月) 川俣高等学校長

石を敷いた畑

中国甘粛省ではかつて、畑に平たな石を置いていたそうです。日本では石一つも見当たらない状態の畑に、拳程度のかなりの数の黒石があるため、日本人からみると大いに違和感を感じますが、もちろん、それには理由があります。石と石の間には豆がまいてあります。奥地にあるこの地域では、朝晩は急激に冷え込み、畑の表面が凍るほどになるので、日中に温められた石で土を保温する効果があるのだそうです。また、黒い石を活用しているのは、白と比較して熱を吸う率が高いからだそうです。加えて、石は土中の水分蒸発を妨げる働きも兼ねているといいますから、この地域にとっては必須アイテムであったわけです。自分の知識や経験だけを基準にして物事を捉えると、偏りが生じる場合もあります。一旦は固定観念を仕舞い込み、まずは純粋な目で見ようと心がける必要がありそうです。

3月15日(金) 川俣高等学校長

回る家

住宅展示場に、ゆっくりと回る家を出品した会社があったそうです。1時間かけて1周するその家は、腰を痛めて寝たきりの時を過ごした父親に、周囲の景色を楽しんでほしい、との考案者の思いから作られたものでした。家の下部にベアリングを取り付け、嚙み合わせによりモーターで回すことで消音を図ることができ、揺れも感じることがなくなりました。給配水管は中央に寄せ、電気配線をやめてパンタグラフ式にするなど工夫して完成に至ります。四季に合わせて変化を楽しむこともでき、家の向きを変えることができるので家相を気にすることもないなどメリットもありましたが、かかる費用が高く売れなかったようです。でも、発想の豊かさは高い評価を受けるとともに、親思いの気持ちはしっかりと周囲にも伝わったようです。

3月14日(木) 川俣高等学校長

言葉を発する

言葉は常に私たちの身近にあります。周囲の人からかけられる言葉により、励まされることが多くあります。一方で、言葉により、思いもかけず人を傷つけることもあります。言葉の遣い方には難しい面があることは事実です。でも、絵を描く方も、音楽を奏でる方も、また、作家として作品を書く方も、自らの正直な思い、言い換えれば、自らの言葉を発しようとする強い意識をお持ちであることも事実です。H・E・ノサックも、『言葉とは、あらゆる創造の動機です。これこそ、作品にいつまでも生命を与える動機です。』と述べています。生徒の皆さん、選択する言葉の判断基準は皆さんの心にあります。言葉という存在と正面から向き合いながら、自らの存在を再認識するよう努めるのも、有意義な日々となります。

3月13日(水) 川俣高等学校長

クルミ割り

かつて東北大学に勤務していた心理学教授が、自分の車の前に落ちてきたクルミを目にします。視線を上に移すと、そこにはカラスがいました。固いクルミの殻を割るために、車を利用したと感じたその教授は、カラスの習性を研究し始めます。秋に落ちたクルミを拾い集めて冬まで保管しておき、食べ物が減る時期になると、カラスが前述したような行動を取ることがわかりました。ただ上から落とすばかりではなく、タイヤのすぐ前に置いて割れやすくするカラスがいることも発見します。そういえば、岩手県では、とても美味しいと表現するときに、クルミ味がする、と言うように、クルミを好む人は全国的にも多く、カラスもその味を覚えたようです。なお、ハシブトカラスはあまりこうした行動を取ることはなく、ハシボソカラスが主にそうするようです。カラスはなかなか賢いことはわかるものの、運転者の立場からすれば、ドキッとする場面でもあり、迷惑な話ではあります。

3月12日(火) 川俣高等学校長

公園内の看板

マッキンリー山麓に広がるデナリ国立公園は、広大な谷が見下ろせる場所があるなど人気の高い公園である一方で、野生動物が生息する世界を守るために、人がエサを与えることを禁じていることでも知られています。でも、リスなどが近寄ってくると、思わずエサを与えてしまう人が後を絶たず、管理者は頭をかかえていました。ある日、公園内の複数個所に看板が掲げられます。そこには、人からエサをもらい続けていると身体が大きくなり、イヌワシに見つかってしまうぞ、という、リスに対する警告文が書かれていました。もちろん、リスがその文を理解できるはずはなく、明らかに人を意識したものです。そのユーモアの部分も受け入れられ、その後、リスにエサを与える人は劇的に減少したそうです。伝えようとする内容が同じであったとしても、表現の仕方により、その伝わり方に違いが生じることはよくあります。

3月11日(月) 川俣高等学校長

水質改善

ホタルは一般的に綺麗な川に棲みつくと言われており、これは、幼少の頃から汚れのない川に棲み、カワニナをエサとして育つゲンジボタルを指しています。ホタルを呼び戻すために水質改善を図った自治体は、かつて多くありました。でも、水に注目することに加え、川底や護岸にも気を配ることも大切なことに気づきます。ホタルは岸辺の水草に卵を産みつけます。卵からかえる幼虫は浅い水底の石の間に棲むため、石礫を入れる必要があります。また、成虫になる前には、一時土に入ってサナギになるので、護岸には土の部分がなければなりません。大切な生命が誕生するには、そして順調に成長をするには、多くの良き環境を要します。

3月8日(金) 川俣高等学校長

亀の歩み

亀は休まずに歩み続け、兔は途中で居眠りをしたために亀が競争に勝った、というイソップ寓話をご存じの方も多いと思います。背景には、継続は力なり、を伝えたい意図があります。でも、現実的に亀が兔に勝つことは考えられるのでしょうか。その研究をした睡眠科学の専門家がいらっしゃいました。亀は変温動物なので、外気温により亀の身体は温かくなったり冷えたりします。スタート時は身体が冷えているためノロノロとした動作の亀も、しばらく動きながら筋肉を使うにつれ体温が上昇し、それに伴い四肢の動きも活発になります。加えて、亀は高温に強いため、体温が上がれば上がるほど調子も上がることになります。途中で休むと身体が冷えてしまいパフォーマンスも下がるため、休まずに歩み続けたことは理にかなっている、というわけです。一方で、定温動物の兔は常にウォームアップ状態にありますが、体温変化に対応できる幅が狭く、少しの体温上昇でもパフォーマンスが下がってしまいます。それを避けるには休む必要があり、兔が居眠りをしたことも一理あるわけです。でも、そうすることで時間のロスが生じるため、亀が勝つ割合は格段に高くなるというわけです。さて、兔と亀の競争、生徒の皆さんはどう考えますか。

3月7日(木) 川俣高等学校長

令和5年度卒業証書授与式 式辞

 ただいま、卒業証書を授与されました皆さん、卒業おめでとうございます。
 さて、皆さんが入学式を迎えた日、教室の黒板一面に、チョークで絵が描かれていたことを覚えているでしょうか。本校でこれから学ぶ皆さんのことを思い、担任の先生が心を込めて、数日間かけて完成させた作品です。そして、その思いの下、今、皆さんはここにいます。
 皆さんには、川俣高校での数多くの思い出があると思います。川俣町と合同で開催した公開文化祭のときには、多くの地域の皆様にお越しいただく中、お化け屋敷を企画し、楽しんでいただくことができました。かつて川高生だったときに企画したお化け屋敷以上に、格段にクオリティーが高かった、と感動して帰路につかれた本校卒業生の方の話が、今でも印象深く残っています。また、修学旅行はどうでしょうか。日光・鬼怒川、那須高原で過ごした3日間は充実したものであったと思います。地元農家の方々のご指導の下、一から野菜作りに励み、数か月手塩にかけて大きく育て、地域の方々をお招きして行った収穫祭もまた、良き思い出ではないでしょうか。加えて、学習活動や探究活動に積極的に取り組んできた皆さんが卒業することに、教職員一同、大きな寂しさを禁じ得ません。一方で、別れは新たな旅立ちでもあります。皆さんが、これからの人生を歩んでいくうえで、大切にしてほしいことについてお話をします。
 まず、常識を疑う目を持ってほしいと思います。常識とは、社会的に見て当たり前とされる行為、及び、普通の知識や思慮分別のことを指します。そして、私たちは、常識をとおして行動を起こすことにより、一定の安心感を得ています。一方で、この繰り返しのみなされてきたとすれば、現在の発展は生じなかったかもしれません。独特の観点を持つ人がいて、常識の矛盾に目を向け、勇気をもってその改善を図ろうとする取組を続けたからこそ、今の社会がある、とも言えます。新しいことに取り組もうとするとき、最初は常に少数派です。皆さんには、今、目の前にある、一見すると合理的とも思える概念が、時や状況の変化に伴い、将来において変わる場合もある、ということを念頭に置いてほしいと思います。そのためにも、日々の生活の中で、なぜ、と自らに問う姿勢を持ち続けてください。私たちの先達がそうであったように、なぜ、の気持ちは、皆さんが今、感じている疑問を解くための大きな力を与えてくれます。
 東京大学の元総長 小宮山宏氏は、次のようにお話されています。「誤った常識を覆すためには、まず常識を疑うことが不可欠です。学問の世界にも常識は存在します。そして、学問発展の歴史は、学問の根底にある常識を疑い、覆し、新たな常識を作り出してきた歴史でもあるのです。」
 次に、人との関わりを大切にしてほしいと思います。人は、人を思い成長し、人に思われ喜びを感じる存在です。被災県である本県が13年前の東日本大震災から学んだことの一つ、それは、人は周囲に支えられ存在する、ということであったとも思います。先を見通すことのできない状況下にあった当時、一本の電話をとおして、本県に寄せられた、全国からの温かい思い、一枚の手紙をとおして寄せられた、心のこもった励ましの言葉があったからこそ、私たちは頑張ることができました。そのことを忘れることなく、その大切さを、今後も継承していく気持ちを持ち続けてほしいと思います。
 加えて、人と関わる中で、皆さんの持つ個性の在り方についても深く考えて欲しいと思っています。個性、その彩る側面について話されたのは、染織家の志村ふくみさんです。先天性の性質を持つ経糸(たていと)に、後天性の緯糸(よこいと)をとおすことで、織物に特色が生まれます。それこそ個性です。ひたすら一つの色を織っていたとしても、そこには自然に多様な色が含まれる、としています。皆さんは、これまでにも、意図的に、時には無意識のうちに、様々な色を取り込みながら人生という織物を織り続けてきました。そして、自分の個性、言い換えれば自分色の確立に努めてきました。その営みは、これからも続きます。様々な知識を習得していくことで、また年齢を積み重ねることで、折に触れ、その色は変わっていくことと思います。でも、覚えておいてほしいこと、それは、皆さんの持つ個性は、常に輝いている、ということです。
 保護者の皆さまにおかれましては、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。卒業生は、この4月より、自らが選んだ道を歩むことになります。新たな人生の始まりに対して、ご家庭での温かい励ましをお願いいたします。また、本校入学以来3年間、教育活動について、格別の御支援、御協力をいただき、ありがとうございました。教職員一同、厚く御礼申し上げます。これからも、本校の発展を見守っていただくとともに、変わらぬ御支援と御協力を賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 結びに、卒業生の皆さんが、川高生としてのプライドを持ち続け、輝き続けてくれることを願うとともに、本校川俣高等学校は、今後とも永遠に、卒業生の皆さんの、心の拠り所としてある、ということをお約束し、式辞といたします。

モンテーニュはキケロとの友情を、『我々の友情は、それ自体に何らの模範も持ってはいない。ただただ自己に拠るばかりである。』と称しました。友情に関しては外部の規範も手本も不要であり、そこに必要とされるのは自己の持つ意識のみ、とも読み取ることができます。相手を信じる中で友情は育まれます。親友(しんゆう)は信友(しんゆう)とも表現できるのかもしれません。3年生の皆さんは本日、卒業証書授与式を迎えます。本校で学んだ3年間で、友と呼べる存在を見つけることができましたか。管仲に対する鮑叔の深い信にも通じるような友がいたとしたら、それだけで皆さんは幸せ者です。卒業おめでとう。

3月1日(金) 川俣高等学校長

為すべきこと

高村光太郎詩集に、『牛はただ為(し)たい事をする 牛は為た事に後悔をしない 牛の為た事は牛の自信を強くする(一部抜粋)』という一節があります。牛に例えた存在は、何事かに専念する人の姿、との捉え方もあります。何かに取り組めば成果があるので、自分の「為た事」が自分に大きな自信を与えるのは確かなようです。ここで重要なことは何か、それは、することです。行動を起こすことこそ、自信を勝ち取る近道です。ある程度、予定を立てることも大切である一方で、頭で考えている間は、事は進みません。生徒の皆さん、自分の手でものを掴もうとしてみてください。その際に課題が生じたら、工夫すればよいのです。学習をしているときにせよ、将来仕事に就いたときにせよ、課題という存在は皆さんを一層大きく成長させてくれます。

2月29日(木)川俣高等学校長

幸福の追求

中世末からルネサンスにかけて、なぜ人は独創的になれたのか、人が人として生き生きと過ごすことができたのかについて、フェーブルが1925年に書いた『フランス・ルネサンスの文明』の中では、『comfortという言葉に含まれる利便や物質的安楽、つまり、指先で押すだけで点いたり消えたりする照明、季節と無関係な室温、自由自在に流れ出る熱湯や水、これら全てが我々を縛り、我々を捉えている。』と述べられています。そして、こうした意味において16世紀に生きた人は自由だった、とも書かれています。人は豊かな生活を求めます。その追求の過程において、人の手により多くのモノが開発され、私たちの生活に彩りを添えます。一方で、そうしたモノに強い拘束を受けることは、本来の幸福という側面からは離れてしまうこともあります。生徒の皆さん、皆さんが日常的に手にするモノ、触れるモノを主体的に活用していますか。生活の主人公は皆さんです。

2月28日(水) 川俣高等学校長

根気よく

アランは、『教育論』の中で次のように述べています。『長年にわたり、誰が優秀であり、誰がそうではないのかについて、私は嫌と言うほど耳にしているが、人の持つ精神をこんな風に軽々に判断することが最悪の愚行である、という気がする。たとえ人から凡庸と見なされようとも、順を追うて進むなら、幾何をマスターできない人はいない。諸々の困難も同様である。根気のない者には打ち克ちがたいことではあっても、辛抱強く、一つずつ考えていく者にとっては、何でもないことである。結果は、長い学習のあとでなければ出てこない。』アランは、知性に段階を付けることはできない、とも話しています。生徒の皆さん、興味あるものに長く取り組むとともに、思いっ切り深入りしてみるのも、結構面白い体験です。

2月27日(火) 川俣高等学校長